変化は永遠に、心はどう動く
髪を切ったら、選ぶ服がすこしかわった。
だいすきだと思ってしていたファッションに対して、「ほんとうはそんなに着たい服ではないかも」と思うようにすらなった。昨日と今日では、自分自身が違っているということを感じる。
子どもと一緒に過ごす中で、大学の勉強を続ける中で、過去に信じていたものがひっくり返るような経験を最近した。一概に180℃変化したものばかりとはいわないけれど、それでも戸惑うくらいに新しい物事を知った。知ると、前と全く同じ行動をすることに躊躇いが生まれる。白黒つける必要がないものにも、即座に判断することが難しくなった。デニムを履き替えるようには簡単にいかない。心と身体にゆっくり落とし込んでいく、じわじわと染みさせるように。
これでいいのか、もうわかんないの。
そうこぼした私に、「心と頭を絞って相手のことを考えている、それで十分正解だよ」と返してくれた人がいる。過去、CforCの講座の中で "心でこたえていけばよい"と聞いたことも思い出した。わかんない、わかんないことだらけ。それでも心を尽くすことをやめない。いまの私にできるのはそれだけ。
ありとあらゆる事態に直面して、また幾つかの悲しみを耳にして、仄暗い波に心を押しやられてしまっていた。取り戻すためにしたことは、私なりの日常を送ることと、よく笑うこと。楽しめる隙間を逃さずに、そばにいてくれる人たちを大切にした。そして、ここ数週間の苦しい気持ちを静かに聞いてもらった。「うんうん、そうか」と言ってくれる存在のなんとありがたいこと。こうしてまた気がつく。誰かの隣でたたずみ、頷き続けることの意味に。
着たいものを着て、信じたいものを信じ、新しいものを受け入れ、変化を実感していく。生きることって変わっていくことだ。簡単じゃないのに、シンプルだ。痛みを受けて、それでもいつか癒されて、慣れていく。その過程をあとからでも楽しめたならいいな。