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海外でも堂々と生きたい


こんにちは。今日は日本では敬老の日ですがオーストラリアは平日です。そもそもオーストラリアに敬老の日はあるのかと疑問に思い調べてみたところ祝日としてはありませんでした。その代わりに、Grandparents Dayという日が10月最終日曜日に設定されているようです。今まで住んできて祝っている人は正直見たことないです。おそらく母の日や父の日におじいちゃんおばあちゃんにも感謝を伝えているのかな?今年はどうなのか注目してみたいと思います。

さて、本題に入るとします。前回の記事では、海外にいても何かを成し遂げたいと思いつつ自己肯定感や自信の欠如、コミュニケーション力の低さでなかなか一歩を踏み出せずにいるという話でした。(ぜひその記事も読んでいただけたら私の葛藤が伝わるかと思います。)↓

今回は自分の自己肯定感や自信を高めるためにどんなことをしていくべきか、コミュニケーション力はどうしたらついていくのかについて考えてみたいと思い書き始めました。

まず第一に、自己肯定感の高い人は自信を持っているし、自信を持っている人は基本的にコミュニケーション力も高いと感じます。周りの友人を見ていても、たくさん友人がいたり3人以上で話をするときに会話の中心となっているような人はコミュ力高いな〜と思うし、良い意味で自己肯定感が高くて自信も持っているように見えます。つまり私が改善しなければと思っていた問題は結局は全て自己肯定感の有無に関わってきていると言えるでしょう。

私の場合住んでいる環境上、コミュニケーションを英語で取らなければいけないということ、人種が違うと育った環境も暮らし方も全然違うので話題を探すのが難しいと感じていることが会話する上で私を不安にさせてきています。英語にこんなにもずっとコンプレックスを感じてしまうのはなぜなのか、自分でも疑問に思っていましたが、恐らく自分の英語力をネイティブに比べてしまうことが一つ要因であるように感じます。英語だけでの環境にいると仕事をする上で必要な会話で言葉が出てこなかったり説明がうまくできなかったり、相手の言っていることが聞き取れなかったりした時に、自分がネイティブのように会話ができないからダメなんだ、と落ち込んでしまいます。また、自分の言ったことが聞き返されたりした時にも自分の発音そんなに悪いのか?と不安に思う時もあります。しかし思い返すとネイティブ同士の会話を聞いてても聞き返すことなんてしょっちゅうあるし、自分が日本語で話をする時もそんなことよくあることだったと感じます。多分相手はそこまで気にしていないのに自分だけが気にしている、そんなパターンがほとんどだと思うのでなんとか気にしないで英語でのコミュニケーションを積極的に取れるようになりたいところです。

自己肯定感が低いと自負することについては、もう一つ、自分がアジア人であることに対して若干の疎外感を感じることが原因ではないかと思っています。差別とまではいかなくても話をする時に相手に、こいつ分かってるのか、大丈夫なのか、と思われているのではないかと不安になってしまうことがよくあります。大学時代の若い時はそこまで感じたことがなかったけど、やたらそんなことで不安になるのも、歳なのかなあ…と思ったりしています。まず、自分が日本人であることや育った環境、母語が日本語であること、ど東アジア人な見た目は変えられない。そこを相手に圧倒されずに自分でもはっきりと念頭に置いた上でコミュニケーションを取らないと、負けてしまう。自分は白人ネイティブでもないし、オーストラリアで生まれ育った日本人でもなく、大人になってから移民した者だ。そういう変えられない事実をコンプレックスに感じず、むしろ誇りに思って「今、挑戦している自分偉い!」ぐらいには自分を褒めてあげられるようになりたいと思います。

結局自分の英語力をどう捉えるかは本当の実力よりもマインドセットなのだと思います。ソーシャルメディアでいつでも知らない誰かが英語で話しているのを聞けたり、TOEICの点数を公表したりしているのを見られるからこそ自分はまだまだだと感じてしまうし、ましてやネイティブが話す英語に自分の英語を比べて落ち込むのは土俵が違いすぎて時間の無駄だと気付きました。自分が不自由だと感じない程度の英語力で、相手にも伝わっていて時々分からないことは分からないと伝えながらコミュニケーションをとったって、最終的に同じページに居られればそれでOKだと思えるように、自分に優しくいたいです。

自分を認め、褒めて、受け入れていく。落ち込みそうになった時はそうすることで自尊心を保っていきたいと思います。最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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