私の中にもいた「ダルちゃん」

資生堂「花椿」というサイトに、「ダルちゃん」というマンガが連載されていることを、友人経由で知った。

主人公の「ダルちゃん」は24歳の事務職派遣社員。でもそれは世を忍ぶ仮の姿で、実は人間に紛れ込んだ「ダルダル星人」。人間に擬態して今まで生きてきた。コピーを取ったりお茶を出したり、一昔前の「お茶汲みOL」と呼ばれた「事務職」の仕事で居場所を得られてうれしいダルちゃん。それは子どもの頃から居場所を得るのに苦労してきた彼女ならではの思いだった。

そんな彼女が苦手なのが、課の宴会。ふだんはやさしい部長さん、課長さんがなぜかここではグチばかり言ったり怒っていたりする。ここでの居場所と役割を「やあだあ、そんなことないですよー」と返事することと心得た彼女は、営業のスギタに失礼なことを言われて絡まれてもすべて「やあだあ、そんなことないですよー」と受け流し、それを聞いて笑うスギタの表情を見て「これでいいいんだ」と思う。しかしそんな彼女たちのやりとりを見ていた女性のセンパイ・ヤマダさんは怒ってダルちゃんを無理やり宴会から連れ出す。「あんな風に自分を扱ってほしくない」とヤマダさんは言う。スギタはダルちゃんを侮辱していたのに笑って聞いていたその様子が見ていられなかった、と。

だが、そのヤマダさんの正論をダルちゃんは受け入れられない。スギタに言われた失礼なことはほとんど覚えてないが、ヤマダさんの「上から目線」の言葉は許せないと感じ、翌日からむしろスギタと仲良く話す様をヤマダさんに見せつけ、「勝った」と思うダルちゃん。すぐにスギタに二人での飲みに誘われ、そして…。

周りに合わせること、他人に必要とされることを一番大事にしてきた結果、他人に自分を都合よく使われることに鈍感になってしまったダルちゃん。ほんのかすかに感じる違和感がシグナルを送ってるのに、それを見て見ぬふりをしてしまうダルちゃん。そんなダルちゃんは、他人とは思えない。何年か前まで、私の中にもダルちゃんはいた。Noを言うと世界が壊れてしまうようで、断れない人だったのだ。でも実際はNoと言っても世界は壊れず、むしろそれまで感じたことのない居心地のいい安心感が得られた。

ヤマダさんの言葉をダルちゃんが受け入れられなかったのは、それまでのダルちゃんの生き方を否定していたからだ。そんな風に生きなくてもよかった人には、自分の気持ちはわからない。スギタの侮辱はダルちゃんを傷つけないけど、ヤマダさんの正論はダルちゃんを傷つけた。

ダルちゃんのように「自分を大切にできない」人を、スギタのような「自分のために他人を利用する」人間は敏感に察知する。そして近づいて利用して、面倒になると切り捨てる。恋愛、友人、上司と部下、どんな関わりであれいびつな関係性に苦しめられることになる。

心に「ダルちゃん」を抱えてるひとたちには、イヤなことはイヤだと言っていい、自分を大切にしていいんだよ、と言いたい。あなたがNoと言っても世界は壊れない。返事に間が空いてしまったり、体がこわばったりといったかすかな違和感のシグナルがあったらちゃんと耳を傾けて、立ち止まって保留してもいい。自分を大切にできる人だけが、他人も大切にすることができるのだから。

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