「本を薦める」というプロトコル

SNSなどをやってると、たまにコメントで「○○という本を読むといいと思います」というお薦めを受けることがある。こちらから本を薦めてくれとか情報提供などを一切求めていないにも関わらず、である。どう考えても私の方がそのジャンルは詳しいのだから、わざわざ専門外の方にお薦めいただく必要はないという場合にも、である。

私自身は、相手が明らかに情報を求めていて、自分の持ってる情報がもしかしたら少しでも足しになるかもしれない、と思えるときでないと、そういう「お薦め」をしないようにしているので、そうされることにものすごく違和感を感じていた。なぜそんなアドバイスをできるのだろう。自分が安く見られているような被害妄想を持つこともあった。

だが、ふと考えた。世の中には怒りという形でしか他人とコミュニケーションできない人がいるように、もしかしたらそういう「本を薦める」という方法でしか他人に話しかけることができない人がいるのかもしれない。それはその人の唯一のプロトコルなのではないのか、と。

そう考えると、少し心持ちも違ってくる。迷惑なことには変わりないが、そういう人なのだから仕方ない、と思えるのは心の平和のために重要だ。

そして思う。自分がコミュニケーションの中で取っているプロトコルもおそらくあるだろう。それは、果たして適切なのだろうかと。共通認識になっていないとプロトコルは意味がない。同じことでも時と場合によっていろんな受け取り方をされるのだから、少しでもバリエーションを持っておく方がオトナとしてはいいのではないだろうか、と。

そういう意味で、何かを「薦める」というプロトコルは実はかなり高度なものなので、求められない限りあまり多用しない方がいいのでは、と、やはり思うのであった。

※プロトコルとは(IT用語事典より)

プロトコルとは、手順、手続き、外交儀礼、議定書、協定などの意味を持つ英単語。通信におけるプロトコルとは、複数の主体が滞りなく信号やデータ、情報を相互に伝送できるよう、あらかじめ決められた約束事や手順の集合のこと。
コンピュータ内部で回路や装置の間で信号を送受信する際や、通信回線やネットワークを介してコンピュータや通信機器がデータを送受信する際に、それぞれの分野で定められたプロトコルを用いて通信を行う。英語しか使えない人と日本語しか使えない人では会話ができないように、対応しているプロトコルが異なると通信することができない。

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