天神様と学問の神様
学生の心強い味方、天神さん。
学問の神様として知られています。
しかし、この天神さん。
初めから学問の神様であったわけではないようです。
天神さんを祀る北野天満宮についてこんな話が伝わっています。
無実の罪を負った女房を天神さんが助けてくれた、というお話でした。
犯人二人を「獅子舞のように」踊り狂わせたというのが、滑稽なようで、ゾクッとするような怖さを感じます。
また北野天神縁起絵巻『敷島女盗衣』では、犯人の敷島の姿が上裸であるのにも、なんらかの意志を感じますね。
天神さんには、このように無実の人を助けるという信仰があったようで、お能の『藍染川』というお話も、この信仰をもとに作られているそうです。
ではなぜ天神さんは無実の人を助けてくれるのか。「現人神」という言葉に注目です。
つまり天神さんが人間だった時、菅原道真という人だった時まで話は遡るのです。
彼は幼少期から抜群に頭が良く、政治の世界でも活躍していたのですが、政敵・藤原時平の讒言によって無実の罪で左遷され、しかもそのまま亡くなってしまった。
この事件を「昌泰の変」といいます。
道真の死後、彼の部下によって祠が建てられ、それが今日の太宰府天満宮へと繋がっています。
そして、とんでもないことが起こります。
なんと天皇の御所(清涼殿)に大雷が落下、七名が死傷したのです。『日本紀略』という文書に被害の状況が伝わっていますが、なんとも恐ろしい有様です。
この事件のショックから天皇まで亡くなったというから大変です。
人々は菅原道真の祟りだとますます恐れ戦きました。
そこで、火雷神が祀られていた北野に、彼の御霊を鎮めるべく北野天満宮を建てたのです。
これが小大進を助けた天神さん、北野天満宮の起こりです。
なるほど、このような経緯を聞くと、天神さんが無実の人の味方なのにも頷けますね。
そして時代が経つにつれ、菅原道真の怨霊としての側面から、学問の天才としての側面へと人々の関心が移り、今の学問の神様としての信仰へと続いていくわけです。
さて、最後に天神様のお話をしましょう
・・・・・・もう十分したって?
いえいえ。
今までしたのは、天神さん「菅原道真」のお話。
菅原道真=天神様、とは限らないのです。
天神さん。天神様。何の神様だと思いますか?
「天」の字が入っていますね。
そうです。
「天」神様は、天を治める神様(たとえば天照大神)、あるいは天候、雷を司る神様でもあり、菅原道真とは別の存在が本来あるのです。
天候なんかは農業をする人にとって何よりも重要なことですし、昔から落雷による火事や死亡事故はかなり多い。むしろこちらの方が「天神」らしい気さえします。
しかし今では、「天神」といえばほとんどの場合、菅原道真と同一視される。
いったい、なぜ?
ところで皆さんは「くわばら、くわばら」と唱えたことがあるでしょうか。
これは落雷や災難を避けるおまじないです。
じゃ、「くわばら」って何?
「くわばら」は漢字で書くと「桑原」。
この「桑原」という土地は、かつて菅原道真の所領だった、という説があります。
先ほど述べたように、昌泰の変を経て、菅原道真は怨霊となり、宮中に怒りの雷を落とした・・・と伝えられています。
つまり菅原道真は雷を自由自在に操る神通力を得た!と人々は考えたわけです。
この瞬間から天候を司る神「天神」様と、「菅原道真」との同一視がスタートする。
だから火雷神の祀られていた北野に彼が祀られ、彼の領地の名が雷避けのまじないになる。
「桑原、桑原」の呪文は、人々がこのように唱えることで、「ここはあなたの領地ですよ~。そして私は、あなたのところの領民です。なので雷は落とさないでね、お願いします!」というアピールになるわけです(諸説あります)。
おまじないの成り立ちがほんとかどうかは別として、このような考えやお話が伝わっていることそれ自体が、いかに「天神さん」が人々に親しまれてきたかを示していると思いませんか。
こうして「天神さん」菅原道真は、無実の罪を着せられた人、学生、農民など、多くの人々からの様々な信仰、それも厚い信仰を獲得し、今も親しまれているのです。
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