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noteが支える日常

「ニュースをみるよりも早いから」と、Twitterを情報源にしているひとの話をよく聞きますが、わたしの場合は断然noteだなと確信する出来事がありました。

7月19日は祝日

うちのカレンダーにはそうなっていたので、ほとんど仕事をせず――なんなら出かける用事をいれていた――休日を満喫する予定でいました。当日の朝までは。

なにげなくいつものようにnoteをながめていたら…

ん?ん?

2度見する投稿がありました。

ミーミーさんが注意喚起してくださったおかげで、仕事関係者から「音信不通の人」の烙印を押されずにすみ、ちゃんと仕事ができてホッ。

「予定」は仕事の時間をずらすことで難なくクリアしたのはほかでもない、リモートワークのフリーランスでいるからこそでした。この日ほど今の働きかたをありがたいと思ったことはないかもしれないくらい。


noteをはじめてからは、ここで教わることが「わたし」を形成していっているような気がします。欲しい情報が手に入ったり、全然知らなかった知識を得たり。

そういう考えかたもあるよなとか、そんなやりかたがあったのかとか、新たな発見や気づきもある。

胸の内をそっとつづる文章や、居場所を確保して生き生きするさまが感じ取れる投稿。ひとの息づかいがわかるnoteによって、わたしも生かしてもらっている。そんな感覚があります。

noteはそんなところ。

今日もわたしはnoteで支えられているな。


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