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本題

( ↑ こっちは成果の見えづらい本物の一部。)

 
 つづいて草を刈りながら、
(今日は笹みたいなのが硬くて、ちょっと重労働だな~。)
と、思った。
 その、”重労働”の「労働」という言葉と、さっき思った”草刈りは作品”の「作品」という言葉に触発されて、今度は、1学期の授業の終わりにやった、ハンナ・アーレントの話が、ふと頭に浮かんだ。
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 アーレントは、人間の生活は「労働」「仕事」「活動」の3つによって成り立っていると考えた、というようなことが、公共の教科書に書いてある。
 「労働」は生きるために必要なことをすること、「仕事」は道具や作品などを作ること、そして、「活動」は人間が言葉を交わして対話をして公共性を築いていくこと、だそうだ。

 😊😊😊……たぶん、多くの高校生(&人)にとって、ちょっと退屈そうなこの話。でも、このとき、急に、(あー、こういうこと?)と、納得してしまった。


 草刈りにも、この3つの側面はあるかも。


 「労働」としての草刈りとは?
 家族が無事に、この場所で暮らして行くための、必須の行為。
 今朝のゴミ捨て帰りに、また50メートル先を横切って行った猿、先日の雨上がりに見かけた、背中にダイヤモンドの模様を付けたマムシ、が頭に浮かぶ。

 「仕事」としての草刈りとは?
 思い描く景色に近づけていこうとがんばったりすることなのかな。
 きれいに刈られた空間にも憧れるけど、人工的なのはわたしはあまり…。まあ、わたしがやるとほっといても人工的どころか、刈り残しがあったり、草刈り機の高さをキープできずに地面まで削るほどに刈ってしまったりで、子どもが刈ったようなランダムすぎる感じになっているんだけど。
 でも、草刈り翌日、やさしくなったような気がするその辺りを見るのが楽しいのは、やっぱりこれが ”作品” だからかな。

 では、「活動」としての草刈りは?
 ……分からないけど、ただ自分だけの好みと都合で草を刈ったり、木を植えたり切ったりするのではなく、ここを通る家族や隣の親戚、訪問者、もしかしたら猫や生き物にとっても、いい空間になるように、話を聞き入れながらやっていくとかいうことなのかな?

 たしかに、3つの側面って、よく言い当てているような気がしますね、アーレントさん。


 ふと、noteのことに飛躍する。
 noteだってそうじゃない?


 自分のささいな話を誰かに話したくて、noteを書いている。誰かに言わないと、気持ちが枯れていくような気がするから。これは生きるためにすることなので、「労働」の部分。
 だけど、なるべく、自分が感じているとおりに言いあらわしたいし、願わくば人にも伝わるように工夫したい。いわゆる作品とまでは言えないけど、よりよい?文章を書こうとする、という「仕事」の部分。

 さて、となると、noteの「活動」の部分は何だろう??
 ……noteの記事を通じて、周りのnoterさんたちと ♡ を交わし合ったり、コメント欄で話したり、noterさんの生活のことや考え・思いを記事で聞いたりすること、なのかな?
 たぶんアーレントが言うのはもっと、う~ん……、社会集団が善い方向へ進んでいくための共通認識をつくっていくようなことなんだろうけど。でも、そういう日々の活動がその入り口なのかな…?
 自分の書いていることが、独りよがりな方向へ暴走していないか、という「活動」の部分。……かな?


 ちなみに、アーレントは、3つの側面のうち、現代社会では「労働」や「仕事」の側面ばかりに重きが置かれていて、「活動」の部分が置き去りになっている、と指摘していた(と思う、確か)。



 
 う~ん、つまり…。
 自分が話したいからって、思ったことをただ吐き出すようにどんどん記事にするのだと「労働」に偏りすぎだ。
 で、自分の考えや思いを、できるだけたくさんの人に聞いて欲しい!と、数を追い求めたり、逆に、煌びやかに自分の内的世界をnoteに表す能力だけをひたすらに身につけたとしても、それはもしかしたら、どこか破滅的だったり。
 どんなに「仕事」としてのnoteが完成度の高いものであっても、「労働」としてのnote、「活動」としてのnoteが安定していなければ、その先では行き詰まっていくということなのかなあ。たしかに、なんとなく、見ていてそういう気もするような……。
 noteに限らず、楽しく長続きする人・集団は、そういう人・人たちなのかも知れないな~。
 ……それにしても、noteの ♡ (スキ)は、日本人にはハードルが高すぎるから、😊とかにしてくれないかなあ。
 あ~、なんだか急に限界が来た……。そろそろ止めないと、今日のこの先が乗り切れなくなりそう……、
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と止めて、草の山を作って、今日の「作品」を眺め、写真を撮る。カシャッ。


千里の道も一歩から?


 それにしても、おばあさんはよく、これを全部鎌で刈ってたよね~?!と、思う。

 「そうなる前に、ちょっとずつ刈るんよ。そしたらそんなに大変じゃないよ?」という声が、まさに背後から聞こえてきそう……。


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