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「本を読めなくなった人のための読書論」を読んで、人生を見直した話

今晩は、クリスマスパーティー(中高時代の友人5人で実施したのだが、うち1人がYoutuberアイドルにガチ恋勢でとてもほっこりした)の後、ふらっと手に取り購入していたこちらの本を、先程までいた友人たちのぬくもりをうっすらと感じながら、読んだ。素直に出会えてよかった本だったので、読んで早々に読書記録を書いてみる。

どんな本か?

【第1章】待つ読書
【第2章】言葉と出会う
【第3章】本と出会う

の3章からなる本。「本が読めない」とはどういう状態なのか、読書とは何かを問う本である。本の冒頭には、以下の記述があった。

本が読めなくなったのは、内なる自分からのサイン。だから、読めないときは、無理をして読まなくていい。読めない本にも意味があるから、積読でもいい。知識を増やすためではなく、人生を深いところで導き、励ます言葉と出会うためにする読書。その方法を、あなたと一緒に考える。

本を手にとったきっかけは、「突然本が読めなくなった」こと

弊社はIT業界という流れの早い領域に身を置く会社だ。情報感度の高い人が多く、また、そうであることを良しとしている会社である。
日々たくさんの情報を仕入れては流通させ、コメントを付けて発信する。比較的私はそれが得意である。元々情報のキャパシティや引き出しはそこそこ多い自負があった。好奇心もあったし、過去の受験などの経験から、速読などもそこまで苦手ではない。インスタントに情報を仕入れることにプライドも持っていた。
だからこそ、情報の海の中を高速で泳ぐマグロのように、日々大量の情報を摂取しては、吐き出す行為を繰り返していた
そういう毎日が続くなか、突然(本や記事などあらゆる情報が)「読めなくなった」瞬間があった。厳密に言えば「全く読めない」わけではないが、情報をうまく飲み込めなくなってしまったのだ。

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頭の中がいつも情報とそれに対する反応で充満しており、かつ、そこに感情が乗っかったりすると、脳みそが徐々に疲労していった。
それでも「ストレッチのため」と情報を入れ続けていったが、だんだんその効率も悪くなり、悩んでいたときに手にとったのがこの本だった。

結果として、インスタントな情報収集および知識偏重で生きてきた私に重くのしかかる言葉たちに多数出会えた。以下に、当初の課題意識に応える示唆について、記載をしていく。

【第1章】読めないことの意味を自らに問う

「読めないことの創造的な意味」という言葉が、自分にとっては福音になりそうである。
・情報を消費することではなく、「経験」とすること
・読むのが先ではなく、まず書いてみること
など、たくさん「読む」ことへの執着を手放すことが重要なのではないかという気づきを得た。(この話とかが近そうである↓)

また、「読めない本が存在する」ということについても、その本との関係性の1つの形であり、それ自体にも意味があるという言葉が胸に突き刺さった。難読本を読むたびになぜ読めなかったのか、攻略できなかった、理解できなかった、ということへの恥じらいと悲しみの気持ちを持っていたが、「そういう関係を持った」と捉えると、楽になるかもしれない。

【第2章】「本を読めない」のは「断食」と同じである

「本を読めなくなったこと」を「言葉の断食」と表現している。また、そこからの「回復食としての読書」についても、筆者は示唆を出している。
・全部を読もうとしない。読むのではなく「眺める」
・どっしりとした長編ものではなく、格言集など、エッセンスが記載されているものにする

【第3章】「読書」とは旅である、としたときに

本が読めなくなったことを、決まりきったツアー旅になぞらえ、「正しい読書」に満足できなくなった状態である、と仮置きしているのは、自分の今回の異変とも重なった。これを「情報収集としての読書への否定」と表現しているところにも、思い当たる節があって、どきり、とした。
そうだとしたら、「自分の旅は自分で作る」必要があるわけだが、そのためには「自分を変えてくれる本との出会い」への期待を捨て、言葉に向けて心を開いた状態にすることが何よりも重要。その「一つの言葉」をちゃんと味わえるように、感じる「肌感覚」を持てるように、自分の心の感度を上げることに神経を使うべきだと感じた。

では、これらができるようになると、何が起こるのだろうか?ここに対しても筆者は示唆を出している。
・自分にとって不要なもの
・自分にとって本当に必要なもの
が分かる、ということのようだ。

また、第3章では、言葉を素朴に受け取り、愛おしむことに時間を使うことの重要性が説かれていた。また、それと同時に、そのことを阻害する要因となるのが、「思想」、「嗜好」、「習慣」の3つである、と筆者は主張している。それを横に置けば良い、とのことだが、そのことがいかに難しいかを感じ、どう手放すべきか、考えなくてはいけない。かつて西田が主張したように、「意識的にゆっくり読む」ことを気をつける、というのはひとつの方策になりえるだろうか。

【あとがき】『読書』を手放す

ここで本の主題と逆説的に見える主張が出てくるわけだが、そのことすら腑に落ちる精神状態に読者を誘い込んでいることは、まさに筆者の言いたいことを伝えられている証左であろう。
「切なるものを愛しむ」気持ちを突き詰めていく、そのことが、自分への何よりの処方箋になりそうだ。

琴線に触れたフレーズ

今回読書する中で深めていった課題意識以外でも、刺さった言葉が色々あったので、こちらに書いていこうと思う(本当に雑多である)。

・「読書感覚を取り戻すのに良い場所が図書館である」
これは図書館好きとしては福音になりそうだ。司書さんの活用については、これまで利用したことがなかったので、一度相談してみようと思う。

・「読書とは、印刷された文字の奥に、意味の光を感じてみようとすることだ」
この言葉にしびれた。未知なる自分の発見のいち手段であるというスタンスは、私が本を読む動機とも重なる。

・「本屋に行く意味を、変わりゆく本を追うのではなく、自分の変化を鏡写しにすることとする」
「情報を取りに行く」ではなく、「自らを知る」という視点に切り替えることで、自分の思考が空転せず、そこに深く根を張れるのではないかとも感じた。

・「書くとは、自分の中にあって、容易に言葉にならない何かを確認することである」
だからこそ、読書の意味はあるんだ、という気付きにもなった。

・「誰かに勧められて読めなかった本を、1日3行でもいいから読んでみる」
どんなに難しい本でも、どんなに時間がかかってもいいから、止まっていた思考をスタートさせる上では必要な行為かもしれないと思った。

読みながら思った色々なこと

読書体験全体を通じての気付きについても、以下に雑多に記していく(本当に雑多である←2度目)。

・自分の言葉と向き合うことについて
そもそも最近私は紙とペンで何かをする、ということをほとんどしていない。なんかそういうのをしたくなった。お手紙かな。そういう意味でも、年賀状やクリスマスカードなど、季節の挨拶は有効なのかもしれない。

・「言葉」の美しさと嫉妬について
他人の使う「言葉」がとてもうらやましいと思っていた。イベントなどで、口から出る「言葉」の巧妙さに、膝を打っていた。そのたびに、私はそういうものを持っていなくて、なにもないなぁ、という寂寥感と焦燥感を感じていた。でもそういうことじゃないのかもしれないと思った。もっと自分を信じてあげてもいいのかもしれない。

・本を読めない状態とは
本を読めない状態は、何を食べたらいいか分からない、誰と付き合えばいいかわからない、みたいな状態と似ているのではないか、と思った。

・著者の素晴らしさ
若松英輔さんの文体やひとつひとつの言葉がとても力強くも優しく、泣いてしまった。平易さはありつつも、そのなかにあふれる知性や思慮深さがすごい。どうやらNHKの『大人のための哲学入門』をやっている方らしい。他にも詩集から小林秀雄まで幅広く?扱っている方のようだ。他の本も読んでみたい。

・本の作りについて
体験として、全体を通じて、読み手を想像して書いている本だと思った。まず、文字が大きくて読みやすい。語りかける、甘いだけではないゆったりとした言葉。挿絵を挟まず、文字と向き合う体験が出来たのは、自分にとってとても良かった。

読了後、私はどのように情報と向き合い、受け取り、発信するのか

諸々の示唆を受けて、私がまっさきに思い出したのはTwitterだ。なぜならいま、Twitterとの付き合い方について悩んでいるからだ。

弊社では現在、実名アカウントの運用を通じた情報感度の向上、採用への寄与、マーケ界隈でのプレゼンス向上などを目指して『Twitter道場』という活動をしている。日々、仲間の理解が進み、また、結束力や双方のPDCAから得られる学びの多さに驚いている。SNSマーケティングの重要性が上がっている今、このことは非常に大事なことだと理解している。

もともと振るわない個人のいちアカウントだったのだけど、頑張って有用性の高い情報を収集し、発信していくように努めていった結果、順調にフォロワー数は伸びていった。そのことはとても励みになったし嬉しかった。
一方で、運用していくうちに、

・Twitterビジネス界隈のKPI的な思想(1日XXツイート以上などのルールやふぁぼの定量的な計測など)
・フォロワー増やしのTIPS
・ベンチマークという概念
・フォロバ必須などの不文律のルール
・界隈の存在と思想の対立
・オフラインコミュニティとの絡み

など色々なことを知ることとなった(当然といえば当然なのだが)。

初めて会う人が「Twitter見てます!」と言ってくれたり、「この前キャリコン合格したんですよね?おめでとうございます!」と声をかけてくださったり、世界はつながっているんだ、と感嘆する機会もいただけたり、自分のチャンスが増えている実感を持つ一方で、
いち個人として素直に、フォロワーの数とかいいねの数とかに一喜一憂するのも少ししんどいし(一般的に言われているSNS離れの兆候とも言えるか)、流れてくる多数の情報などに対しても、そのことをポジティブに捉えられなくなってきた自分がいたのも事実だったのだ。
そんななかで、「今の自分はこのツールとどう付き合っていけばよいのだろうか…」と頭を悩ませていた。

膝抱える女性

そして、この本を読んだらどう自分の気持ちが変化するだろうか、と思っていたが、今のところ、自分の中に「問い」を持ち、主体的に運用するように心の持ち方を変えていくのが良いのではないか、と考えている。

・それは自分の言葉か
自分の心と発信する言葉に齟齬はないか
・情報摂取によって大事なものから逃げていないか
・いま、(媒体発信に関わらず)本当に大事なことは何か

などの問いを適宜自分に問い直し、そのときどきに適切なリズム、内容を、誰かに言われたとおりにやるのではなく、自分の正しいと思う領域で、やっていければいいかなと思っている。

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ゆったりとした時間とか、きれいな言葉とか、そういうものを集めることもできるし、自分の言葉で紡げるように訓練する場にも出来るはずだ。情報垂れ流しアカウントだけではない、自分らしく、かつユーザにとって価値のあるものとは何なのか、あるいはそれらとの適切な距離感について、模索していきたい。

また、それを考える上で、調べることは「ととのえる」ことである、として筆者が記しているところにヒントがありそうだ。自分に必要な栄養はきちんと摂取する、そうでないものを不用意に引き受けない、という姿勢がこれまで以上に大事なのかもしれない。

さて、年末最後の週。気を抜かず、驕らず、丁寧に、過ごしていこう。

UXコンサル、BtoBマーケ、人事を経てコミュニケーションマネージャー(広報、マーケ、採用広報、組織開発)なう。 書くこと:パン偏愛、可愛いもの布教、働くこと、生きること、1日1考、新サービス考察、旅行、読書録、銭湯、恋愛。 頂いたサポートは、もれなくパンの研究に使われます。