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陽の光を誰しもに

この秋で27歳になった。
母が私を産んだ年齢だ。

18から働き始めた私の母は、職場で父と出会って、4年後には婚姻届を出した。そこから5年経って私を出産し、さらに5年後もうひとり女の子を授かった。

時代が移り変わる中で女性の生き方も変化してゆき、「家庭に入る」ということばばかりが当然の顔をしなくなった。社会とのつながり方は広がった。まだ20代の身でこんなことを言うのは妙だけれど、私のような人生のあり方はむしろ普遍になっている。

母が社会に出てから私の妹を産むまでの年数は14年間だ。ひとり立ちしてお金を稼ぎはじめ、2人の子どもを持つまでの時間。急にそんなことを考えて、今までにない感情になっている。母の過ごした日々が、壮大なものとして心に迫る。

私の子どもだとしてもおかしくない年齢の子たちと出会うことも増えた。「親」とは違う形で「子育て」に携わる今をとても不思議に思う。愛おしいこの子たちの生まれてきた背景を、その親たちの姿を、薄ら明るく想像する。あたたかいものばかりではないけれど、胸が締め付けられることもあるけれど、それでも私がみんなと出会えていることに「よかった」と思う。

先日、ひとりでたくさんの子どもを育てるお母さんと出会った。末っ子の双子はおしゃべりが饒舌になってきた頃だ。その子たちの明るさに、きらきらの「だいすき」という声に胸が浄化されてしまった。子どもの持つ無垢さに、というよりも、そのお母さんの写し鏡のようなきらめきだったから。夜勤をしながら小学生と保育園児を育てている、とだけいえば世の中は目を丸くする。大変なのは違いないけれど、この子たちと、このお母さんの持つ光を感じてほしいなと思った。誰に、ということでもないけれど。

親子とはちがうつながりを育みながら、改めて「親子とは」を考えている。いろんな人生がある、どんな人生も祝福されてほしいと思う。なんとなく胸いっぱいになって、ちょっと涙も出る。悲しいのではない。あちこちに陽の光を感じたからだと、そう思っている。

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