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もっこす


数十年前。今では大先生になられた九州福岡のコンテスターが僕の師匠の所に技術を習いにきてたんだって。すごいよね九州からわざわざ東京まで練習に来るなんて。よっぽど技術上手くなりたかったんだと思う。すごい。

そして師匠が「福岡で研究団体作れば?」って提案した。その先生はその通り団体を作り、その団体はどんどん大きくなった。後にその熊本支部が独立した。それが今回僕を呼んでくれたグループだ。

当時師匠は人気講師で忙しく、まだ若かった師匠の1番弟子だった僕の先輩が毎年2月に講習に行く事になった。

20年間毎年。

先輩は20年で区切りをつけ、僕がそれを引き継ぐ事になった。本当に僕でいいのか。
「よろしく頼むな」だって。絶対に断れない。

プレッシャーがすごい。

僕なんかより有名な先生がたくさんいるのに、何故僕なんだろう。僕である必要はないはず。ずっと疑問だった。

熊本地震があった時先輩から連絡があった。「何か出来る事はないかって考えたんだけど、一緒に熊本行こうぜ」って。
何人かのメチャクチャ有名な先生方と、何故か僕を連れて熊本県で行われるコンテストに特別審査員として出向し、選手全員にアドバイス、全員でデモンストレーションをやるのはどうかと考え、熊本のボスに連絡したらしい。

ボス、泣いたらしいよ。

去年まで3年間、6月に熊本行った。全員で総額どれくらいなんだろう、分からないけど復興資金として全員で寄付もした。先輩50万くらい1人で出してた。まあたぶん毎回100くらいは行ってたんじゃないかな。終わってからの打ち上げも2次会3次会の後のラーメン屋さんでも、僕らの分は1円も出させなかった。それ見ながら「これを男っていうんだなあ」って考えてた。

2/10月曜日、4:30に起きて7:10羽田発9:10熊本着の便で向かった。空港にグループの若い衆が2人で迎えに来てくれた。前日まで緊張してたけど知った顔を見たら少し安心した。

会場は理美容専門学校。先輩が好きだったという狭い教室を見学させてもらった。しばらくその部屋の中を歩いた。想像していた。先輩が一生懸命技術を教えてた場所。厳しくて愛があって、最高に格好いい本気の指導。僕にもそうしてくれた。

今回の会場は別の広い教室だという。「じゃあ行きましょうか」と言った。教室に入ると3年間お世話になった皆さんが笑顔で迎えてくれた。準備して技術を始める前に言った。

「先輩が1000だとしたら僕は1も持ってないかも知れません。それでも一生懸命やります。」

レディースモデルさん3名。解説しながらゆっくりと、なるべく簡潔に、僕が教えてもらった事を思い出しながら。技術が終わってから少し休憩して1時間の講演。講演て。自慢話も苦労話も無いから、人前で話すとか苦手なんだよね。結局30分で「これで終わりです」と言って許してもらいました。ボスが目を閉じて眉間にシワ寄せて聞いてて「何だよコイツ大した事ねえじゃん」って思ってたらどうしようって思って怖かった。まあいいか最初から話すの苦手だって言ってあったし。

講習が終わって懇親会が始まった。1軒目は熊本料理とおでんのお店。

2軒目はイタリアン

先輩が好きな赤星。これしか飲まなかった。美味しかったです。感謝。

先輩から電話がきた。「さっきボスから電話あったよ!お前超いい仕事して超いい話したらしいじゃん!ありがとな!たくさん飲ませてもらってこいよ!」

嬉しかった。

ボスに「何故僕なんですか?もっと凄い先生がたくさんいるのに。」そしたら

「自分はもっこすですけん。師匠とか先輩大切に想うとか、義理とか筋通すとか、そういう人が好きなんですよ」

だって。「もっこす」ってよく分からないけど要は「男らしいヤツ」って事なのかな。僕はまだまだ程遠いな。


2軒目でこれから毎年2月に行く事と、出来れば6月と10月に熊本に行く事が決まった。ボスに「10年は世話になります」と言われた。3軒目中華、4軒目のラーメンで「そろそろホテルに帰ります」と言って解放してもらった。

今日の阿蘇熊本空港4番搭乗口。たくさんの人達のお陰で全部繋がって僕は今回熊本に呼んで頂き、これからお世話になる事になったんだなあと思ったら涙が止まらなかった。

今回忘れられない話がもう1つある。

あちらの2名が「なんか湯らっくす流行ってるみたいですねえ。僕らサ道ってドラマの撮影でエキストラで行ったんですよ。だからあの回僕らテレビ写ってるんですよ〜。」って普通に言った事。

マジかい。


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