大掃除、心の汚さ

※これは過去記事のアーカイブです。

 そろそろ年末。部屋の汚さは心の汚さに比例にするので掃除をした。
 先日パーティーに招かれたのだが、お邪魔させてもらった知り合いの家が汚くて、それを見て掃除をしようと思った。それと、知り合いの家の汚さを通してその人とその周辺の人のことをあまり好きではないと思ってしまい、自分の心の汚さを知って掃除をして罪を滅ぼそうと思った…。
 招かれた家にはDiorのアイシャドウとかaesopのハンドソープがとかいわゆるハイブランド物が置いてあった。しかし、よく見てみると物が散乱していてそこはかとなく汚かった。お風呂場の排水溝のカビや、玄関ドアの汚さが印象的だった。あと、台所に物が散乱していてぐちゃぐちゃだったことや、部屋の四隅に転がった酒ビンやゴミ袋とかも見つけてしまった。あと、カーペットの裏にあるリモコンとかがあって踏んでしまって痛かった。食卓には片方のピアスが放り投げられていた。あとなぜかその家には掃除機と洗濯機がなかった。その反面、ドライフラワーや観葉植物、雑貨や貰った手紙、ポスターやピアス、イヤリング、化粧品などは乱雑なものの飾ってあって、ゴミや汚さと一緒に可愛さと美しさが両立している部屋の奇妙さに驚いた。
 家主は「大丈夫だよ」「いいよ、私がやるよ」が口癖で、自己犠牲感が強い。友人曰く、「人との繋がりを断つことが怖いからお金とか物とかで必死に繋いでる感じ」だそうだ。このことを思い出してから、人の性格は部屋に表れるのだなと納得した。その部屋の汚さは、世間から見たら異常に汚い訳でもないが、よく見るとディテールが汚いという感じだった。ギリギリを保ってなんとか生活が回っている状態。必死に表面上を取り繕っている感じ。なんだか不安定で心配になる感じ。その様子を見て私も家をきれいにしようと思った。
 しかし、家から帰るとき、私は家主に嫉妬していた。その人が周りから愛されていると思ったから。パーティーが終わったあと、皆がゴミを持って帰ったり、片付けをしたり、お皿を洗っていた。私が皆を家に招いた時の対応と違いすぎて絶句した。私が以前友人らを呼んだ時は片付けもせず、ゴミも捨てずに帰っていった。まるで接待されることが当たり前のようだった。人の家のタオルや座椅子も勝手に使うし、皆で鍋をするというのに台所で私だけが食材を切っていた。そのことを思い出すと腹が煮え繰り返る。今でもあの時の怒りを覚えてる。でも、先日の家主は私と違って雑に扱われたり都合よく使われたりしない。自己犠牲という点で共通点を感じていたからとても悲しかった。
 やはり私の人間性に問題がある。今まで人と関わるの苦手で人間関係を実践をして学習してこなかったことも、察して欲しくて人に言葉で伝えることもできないことも、SOSを出すこともできない。そして、今みたいに自分のことを棚に上げて人を貶め、晒しあげるような文章しか書けない。どうしたら大切にしてもらえるんだろう。そんなことを思いながら家路に着いた。人間関係は難しい。自分をいかにブランディングするか、相手のことをいかに思えるか、いかに人に気持ちをうまく伝えられるか、真面目さを捨てられるか…。色々と考えてしまって拗らせている。一番いいのは、同じレベルの人と群れることなのか…?必ずしもみんなとは仲良くできない。そんなことを思った年末。
 まあ、私がいくら家の掃除をしたって心の汚れは取れないけれど…。

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