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自分を大事にできないと他人も大事にできなくなる話

身体のケアということをし続けているというのは自分のことを大事にするということをしていることになります。そうなるとやっぱりマインドもかわります。礎が出来るっていうのが言葉としてしっくりくるのかもしれませんが、私達がいきていて出会えて関われる人って本当に限られた数しかないと思うんですよね。御縁を大事にするといいますが、人との縁は大きな経験になります。その経験をどんな形にするか?というもまた自分次第と感じるのです。

最近、たまたま介護の話がでて思い出したのですが、以前、親の介護をしている男性が結婚を諦めていたので、ホステスの方としかかかわらないと決めていたという方に出会いました。自分の親の介護を相手にさせるわけにもいかないし、自分も放棄できない状態だったので遊ぶくらいはしたかったのでホステスの方と遊んでいたようです。結構おカネはあったようです。私のお客様がホステスの方だったので、そのホステスの方はどうやら私とその男性をくっつけようとしたようです。もちろん私にもその男性にもその気がないのですが・・・。その話を思い出して、世間話でしたところ、「そのホステスの人、メリットもないのになんであなたと男性をくっつけたかったのかね?」という話になりました。なるほど、そういう考えなのか・・・と私は思ったわけです。

売上に直接的なメリットがなければ動かない。という考え方なわけです。そういえば、以前大阪の商社で働いていたときにそういった方針を感じたのでそこで働くことをやめたんですが、正直、見込み客との付き合い方で営業の成績は変わるんです。大阪の商社にいたときに、テレアポみたいな仕事までさせられたんですが、購入されたお客様にコンサル的な仕事をするための提案に行ったことがありました。その歳、業務報告で、「仕事量が足らない」と社長に怒られました。テレアポなんかガツガツやるより、よっぽど大事な仕事で時間を割くべきことなんだけどな〜と思ったわけです。その会社では別件でも同じような経験がありました。会社なんだからたくさん新規をとれるひとと取りこぼしを拾う人。いろいろな役割があればいいのでは?と思ったのですが、売上主義となると目の前の成果しか見えないやり方になってしまいます。

私も新人時代はそうでした。何十人、何百人とお客様がほしいのでだれよりも開拓したし、だれよりも人と話す現場にいきました。それは経験を積むためです。大阪で仕事をするころ、すでに私はもう営業としてはそれなりのスキルがあったので、取りこぼしたお客様のお話しを聞くことが出来るのでそういった面でも丁寧な仕事をしたかったわけです。派手なことは若い人がやればいいと思うので。経験を積みながら。人との縁というのはたくさんあればいいのか?といえばそうでもないと私は思います。少ない御縁をであっても良縁であれば大きな仕事になりますし、たくさんの御縁であっても短い御縁であれば疲弊してしまいますし、不安を抱えていなくてはなりません。

数で勝負という考えは今の時代にはやっぱりふさわしい考えではないと感じます。SNSなどはたくさんの人にみてもらえるほうがいいですが、関わるという話にあると、お互いの時間を使っているわけですからね。互いにメリットを感じて付き合える関係性がやっぱり仕事として長続きできるようになると感じます。そういった意味でも人数ということに縛られなくなったな〜と思います。子供一人もそうですが、家族を大事にできなければやっぱり仕事での人間関係なんてうまく構築できないと思うんですよね。うまく行っている気がしているだけで、うわべだけなら簡単です。今はそのうわべすら結構難しくなっている世の中だとも感じます。だからこそ、まずは自分に徹底的にかかわって、自分がどういった人間で何がしたい、どんな目的で行きたいのか?ということを明確にすることで関わる人を決めることが出来るのではないかな?と思います。人間関係は順風満帆ではないですが、問題があるからこそ、考える力をつけることが出来ると感じます。自分の身体ですらコンディションは毎日同じわけではないですからね。自分の身体の付き合いかたが上手になれると意外に人との関係も上手に乗りこなせるようになってくるものだと感じます。人間なんてそれほど考えに大差がないものです。自分の身体との対話は他人との対話を高めてくれると感じる東洋医学の学びです。


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