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おふざけの時



黄色やピンクの紙テープは先がよじれて白壁を飾り、画用紙を重ねたマーガレットはまるで集まった天使のように天井から見下ろし、そのそれぞれの所々には、小さな電飾まで輝いていた。それでも部屋の主役は極めて未来的な物。それは白く大きく、やや曲がった瓜のような装置で、透明な開口部を見れば幾つかの中で椅子に背を預けるようにした人が眠り、左手にある西の壁には、東を向いて四、北の壁に南を向いて八と、計十二基もある。加えて大きなモニターは東の壁に張りついて、内部にある彼彼女らの顔写真や概要の他最も重要な成果を示し、ではその数が何を表わしているかといえば、今話題の一品。そうおでこに貼るだけで超最高の気分になれる、あろう事か副作用さえ無い幸福シールという優れ物なのだが、この親指を立てた黄色い手のマークは装置後方にある下部から平たい箱に少しずつ、まるであの文字を貼る為にあるラベルプリンターのように、完成品として出てくる仕組み。開発したのは、福によって変わる人という一考素敵な名をもつ新興宗教団体、福変人(ふくへんじん)。

既に政界や報道、その他国家権力にさえ影響力を持つこの者達は恫喝、工作、誘拐さえ行う実は悪徳な組織とはいうものの、ただでさえ数の足りない幸福シールを乞う富裕層を中心にした人々の秘匿は強く、存在の認知は中流の一部までに留まっているのである。そう威勢によって有耶無耶にしようとも前に少し騒がれたのは、棄教者つまり福変人の教えを捨てた人に対する大規模な攻撃で、ある町での教団は信者だった主婦の近所にあるスーパーを買収。そこで一番安い卵を信者のみが買えるようにし、加えて信者のみを毎日ポイント10倍にし、またある町での教団は市にさえ圧力をかけ、御同志手当と称したものまで作って信者にのみ、毎月5万円給付をおこなう有り様。よってその存在を知るなら少しも恐れないという程の者はなく、正義の人はまだ小規模ながら各地で怒りと疑問の声をあげ、隠蔽に押し返されながらも様々な被害に耐えているのが現状となっている。曰くその手、善を眠らせ、その目卑しく贄を求め、その影常に社会にあり。そんな強大で許されざる教団は今日も悪事を働くので、その様子を見てもらいたい。

朧気な黄の夕暮れのもと、草木ばかりの峠につづくアスファルトを走るのは、黒いハイヤー。丸みを帯びて艶めく車体の後部座席はスモークガラスで中には見学にきた客が乗り、その二人へ届くよう助手席で声をあげているのが福変人の会長泰子(やすこ)なのだが、黒いスーツを着た彼女は今日も身だしなみを完璧に整え、その容姿を際立たせていた。色白のやせ型でさっと横分けにした黒髪は細い顎をつつむようにかかり、眉うすく睫長く、大きな瞳のわりに小さな目とまた小さな鼻はその口が大きくあいても上品に見せ、彼女の美貌はしっかりと帽子をかぶった運転手さえ、責任を放棄してしまわないか心配になるほど。森は登るたび深くなるが悪に慣れたその声は清々しくもあり、二人の客も初めて訪れる場所への期待で、落ち着かないだけだ。そう易々と連れて来られたのはやはり若い姉弟。同じレストランで働いていたところを不意に訪れた泰子から接客を理由に勧誘され今に至るが、なるほど弟の小林巧介(こばやし こうすけ)は波がかった髪をやや茶に染め、痩せて色白なうえ顎細く、くりくりとした目の中性的な美男であり、見かけがいいのは姉の加菜(かな)も同様。肩までの髪をゆらす目や口元にやわらかな印象のある愛らしい人で、彼女もどちらかと言えば痩せているが、幼少より常に活発で健全な体をもち、白い長袖のTシャツに黒のレギンスとスニーカーは走者風で見るからに動きやすく、この姉弟には実のところなかなかの知勇さえ備わっている。そう小学校二年生だった加菜は近所の犬をいじめっ子から逃がし、高等学校の飼育員として水やりを忘れた夜にもたまたま見つけた兎泥棒を追いかえし、これにより勇はすでに証明された様なものであり、そういった問題解決の陰には毎回のように巧介の知があったのでまだ若い二人の絆も一般的なそれより、強いと見るべきだろう。これは福変人の会長泰子も計算外で今も巧介と加菜の有望を褒め、もしも二人がその気ならと店の繁盛さえ確定したかのような口ぶり。頭では薄汚く計算しているが、携帯電話を耳に当てるとすぐ巧介と加菜に断り、微笑んだまま少し厳しい顔つきになる。

「すぐ対処して。もうすぐ次のお客様も着くんだから。いいわねっ?」

そこで美しい夕陽に目を細める加菜。山側の巧介も後ろから覗き込んでその限りない願望を見せる世界に夢を語るので、加菜もそれに応じる。

「いいけど、実家を出て大丈夫なの?渡る世間に鬼はないって言うけど、お金も無いだろうし、それにこの街に家があるのに、わざわざ他を借りるの?それはどうなんだろう」

「でも実は少し貯めてたんだよね。姉ちゃんはかばうけど、あそこのレストランは制服や雰囲気が可愛いのに頼って、僕達を安く使い過ぎなんだよ。でもだから、意外でしょう?」

「いいや、君は贅沢だよ。店長やオーナーは私達だけじゃあなく、皆に優しかったじゃない。それに意外かどうかは、貯めた額によるね」

「僕の方が先に出世や結婚に恵まれたらごめんね」

「いくら貯めたの?」

「教えない」

「お母さんに訊いていい?」

「いい訳ないだろ。いいなら自分で言うよ」

「言うのが恥ずかしいのかと思って。結婚だけ私に譲るのはどう?」

「じゃあ結婚を急ぐ未来の妻に謝ってくれるの?」

「冗談だよ。そんなに酷い真似はできない。ああ、そうだっ。どうしても結婚レースに勝ちたくなったら、理想の低い女になって、相談所に行く。巧介のせいだけど、これでもう安心だよね?」

「それも困る。結婚だけ譲ればいいんだね。…いいやちょっと待って。う~ん」

「それに初めと話が違うなんて事よくあるし、少しずつ厳しくして最高の人を選ぶの。もう心配ないっ」

また会長に気をつかった運転手がラジオを流し、そこでは行方不明者急増の報を特集しているが、二人はそろって怖いねと言うばかりでまさか自分達もそれに含まれるとは、少しも思っていない。だが誰も若い頃は、その時の何かに精一杯で、大人達の善言が耳に入らないのも、数ある普遍の一つ。知が自慢の巧介さえたった今泰子に、以前渡した名刺が頂き物で間違いだったと告げられ、本当の名刺にある福変人という字にはじめて、少し警戒した程だ。

「…どこかで見たような」

「もうすぐ着くからね。歓迎の為に何人か出てるけど、驚かないで。二人もきっと施設を気に入る。実は楽しいものが沢山あるって、今朝も褒められたんだからっ」

程なくして小道へと入り十分弱ほど走った車は、北の正面にある二階建てで灰色の大きな施設を右手に、その玄関からは少し離れた西の一画にある駐車場へ。植えられたポプラの木やマリーゴールドの花壇に目を奪われていたが、玄関で出迎えた信者は言葉にして本当にわぁーという歓声を発し、それに巧介が見れば彼彼女ら二十人ほどは皆黒のローブをまとって、そのフードをかぶり、顔には目部分をくりぬいた銀のデスマスクを付け、腰に先のとがった骨の杖を差しているのですぐ今度は加菜を見ると、何故か彼女は微笑みながら手をふり返している。よって信者が持つ板に歓迎、祝などの文字があることにも構わず、耳打ちする巧介。

「…どうしよう。おふざけとか仮装パーティーじゃない限り、逃げるよね?でも、どうやってこの状況から脱出する?何か策があるから、笑うんでしょ…?」

「…それは風変りな格好だけど私達は、宗教のことを何も知らない。という事はあれが、正式かも知れないじゃない。小一時間くらいの儀式で私服になるかも知れないし、もっと詳しい話を聞かないと…」

「…きっとこの教団にとっては正式なんだろうけど、ここでも事情を考えなきゃいけないの?その信念、無事に帰るまで捨ててくれない?一生のお願い。もういい、長い付き合いになる姉弟だけど、僕はここで使う…」

「…気持ちは分かるけど、心配し過ぎだよ。杖が人骨でもあるまいし…!あっ泰子さん、あれ何の骨ですか?」

「あれは羊の骨。そう羊は、私達の崇める神アタタカの髭から生まれた聖なる動物で、教団ではその可愛らしさもあって、モコモコ羊と呼ばれているの。それに、ああして腰に骨を差しているのは全員入信から五年経った人達だから、今教わったような事も含めて何でも聞いて。時間もたっぷりあるからねっ」

「ありがとうございます…!とても不思議で、親以外を敬ったことのない私達には、少し難しい世界ですね」

「まだ早いとは思うけど、教団の歴史とか活動内容とかをまとめた、ビデオもあるからね。あっこれは、映像という意味のビデオで、勿論ジャケットは腰に手をあてた等身大の私…!安心して~」

「へぇ、凄い宗教なんですね。でもその会長を務めるのは大変ですよね?」

「そうでもないわ。神アタタカと、地上にきらめく左派を愛する心さえあれば、誰でも私のようになれる。最近になって自慢できるのは、それくらいだと思ったの。だから加菜ちゃんにもその道が拓かれているのよ」

「私にできるか、不安です。それにもっと教団のことを知ってからじゃないと、しっかり分かった上で大切にしている人達に失礼ですよ。それは泰子さんからすれば、私に才能を感じているのかも知れませんが…」

聞いて頭を抱える巧介。助手席の後ろへ隠れるようにした彼はその会話に脱出の手がかりがあると期待したのだが、しばらくして車を降りた泰子が数人と話す隙に考えてみると、堂々大人数のしかも怪しい宗教に抵抗するのは無理がある。ということで、再び加菜に耳打ちする彼。その結果彼女が、誰にでも事情があるという口癖で片付けようとするなら、無理やり背負ってでも、この峠を下りるしかない。

「…怪しいとは思ってるよね…?」

「…思ってるよ。でもそんな事を言ったら何でも見た目どおりで、狛犬は怪獣、仁王は鬼になってしまうじゃない…」

「…勿論分かるけど、今当てはまる…?」

「…確かに微妙だね…」

「…微妙…?」

「…だって世の中を見ると、元々自由な個々のファッションを大事にしている人達が大勢いるし、パーティーやスポーツなんかも気持ち次第だけど、それはお金や時間に余裕がないと出来ないじゃない。つまりここに居るのはそういう物に夢中になるんじゃなく、何か尊い存在に心寄せる道を、選んだ人達なんだよ。うん…!」

「…そう。僕の警戒は五段階で四だけど、姉ちゃんのは…?」

「…二か、三かな…」

「…三あるんだったらってまあ、いいや。それは明日にでも話すとして、とりあえず帰ろう…」

「…私は泰子さんを信じたいの…」

「…逃げても後で謝ればいいじゃない…」

ただ巧介に従うとして実のところ街までは二十キロ以上あり、日も暮れてきたので可能なら教団に色々と諦めてもらい今乗るこのハイヤーを使いたいが、それから南門に集まると一般にはまったく知られていない、歓迎の結界なるものを張る信者達。勿論姉弟にとって脅威なのは、その手に手に握られた紙テープでなく、それを骨の杖でぐるぐる回して張ったことでなく彼彼女らの人数なので、巧介はバックミラーに視線をおくり、それを受けた白い帽子とワイシャツに灰色のベストを合わせた初老の運転手は、意外にもすぐ口をひらく。

「…何もかも聞いた訳じゃあないが、逃げたいのか?じゃあまずは、シートの下にある物を取れ…!」

「…分かりましたっ…」

そう言うと程なくしてシート下に挟まれた銀の鍵を見つける巧介。彼に頼まれた加菜は時間稼ぎのため信者達と庭の手入れ等について話しにゆき、それに感心した運転手だが真面目な顔は変えず、急かすように言う。

「…詳しくは知らん。だがそれは教団にとってかなり重要な物だから、それそのものでも、それで開けた先にある何かでも使って取引するか、盾にして、上手く逃げるんだ。よし、降りろ…」

「…嫌です…」

「…いいかじゃあ、それを入手した時の様子を教えよう。あれはもう去年の秋頃だったか。現場の施設長室前には会長に掃除を頼まれた二人がいて、角の裏側でジュースを飲んでいたオレに気づかず、こう話していたんだ。んもう嫌だぁ~~。これ盗まれたら、どんな罰が待ってるの?やっぱり断れば良かったかな~。大丈夫だってー。この前香水を失くした人は、ケーキを買いに行かされるだけで済んだじゃない。ぜんぜん余裕だよー。でもでもこれ、重要な鍵なんでしょう?まだ会社も一年目だし、左遷だけは困っちゃうんだよねー。だから大丈夫だってー。言われたとおりエアコンの上に置けば、もうOK。…まあ確かに、調子は軽いかも知れんが、内容からとても重要なドアの鍵であることは、分かるな?よし降りろ。健闘を祈る…!」

「…嫌です。だってその会話からだと、あの物置小屋に使う鍵の可能性さえあるじゃないですか…」

そう言って施設の西側に建つ、木造りの小屋を指さす巧介。運転手はやや眉間にしわを寄せながら、それでも若い彼を気遣うように言う。

「…ハハッ、心配するな。あの小屋に使う鍵でないのは、確認済みだ。それにな、その鍵を失くしてからというもの会長は少なくともオレに二度、警備の奴に一度、その所在について訊いた。つまり重要な鍵というのは確かなんだから、後はお前達の戦い方次第だ…!」

「…じゃあ、このまま逃げた場合、どこか別な所にも教団の門があるとか、弓や銃で攻撃されるとか…」

「…いいや、オレも死ぬ訳にはいかないんだ。つまり職を失うのが怖いんだよ。このとおり決して教団に心服した訳ではないが、後は自分達で何とかしてほしい。分かってくれっ…」

「…気持ちは分かりました。でも、一緒に戦いませんか?この鍵を入手した貴方なら」

「ハハハハッ、何をおっしゃいます巧介様ー!さあさあ緊張なさらず、教団の和にお入り下さいませぇ!せっかく会長のお眼鏡にかなったのですからー。羨ましいなぁーもうーー」

そう言いながらドアを開け、助手席側に回りこむ運転手。何とか説得したい巧介は、貯金から報酬を払うとまで言ったが、運転手は車外へ何度も優しく手の平を見せ、信者から借りた杖で紙テープをぶった切ると、華麗かつ雄々しいハンドルさばきで、門を出ていった。山中にとり残されたのは今も信者達と談笑する人のいい姉加菜と、知も虚しく危機的で馬鹿々々しい状況に呆然の弟巧介。彼は暗い山に消え入るような外灯を見つめ、さっと玄関へ足を向ける。頬をゆく風は髪をなびかせて草木の香を運び、若い体に煽情を呼ぶ。味方は勇気と体力が自慢の姉だが敵はまず間違いなく、暗躍が噂される巨大悪徳宗教。もしもここで逃げれば追手となった信者達は何をするか分からず、文明から離れたこの地そのものも牙をむき、よごれ疲れるだけで済むとは考え難く悪くすれば怪我どころか、命さえも危ういだろう。熊はあえて喰らいにくる季節でもないが、遭遇しないよう音を立てれば、信者達に見つかる。ああ、早い。早過ぎる。こんなにも早く人生の修羅場を迎えて、いいものだろうか。それでもやるしかない。彼は覚悟を決めていた。



神アタタカ(福変人研究部発見の神記より、一部抜粋)…元は隠岐の島から北北東にある幻の地において、当時の愛想笑いを司った神。そう記述によると、この神が薄暗い寝屋にあらわれた際その手にあった紫にかがやく軟膏には、穏やかに流れるときの中、にきび、ふきでもの、あかぎれ等を癒す効果があったとされ、今も世界中に残る数々の資料は福変人やその関連団体また一部の科学者から見ても現代の奇跡であり、腰布を巻いた逞しい身には沢山のトロピカルバードの羽根を飾った冠をかぶり、金銀の小手まで付けていたというから、それはそれは威風堂々。伝説によると一目でもこの神を見れば、それまで放った全ての露骨な秋波が許されるので、これ程ありがたい事もない。…これを読んでいたのは神アタタカを扱う博物館のポスターを前に、怪訝な顔で茶菓子のピーナッツ煎餅を食べる巧介。その後ろにある黒革の椅子には加菜がいて、赤みを帯びた欅のテーブルを前に教団の用意した薄桃色のパンフレットに首を傾げ、それでもテレビや電話は動かず泰子はあれから姿を見せていないので、話し相手は色々見まわすのにも飽き、目の前に座った巧介しかいない。

「やっぱり君が正しいのかも知れない」

聞いて壁にある時計を見ながら言う巧介。

「いいよ。どうせハイヤーは帰っちゃったし、僕はなんとか帰る方法を考えるから、代わりにこれを親に説明するのは、姉ちゃんがお願いね」

「いいでしょう。社会人だし、いちいち仕事の話をしなくても大丈夫だろうけど、まあ今回は叱られるね。ぬか喜びになったけどいい就職先があるって、言えばよかった」

「ごめんね。あと怖そうな教団幹部とか、幹部じゃなくても怖そうな奴とか」

「はいはい。落ち着いてね」

「犬が出てきてもお願い。姉ちゃんは怖がらないだけじゃなく、対処も上手いから」

それに目をとじて頷く加菜。実のところ巧介が少し怯えているのは施設が監視カメラだらけで、入るとき携帯電話を預けたからでもあり、そうしないなら今頃は隣県にいたかも知れない。つまり泰子に後を任された信者達は愛想笑いしながらも、ここが神聖な場であるのを理由に情報漏洩や騒音の原因にもなる携帯電話を求め、拒む人物はまた別な施設へ連れてゆくのが恒例と告げたので、それからは次の準備でもしているのだろう。巧介達は知らないが降車後の泰子は別な客のせいで企みに支障が出そうだったのでそちらへ行ったきり、この状況で二人が幸福シールや幸福感抽出装置を知るにはポスターや、パンフレットしかなかった訳だ。そうシールと装置を知ったばかりでまだ信じられず、それに伴って教団の脅威を話しあう姉弟。加菜はさっき巧介が幹部幹部と言ったので気になったらしく、彼にもパンフレットの一部を見せ、それが以下である。用語その十九、福変人の幹部を意味するアピヨー…会長の泰子様が、神に訴える力があると認めた信者にのみ与える称号。そう泰子様によるとアピールという単語はどうしてもこう聞こえるらしく、名刺にある氏名の上にもカタカナでこのように書かれ、更に教団の信用を得たのちの称号は神の名とあいまったアピッアタタカヨーとなるのが常!そこでやや怒気をふくみ囁くように言う巧介。

「…他に類を見ないお馬鹿っ。盗聴器を警戒して悪く言わなかったけど、むしろ油断させる為の策なんじゃないかと思えてきたっ。姉ちゃんの考えを聞きたい…」

「…大丈夫、もう教団は信じないよ。怪しいと思うって言ったじゃない…」

「…既にあのとき変だったからね。それに僕達以外はみんな教団じゃないかっ。福で変わる人じゃあなく、幸福シールで変になった人と覚えようよ。そんな物が本当にあればの話だけど…」

「…でも泰子さんは、今朝も施設を褒められたと言ったじゃない。という事は他にも連れて来られた人がいるかも知れないよ。教団の仲間つまり身内から褒められても、自慢になる?あんな風に言わないと思うなぁ…」

「…分かるよ。でも嘘かも知れないし、真実でも教団関係者の可能性もある。だったら身内とまでは言えないし、悲観的だけど味方はいないよ。それにさぁ…」

そう言って顎に手をあて思考をつづける巧介。警戒を解いて声を元の大きさにもどした彼が訊けば、加菜もポスターを読んだらしいので、話は早い。

「まあ、姉ちゃんも色々疑問だろうけど神アタタカは、露骨な秋波だけを許すんでしょう?じゃあ普通の秋波は許さ…ないんだよね。不思議だなー」

「私は分かる」

「えっ…?」

「元々媚びをうるのは、あまり良い事ではなかったけど、だからこそ小さな罪を残して、戒めにするんだよ。多分そうだと思う。ちょっと妙だよね…」

「…本当に勧誘されるよっ…」

加菜は深読みか拡大解釈か、あるいは性善説信奉者か、それともアタタカ伝説は真実でそれを教団が利用しただけなのか。頭を使った巧介は食欲がわいて再び煎餅を食べ、やや福変人に傾倒しつつある加菜からパンフレットを奪おうとしているが、謎は謎のまま状況は変遷してドアはゆっくりと開きそこには、案内の信者四人ほどを背にある男が立っていた。そう彼は、白いワイシャツに青っぽい縞模様のネクタイをしめ、それに紺色のスラックスをはいて髪も短めにして散らした、いかにもビジネスマン、いかにも出来るという目に力のある人物。同時にその手から渡された名刺には巧介が無視できないものがあり、彼は思わず笑いそうになる。

「ぶふっ」

「うん?初めてお目にかかります。福変人アピヨー・総務部の牧内英雄(まきうち ひでお)です」

「すみませんっ。ぼ、僕アピヨーの方に会うのは初めてで、驚いてしまいました」

「ハハッ、そうですか。よろしくお願いします」

「いいや、とにかく感動的でなんと申し上げていいか」

続けてアピッアタタカヨーの方に会った事はありますか、などと訊いてしまいそうになり、自分の腿をつねる巧介。その不自然な動作を隠すため、前へでる加菜。

「すみません、弟は緊張すると咽せるんですっ。今日はまさか幹部つまり、アピヨーの方が案内して下さるんですか。それは申し訳ない気がします」

「いいえ私達は、教団のケイパビリティを示す側として呼ばれただけで、もしも案内があるなら泰子会長がアサインしたのは、彼彼女らでしょう」

そうして牧内に手を添えられた信者の一人は、巧介と加菜に歩みより小声で説明。二人もケイパビリティ?アサイン?と思ったが、露骨にはしない。

「…私達は教団の組織力を示す側として呼ばれただけで、もしも案内があるならその仕事を与えられたのは、私達一般信者だと…申しております」

それに一礼で返すしかない巧介達を救ったのは、牧内の後ろから現れた眼鏡の男。彼は牧内よりは少し年嵩の髪を七三分けにした面長で、黒っぽいジーンズに白いワイシャツを合わせ、それに青いジャケットを羽織り、その明るい印象どおりに話す。

「もう牧内さんは、そういうのはビジネスの場面だけにしてくれないとー。二人はまだ学生でしょ?誰にでも分かるように話してよー。教団には5000万円も寄付してるんだからさー。いいのいいのっ。オレも幸福シール貰ってるからいいんだけどさ、同時に社会勉強も出来るかも知れないけどさ、この二人見てごらん。ザ・お洒落、ザ・出会いで、それ以外なにも無いでしょう?人々に合わせていかないと。ねぇ~?」

下々じゃないだけ、ましと考えよう。そう頭の中で言った巧介はこの眼鏡の男にも愛想笑いして一礼を返すのみだが、人の好い加菜は無礼にも強い。

「私達は高校を卒業後すぐ社会へ出て、今はレストランで働いています。誤解があると困るので…」

「ああ、そうなの?ごめんっ。講演なんて頼まれたもんだから気が高ぶっちゃってさー。ハハハハッ。もうどうしようかと思って。オレは飯田亮(いいだ りょう)という者で、ジュース作ってそれを宣伝したり、売ったりするのが仕事、うんっ。この教団の会長とも仲が良いから、金持ちだからってお金の事だけじゃあなく、何でも相談してほしい。元々みんなに頼られる方だからさー」

「それは、ありがとうございますっ。何か少し不安だったのが、礼儀正しい牧内さんと明るい飯田さんのお陰で、楽になりました…!」

「そうかそうか、いい子達じゃない。オレのジュース飲ませてあげてよ。まだ五、六本ならどっかにあるでしょう?いつも工場から持ってくるのに、今日は偶然手ぶらなんだよなー。金しかない」

個室で姉と話していた巧介はやや冷静さをとり戻していたものを今は不安になり、つまり姉とは逆だが、彼は運も悪くない。何故なら、どうしてもジュースを捜すと譲らない飯田は牧内や信者と共に出てゆき、部屋にはもう一人と姉弟の、三人だけになったからである。すると早速白鳥(しらとり)と名乗る中年の女。花屋勤めという事もあり波がかった長い金髪で、淡いピンクのシャツにややゆったりとしたベージュのズボンをはき、息子によるケーキの衝動買いをとめたのを称賛され公演を頼まれたと、切れ長の涼しげな目でじっと二人を見ながら話す。それに言うのは巧介。飯田はどうしても教団側に思えたが、彼女は違うようだ。

「ケーキの衝動買いですか?確かに、何でも買い過ぎるのは、良くないと思いますが」

「…大きな声じゃ言えないけど、教団の会長泰子が超のつくケーキ好きで、元々信者だった息子も影響されちゃったの。でもそれを止めて称賛されるんだから、噂よりは常識のある組織なのかと思ってるけど、油断はしてない。話から君らは牧内や飯田の、親戚なんかじゃないよね…?」

言われて大声を出しそうになったが、堪えて小声の巧介。

「…断じて違いますっ。もしそうでも嘘を言いますが…貴方は教団を好ましく思っていない人ですよね?そう考えても、大丈夫ですか…?」

「うん、いいよ」

「…よし、やっと味方に出会えた。さっきまで少しずつ事態が悪化していたので、嬉しいです…」

「…うちは母子家庭で金持ちでもないのに、息子の買ったケーキ月5万超え。もう三十近いくせに、ある日何か顔につけて歩いてるなと思ったらホイップクリームでさ、怒鳴りつけてやったよ!二人もなにか、教団の後ろ暗いところを見つけたら教えて。あの仮面や骨の杖以外でね…」

「…僕達は分からない事ばかりですが、やっぱり福変人はカルトとか、悪徳宗教とか呼ばれるものですか…」

「…それは、そうでしょう。色々ワイドショーで騒ぎ始めてもそれは一日も持たないで、芸能人の不祥事に変わっちゃうんだから。幸福シールの効果がどれ程かは知らないけど、それを局の上に流してるんじゃない?ネットにも悪い噂が残ってるよ…」

聞いて今度は加菜に言う巧介。

「…まず一人目。でも情報が洩れる可能性もあるから、とりあえず味方探しは僕に任せて…」

「…うん、いつもどおりで。じゃあ今回は帰るのが目標でいい…?」

「…この教団の城とも言うべき場所から脱出してね。できれば明らかな敵対じゃあなく、上手く騙すような感じがいいけど…」

当然と言えば当然、それに驚いたのは白鳥だ。

「…えっ、二人は講演を頼まれたんじゃあないの?そうでなくても、あの牧内に助けられたとか、飯田の工場で働いてるとか、そういう立場で話すのが役割なのかと、思っていたけど…」

よって経緯を説明する巧介達だが、聞くにつれ白鳥は少しずつ表情をこわばらせ、最後に言う。

「…不味いな!じゃあ、もしかすると誘拐の噂は本当で、私も被害者だっ。何故なの?私には分からない。だって幸福シールを作るのも、信者を交代で眠らせればいいだけでしょう。もしかして……いいや、あれこそ単なる噂だろうし…」

「…誘拐ですか…?」

そう巧介は無理もないが強引な勧誘ほどにしか思わず、まさか幸福シールという大人気商品を抱える組織がそんな危険を冒すはずはないと確信していたが、今の話題に再考。代わりに白鳥に話すのは加菜だ。

「…誘拐なんて、流石にそれは悪徳宗教でも。だって日本は法治国家ですよ…」

「…そうだね。でも被害者が訴えなければ、警察も動けない。奴らは幸福シール以外にも色々恐ろしい物を開発して、ふざけてるけど深い事情を知る一部には、本当の脅威と思われてるんだから。まだ誘拐は確定じゃあないけど、私は味方だからね…!」

心強いのは希望というもの。またそこへ帰ってきた飯田の手には、自慢の北関東ミックスジュースがあり、皆で試飲。そのまずメロン味がきて苺味へと変わり最後にふわっと梅が香るものに加菜は感動して巧介もやや飯田を見直し、場は牧内や信者達あるいは白鳥など、誰の想像にもなかったほど和む。だが危ういかなここは福変人の根城。気になった巧介がジュースをもう一つ貰い、おそるおそる廊下へ出てトイレの場所を訊くと、そこに居る彼彼女らも合わせれば信者の数は合計で十五人。やはりその一人は数分後に体育館への同行を願い巧介達五人は、まるで包囲されるように部屋を後にした。

「泰子さん、どこ行ったのかなぁ」

そう言いながら、すでに薄暗い屋内を見まわす巧介。東に延びる廊下から南側に事務室その先に受付と、一階においての真南と言える玄関があり、西を見れば北側に給湯室その隣がトイレとなり、北へつづく廊下を歩くと左手に言われたとおり、体育館があった。まだ逃げない。怖いから逃げたいけど姉ちゃんを心配してではなく、むしろ頼もしいから一緒にいたい。そうして実はいつもどおり強い姉の心配はせずますます様子見の彼だが、恐怖も手伝って一人なら疾うに逃げている事だろう。いい方に考えるなら焦る必要はないが、朝礼などにも使う体育館は六百人の収容を想定し、天井が高いのもあってなかなかの広さだったので巧介、加菜、白鳥は驚き、それに牧内が安全のため西にある窓は全て厚いはめ殺し等と説明したところで、ぐぐぐっと鍵を閉める音がひびき、それにふり向く飯田。仮面の信者は一人も入らなかったので彼も少し考えたが、巧介達を迷わせたくないからだと楽観し、ついでに深呼吸。その清々しい空気は騒がしいこの男さえ徐々に、冷静にしていた。



「おーーい!オレの、オレのジュースは~?!もうこれ一本しかないんだけどさぁ。ねぇーー」

勿論そう声を上げるのは飯田。彼は廊下側をうろうろして時々二百ミリリットルと小ぶりなジュースに目を落とし、また顔をあげて静かな壁に熱くその考案や製造にかかわる思い出を語り、そうなると他も無視する訳にはいかず、まず彼に話しかけたのは牧内だ。

「まあまあ、これも教団にとって大切なのでしょう。パーパスに関わるので閉じ込めてでもしっかり、イニシアチブをとらないとっ」

「ええっ?…何言ってるか分かんないけど、閉じ込める必要あるかな?仮に意図していないとしても、これじゃあ怖がるよ。ねぇ?」

「パーパスは存在意義、イニシアチブは主導権を表していて、積極的に使っていきたいビジネス用語です…!」

「何が面白いんだろう。いいや、この閉じ込めの事だよっ。ああ、待て待て素敵な贈り物を用意してて、オレを驚かせるつもりか。その可能性はあるな…!だから、ちょっと怖がらせて」

「飯田さんこう言っては何ですが、私はアピヨー、貴方は信者でありながら十分なリソースとキャッシュフローを抱える、クライアントでもありますっ。もっと大船に乗った気で」

「ごめんちょっと、ちょっと待って…!時と場所を考えてくれ。ビジネス魔になってるから。それより更に考えるとね、誕生日はもう過ぎてるし、会社の設立記念日はずっと後なんだよ。やっぱり変じゃないか…!ますます怖くなってきた」

「クライアントは言わずもがな顧客。またリソースは人材、物資、資金で、キャッシュフローはその中でも資金の流れを意味する積極的に使っていきたい」

「ビジネス魔になってるって、だからーー!それ何っ?恐怖を克服しようとして、逆にそうなってるの?ビジネスマンじゃないよ!ビジネス魔だよ分かってる?」

「まあまあ、落ち着いて。私は少しでも危機的な状況になると、自分の特技を活かして乗り越えるんです」

「じゃあやっぱり怪しいと思ってるじゃないっ」

「ええ少しは…」

その会話に中々入ろうとしないのは、少し離れたところに立つ白鳥、巧介、加菜。

「…ただでさえ危機的なのに、不必要な勉強をしたくない…!」

「…今は姉ちゃんが話せば。勇気の方が必要でしょ…」

「…こういう難しい時こそ、君がいい。頭を使うし、飯田さんみたいに話せばいいじゃない…!」

「…じゃあ黙って二人の話を聞きたいな…」

だがその巧介が放った言葉のみを耳にして、ビジネス用語への興味と疑わない牧内。彼は想いのままそれを主に巧介に対して積極的に使うだろうが、会話で少しでも平静をとり戻したかった飯田は余計不安になり、その迷える視線が見つけたのは北に置かれた黒板と、その先にある足だ。

「ああ、誰かいるじゃないか…!」

足は実のところ仕事に集中して献立を見る料理人高坂(こうさか)のものであり、その髪を後ろに流したやせ型の二枚目が白い調理服を着た姿で現れると、少ない味方を得た飯田はやや安心し、その逞しい手に生ぬるいジュースを握らせて事情を説明。それを聞きながら高坂は、全国あちこちの代表会議で腕をふるう調理部への指導を頼まれたと言い、そのまま怪しみながらも一応東側にある北と南のドアを確認。声を大にして名と立場を伝えても全く返事がないことから、状況に疑問を持ったようだ。小さく窓をたたく音がひびき加菜に確認してカーテンを開ける巧介。音は枝か、野良猫の悪戯か。外灯のない庭は真っ暗で窓も聞いたとおり厚みが三センチはあり、彼はそこから素早く左右を一瞥して、カーテンを閉める。そう既に籠の中の鳥なら何の情報も得られない外など見ず、寧ろこちらの動向を隠すべきだが、牧内の補足によるとそれは強化ガラスらしく巧介はお手上げ。そんな彼に言うのは白鳥だ。

「黙っててごめん。でも噂が本当だとは、どうしても思えなくて…!」

「今からでも遅くはありません。聞かせて下さい」

「うん、私が見聞きしたところ福変人には、また別な悪い噂があってね、それが夜に開催される鬼ごっこの様なゲームだって言うんだ。でもそんな話は、福変人を憎む人の話に尾ひれがついたかも知れないし、それを混乱した被害者が真に受けて、拡大したのかと思ってた。ただこうなると話は違ってくる」

「なるほど恐ろしく、憚られる事です。そのゲームが教団の目的なら僕達も騙された事になりますが、呼ばれた理由はなんでしょう」

「いくつか聞いたけど被害者達も怯えたり怒ったりしてて、それぞれ理由が違うみたいだから、よく分からない。どう説明すればいいか…でも、怪我人や心を病んだ人はいる…!」

「やっぱり酷いですね。具体的にはどういう」

「その教団独自の罪を理由にゲームを強要された被害者達は、転倒や衝突で六人が軽傷、何故か十七人が福変人に改宗してアタタカを崇拝、心的な負担をかかえた一人は、今も掲示板で戦ってる…!その掲示板の人だってさ、最初は大勢いた仲間が少しずつ減って、もう訴えを諦めるかも知れないって書いてたし、やっぱり恐ろしいのは教団の勢力より幸福シールかな。私達にとっての脅威はその…そのゲームだけどねっ」

そこで流れる大音量の放送に天井を見る巧介達。

『皆様、お待たせしました!しばらくして後、泰子ゲームを開催致します!体育館にお集まりの挑戦者の方は、黒板のルールをご覧下さい!』

「ついに本性を現したか!僕達が退治してやる!」

叫びながら黒板へ走る巧介。白鳥は一度もゲーム名を口にしないまま帰るつもりだが、彼女はたとえ悪徳宗教が相手でも勝てば少しはましになると信じて巧介につづき、実はその二人同様に現状を受けいれるしかない、牧内と飯田。何故なら牧内は属する組織の悪を知り今はその毒牙に狙われているからで、彼や周囲の誤魔化しに薄々気づいていた飯田も教団が罪とするものに、ほんの少しだけ憶えがあるからだ。また懐疑的でもあり、最後に黒板へ達したのは高坂と加菜。

「教団と比べれば君達を信じるが、急に訳の分からないゲームに挑戦しろと言われてもなぁ」

「今のところは、泰子さんの冗談という可能性も…。それに尾ひれが付いたんじゃないかとも思えます」

「そんなもの無いよ」

言いながら黒板にかかる布をつかむ巧介。彼は高坂と加菜に言う。

「もしかすると高坂さんはまったく教団を知らないだろうけど、姉ちゃんはそろそろ覚悟を決めようっ。分かり難い悪だって沢山あるんだよ」

「確かに私は、料理と店の経営だけだった。だからどこの誰がどんな組織をつくって、何をしようと関係無かったし、呼ばれる憶えもない」

「この施設には自分達の意志できて、しかも閉じ込め被害はまだ十数分だけど、本当に悪と決めていいのかな」

「これを捲ってみれば分かる。いいね?」

勿論うなずく加菜。他もいいと言うので内容は明らかとなり、それが以下である。泰子ゲームのルール、その一・泰子会長はスーピースピアで挑戦者を突き、打ち、あるいは払い、それによって入眠した一人を幸福感抽出装置へ運ばせ、その蓋がしまった直後からこのゲームを再開できる。その二・挑戦者は終了となる日の出まで逃げてもその者にかぎり放免となるが、出口を探してただの一人でもその先にある地面に足をつけたなら、全員が家へ帰れる。その三・挑戦者は会長が来るまで、幸福感抽出装置の赤いボタンを連打し、その数を100にする事で、既に捕まった仲間を助けられる。その四・幸福感抽出装置から助けられなかった挑戦者は、大体二十日間をその中で過ごし、その後は十日間のリハビリを受けなくてはならない。読んで皆それぞれに驚いているが、まず叫ぶのは飯田。

「さ、三十日間って!!会社どうすんだよ!部下と取引先と株主それに太客に、誰がどう説明してくれるんだ?!ええっ?おいおいおいおい!記者会見でもひらけって言うのか。そうだ、妻や子にもどう説明するんだよー!」

耳をふさいだ白鳥と高坂は遠ざかって教団について意見交換し、巧介は何とか冷静を保ちながら思考し、飯田と話すのは優しい加菜だ。

「落ち着いて下さい。教団独自なのでどんな罪かは分かりませんが、もしもこれが本気でも今のところ苦然としたものは無いので、連絡くらいできると思います」

「そうかな、オレはもう苦しいけどねぇ!だってスーピースピアとかいう物だって、刺すんでしょ?多分攻撃なのに、注射みたいに考えてるんじゃないの…!」

それに答えるのは既に教団幹部というものを捨てつつあり、言葉遣いまで変わった牧内。彼は下から覗き込むようにして爪を噛んでいたが、これに関わった裏切者を考えるのはやめ、ただその怒りは含みながら話す。

「スーピースピアの先は光のようなもので、物理的害はありません。でも会社や家族への連絡なんて、絶対にあり得ないっ。何故なら泰子ゲームは、教団が敵を粛清する為に行うもの!その後は幸福シールの束を顔にぺしぺしして、要するに力にものを言わせて、終わりですよっ。そう確か…確か、そんな感じだったと思います」

「はっきりしないなー。何でいつもの牧内さんじゃないの?」

飯田は言ったが、その二人に集まる挑戦者達。中でも巧介はまず牧内を追及する構えだ。

「僕はもう出口を探す気でいますっ。でも三十日も連絡しないなら周囲は大騒ぎして、会社はくびですよね。親だって死ぬ気で心配するでしょう。それに解放された後だって教団を恐れる人達に避けられて、その害も計り知れない!そういえば牧内さんは教団幹部なので、もっと思いつく限りのことを色々話して下さい…!ではどうぞっ」

「いいや私は単なる形ばかりの幹部だったし、もうその立場でさえないから今ここに居るんじゃないかな。だったら白鳥さんの方が詳しい可能性だってあるじゃないか。流石にこんな恐ろしいゲームには、関わりたくなかったし」

「僕だって仕事だけじゃあなく、友達が出演するバイオリンの演奏会があって、その人はもうすぐ転勤してしまうんですっ。どうしてくれるんですか。誘拐されて悪徳宗教団体の施設に居たとかそんな事を言っても、嫌煙されるだけじゃないですかっ」

「それは気の毒だが言ったとおり私はすでに挑戦者だ。この事についても必要なだけ白鳥さんから聞いて、共に戦おうじゃないか。なっ?」

だが白鳥曰く、客観視も必要だが、内部より外部が詳しい訳がない。ということで一同の視線は数秒で牧内へと戻った。

「そうか、そういえば…そうかも知れないな。分かった。何故か教団には捨てられたし、これから悪名高い泰子ゲームだし、君達の疑問にはなんでも答えようっ。でもその代わり細かい疑いは捨ててほしい。それは頼む…!私達は仲間だ」

確かに現時点で牧内が凶悪犯罪に手を貸した証拠はなく、こうして頼まれると信じそうになる加菜。飯田以外の三人は態度を疑っているが元教団幹部の知識は必要と考えたので、その案はあっさりと容認され、まず質問したのは高坂、巧介だ。

「白鳥さんに聞いてもまだ信じられないが、既に誘拐と監禁を繰り返しておきながら、どうして表沙汰にならないっ。スーピースピアなんて物も、本当にあるのか?」

「勝敗に関わるので訊きますが、装置で連打した回数は、維持されますか?それとも何かあると戻されますか?」

それを頭で整理しながら答える牧内。

「国の上層に幸福シールを流しているから、訴えても無理だろう。この国も腐ったもんだ…。人間は所詮、個々の幸福の為に生きていると言っても、過言ではない。それに今話にあったスーピースピアのような兵器の開発も教団を特別な存在にして、よほどの事件でない限りは彼方此方から擁護され、調査される可能性は低いだろう。また連打は手を止めて十秒後には、初めからやり直しになる」

聞いて被害者達の話と齟齬がないと言う白鳥。ただ彼女は牧内を除く中では一番誘いだすのが難しかったのか、別に呼ばれた人も沢山いると聞いているのでそれについても質問し、答えによるとそれは後六人。つまりここに居るのはまだ、半分らしい。聞いて拳をつくる巧介。開始前で詳細は不明としても狭い通路を逃げる訳でもないので味方は多い方がよく、心強くもあって一同の表情はまた少し明るくなり、最後に飯田と加菜が心配した装置の安全性とルール外の決まりについても牧内と巧介が話し、それにも一応の納得が見られた。何故なら装置は、幸福感と共に不幸感も吸って言わば無の状態に近く、静かな眠りが約束され、それは泰子ゲームと無関係に使用した人も同様。ルール外のことは自由でそれは悪徳宗教なので油断できないが、後は合法か常識かどうかであり、細かく考えてしまうと切りがないからだ。飯田はそれを聞きながらも白鳥に怒りと不安を吐露し、裏切りの辛さがゆっくりと効いた牧内は座り込んだので、話すのは加菜と高坂。二人の前に立つのは巧介だ。

「だったら後は泰子ゲームに勝つだけですっ。そう上手く勝てたとしても…自慢にならないかも知れませんけど、未来を守る為ですよ!たった三十日でもそれはずっと先に繋がってますし…!」

「不愉快だっ。変なゲームに付き合わされるのもそうだが、今の説明だって本当は全部教団がすべきだ!いいや、やっぱりこんな事を強要されている時点で、許してはいけない!そうだ、この状況を受けいれて、大丈夫か?」

「勿論僕も同じ気持ちですが、姉加菜の言うとおりゲームに勝つしかないと思います。考えましたが例えば他六人も見つけて武力で抵抗しても、数と装備で負けますし、あるいは壁に穴をあけるとしてもやはり、その前に全員捕まるでしょう。仮に短時間で穴をあけられても外は夜の森で街までは約ニ十キロ。ですからどうか高坂さんもここは堪えて、おふざけゲームで戦いましょうっ」

「くっそー教団め!…君も少し楽しんでないか?」

「いいえ」

そう実は決めてしまうと高揚を隠しがたい巧介だが、その謹厳な顔がくずれるより早く前へでたのは飯田。彼は白鳥と話して様々な情報に安心したのか、なるべく有利にしかも楽しくゲームを進めたくなったようで、さり気なくエメラルドの光る腕時計を見せながらハンカチを出し、靴の土を払って言う。意外と切りかえが速く、肝の太い男だ。

「もう仕方ないっ。これも土が付いたけど、まあいいか捨てよう。1万円もしないし…!ええー牧内さんも巧介君も、ご苦労様。二人は優秀だし、加菜ちゃんも優しくて白鳥さんは色々知ってて勇気もあるし、高坂君も一途な信用できる男だし、これなら教団とも戦えそうだっ。だが…だが勝つにはやっぱり、まとめ役が必要じゃないか!?それは年齢もある程度上で、できれば経済的にも豊かで話も上手い方がいいし、大勢を使った経験と実績のある人物がいい!そこでオレが立候補しようじゃあないかっ。持ち家は東京と熊谷それに那須塩原にあって、三軒目はプール付き。しかもそれぞれに最高グレードのガーデンオフィスを買ったのは、このオレくらいだろう。誰が言ったかそれは特注品で2300万円っ。車は六台で合計8億4000万!ほぉ~~!噂では金を使うもう一つの体を求めてクローン研究にも出資中っ。そんな噂がちょっと恥ずかしいオレだけど、皆を思う気持ちだって、金を想うそれと等しい!さあ~決断の時!他に適任者がいない訳じゃあないが、重要な事だぞーー」

誘拐や泰子ゲーム程ではないが驚く一同。巧介は他にも素早く意見をきき、簡潔に言う。

「重要なら後で決めましょう」

「まあ、良いか。今日会ったばかりだし」

という事で、財産を示して支持を得ようと熱弁の飯田は今一つの信用を欠き、承認ならず。戦いは日の出までなのでまとめ役の話は絶望的と見られ、少し可哀想に思った巧介はすぐ横に立つ。

「それでも頼りにしてますからね…!」

また巧介は、まとめ役が捕まったとき誰が代わるか、責任はどうやってとるか等の問題も出てくると説明し、理解して礼を言う飯田だが、直後ゲーム開始が告げられ、部屋には大勢の信者が入って挑戦者を囲み、一斉に骨の杖を突きつけた。体育館入口から遠く北の廊下に立つ会長泰子の手には黒い槍があり、その先は紫にかがやく。加菜は実のところ巧介の油断を心配したがそれは杞憂だったようで、飯田と牧内さえ警戒したその手には確かに、あの鍵が握られていた。



体育館の南側から出ると目の前は医務室で、その右が警備室、左がシャワー室だった。そこから骨の杖に急かされ少し北へ歩くと右手が広い自動販売機コーナーとなり、その東の壁には二台が日常を思わせるように明るく、むしろその南にある先へゆくに従って暗い不気味な廊下を際立たせ、ふり向けば実のところさっき見た給湯室の裏にあたる体育館の南隣は会議室、北隣は食堂となっているがそれを一々確認しているのは、ゲームに勝ちたい巧介のみ。ただこの場から逃れて早く帰りたい他は、その食堂前の廊下に信者をともなって仁王立ちの会長泰子と、その足元に跪くやつれた男を見ている。そう男は髪もぼさぼさで体も縛られているが、奇異なのはやはり会長の黒い武者鎧。それは肩当ての外側と更には腰のあたりなどに銀が施され、その丁度後ろには上から二枚ずつの金色の六文銭があり、着ている会長はかすかに冷笑を含んでいるが、手の槍は右に左に宙をうならせる。

「ハハハハッ、待っておったぞ!我が神の刃、受けてみよ!」

「本当に三十日だけは勘弁してくれっ。仕事とそれに、二度の合コンがあるんだ!」

そう言って顔を歪めたのは跪いた男。だが眼前に迫った槍の紫に彼はまた閉口してしまう。

「黙れ。すでに遊戯は始まっているが、あ奴らと話したい」

聞いて溜まっていた怒りを口にする高坂、巧介、加菜、白鳥。残る二人は譲り合ったが、飯田に策があるという事で、彼が最後となった。

「料理の指導依頼も嘘だったのか?!その人は何だ?!縄なんてルールに無かったぞ!」

「せめてすぐ解放して、僕達と一緒に戦わせれば良いじゃないか!信者も大勢いて汚いぞっ」

「警察に行きましょう。そこで心を改めるんですっ」

「私はこんな事だと思ってたよ!こうなったからには、負かしてやるっ」

「…酷いですよ会長。もう勘弁して下さい。私が、何をしたって言うんです…!」

「…オレは後で…」

「ええっ?」

「いいや策は、じっくり話す必要があるからっ。それだけ」

それを聞いてまた笑う会長。

「ハァー、ハッハッハー!面白い奴らよ…!だが案ずるな。この者は挑戦者ではなく、ただの罪人。そう我ら教団にとって悪しき番組をつくった、編集の一人だ。それに侮っては困るがお前達に縄は使わず、この信者達ならすぐに去るっ。よし、犬を連れてこい!」

そう会長が言ったので、シェパードやドーベルマンを想像し、加菜の背中へと隠れる巧介。だがその犬というのは一匹の小型犬でしかもポメラニアンだったので巧介は、凛々しい顔のまま加菜の前をとおり過ぎ、元の位置へと戻った。

「そこへ置け」

そう会長に言われ、連れてきた犬を置く信者。それを見て実は飼い主である編集が、黙っていられるはずもない。

「マ、マイク!彼を解放してくれっ」

「ええい、騒がしい奴!心配しなくてもまずお前からだ…!」

「いいや待てっ。やっぱりマイクを三十日預けるから、オレを解放してくれ!マイクだって急に仕事を失ったオレの餌を食べるんだから、んごぉ~~~~!」

だが槍先が触れた瞬間、まるで突風にでも遭ったかの様にぴたりと目をとじ、のけ反ったまま爆睡する編集。マイクはその入眠硬直とでも言うべき彼へと走り気丈にも唸ったが、その背にも容赦なく槍が降る。

「うう~~、んごぉ~~~~!」

そこで一人と一匹の処遇をたずねる信者に、答える会長。

「編集は、第七施設の抽出装置へ。犬はその隣の部屋にでも寝かせておけ」

「犬からは抽出しませんか?」

「しない。まだ動物実験をしていないからな」

その言葉に反応して叫ぶ白鳥。

「この極左め!人体実験を先にしてるじゃない!」

だがそんな彼女を制止して更に耳打ちしたのは、さっき策があると言った飯田。彼は上手くやれば全員がすぐ帰れるかも知れないと、巧介や加菜にも手の平を見せ会長の前へ。そこで涙ながらに訴えた。

「何故だ、何故なんだヤッチー。一体どうしてオレがこんな所に、こんな方々と居るんだ?寄付はもう5000万円になってるじゃないかっ。ヤッチー、考えなおそうっ。そしてどんな誤解があってもまた、仲良くやろうじゃないか…!」

「いいや亮ちゃんよ、それはもう無理というもの」

「だから何故なんだ?!…息子のお誕生会の時だって、オレと君のお誕生会の時だって、互いに最高のプレゼントだって言ったし、家族ぐるみの旅行だってしたじゃないか…!それがこんな事になるなんて悪夢だっ。まだ信じられない!」

「いいや亮ちゃんよ、お前は我が教団の禁ずる、十五本以上の喫煙を行ったのだ…!それは疾うに誰もが知るところっ」

「…ええっ、あれ?あれか~?なんだー、だったら言ってくれれば良かったのにー。あれねアウトより一本前の十四本目に、うまく火が付かなかったの。それで一度完全に消して、吸ってないよ。まずそこで吸ってないからっ。まだ一本の余裕あるでしょ?それで丁度コマーシャルだったから、トイレに行ったんだけど、そこちょっと暑くてさぁ、エアコン点けて涼しくなって、そのまま便座で寝ちゃったの。でも部屋にかえって別な一本を吸ってから寝て、起きたら00:00過ぎててさ、そこで火をつけ損なった煙草を思いだして…吸ったわけ。つまり十四本だよっ。大丈夫だよーー!健康健康っ。親友のオレをそれで突かなくて良いんだから、ラッキーじゃない。ハハハハッ!あのヤッチーにもらった純金時計だから、間違いない…!全然大丈夫っ。この事もまったく怒ってないから。誤解だしー」

「ああ、そうか。だがお主は確か、その時計を見て教団との約束に遅れる訳にはいかない等と言い、それを十分早めているはずでは…なかったか?」

「…えっ?誰かと間違って、るんじゃないかな、それはー」

「住みこみで働く家政婦の一人が証言している」

「~んでも、一本ぐらい良くない?いいや、吸ったとは言ってないよ!大体その家政婦は、数えたのかって話じゃないかっ。もっと冷静になろう。次の寄付は…5000万だ!そうだ疑いを払拭する為だけに、5000万円を用意する!計1億の寄付っ。吸ってないにもかかわらずっ。これでどう?~これでよくない?」

「何と愚かなっ。その家政婦も我が教団の大切な信者で、仲間であるお主の健康を心の底から思うたのだ!いざ、安らかに眠れー!」

「そんなぁ…!」

「問答無用っ」

そう言ってすぐ猫背になり、本日七本目の煙草に火をつける会長。そうして彼女は心の中で、煙草とは神の慈悲であると呟き、槍はゆっくりと挑戦者達へ向く。伴って退き消えゆく信者達と、叫ぶ飯田と加菜。

「オレは無実だし、この人達だって好きで君に逆らってない!アホ、世間知らず、蟷螂の鎌と言われても教団に逆らう、勇気ある方々じゃないか!その人材を惜しみ、慈悲を見せてくれヤッチー!」

「そうです飯田さんだって、何度もいやらしさ丸出しの成金になって全員をひかせたのは、私達と貴方の間に立って争いを避ける為です!その演技を健気に思うなら、目を覚まして下さい!」

奇跡的に偶発した、口を滑らす飯田とお人好し加菜の、嫌味合戦。それはそうと一同は三十日の喪失に恐怖を感じしかも足手まといを嫌う日本特有の習性からわっと逃げ、一挙に応接室の角をまがって受付や玄関も過ぎて東へ。中でも時々ふり向きながらも先頭の加菜は、左右に赤いドアの宿泊室がならぶ廊下にまで達したが、何故か巧介だけ追いつかず玄関より更に西を歩いていたのでそれに声をかけ、それでも角を北へと曲がり、折り返すように西へ。まだ宿泊室は続いていたが、丁度そこは筒形の灰皿がある喫煙所になっていたので二番、三番となった飯田と牧内は、すぐ一服する。

「ふぅーー!でもお互い、かなり不味い事になったね…!」

「ええまあ、粛清は何度も見ましたが、まさか自分がこうなるとは」

「だよねぇ。オレだってこれ一本二本の話だし、牧内さんもよく分からない事が原因じゃないの。それよりあの編集見た?刺された時のまま固まって、んごぉーーって爆睡」

「ええ、あのスーピースピアは実のところ侮れない兵器で、普通の槍より怖いと言う者もいるくらいです。私も三日後には娘と遊園地へいく約束があるので、かなり不味いですよ」

「ええっ、どうすんの?もしも捕まったら、一生嫌われるかも知れないし」

「あの…何で、吸ってるんですか?」

勿論そう訊いたのは眦を上げる加菜。高坂と白鳥は既に追いつき、そこへ巧介も来たが、飯田と牧内の答えは意外だ。

「まあまあ、走りながら聞いたけど、会長は足が遅いんだって。そこは大丈夫だからっ」

「勿論本当だ。巧介君に訊けば分かるから」

言われたので巧介に確認する加菜だが、それは真実。そう巧介の目から見た会長は足が遅いと言うより、走るのが大の苦手で、途中止まって信者にセグウェイを取りに行かせ今は、その操作の説明を受けているようだ。

「ふざけてるの?」

「いいや、僕は真面目にやってるよ!だから見たまま、ありのままを」

「そうじゃなくて教団が」

「それは、最初からでしょっ。それよりパンフレットを貸して…!確か地図が載ってたから、僕が簡単にこの建物の構造を教えるよ」

「分かったでも、面倒にしないでね。むしろ把握が難しいと、逃げるのに困る可能性があるから」

頷く巧介。集まった一同に彼は、受付から拝借した青いペンを地図に当て、それで横に伸ばした日の文字を書き、更にその右側のやや上には、左に倒した巳(み)の文字を書いてから言う。

「日と巳の線は重なってるけど、これが大体一階の道筋」

それに言うのは白鳥。六人で小さな地図を覗き込んではいるが、ここまでは簡単だ。

「いいじゃない。外側の部屋が必要になるのは隠れるときか、出口を探すときだ」

「ただ、注意点があります。まずはここ。横に伸ばした日のうち西北、つまりさっき会長が仁王立ちだった後ろあたりに通じるドアは、東から西へのみ開く物で、閉まると反対からは開きません。そしてこの左に倒した巳の字。この巳の字廊下も宿泊室が並んでますが、左にあるこの長方形部分と違って、右のUみたいな部分の北東が、礼拝堂で埋まっています。ほら、先がありませんから。実際にここから行くとその入口は、左手にあるはずです」

大まかに理解できたが、まだ聞きたい高坂と飯田。

「Uの字の北東が礼拝堂というのは分かるが、その北側には階段室もある。じゃあ二階へ逃げても良いんだよな」

「現在地はどこ」

「二階へ行ってもルールとして、問題はないと思います。行ければですが…。ああ、それに現在地は、この日の字のうち東側、ここが斜め上から大きく、くにゃっと凹んでますよね?ここが今居る喫煙所の角で、この凹んだ部分にぴったり巳の字がくっついている、これさえ想像出来れば…誰にとっても簡単な、いい感じの地図になります」

それには頷き、南西となる待合室前では、草木の香りが強くなったと言う高坂。勿論そうなると出口が近い可能性があり皆その話を聞きたがったが、そこに会長の声が響く。

「さあ、どこ行ったかな~!」

直前二本目に火を点けたばかりの飯田と牧内は素早く煙を吐き、西側にならぶ部屋の左へ。それを見た他は右の部屋へと隠れ、数秒後そこまで来た会長はすぐ左の部屋のドアノブをつかんだが、そこへ現れたのが予備として押入れにあった信者の装束をまとう巧介。彼は突然、別な宗教に騙され怪しいお札を買わされたと言って泣き、つづけて壁を叩いて悔しがり、それを見かねた会長はさすがに同情したのか、セグウェイを降りて声をかけた。

「少し可哀想だがつまり、神アタタカを裏切ったのか?」

「いいえ、違います…!そこがあまりに酷い宗教でこちらへ改宗したのですが、出るとき半ば強引にお札を売られたんですっ」

「そうか…そんな事情が」

「ええ、そうです。買わないなら、怒り狂った二重人格神・ウラに追われると脅され、その狡猾な手口によって売られた札は合計200万!もう死にたいくらいですっ」

「うーむ、そんな神の名は聞いた事もないが、可哀想だ。すぐ返金を求めなさい…!」

「でも貧しくて携帯電話もありませんっ。それに二重人格を旨とする信者も怖いので誰か代わりに話してほしいのですが、なかなか頼りになる人が見つからないんです。助けて下さい…!」

「では私がこの携帯電話で話してやろう」

そこで巧介の言う番号を押していく会長。だが彼女が飯田らの入った部屋の前から動かないので巧介は、会長が入室したりそこに居座ったりする可能性を考え、大声を出す。

「ああ、会長っ!左ですか?!まさか左の部屋に入って、そこで話すんですかー?!占いによると今日は、廊下で東を向いて話すのが吉ですけど、大丈夫でしょうかー!」

「それは、前の宗教の占いか?」

「…いいえ、あんな宗教の占いは駄目です!これは駅前にいる先生の誕生日占いで、もしもそう出来ないなら災いに遭うらしいですよっ。廊下で話しませんか?」

「だが室内の方が落ちついて話せる」

「ああ…そうですか。先生は廊下を薦めていましたが、だとすればその害を大きくしない為にも、絶対押入れだけは覗かないようにしましょうっ。これは…そうだっ。アンラッキーアクションです!」

「アンラッ…まあいい、危ないという事だな。それにしても嬉しい…!私の誕生日を知っているのか。それで占ったとしか思えんが?」

しまった!色々言い過ぎたが、これは決定的だ。この様にまだ若く拙い巧介だが右の部屋のドアが僅かに開き、その隙間からは加菜達が応援しているので、何とかうまく切り抜けたい。

「僕ではなく占い師の先生が、会長のご高名とその誕生日を知っていたのですっ。借金地獄ではありますが、会長の一助となり幸せです!」

「ハハハッ、そうかそうか…。私は占いを信じない方だが、感心な信者の為だ。さっさと片付けてやろう。待っていろ」

そう言って会長は携帯電話を耳に当て、やはり左の部屋へ。

「ああっ、やっぱり入るんですか?!今ですね?ではお気をつけてー!」

よって会長が呼出音をきいている間に巧介は、部屋からでた加菜達と共に北へ。すぐ曲がるのは躊躇われ更に北の廊下を選んだが、その先は東からであれば通れるので問題はなく、寧ろ冷や汗をかいたのは押入れに居た飯田と牧内。二人は騙されたと気付いた会長が、北の廊下へと叫ぶのを背に元きた玄関側へと逃げ、ドアを開けて食堂近くにでた巧介達は一瞬警戒したが、そこには眼鏡をかけて髪を結い紫のブラウスを着た老年の女と、横分けにした髪に大きなサングラスをかけ橙色のパーカーを合わせた男の、二人が立っていた。聞けば共に挑戦者であり、簡単に自己紹介を済ませる巧介達に名乗るのはまず、サングラスの男。彼が動画配信者の登鹿(とうろく)だと言うので実はその作品に憶えがあり、同い年の人気者という部分まで知る、巧介が話す。

「あの、お得な商品を紹介する動画の…!確か1万3千円くらいの脱毛器を紹介しましたよねっ。結構な評判でしたよ」

「おっ、見た事あるの?今日も動画を撮りに来たはずなのに、こんな事になって。何かゲームで勝つ以外に、助かる方法ある?失踪の謎を公にできれば暫くもつけど、その後が心配だからさ」

「それは動画配信が心配という…」

「そうそう一応ルールは見たから、後は仕事が続くかでしょう。まあその点オレ達は少し気が楽だけど、今をときめく宗教団体から目を付けられた事がねぇ」

「そうだよね。勝つ為には、どこかで話したいけど」

そう言いながら敬子(けいこ)と名乗る女には待ってもらう巧介。彼は北に立つ白鳥や自動販売機コーナーと南の廊下に目をやる高坂に確認して気配は無いと言われたので、会長が途中にある部屋でも見ているのかと思い、少し安心したようだ。

「待たせてすみません。失礼ですが敬子さんは、本当に挑戦者ですか?もしもそうなら噂どおりの、酷い奴らですね」

「うん私はきっと、泰子会長のやり方に色々言ったから、挑戦者にされたんだ…!」

「なるほど…そうですか。では多分一緒に逃げるしかありません。お体は大丈夫ですか?」

「いいや全然何ともないっ。大丈夫だけどやっぱり、出口を探すしかないかな。流石に日の出まで逃げるのは、ちょっとねぇ」

それに頷いてすぐ、他も呼ぶ巧介。

彼曰く、できれば出口を探すのが合理的だが、それも日の出まで逃げるのも全滅を防いでこそ。また仮に自分だけ逃げたい者がいても助けは必要なのでなるべく上手く隠れ、少しでも捕まらないようにする必要があり、加えて泰子ゲームには全滅後これこれの条件によって一部解放する等というものは無く、数秒考えた他は納得したが、今すぐにでも帰りたいのは登鹿だ。

「いいと思う。それでいいと思うけどさ、欲を言えば早くこれを動画にしたいし、無理なら無理で早く警察や同業者に相談したい。何人か捕まっても出口を探す手はどうだ?だって一人でも外に出られたら、みんな帰れるじゃないか」

巧介も気持ちは分かると頷いているが、言うのは加菜と高坂。

「うん、でも福変人を、甘く見過ぎかも知れない。誘拐までして行うこのゲームを、簡単に終わらせるかな?きっと出口は難しい所にあると思う」

「そういえば、このまま待合室へ行くか。それとも会長の出方を見て、しばらく逃げてから行くか。どうする?」

答えるのは巧介だ。

「ええ、行きましょう。でもその辺りに本当の出口があるなら、どんな罠が待っているか…。本当に少しも気配はありませんか?」

実のところ会長はすでに挑戦者達から見て東南の角、つまり自動販売機コーナーの北側にある相談室前で機会をうかがっているが、まだ誰も気付いておらず、自信をもって言う高坂と白鳥。

「ああ、それは大丈夫だが、この施設を知り尽くした奴はどこから来るか分からないから、それは注意しないとな」

「ええ、北も同じですっ。ただその草木の香りですが実は…花屋の私がまったく感じなかったんですけど、本当に大丈夫ですか?」

「んっ?」

とだけ言い、腕組みをする高坂。彼は少し考えたがやはり自信があるようで人差し指を立て、まるで睨むように全員を見まわしながら言う。

「いいや、あれは確かに草木の香りだった!断言してもいいっ。悪いがこの鼻で、客の半日前に食べた物まで当てた事のある私だ。間違う訳がないんだよっ。言うのもなんだが実は、一芸に秀でたる者…なんて、言われた事さえある。だからこの感覚を信じ」

だが次の瞬間一同が見たのは、高坂の腹をねらう会長の槍。そこから巧介達の視界にある時はまるで臨死体験のようにゆっくりと流れ、その中で槍に反応して真横へと曲がる高坂の体。

「生きてきた私、んごぉ~~~~!」

だが反応も虚しく槍は当たったようで、彼は早々入眠となった。その歌のお兄さんのような姿勢で眠る高坂に叫ぶのは、巧介と加菜。

「ああ、高坂さん!いい場面だったのに!」

「じゃあはい、忘れましょうっ。だから私の時も見ないでね…!」

会長は高坂を見てにやにやと笑い、そこへ響いたのが教団の放送だ。

『挑戦者、高坂っ。彼は近年、青はるの熱血料理人とまで呼ばれたが、その店の料理にあろう事か、ラム肉が使われているのではないか…という噂が立ち、本当にそうだったのでゲームへの参加が決まった!皆も気をつけるようにっ』

早速くの字になった高坂を運ぶ信者達。色々文句を言いたい巧介達だが、装置の入口が閉まるとすぐゲーム再開で北は行き止まりなので南へと走り、まるで殺人鬼のように笑う会長の横を過ぎてその視界には入らない事務室前まで。室内へと入り慌てるまま登鹿に勧められるままに出口を探したが、事務室や受付にあるどの窓やドアも外へは通じず、灯台下暗しということで今度は玄関へ。だが風除室も、その東にある営業中の預り所も同様。窓口にいた信者が不要な物を預かる旨伝えるのも無視してその中も見たがどこにも出口らしい物はなく、また玄関には他廊下の北側に西から公衆電話コーナー、プレイルーム入口、客用にならぶ椅子とその東に売店とあるが、そこは内側で出口はないだろうと巧介はほとんど諦めてしまい、それに言うのは登鹿と加菜だ。

「いいや、諦めるなっ。いかれ教団だし、地下という可能性だってある!そうなると内側も外側もない…!」

「ここはやっぱり高坂さんが言った、草木の香りを調べよう」

つまり戻る事になるが、会長と遭遇する可能性を考えれば東もあまり変わらず、元々懐疑的だった白鳥以外はすんなりその案を受けいれ、一同は待合室前まで移動。直後ゲーム再開を告げる放送があり、巧介が加菜の腕時計を見ると高坂が捕まった直後から、約五分が経過している。

「たった五分の搬送か。次からも誰か捕まったら、すぐ逃げないとっ」

それに頷く加菜達。そこから北をのぞき込み会長がいないと見た巧介は南西の一画へ。北の給湯室とその奥のトイレを指差しながら、南の非常口の戸とその奥の階段室も確認し、西の壁にある自動販売機まで歩いていた。それは白に赤の流線模様となった機体であり、それに言う白鳥。

「…あれ?確かに草木の香り…!高坂さんは、これを感じたんだ…」

聞いた敬子と加菜は非常口から外の緑を見て帰りたいと言っているが、販売機の左に立つ巧介はある事に気付き、その後ろにきたのは登鹿。

「どうしたっ」

「これ少し開いてない?」

よってそこへ集まる加菜達。白鳥によるとその僅かに開いた販売機前面の扉、つまり開口部からは更に強く草木の香りがするらしく、二センチ程の隙間に指を入れる巧介と加菜。上や下を選んで登鹿や白鳥も力いっぱい引き、何度か休んで十数分後やっとその開口部はびきっという、鋭い音を立てた。

「あっ!」

見下ろして、思わず声をあげる巧介。加菜達も見るとその販売機内部の後ろからは、ホームセンターで売られている様な直径十センチはある太いパイプが出ており、それは裏を覗けば乱暴に穴があけられた壁へと、繋がっているではないか。呆れて言う巧介と白鳥。

「こんな、学生でもできる小細工を…!盲点だっ」

「これにつき合うのは辛いっ」

可能性を潰すのもいいが、五人は余計な力を使ったようだ。それから暫くして東にいた会長は槍で挑戦者を突き、ほくそ笑んでいた。その影から逃げるのは二人の男女。女は北へ、もう一人の男は南へと逃げ、また放送が流れる。

『挑戦者、豊次(とよつぐ)!この元漁師は近隣に住む大勢を説得して市へかけ込み、教団の調査を勧めた後は、国会へ手紙まで書いたっ。ただこの者のゲームへの参加を決定づけたのは、木曜特番《新説・神アタタカは嘘だった!福変人さんごめんなさい!電話しないでねっ》への出演であり、そのひな壇で泰子会長を単なる威張った主婦と形容した事も、心底我々を怒らせたのだ!その編集はあの犬と連れてこられた男であるから、皆も気をつけるようにっ。晩節を汚すなかれ…!』

聞いて舌打ちしたのは食堂からでた登鹿。他巧介と加菜も北の厨房から出て、体育館を見た白鳥や敬子と合流したが、誰の顔も明るくはない。そう出口を見つけられれば早いが既に一階の三分の一となる窓やドアは施錠を確認しており、ここは巧介ならずとも長期的な戦いを覚悟するというもの。そこで敬子を気遣うのは加菜。他も警戒しながら二人の話を聞く。

「足大丈夫ですか?」

「うん、これでも元看護士だから、歩くのは慣れてるんだ」

「それは心強い。私やみんなの顔色もみて下さいね」

「ハハハッ、任せなさい。特に巧介君はリーダーだから、捕まったら困るよねぇ」

それを聞いた巧介は微笑しながら言う。

「まだ戦いは始まったばかりですが、聞いて下さい。そう追う立場の会長はセグウェイに乗り、僕達には後半の疲れも予想されるので体力勝負を避け、静かに移動しましょう。こちらは警戒しながらの休憩になるのに対して会長は好きな時に休めて、しかもその事を知る術もありませんので…!」

頷いて言う加菜と白鳥。

「今考えたけど残りの何人かで出口を発見してから、皆を救って脱出した方がいいかも知れない。だって悪徳宗教なんだから、ルールを無視して追って来るかも知れないし」

「心的疲労が大きいし、私は隠れる方が賢いと思う…。はじめから不利な戦いだもん」

そこで口をひらいたのは、例の東からのみ開くドアを背にした登鹿。彼によると福変人の事情を配信した集まりである噂がささやかれ、それを利用したいらしいが、憶えがあるのは白鳥だけだ。

「もしかして二階の事?」

「ええ、そうです。二階ではこのゲームに役立つアイテムが手に入るという噂で、もうそれに賭けるくらいしか、打開策は無いような…」

勿論他も興味を示したが聞けばそのアイテムは何と1000円ガチャの賞品らしく、ポケットを弄る白鳥、加菜、そして敬子。巧介は一人耳をうたがい顎に手をあて、その前に歩くのは登鹿だ。

「まあ、確かに怪しい情報だが、ある脱出に成功した女性はその数々のアイテムを利用して、最後まで逃げきったらしい。他の挑戦者は助からなかった様だが、これも大物ユーチューバーが動画にした内容だ」

「脱出の希望が、1000円ガチャ?」

「ああ、気持ちは分かるが、今は閉じ込められている。それで、いくら持ってる?」

「1000円。と…100、200、後はーー」

だが加菜は、彼氏にプレゼントを買う為1万円持ってきたようで、巧介を押しのけ彼女に微笑む登鹿。小さく衝撃を受けた巧介は彼のいる前では絶対鍵の存在を公表しないと誓い、すぐ割り込むようにして加菜に声をかける。

「僕が捕まったら皆をよろしくね」

「私がかばうよっ。君こそ私が捕まったら、絶対助けてよ」

また登鹿の話ではこの五人だけで約6万円持っていたのでやや安心した一同だが、東のドアには会長が襲来。

「ハハハハッ、今宵は大猟じゃーー!」

聞いて巧介が叫ぶ。

「急いで!」

「全然休めないっ」

そうして加菜も叫んだが、巧介が冷静に見るかぎりすぐドアの向こうに居る会長は、セグウェイに両足を置いたまま。よって強く押しても、また強いドアクローザにより即戻ってくるドアにゆく手を阻まれ、十分逃げる時間はある!

ギッ……ガンッ

「あ、あれ?」

ギッ………ガン!

「あれ?ちょっと!もうちょっと、何これ~~?!」

という事で皆を引きとめる巧介。

「ブフッ!いいや、笑っていられない!みんな大丈夫だよっ。それより僕の話を聞いて…!」

相談した結果巧介の策は支持され、南側にあるシャワー室前の廊下に受付から拝借した例の青いペンを置いて、東の自動販売機コーナーへゆく一同。そこから相談室でなく、更に東のどこかでなく、すぐ南にある運動室に隠れたのはそこが北の壁の東西に出入口があるからで、巧介はその西側のドアをほんの少し開けて耳をそばだて、会長が罠にかかり南かあるいはずっと東のどこかに消えるのを、確認する構えだ。そう彼の目から見ても部屋は南北に長く奥へゆくのも手だが、北は懸垂器具、東はランニングマシンで埋まり、他は中央に腹筋台が並ぶくらいで奥にあるトランポリンもたった一つで隠れるのは難しく、むしろ相手の反応を見て素早く対処するつもり。するとそこへ聞こえたのはセグウェイを捨てた会長の足音と、ペンを見て挑戦者の動向を推理する声だった。

「ハハハッ!…分かったぞ。どこへ行ったか、まる分かりだ!私にこんなものが通用するとでもっ?そうペンは南を向いているが、これは私が何となく引きずられ、そちらへ行くかも知れないと考えたからで」

「…とにかく他へ行って!お願いっ…」

「緑なら玄武、だから北。白なら白虎、だから西となるのでー」

「…えっ?なに言ってんの…!」

「赤なら朱雀だから南、という事は…青は青龍だから東、つまり奴らは東へ行ったに違いなーい!我ながら名推理だっ」

「…ど、どうでも良いから外してくれ!それで当てるなんてずるいぞ…!」

神アタタカのご神託を疑いその威光に慄く巧介。会長はそのまま自動販売機コーナーまで来ると、また推理をつづける。

「フンッ、あ奴らめ…こうして仲間に居場所を教えたのだろうが、私には分かるっ。ハハッ!そうここへ来て、おそらく老いた敬子は喉が渇いたなどと言い、それに筋肉正義の加菜がじゃあ運動した方がそのジュースも美味いでしょうと返し」

「…まさか…!」

「それを聞いた、女に逆らえない令和男子の巧介と登鹿が、揉み手でもしてこの運動室へと入ったに違いない!いざ勝負勝負、勝負ー!」

「こ、怖いっ。もう~本当に少し超能力じゃないか!」

悲報・でたらめ推理、行方のみ当たる。勿論ドアがあく頃の巧介達は既にすばやく部屋中央にならぶ腹筋台の奥へと逃げていたが、見るなり左右に歩きながら、槍をふり回す会長。

「ハーーハッハー!恐れ入ったか!我が軍門に降れぇ!」

「変な力だし、むしろ負けられない!」

そう声を上げた加菜は会長の槍に頭をさげ、足払いに来れば飛んで躱し、突いてくれば掴んでしばらく睨み合いと奮戦。反対の左から攻められれば登鹿が会長を、恥知らずの歴ばばあ等と揶揄しながら巧介と白鳥が骨の杖をふったり、黒いローブを投げたりして抵抗。敬子は頑張れ頑張れと言いながらその後ろでランニングマシーンを動かし、そうして数分間の攻防が続いたが、会長はなかなか時々知恵があり、右側を守る加菜を狙い撃ち。そう彼女は一人で会長の槍を躱していたので、運動量も多くなっているのだ。

「そろそろあの世へ送ってやろう!」

「来いっ」

叫んで突き斬り払いを全てかわす加菜だが、今度は着地が悪く、会長の攻撃を避けられそうにない。

「不味い!」

「ハハハッ、とどめだぁ!」

だがそこへ走ったのは白鳥。反応した加菜はその体さえよけたので、会長の前には鬼気迫る彼女が飛び出していた。そう正義の人である彼女は、若く同じように人を労わる心を持ち、既にまとめ役となった巧介の実姉にしてその将軍のような存在の加菜を、誰よりも案じていたのである。

「悪の栄えた試しなし!無ね、んごぉ~~~~!」

口をあんぐりと開け床を滑ってゆく白鳥。

「ああ、私の為に!」

「どうかご無事で!行こう姉ちゃん!」

そう何所に装置があるかは分からないが前回は五分程だった事もあり、急いで部屋をでる巧介達。白鳥拘束の放送は聞こえているが巧介は東への廊下を走り、地図で見るとあの縦長の長方形にある下を通ってさらに真っすぐ。そこで敬子を待って歩きだしたが、更に角を北へとまがれば、二階への廊下だ。

『挑戦者、自分は特別と言わんばかりの白鳥っ。そうこの者は周知のとおり、泰子様ご愛食のケーキを買い漁る息子をとめたが、実は以前より怪しんでいた教団が今回の件でSNSを調べたところ、どう考えても右派!という事でゲームへの参加が決まった!皆も気をつけるようにっ。一見美人の花屋でも、派手な奴はみんな右派だっ!』

聞いて言うのは登鹿。

「じゃあ凄い数の挑戦者になるなー!」

内心同意しながらも一人歩いてくる加菜に訊くのは巧介だ。

「敬子さんは?装置の場所によってはすぐ搬送しちゃうから、もう危ないよ」

「うん、さっきまでは一緒だったはずだけど…」

「迷った?捜しに行きたいけど向こうは会長がいたし、うーんどうしようっ。考えろ考えろ三十日を守る為だ…!」

「あと少し待ってみよう。いいや、やっぱり迎えに行こうか?」

首をふる登鹿。彼は敬子の体調を考えむしろ逃走を止めてもらいたい様だが、本人からすれば訳の分からない装置に入れられ二十日間。そうつまりわざと捕まってもらうのは全体に不安や衝突を招き、士気に影響する。そう考えた巧介と加菜が困っていると北から歩いてくる影があり、身構える一同。だがそれは肩までの髪に下がズボンになった灰色のスーツを合わせ、その中に青いTシャツを着た若い女で、訊けば年も姉弟と変わらない挑戦者だと言うので、話しやすい味方ができたものだ。

「どうも。福変人広報部の井川(いかわ)です。…よろしく」

「そうか、よろしく」

そう言ったのは巧介。彼も飯田や牧内さえ受け入れたのだから、迷いはない。

「ずっと一人だったの?」

「いいや、さっき捕まった豊次さんと若い男の人と三人で逃げてたんだけど、会長が来たから二階へ行ってみたの。でも…」

「何かあったの?」

「いいや、ここより暗かったし、何か…ずっと歩いても同じような部屋ばかりで、奥から恐ろしい叫びも聞こえたから帰ってきたの。あそこには行かない方がいいよ…」

その叫びはおそらく二、三人の中年男性によるものであり、まるで焼き殺された武士の怨念の様だったとまで聞いて嫌な予感はしたが、それでも1000円ガチャを目指したい巧介。丁度そこへ敬子も追いついたので彼は井川を励まして北へ。すると広報部の彼女が役立つ時は意外と早く訪れ、加菜に勧められるまま左にあるオレンジのドアへの張り紙を見つめる井川。そこには以下のようにあった。この四人を福変人の教義に従い、洋菓子断ちの刑に処す!一人目、東京支部所属、輪っか作りの鈴木、その罪……煙草の灰皿をコストカットが大変だった聖なる壺に入れ、十五本以上吸ったことを隠し、そのとき羊の鳴き声を無視したこと。二人目、青森支部所属、黄色指の工藤、その罪……煙草を十一本しか吸っていない妻を、優しくであろうと止め、その後も埃がたまって危なかった等と言い訳し、わざとライターを買ってこなかった容疑、及びコストカットが大変だった壺に、梅干しの種をぺっと吐いた罪。三人目、神奈川支部所属、蛍族の伊集院、その罪……煙草をぎりぎりセーフの十四本吸った事と、羊をまるで単なる動物であるかのように撫でて侮辱したこと、更にはコストカットが大変だった壺をひびが入っている等の、見方を変えれば味とも言うべき些細な理由により、返品したこと。四人目、茨城支部所属、カートン買いの佐竹、その罪……煙草を十五本吸った夫の罪を秘匿したばかりか、十五本以上吸いたい不信徳な感情をいだく妹を放置し、福変人においての大罪であるという認識のもと禁煙に失敗した友人に対し、医学的にまったく健康とは言えない、無添加煙草の喫煙をうながした事。読みながら何度も頷き、そして言う井川。

「なるほど、いけませんねぇ。そう神アタタカも煙草を吸うと伝わっていますし、泰子様も喫煙者なので、吸うのはいいです。ただ吸っても十二、三本くらいにして、それをたまに知人友人に言って、一緒に数えてもらうのが望ましいでしょう」

その井川の福変人汚染は深刻と見て首をかしげる登鹿。それを隠すよう彼の前へ出たのは、加菜と敬子だ。

「羊の鳴き声を聞いたら、どうすれば良いの?」

「十四本まで止めちゃ駄目なの?」

「いい質問です。モコモコ羊が鳴いたらすぐ、そのお顔に耳をかたむけ、しっかりと心の声を聞くことが大切で、小さな罪ですが十四本は吸う基本的嗜好の尊重を、守らなければなりません。ですから今回この方々は罪をいくつも重ねたのが、良くないのだと思います」

「ありがとう。じゃあ進もうっ」

愛想笑いして短く言う巧介。彼を知り己を知れば百戦して危うからず…ではあるが、それなら今張り紙を見つけた部屋のドアのみオレンジなのが気になり、教団のおふざけに呆れた彼はすぐ礼拝堂まで。一度ふり向いた巧介は会長がいないのを見て、ここでも出口を探したいと言うので反対する者もなく、外の見張りを引きうけた加菜は気勢を放つ。

「さっきは油断したけど、負けないよっ」

「戦うより教えてね」

「あの活躍を見たでしょう。体力勝負なら負けないからっ」

「そうだけど…もう三人やられてるし、二階を通って階段室から来るかも知れないからね」

そう言って入室する巧介。その目には薄っすらとした青の壁が広がり、右手には東西に分かれ二列になった北向きの長椅子が八つ。その先に講壇があって更に後ろには三メートル程もある神アタタカ像が立ち、ここだけは何となく本物の宗教のようだが、巧介は南の壁にある島と海の絵画を凝視。敬子は椅子の下をのぞき込み、井川は部屋全体を見まわし、登鹿は像の台となった三重の円盤を動かそうとする等、皆様々に調べたがなかなか成果は得られない。そこで東にある窓に立ち奥の噴水を見る井川。そこは芝生の一部が敷石となり、ベンチも置かれ西と違いところどころに灯りもあるので帰宅願望を刺激したが、後ろにある羽根の冠に幾つもの首輪をした凛々しい顔のアタタカも今は虚しく、それを慰めるのは登鹿と巧介だ。

「まあ何とかなる。君は信者だけど、出たいのは一緒だよね」

「まだ見ていない場所は沢山あるから、他へ行こう。希望は捨てちゃあ駄目だっ」

そうして礼拝堂を出ると階段室へと入って行く登鹿、井川、敬子だが、加菜をとめ鍵の存在をうち明ける巧介。彼はこの時まで言わなかった事を悔やむ。

「…黙っててごめん。どこか使う場所に憶えある…?」

「…無い。でも教団にとって重要なら、切り札にもなるね。また一つ希望が芽生えたっ」

「おーい!」

だがその姉弟を階段室から呼ぶ登鹿。二人も入って見ると北東は小さなリネン室で、その出入口の南に向きあう壁には掃除用具のロッカーが立っているだけで階段はなく、代わりに中央には白い梯子があり、驚いて見まわす巧介。敬子と登鹿はそんな彼に言う。

「これを上り下りするだけで、少し疲れちゃうよねぇ」

「階段室というより梯子室だが、改築した可能性はある。だから…こう意外で危険とさえ言える物があっても、進むかどうかだ」

「うん、逃げながらは危険かも知れない。でも進もう。井川さんの話だと普通の場所じゃなく未知でもあるけど、まったく行かないなら捕まる可能性が上がる。そう一階を上手く逃げまわる術があればいいけど、思いつかないから」

「全員で脱出したいからね」

そう言う加菜。井川はすでに梯子に手をかけ二階へゆく決心がついたようで、それに巧介が言う。

「勇気が出たみたいで安心した。走るのは、そうだ運動は得意?」

「普通だね。粛清は悲しくても教団を出される訳じゃあないし、泰子様に追われるんだから、楽しくもあるかな…!」

これはこれはとても変わった味方を得たものだ。微笑んだまま片手拝みした巧介は井川より早く梯子を上り、それに続く四人。高機能な入口はまず下に少しずれて脇にしまわれる物で、天井には頭上注意と書かれてさえいるが、二階へ上がるとまた驚いた。そこは一段と暗く、壁床はところどころに大小の傷や穴があって黒一色となり、それは平たく丸い照明のある天井も同様。広さも同じこの部屋は西へ七つ、南へも同じだけつづいて中央の1000円ガチャの自動販売機があるところを除けば、階で合計四十八あり、最後の加菜が上がって皆はじめて気づいたが、今開けたばかりの出入口は閉まれば真っ平で触れずに捜すのは難しく、しかもほとんど音もなく閉まる。

「なに作ってんだよ~!」

不気味さに見まわした巧介は思わずそう言いながらしゃがみ、出入口は十秒もしない間に見つけられたが、不安は大きい。

「今は閉まったばかりだし、二階に会長がきて同じ様にできるとは思えない…!」

またそれに言うは、一つ南の部屋に居る登鹿と、降り口から動けない敬子に井川。

「くそぉ。部屋一つだとおばけ屋敷みたいでもこれは完全な罠だ!一応トリックアートを見た事はあるが、ここまでやると人が死ぬ可能性もあるっ」

「おかしいと思ったんだよ、この教団っ。だから何かある度に、変えた方が良いって…!」

「やっぱり下りた方が良いかも。加菜さんは平気みたいだから、そういう人だけで来るのはどうかな?」

聞いて西のドアから隣をのぞく加菜を見て、首をふる巧介。彼は二階が平気な人だけの状態をつくるのが難しいのと、小人数ではアイテムを手に入れても捕まったり、落としたりする危険が高くなるのとを説明したが、井川は食い下がる。

「正しいかも知れないけど…私達は足手まといだよ。ここでアイテムを入手する人と、一階で出口をさがす人と、分かれる手もあるし」

「君はまだ教団の本性を知った直後だけど…奴らは本当に悪くて、君を必要としていない。むしろ必要としているのは、僕達なんだっ。だから信じて協力してほしいし、二手に分かれるのは良いとして、まだ人数が足りないかな」

「でも私怖い…!あの不気味な叫びが誰のものだか、知ってるの?私が一緒にいた男の人はもっと若くて、逞しい感じだったから違うって分かるのっ」

「それは……ちょっと説明し辛いけど、たぶん大丈夫。普通に仲良くできる様な人達だから。もういい全部僕が責任を持つ!だから安心してっ」

だがその言葉と同時に南から聞こえたのは、強くドアを叩く音。巧介達が全員で見にいくとそれは登鹿の仕業だったので不満げな顔を揃えたが、迎えた彼も機嫌が悪い。

「手の込んだ事しやがって…!巧介も加菜も、そっちの東にあるドア確認してみろっ。きっと腹が立つぞっ」

「もうここに居るよ」

「ちょっと貸して」

言うなり加菜は登鹿の代わりにドアノブを握り、それが他と同様に重く微妙に前後するのを知って、ため息を吐く。

「はぁーなるほど。絵だったら良いと思ったけど、先はたぶん外でしょう?本物かどうか確かめるのに、時間かかるね。これじゃあ本当に三十日も危うい」

また突然にその加菜は、何か音がすると言って巧介達の前を過ぎて西の部屋へ行ったので、移動した一同。そこも様子は変わらなかったが、加菜だけは更に奥から叫ぶような声がすると言うので、口をひらいたのは井川、巧介、敬子だ。

「ほら、やばいやばい!加菜さんは聞こえるって言うし!アイテムの入手はあの怨念が収まってからにしようよ…!」

「鎮められるかも知れない」

「貴方そんな力もあるの?驚いたねぇ…!」

という事でまた一つ西へ移動したが、叫びはどうやらそのすぐ南の部屋から聞こえるようだ。

「ぐぬぅ、何故じゃあーー!!何故我らが、かような仕打ちに堪えねばならんのじゃあーー!!ああーー!!」

「裏切りには死をーー!!この苦しみを必ず、あの女狐にも味わわせてくれようぞぉーー!!おお~~!!」

「…ほらほら本当にやばいでしょう?私は、知らないからね…!」

その井川や唖然とする他にも彼らが挑戦者だと説明して手の平を見せ、深呼吸する巧介と加菜。一体何故そうなっているのかは謎だが、放置もまた戦略に大きな悪影響。つまり邪魔だ。

「姉ちゃんも叩かないでよ。こっちも冷静じゃないと駄目なんだから」

「勿論、任せなさい…!親戚のおじさんでもないし、二人には単なる年の功じゃない才能もあるから、目を覚ましてもらおう」

ドアを開ける姉弟。ふり向いた飯田は早速、眉間にしわを寄せながらも笑顔を見せ、心の中では驚かせるなよ…と自分を棚に上げているが、宙にある何かを掴むような格好の牧内は、更に叫ぶ。

「ああ~~!!たかが細首一つ取れぬは、武門の名折れぇ!奴の肉を喰らい、骨を首飾りにでもせん事にはこの怒りー!!決して…」

「調子はどう?」

そう言った飯田に詰めよる姉弟。訊けばどうやら飯田と牧内は、恐怖と怒りを吐きだして心的疲労の軽減を行っており、今は丁度体内から気を付けないと負の要素となってしまう怒りを消していたようだが、それを奨励する医者や芸能人の名を聞いても真顔の登鹿と敬子。井川は前の部屋の向こう側に立ち、それもあって巧介と加菜は問い詰めざるを得ない。

「あの時だって、煙草吸って、世間話みたいな調子だったでしょう?!」

「急に怖くなったんですか?へぇ…」

だが言いかえす飯田と牧内。

「なんだその事かー。君らは元々教団側で裏切られたオレ達の、恐怖を知らないっ。あれから何度も危なかったんだよ~」

「そうだ大体にして、会長が部屋に入った時が既に危険だったっ。あの人が携帯に目を落としていたから良いものの、もっと明確に彼女の入室を教えてくれよ…!」

「いいやーどう考えても常識あるの、こっちでしょう!わざわざ会長に合わせて戦国風にしなくても良いしっ。なんか、なんか舞台みたいだったし…!」

「それは辛いからこそ笑いが必要とか、分かりますよっ。でも体力の無駄遣いです!」

「少しずつ怖くなったのっ。この階に来てからも一度追いかけられて、背中を掠ったからね絶対…!」

「そうそう、またそれからが大変だった!北へ南へ東へ西へ。本当に現在地が分からなくなるんだっ。しかもね、しかもだ、会長は今も南西の角部屋にいるよ。三度は覗きに行きましたよね?」

「ああ、間違いないっ」

飯田も頷き、当然その情報は気になったので顎に手をやる巧介。そこに来たのは登鹿だ。

「勿論気になる情報ですが、では何故会長はこう賑やかな二人の所に、来ないんですか。不思議ですよねー」

それに言うのは振り向いた巧介と、頷く敬子。

「うん、さっき居た北東の角部屋からも下りれるのに、あまり長く反対にいても無意味だし、狙われてるのは…二人じゃないかもね」

「ああそれはね、人形」

そう聞いても、敬子を見詰めるだけの巧介達。やっと井川は部屋に入ったが、考えれば非現実の中、薄暗い中にいて、ドアの隙間から覗いても相手がいると思えばすぐ、逃げて来なければならない。そうなると真偽を確かめるのは困難だが、どうせこの状況での会長は常の脅威であり、それでも必要な情報は現実に人形が存在しているかどうかなので、巧介は敬子に訊く。

「どこかに有るのを、見たんですか?」

「ああ、施設長室でね。…そこに出口があるかも知れないと思ったら、ドアが開いたんだ。本当に不用心だよねぇ。ゲームの為でも、施設長室まで開くなんて」

「それは結構、重要な場所に…。その部屋はどこです?」

「運動室の前が自動販売機コーナーだったでしょう。そのすぐ東側」

そこで今度は牧内を呼ぶ巧介。彼は話してからすぐ行動したいらしく手短に、人形の存在と会長が二階で迷う可能性の有無、更には入眠時の放送は必ず流れるかどうかを訊き、それには素早く答えが返ってきた。要するに牧内によると人形は数十体あり、会長は過去に二度ここで迷い、一度目のみだが入眠時の放送は必ず流れるという事で、喜ぶ巧介。他も頷いているが、彼はいずれかで言えば希望的な情報をくれた、牧内に言う。

「じゃあそんなに悲観する必要はありませんね。人形は彼方此方にあるとやり難いですが、まず井川さんの言う逞しい男性が一人いて、もう一人の詳細は不明としても幸運ならそれぞれに一人ずつが逃げて、会長も僕達とあまり変わらない状況で、ここを進む訳ですから」

「ああ、敬子さんが言って思いだしたが、もしかすれば…本当に人形だったかも知れない。役に立てて嬉しい」

「もう牧内さんっ、ゲームに関わっていないかの様な口ぶりで、色々知ってるじゃないですか。これからもお願いしますねっ。じゃあガチャに行きましょう。この雰囲気ならいい賞品を当てられそうです」

「ああ、誤解しないでくれ。偶然にも、今教えた事だけ、知っていたんだ。ハハッ、まあ役に立てて良かった。これからも頑張るから」

「それはそうと1000円ガチャはやっぱり、中央の部屋ですか?大体この階はどういう構造なんです?」

まだ教団が怖く少し迷ったが、正直に説明する牧内。部屋の数と位置だけを考えればとても簡単なので、まず口をひらいたのは巧介、加菜、飯田だ。

「じゃあ西に二つ行ったところが中央ですね」

「違うよ。確か西に一つ、南に一つ行ったところだよ」

「まだまだ若いね。東に二つ、そこから南に一つだよ。仕方ないなぁ」

だが更に言う登鹿、敬子、井川。

「加菜ちゃんがと思ったけど、やっぱり巧介が正しいか。疑って悪い。オレの頭もかなり、やられてるらしい」

「西に一つ、北に二つだと思ったけど、ごめんね。分からない」

「敬子さん惜しい。西に一つ、北に一つですっ」

聞いてまた叫びたくなる牧内。彼は加菜が正しいと思っているが仲のいい飯田やまとめ役の巧介も考えが違うので、何とも言いようがなく、一同は僅差でも支持の多い巧介の意見をきいてそれでも会長を警戒しながら、ゆっくり西へ二つ目の部屋まで。だがそこは今迄と変わらない部屋だったので加菜、登鹿、敬子は言う。

「ほら私が正しかった。じゃあ二つ戻って南へ行こう」

「うん?それだと元の場所から、南へ行くだけになる。一つ戻って南へ行こう」

「ああ、怖い怖い。やっぱり少しずつ迷っちゃうんだねー」

巧介は進み方が原因とも思ったが、そもそも自分が間違っていたので加菜に慰められ、そんな姉弟に願いでる飯田と牧内。困った事に二人は、会長が居るなら安心できないと今更のように怯えて人形を確かめたいと言いだし、それに返すのは巧介と井川だ。

「いいえ駄目です。もういい加減1000円ガチャへの興味に勝てません。それは初め馬鹿らしいとも思いましたが……駄目です。それも時間の無駄ですからね…!」

「だけど私も、怖くなってきた。会長だったらどうしよう」

当然洗脳の解けていない井川は、その会長と本当の鬼ごっこをしている気なので、白い目で見る巧介。彼の思考ではこれ以上飯田達は支持されないので少し呆れた程度だが、その視線を受けた井川が目を逸らすと、そこには加菜がいた。

「助けて加菜さん…!」

「少し可哀想じゃない?」

「少しも可哀想じゃない」

だがその巧介の横で言うのは飯田。

「じゃあ多数決をとろう」

「いいえ、止めましょう」

勿論巧介は言ったがここは日本。多数決社会であり、彼は飯田の言い分も聞く事になってしまった。

「ええっ、駄目?じゃあまずは多数決をとって、良いと思う人~~」

「子供染みてますって。本当の理由なんです?会長なんて本当は怖くないでしょう」

「ドキッとするんだよね、来ると。勿論それだけじゃあなく、少しでも安心して気持ちよく賞品を当てたい。しそれに、戦略にも響くでしょう。知ることが必要だよ」

「実に残念です。今はまず、そこに人形はあると記憶して、アイテムの入手を優先すべきです。何故なら高確率で人形なら、どうせ遭遇率が不明の中では、それを覗きにいく時間も惜しいでしょう?…ドキッとするのは、我慢して下さい」

だが飯田の味方と言わんばかりにその背中にまわる牧内、井川、そして伏し目がちの加菜。

「嘘だ、姉ちゃんっ。しっかり見てくれ!貴方の居場所はここだぁ!」

そう震える指で足元を示した巧介は、戦友でもある姉加菜を強い眼差しで見つめ、ただ今回の騒動に余計な人が多過ぎるのは分かっているので、自分に味方した登鹿や敬子と話し、相談の結果急げば約二、三分で済むというのもあって、飯田らの提案をのむ事にしたようだ。早速静かに素早く歩き、西へ二つそして南へも二つと移動する一同。途中井川が西の偽入口を開けられず騒いだとはいえ無視して突き進む巧介だったが、それに意見したのは加菜。現在地は既に南西の角部屋から二つ前なので、急ぎ過ぎだというのだ。

「…別に良いじゃないか。どう思ってるか分からないけど、あの人はまだ教団側。中央までじぐざぐに行くのも疲れるから、来た道を戻るんだしっ…」

「ああ、被害者に寄りそう心を忘れてる」

「そん…な被害者って…!あの人達だけは別でしょ。むしろ同じと考えるのは他に失礼だと思うよ」

「井川さんとも仲良くやりなさい。絶対じゃあないけど、そうした方が良い。だって苦戦がつづいて成りゆきでは、私達だけ逃げる可能性だってあるでしょう?」

「無い無いっ。その為の戦略だし、士気じゃないかっ。それを乱しているのはどっちかって話。もう良いでしょうか姉上。先を急ぎますので」

「仮にそうなったら、ずっと恨まれるんだからね。会う機会なんて無いじゃない…!」

それでも意見は聞いたので、頷く巧介。だが加菜と肩越しに手の平を合わせたのは牧内で、彼も真面目な顔で話したいと言う。

「一体どうしたんです?話は後にして、進みましょうよ。三十日が惜しくないんですか?」

「まあ君こそ落ち着いてくれよ…!ケイパビリティを向上させる為だ」

「ああ、意味忘れちゃいましたね。そういう言葉は苦手で」

「組織力という意味でその為に話すんだが、今はどうしてもブーカなんだ。分かるね?」

「文化?」

「ブーカだ。あの」

「いいや……落ち着いてほしいのは、分かりました。十分理解しましたし、この酷い状況が様々な心境を生んでいるとは思いますが」

「ブーカというのはねぇ、ボラティリティーつまり変動性、アンサータンティーつまり不確実性、コンプレクシティつまり複雑性」

「…その言葉は必要かなー。アピヨー難しい言葉憶えすぎ…」

「アン、ビギュイティ!つまり曖昧性というこれら四つの英単語の頭文字をとった言葉で、目まぐるしく変転する予測困難な状況を意味する積極的に使っていきたいビジネス用語…でさぁ、これが井川ちゃんや君を、蝕んでいると言いたいんだよ」

「…ただ、目まぐるしく変転する予測困難な状況、っと言ってくれる人が、善人に思える…」

「はっきり聞こえてるぞっ。今のそれが君の、ベストプラクティスなのかっ?」

「舌噛みませんか?」

「これは、最も優れているまたは、最善の方法という意味として使われる…!」

「ベストで良くありませんか」

「態度がきつくなってるってっ。パーパスを思いだすんだ!」

「でそれは」

「企業の存在意義だっ。何でも料理とか野球とかにたとえる人がいるから、これでも良いんだよっ。要するに私達は君にねぇ、優しさをとり戻してほしいんだ…!」

最初からそう言え。というのを呑みこむ巧介。彼は細かく頷いてから、猫のように小さく手招きして皆を呼ぶ。

「ほんの少し僕も…態度が悪かったかも…知れません。ただこの先にある角部屋には会長が居ても不思議ではありませんので、注意しましょう。まだ人形とは決まってないので。ああ、それと…何だっけ。そうだ今迄は人形でもそれが罠で、居る可能性もありますからね」

その彼を気遣う敬子と加菜。

「私もそうだけど、ちょっと疲れたみたいだね。どうしたの?」

「大丈夫ここは任せて。私がゆっくりドアを開けたら中は登鹿さんが確認して、もしも会長がいた場合にはすぐ、閉めちゃうから」

強くうなづく巧介。彼は散り散りになったり迷ったりするのを防ぐため、会長がいた場合に逃げる方向を決めようと飯田、牧内、敬子を呼んで相談。登鹿と加菜は作戦どおり配置につき、井川は追跡の有無を判断する役目をひき受けて逃げるのを北と決めた巧介は、その彼女とも話す。

「勿論、捕まらないようにね。教団は冗談みたいに見えるけど、犯罪と明らかな迷惑行為が、常態化してるんだから」

「牧内さんは幹部、飯田さんは支援者だって言うし、私も貴方を信じる。人手不足だろうと虐めだろうと、どんな組織でも問題は解決しなきゃならないし、今は会長を…見過ぎなければ良いよね」

「そ、そうそう。この部屋から北に走ってまた東へ、来た道をひき返すから。別にただ逃げてもいいんだよ。その時々の対応だって重要な役目なんだし」

まず挑戦者を優勢に導きたいので、深い話をしない巧介。ついに確認の時となったので皆緊張の面持ちとなり、加菜は静かにだが素早くドアを開け、その瞬間まるで床を滑るように北へ移動する登鹿。その風は僅か二、三秒の内に巧介達の前を過ぎ、ドアも開けて北の部屋へ。当然そうなると他も逃げるしかない。

「…北へ…!」

巧介が言うと彼を追い吸い込まれるように部屋をでる挑戦者達。そういえばドアを開けて見た時それをどう伝えるかを決めておらず、捕まったり怪我をしたりする事こそ困るので全員文句もなく走り、一人思いきり床を蹴る牧内は敬子にさえ心配されているが、先頭の登鹿を追いながら言うのは、巧介と飯田だ。

「道筋、間違ってませんっ?」

「オレには分からんっ。それより会長は?!」

だが聞かれた井川は答えず、何故か笑いながら二人を抜いて先へ。

「ええっ?」

思わずそう漏らした飯田はそのまま彼女を止め、牧内は頭を抱えながら叫ぶ。

「おいおい君っ。この暗闇で、ちょっと気味悪いぞ!」

「ああ、そっちじゃない気がするんだが~~!」

「それより走りましょう!」

そうして加菜が促したので、東へ移動してから二つ目の部屋に集まる一同。息を切らした登鹿は敬子を中に入れてからドアを閉め、やっと落ち着いて話せるようになった。

「本当に、本当にごめんなさいっ。ふぅ~!でも会長が手鏡を持ってたから、すぐにでも逃げる必要があったんです。何か高いところまで掲げてたし、前も後ろも見えてしまうので…」

なるほど、と納得したがそれに言うのは飯田と加菜。

「それは仕方ないけど、本当に会長だった?それとも、人形みたいだった?」

「人形でも手鏡くらいは持てます。井川さんはどう?会長は、来てた?」

それに首をふる井川。彼女によると笑っていたのは、後でその会長人形をいただき部屋に飾るのを想像したからであり、ただ役目は果たしたので巧介や牧内も、特に責めはしない。

「ふぅー、そうか。じゃあ人形かも知れませんね。おそらく一階の挑戦者が頑張っているからでしょう」

「私も人形だと思う。会長の性格上こう何度も目の前に来られて、黙って帰すわけがない。思いだしたが多分一階の二人が異質だから、まずそっちを捕まえるつもりだろう」

更に巧介が訊くとその二人とはどうやら、冒険家と占い師。しかも前者は浪漫の為なら世界中どこへでも行く男らしく、それを面白がって話す飯田、牧内、井川。よって質問する巧介と話すのは加菜、登鹿、敬子となった。

「まあいい…。それよりついにアイテムが手に入りそうだけど、ここはどの辺りだろう?前とは少し、違う所に居るような気がするけど」

「ドアを閉めるのに緊張したし、私には分からない。でも登鹿さんと話したとき実はいい考えが浮かんだの。ねっ?」

「ああ、どこに中央の部屋があろうと一つの方向に歩いて、その先に無かったら戻る。これを繰り返しながら、未確認の空間を埋めてゆけばいい。時間はかかるがこれなら、会長に追われている時以外は使える」

「さすが最近の若い人は賢いねー。私の頭はこの異常で怖い部屋に、すっかりやられてるよ」

敬子は眉をひそめたが、いずれにしても大体の位置が分かっているので、まず南へ歩く一同。その先には何も無かったので戻り、一つ東に移動してまた南へ行った時やっとぼんやり光る部屋を見つけ巧介、飯田、登鹿、牧内は倒れるように尻を突き、井川と敬子もしゃがんだので、立っているのは加菜だけになった。淡い輝きに目を細め、経過すること一分、二分。だがまだ誰も部屋に入ろうとはしない。そうそこにも罠があると皆、警戒していたのだ。



ちらほらと立った挑戦者達は自分達の方を向く、1000円ガチャの自動販売機を発見。その黒を基調色とした物は赤く大きく丸い絨毯の上にあり、右側の一部は賽銭箱を模した1000円の投入口で、表にブランド物の腕時計やマッサージ器あるいは安眠枕など魅力的な商品画像があるのは他と同様だが、その前には何故か緑の座布団が敷かれている。また壁や照明は相変わらずで彼彼女らを今も威圧し、それもあって登鹿と井川は東西と南から外を確認しているが、機体のある部屋はさすがに少し明るく、そのぼうっとした光がむしろ不気味なのか飯田と牧内はまだ部屋へは入らず、恐怖を吐き出していた。

「ひぇ~~!どうかぁ、どうかお許しを~~!!私が悪いのではございません!全てこの、牧内様が悪いのでございますー!」

「こ…これは汚しっ。血迷ったか!どうか泰子様はお耳を塞いで下さいませ!この様な戯言、決して信じてはなりませぬ!」

「何とっ牧内様、それはあんまりでございましょうー!卑しくも泰子様の口利きによってあぴよーの位まで授かり、些細な罰を怨んで巧介に寝返るとは!ただのお抱え商人で貴方にたぶらかされた私と、比べないでもらいたい!!」

「これは異な事をーー!!泰子様どうかこの者を斬れと、某にお命じ下さいませ!この飯田屋、慕う者も多いと聞き及びますがその怒りは全て、この身が受ける所存!その一挙を以てこの牧内を、今一度旗下にお加え下さいませー!はは~~!」

そう叫び平伏する牧内。もう慣れてしまった敬子は拍手し、巧介と加菜はその二人ではなく、ガチャの機体を見て言う。

「恐怖を吐き出すっていうより、軍門に降る練習みたいだ」

「そうだね。それよりガチャでしょう」

二人が見たところ1000円ガチャは出てきたカプセルに入った紙を読みあげ、それを聞いた屋上の信者が座布団の上に賞品を落とす仕組みらしく、機体上の看板に示されたS賞のところを見ると一番希少なのはなんと、会長発見器のようだ。よってそれに言う巧介と敬子。

「えっ、こんなもの本当に出るのかな~?だって居場所さえ分かれば簡単に逃げられるよ」

「ちょっと前だとハワイ旅行だね」

勿論加菜は違うと思っているが、敬子お婆ちゃんの言うそのちょっと前がいつか判然とせず、実のところ完全否定は無理。それより疑わしいのはやはり会長発見器の存在で、画像で見ると丸い銀色の懐中時計のような物の内側には、縦横に線の入った緑の円盤があり、中央にあるオレンジの三角が会長で、それ以外にある黄色の点が挑戦者の位置らしいが、前回のゲームで出てしまった可能性もあるので、金を出し惜しみする巧介達。そこへ来たのがすっきりした飯田だ。

「ふぅーー怖かった。良し、じゃあまず…誰がやる?いいよ、別にどんどんっ」

そう言って更に君か君かと指さす飯田だが、金持ち自慢をしてしまったので全員に勧められ、まず自分が試すことに…。彼は例の賽銭箱を模した投入口に差しこむ1000円を掲げ、その先にある宙を見つめながら言う。

「ご照覧あれっ!」

勿論この言葉は普通、自らの働きを示す時などに用いるが今の彼は天に対しっ、偽札使用や泥棒ではなく、確かに千円を入れてやるのだという自らの誠実を示しているのであり、その背中を見詰めていた巧介と加菜は単に願掛けにしか思わず、真面目な顔で言う。

「やっぱり宗教とか好きな人なのかな」

「それでもいい。神がいるなら、助けてほしい…!」

暫くしてころころと鳴り、カプセルから出た紙を読みあげる飯田。そうしてまず初めに当たったのがトリケラトプス型ロボット掃除機であり、天井から落とされたそれを美しく伸ばした両腕でしっかりとつかみ、だが訝し気に見つめる飯田。薄い円柱型の本体に模型を載せただけのそれは幸か不幸か重量感もあるので牧内は、かさ張ることもあり捨てて行こうと言うが、販売機の左を見ると両替機の隣には小さなカプセル用のゴミ箱もあり、そこに二階はポイ捨て禁止とも書いてある。そこで言う巧介と登鹿。

「…分かったっ。この二階の仕掛けを無力化してしまうから。つまり捨てた物が、目印になってしまうからだよ。絶対そうだっ」

「どうでも良いがこの掃除機、オンオフのボタンが腹の下にあるぞ。こんな問題作ばかりかっ?」

つまり操作する為には持ち上げるか、這うしかなく、おすすめポイントはマンモス型に比べ毛が落ちない事と9980円という低価格らしいが、こういった商品も出さなければ豪華賞品を入手できないのは、街にある物…以下。それでも勝つ為には一見損なことも受け入れる必要があり、飯田は腕をまくる。

「気を取りなおしていくぞっ」

そうして次に出てきたのが平たい、プラスチックのストラップだ。早速飯田が裏返せば、教団の装束を着た男女が胸のあたりまで両拳をあげ、踊っている絵のストラップであり、じっくり見ている彼に登鹿が舌打ちしたので、加菜はかばうように言う。

「それも幸福シールのような優れ物の可能性はあります。でも次に賭けましょう…!」

「よーし!」

張りきる飯田。よって彼はカプセルが三つになってから一度に読み上げ、そうして出てきたのがまず赤と黄色のミニカーと、泰子の缶バッチ(ウィンクバージョン)。後者は井川が取得したが、その次に出た泰子フィギア(紺色ブルマバージョン)さえ、彼女が手にしたのでそれに注意するのは、もう教団と決別するらしい飯田と牧内だ。

「君、それは止めた方が良いんじゃない?だってこんな状況になってまだ、教団を信用するの?今ならまだ間に合う。加菜ちゃんに預けようっ」

「そうだ、後で優秀なコンサルタントを紹介するから、別なところに就職しようっ」

「ええっ?何を急に…!二人こそ今まで受けた恩を忘れたんですか?!それに会長は私の女神です。放っておいて下さいっ」

「駄目駄目…!君の為にもそれは見過ごせないっ。悪徳宗教団体の会長フィギアとか、馬鹿馬鹿しいから。しかもウィンクとかブルマとか、なんてふしだらな…!それをおじさん達に渡しなさい」

「私達が言うのも何だが君自身と、このグループのケイパビリティの為だっ」

「ケイパビリティって何ですか?」

「組織力という意味だ」

「じゃあそう言って下さい。それが牧内さんの為です」

「私がどんな言葉を使おうと勝手だ。だがそれはケイパビリティを損なうんだっ。さあ、渡しなさい…!」

そうして少し気の毒そうに目を伏せうなづく飯田の前で、井川からフィギアを取りあげようとする牧内。だが数秒後、井川の目には大粒の涙があらわれたので、反対に困ったのは飯田と牧内だ。

「う、うーーんでもさぁ、牧内君もちょっと、ちょっと強引過ぎるかな~。オレはもう少し井川さんの話を聞くべきだと思う」

「それはっ、まあ私達も…教団にいた訳ですから、もっと繊細な彼女の気持ちを考えるべきだったかも知れません。失礼しました。本当にごめんね…!」

「…今身に付けてる会長の鎧は特注品の専用装備なので、それを着たフィギアが出たら下さい。それで、無かった事にします…」

納得しながらも会話で宥めようとする飯田。

「分かった分かった。ええとじゃあ、賞品として見た事あるのかな?」

「ありませんけど、多分フィギアにはなってます。絶対出てるよね?って聞くとみんな、笑顔で何度も頷くから…。牧内さんもお願いします。それが出たらもう、私の物ですからねっ」

「大丈夫、いらないから」

「ええっ?あの美麗な鎧をまとった泰子様の神々しいとさえ言えるお姿を具現化した」

「いいや~だから、私ごときがそれを頂くのは、申し訳ないという意味だ。分かり難くてごめんっ」

それを見てやっと一安心の加菜。事なきを得たようだが、たとえ善意が元でも待たされた登鹿、敬子、巧介は小声で言う。

「…人情としては分かりますが、譲歩し過ぎでは…?」

「…流石にブルマわねぇ…」

「…もう歯がゆいなー。会長発見器までは、次々ガチャやってもらわないと。言葉は悪いけどそれ以外はゴミなんだよ…!」

そうして主に三人が圧力をかけたのでやや急ぐ飯田。その三連続で出てきたのが、手作りヨーヨーと、黄色いグットボタンの絵が可愛いアナログ時計、それに正月に発売したばかりの最新ゲーム機・任店堂55エブリディである。

「あっ、巧介…!」

そう言ったのは加菜。そう巧介は、座布団の上でゲーム機を抱きしめると振り向きもせず、5000円で買うと口走っていたのだ。そのジャンク品並みの値段ふくめ戸惑う加菜達に登鹿が説明するには、このゲーム業界大手の会社はとにかく素晴らしい本体を作ることに注力し、何の宣伝もせず、質問にも答えず、オレが作ったんだから間違いねぇという具合に出荷した後はそれぞれの店に、説明書や少年誌で勉強してもらうのが基本姿勢であり、つまり簡単に言うなら頑固職人企業なのだが、飯田は流石に裕福だからかそのまま5000円で売ると言い、牧内は巧介に脱出後飯田から買ってもらう様に提案。ただ巧介にも今欲しい事情はある。

「もう、離したくありません…。手放した場合、手に入らないかも知れない不安から、戦略に悪影響がでる可能性があるので…!」

だが納得できない牧内。

「それでも今はそのゲーム機を私に預け、まとめ役に徹してほしいっ。飯田さんなら絶対忘れず、後でソフトを何本も付けて買ってくれるし、それで良いじゃないか…!」

「ちょっとゲームだけは、許してもらいたいと言うか…。いいや、やっぱり戦略への悪影響ですね。ハハッ、それに尽きます。ごめんなさい。~いいえ、大変申し訳ございませんでした。今後軽はずみな物言いは控えます」

「青年から子供それからまた大人へ。大変だね」

聞いて今迄ずっと真面目だった巧介をかばうのは、敬子と加菜、それに登鹿だ。

「このぐらいの年はね、ゲーム。うん、後で預り所に行こうね」

「せっかく脱出できても、それが無いとね。お姉ちゃんは味方だから」

「彼はまだ子供だし、手に入りにくい物だからなぁ…」

だがそこで、たぶん同い年であると告げる巧介。そう実のところ三つ上の登鹿は、視聴者のため若づくりなのを知らず噂のみで友達口調だった巧介は許し、5000円の貸与を約束。巧介から謝罪されお礼もされたので登鹿も、手の平を見せて言う。

「ああ、一度押しのけたからね。何だこの馴れ馴れしいガキ…しかも貧乏かよと思って…つい。それに誘拐されたから、少しイライラしていたかも知れない。仲良くやろう」

「いいえ、僕の方こそ噂や話し方で、勝手に同い年だと思ってました。ハハハッ」

「でも今更の丁寧語は気持ち悪いから、兄弟みたいに話してくれ」

という事で登鹿から5000円を借りて、飯田に払う巧介。そんな雪解け後に一同が当てたのが通販で人気の美顔器、フェイスケア一撃デラックス…である。それは高級感を漂わせた淡いベージュ色であり、持つ所もよくある様に棒状だが、未使用時二つに折り畳まれた美容レーザーを発する楕円形の部分が顔全体を覆えるようになっており、それこそが一撃デラックスなのだろう。ただこれも当然邪魔になるので横着ではあるが、その辺に置いていこうと言う敬子と飯田、それに牧内。加菜は少し待つように言って二十秒ほど考えてから、ポイ捨て禁止を犯した場合の罰が不明なのを憂慮。叩かれるかも知れない、殺されるかも知れないと不安を口にしたので、それをかばうのは巧介と登鹿だ。

「こんな良い物を捨てたらお母さんに怒られるっ」

「なるほど。うん、ゲーム機よりは小さいので、許しても良いと思います」

「本当にそう思う?」

その牧内に続けたのは飯田。

「うーん、これも教団の策か。少しずつ物欲に呑まれつつあるが…今揉めるのも困るなぁ」

つまり教団は重いあるいは嵩張る物を寄こして速さと体力を奪うつもりだが、それでも2,000円を飯田に払う加菜。話し合いの結果二品は預り所へ持って行くこととなり、結束を願う一同が見守るなか次に当たったのが、襟巻トカゲのキーホルダー。飯田はその丸い目玉で大きな口をあけた黄緑の襟巻トカゲを見てすぐポケットにしまい、手を叩いて言う。

「よし、オレは1万円やった。でも…どうだろう。役に立つ物が出るのか、怪しくなってきたぞー」

巧介はミニカーがプレミア品かどうか登鹿に確認。その間に2000円分買った牧内は、煙玉と黄色いヘルメットを当てたので、拳をつくる。

「一番まし!煙玉は七つもあるし、この状況では使えるかも知れないからっ」

早速白いワイシャツに青のネクタイで凛々しかった牧内はヘルメットを被り、右手に煙玉、左手に100円ライターを装備。また彼のポケットから飯田が一つ拝借すると、それは導火線をみじかく切ってあるようで、巧介は登鹿に言う。

「役に立つ物も出るから、また来いって事だね」

「ああ、この階自体が金をかけた罠だからな。もしかすれば本当に会長発見器も出るかも知れない」

カチャ…!だがそこへ会長が襲来し、声をあげる牧内と登鹿。

「お疲れ様ですっ。~じゃなくて、来ないでくれ!」

「どっちに逃げる?!」

偶然にも一同は北側にいたので販売機が盾になりすぐ餌食にはならなかったが、一度迷った会長は加菜のいない右を選び、巧介に斬りおろし、その横にいた飯田にも払い、ただそのいずれも当たらずに悔しがる。

「ああもうっ、お前達用のアミノ酸は無いからね!」

その間に北のドアから出る巧介。他もひき連れた彼はすでに一番外側を囲む部屋からその内側、その内側と全て時計回りに外開きとなり、内側の部屋へ移動する時もまた外開きの造りだと確認しているので、北の行き止まりまで走ると、今度は東へ。北東の角部屋に着いたことは、東の偽入口にあるドアノブを何度もひねりやっと分かったが、しばらく南に行って最後にきた敬子の後ろに人影がないと気付き、大いに怪しむ。

「ふぅ~、でも全然来ないよね。これ以上走っても、体力の無駄遣いかも知れない」

その額に汗する彼に言うのは加菜、牧内、敬子。

「もしかすると販売機で待ち伏せてるかも」

「楽観だが北東の梯子を降りたんじゃないか?」

「ふり向く余裕は無かったけど、途中から足音も無かったね」

その敬子に代わり北のドアを押さえ先を見る加菜。まだ東南の角部屋から二つ目の部屋で近くには梯子もなく危険と言えるが、一人足どりの軽い井川は西のドアから様子をうかがい、中央で様々に言うのは巧介、飯田、登鹿だ。

「一番あり得るのは…待ち伏せだと思いますが、もしも会長が携帯電話で一階の状況を聞いていたら、すぐそっちに行く可能性もあります」

「一体どうしたんだっ?居たと知ってても見えないから、逆に怖い!」

「西の梯子から降りると思って、その辺りにいる可能性もありますが、まさか南からは来ないでしょうし」

聞いた牧内はそっと南のドアを開けてみたが先にも気配はなく、それでも煙玉は準備。彼と加菜も懸命に確認し合う。

「煙玉を使う時はこっちで決めるから、そっちも本当に見ててくれよっ。北の西か東から来る可能性もあるからねっ」

「それは…指示を待つと遅れるので、いいと思います。でもここは東の端なので、東からは来ません。火傷には気を付けて下さいねっ」

「ああ、ありがとう。そうか、ここは東の端か。何かそれだけで少し、追い詰められた気分だ…!」

よって牧内を気遣う巧介だが、煙玉の使い方も話しておきたい。

「でも無理しないであれ以外の方法で…心的疲労を軽減して下さい。無駄な体力、そして演技力を使うので」

「分かってるっ。今も自分の恐怖と戦って、頑張ってるから」

「それに実のところ煙玉は、もっと家具や調度品のある部屋や、高低差のある屋外で有効とは思いますが、ドアを閉めて会長を一度外にとどめ、こちらが出る少し前に充満させれば、中々の効果が期待できます。お願いしますよ…!」

「それそれ。任せなさいっ」

その様子に微笑む加菜。だが視線を戻した彼女の前で会長は、槍の頭を持って敬子を一突き。

「んごぉ~~~~!」

「ああっ!」

加菜は驚いて棒立ちのまま眠る敬子を見てしまい、その手を引いた巧介は素早く西のドアへ。他はそれに続いたが、会長は次の獲物を見定めるようじっとその慌てる姿を見て、大きな声で言う。

「アッハッハ!何を油断しておるっ!私は刻一刻と近づいておるぞっ」

「遅過ぎるんだよ!」

言いながら登鹿は会長の前でドアを閉め、その後ろで煙玉に火をつける牧内。だが偶然時間差の奇襲を成功させた会長は喜色を帯び、ドアを開けて視界が白一色の中でも、堂々と言い放つ。

「逃げるとは卑怯な!返せー返せー!」

己のみが槍を持つくせにそんな事まで言う会長。考えてみれば逃げるルールさえ自分で作ったのだが、つづけて煙の中で相手を見つける事さえ気配で分かると豪語した彼女は、巧介達の消えたドアにあるノブを捜して、まっすぐ手を伸ばし、無かったら引っ込め、またまっすぐ手を伸ばし、無かったら引っ込めを繰り返したので、なかなか前には進めない!

「もう誰だよ煙玉なんて入れたのー!?」

実のところ入れたのは総務部だが、賞品を好きにしろと言ったのは彼女。煙対策も本当は、立てた槍を壁と平行にして横に動かすのが正解だが、せめて手を回すくらいは出来なかったのか。ただまさか、そんなお馬鹿な事になっていると知らない挑戦者達は、必死に西へ西へと移動し、端の一つ前の部屋でもう賞品への未練を捨て下りたと思わせるため南へゆき、そこで息を潜めていた。つまり仮に会長が自動販売機あたりで待ち伏せているとすれば気配を消す為でもあり、挑戦者達の多くは脅威を感じている。

「意外と手強い」

そう言ったのは巧介であり、彼に話すのは加菜と飯田だ。

「頭を持って突いたのは驚いたけど、よく考えると先を少しでも当てれば勝ちだから。力も技も、ほとんど要らない。考え過ぎじゃあないかな。時間差だって多分遅いだけだし」

「いいや加菜ちゃんは強いからそんな事が言えるんだっ。大体会長が狂ってるだけだとしても、スーピースピアは脅威じゃないか。それに奴はこの狂ったゲームを楽しんでるっ。狂った奴の狂ったゲームッ。なんて異常なんだ…!」

「ええ、今はそれも分かります。それで二人はこれから、どうすれば良いと思います?まだアイテムが必要ですか?」

そう巧介に言われて急いでいるように感じ、ゲーム機を見つめる加菜と飯田。二人はもしかすれば今の頑張りも三十日後のプレイより明日のプレイを望む心から来ているのでは…と思ったが、察した巧介は首をふって言う。

「そんな訳ないでしょう!早くプレイしたくても、勝つ必要があります。演奏会もあるし、親も死ぬほど心配するって、言いましたよね?大変なことは他にもあって、若い今の三十日ですからね…!」

「私はどっちでもいいから、このまま知恵を絞ってほしい」

「それを活かす為にもまだアイテムが欲しいなぁ。勿論だが、金ならある」

実のところ巧介には、相手が悪なので純粋にゲームに勝ちたい想いもあるが、そこに聞こえたのが放送だ。

『挑戦者の婆さん、敬子ー!何とこの者は信者でありながら、看護師時代を忘れられず、教団においてスーピーシリーズの無償化を訴え、この世から不眠症を無くそうとした。まるで善人の様だがつまりその行いは、今迄の教団を帝国主義かつ拝金主義と揶揄し、深遠なる泰子会長のやり方に異を唱えるに等しく、ゲームへの参加が決まった!皆も気を付けるようにっ。婆さんでも油断するな。無料より怖い物はないのだー!』

それに言うのは登鹿と牧内。

「婆さんでもって、女性蔑視じゃないか?老人軽視か?」

「明日から敬子さんを会長と呼ぼう。それがいい…!」

牧内はそのまま祈り、井川も真似しようと手を組んだところへ来たのは巧介。加菜達と話した彼はどうやら、会長に見つからずに中央へゆく方法を知りたいらしく、登鹿と井川に言う。

「登鹿さんの言った例の方法でも行ける。でも今は会長に遭ったばかりだし、もう居ないと思うのは楽観だと思う。むしろ一階の人を追っていたのが、僕達を思い出して二階に来たかも知れないし…。だから出来れば最短の道筋で、無理でもあまり動き回らずに行きたいんだけど、姉ちゃんに訊いても飯田さんに訊いても、現在地が違う。どうすればいい?」

「ああオレも、会長に奇襲された部屋までは憶えていたが、今はまったく…!まっすぐ走ってばかりだと見つけられるし、あまり曲がっても迷うし、何度もドアを開けるとその回数も、忘れてしまうよなー」

「まだ一階の人は捕まってないんだから、その人達が二階に居るかのように装うのはどう?つまり会長に見つかったらその背中に向かって、逃げろーーなになにさんって言うの!これが使えるなら見つかっても逃げられるから、現在地は分からなくても良い。牧内さん、一階にいる挑戦者の名前は?」

「冒険家が洋平君で、占い師が奈津美さんだ」

それを聞いて破顔し、井川を褒める巧介と登鹿。

「うん、使える。今じゃなくても、一度はそれで逃げたい」

「上手くやれば会長以外にも利くぞ!調子が出てきたじゃないか」

だがそのまま牧内を責める二人。

「名前くらいは教えても良いんじゃないですか」

「どうして今まで黙ってたんです?もっと良い、攻略法みたいな情報下さいよっ」

「いいや、どうせ一度に言っても憶えられないし、その時々で必要なことに答える、これで良いんだよ。それに攻略法なんてあったらすぐ教えて、自分も救えばいいじゃないか。邪推はやめたまえ…!」

言われても信じきれない巧介だが、井川の策もあるので前向きにはなれたようだ。

「よしじゃあ、会長に遭遇したら井川さんの策を試すとして、どう行けば中央に着くかは知っておきたいと思います。僕は東に二つ、それから北にも二つ行くと辿り着けるように思いますが、どうでしょう。皆さんの意見をどうぞ」

まずそれに答えたのが登鹿、加菜、飯田。

「オレの読みが正しければ会長は、追わないと休まれてしまうから、たとえ一人でも放っておかない。つまり日の出までは長いからもう少し逃げて、動ける仲間を確保しておきたいが、現在地が不明なんだから、中央の位置も分からん。さっき言った通りだ」

「というより北へ二つくらい行けば、中央の部屋じゃない?慎重に行ってみようよ。今度は油断しないからどうせ逃げられるし、誰か捕まっても助けるんだから」

「異議あり。加菜ちゃんの気持ちは分かるが、逃げて、また逃げてとなると本当に体力を使うし、ますます迷って東西南北さえ分からなくなるぞ。これがあるから早ければいい訳でもないんだよ…!だってどうすんの?どうする?東西南北も分からず一々偽入口をカチャカチャやって、やっと北とか南とか分かっても、もしかすればそこへ行くまでが、大変じゃない。またそこから追われる可能性もあるんだよっ。死んじゃうじゃない…!」

とこの様にそろそろ限界が近い飯田。それに言うのは巧介だ。

「ええ、そうですね。気を付けたいところですが、飯田さんはどう行けばいいと思います?大体でも構いません」

「オレは、東に一つ、北へ三つ行ったところが中央だと思う。でも自信はない…!」

またそれに言うのは牧内と井川。

「私は東に一つ、北に二つ行った所だと思うけど、巧介君が正しい気もする。ただいずれにしても会長がそこに居たなら、また逃げる事になるね」

「私は北に二つ、東に三つ行った所だと思ったけど、さっき西のドアを確認したら本物っぽくて、分からなくなった。それから徐々に…分からなくなる一方。凄く走った記憶だけ」

それを受けて背をむけると、頭を叩く巧介。だが彼を勇気づけたのは牧内と加菜だ。

「私と君自身とで二票、正しい…気がするでも一・五票なんだから、君の案でいいじゃないか。疲れたら下でジュースでも飲めばいいさ。ねぇ加菜ちゃん」

「そうですよ。私は一人になっても、何とか全員を助ける気でいるから、巧介の判断を信じる…!行ってみようよっ」

それに奮い立ち、巧介の言葉を信じてまずは、東へと歩きだした一同。幸運もあって頭が働いた巧介以外にはどこも同じに思えて仕方なく、後方の登鹿と牧内それに飯田は、励まし合って歩く。

「もう、まったく分かりませんっ。捕まっても死ぬ訳でもないから、こうしているだけで」

「ここに老若男女は関係ない。中年だって忙しい人や、病気や怪我で余裕のない人はいるからね」

「オレも不安で、何か楽しい事でも考えないと、やってられない。ほらっ、ほらこれ名刺。病気や怪我で金が必要になったら電話して。お礼はパーティーに参加して、少し盛り上げてくれるだけで良いから」

本当はこんな事を言われると怪しむべきだが、稀有な男飯田。彼は真心からの好意で名刺を出し、受けとる登鹿と牧内を見て井川さえ微笑んでいたが、北へ進んで更に巧介が先のドアノブに手をかけたとき加菜が、金属と布の擦れるような音を聞き、不意にふり向く。

「まさかっ…!」

その加菜を見てふり向く一同。

「んっ?んごぉ~~~~!」

そう加菜が見たのは振り向きざまに一撃を喰らい、捻じれた体のまま眠る登鹿。一瞬声もなかった井川、牧内、飯田も次々と叫ぶ。

「いやぁーー!」

「何で急に眠った?!」

「ええ、スーピー地雷?!そんな感じの物もあるの?スーピードローン?そっち?天井?もしかしてスーピーポイズンか、スーピーフラッシュ?」

その余計な想像力をつかう飯田の腕を両側からつかみ、後ろにやる巧介と加菜。登鹿の陰から現れたのは当然会長だが、どこに居たのかを言うなら、ドアの裏くらいしかないだろう。それを分かった上でだが巧介は、登鹿を失った痛手に堪えながら言う。

「ドアの裏か?それとも忍者みたいに、この天井に居たのか?」

「ドアの裏だ。そう私くらいになると、ドアノブの回転に音もなく忍びより、開く速さに合わせてそれと一体になって…しまえるからな。フフフッ」

「嘘だ…。そうだ単なる嘘で、きっとハイテクだ」

「何故だ?お前達はこの部屋々々と私を警戒し、ゆっくりとドアを開けてくれるではないか。まあ信じないなら、それも良かろう。次も楽しみだ。ハァーーハッハッハ!」

笑うと西のドアから出てゆく会長。自分の判断で有利に進めたかった巧介は悔しく、会長の消えた方へ殴る構えさえ見せたが、ここで彼にとって更に大問題が発生。それに気付くとすぐ巧介は目を見ひらき、その顔のまま飯田、牧内、井川、加菜に対して順に指をそろえて向け、その後天井を見ながら頭をかきむしって叫ぶ。

「だぁーー!!ああーーでも言えないっ!!」

まあ気づく人は気づくが、理解不能の飯田、牧内、井川。

「一体どうした?仲の良かった登鹿だって、また助ければいいっ。オレ達がいるじゃないか!少数精鋭だよっ」

「そうだ、まったく問題ない!私達を存分に使うんだ!それは疲れたのかも知れないが常に君の味方だった、加菜ちゃんだっている…!」

「勿論だけど私も全力を尽くす…!貴方が私の神じゃない!」

「そうですか~?」

その反面脱力した巧介に言うのは加菜。

「確かに高坂さんから始まって白鳥さん、敬子さん、登鹿さんと、次々頼れる味方を失った。でもまだ半分もいて、貴方の決断を待ってるじゃないっ。急に狂いだす、理由なんか無いよ…!」

「…本当に分からない…?」

言いながら、ふらふらと西へ歩く巧介。だが当然それは飯田、牧内が止める。

「おい、しっかりしろ。アイテムを手に入れるんだろ?勿論金なら」

「でもちょっと休んでもいいぞっ。急激に部屋の悪影響がでた可能性もある。そっちにガチャは無いのに…!」

「救出に行きます」

「えっ?」

巧介に対してみじかく疑問を発する井川。そう彼女も巧介による突然の作戦変更の意味が分からず戸惑ったが、やはりこういった時止められるのは、姉の加菜だ。

「ねぇ、巧介」

「ん?」

「…私にも分かったけど」

「じゃあ救出。行くよー」

「…君は三人にある、色々な長所を忘れてる…」

「…それは僕だって分かってるけど、おふざけが…!」

「…そうね。でも、よく考えてごらん。飯田さんは嫌味な金持ちに見せて実は心の温かい人だし、明るく気さくで」

『挑戦者、温室育ちの登鹿!そうこの男は、せっかく我が教団の好意によって幾つかの仕事を与えられたものの、登録者数が九万人を超えた動画において幸福シールを宣伝する際、あろう事かあの流れる雲のように尊いモコモコ羊を、モタモタ羊と言ってしまい、ゲームへの参加が決まった!勿論この思い上がった若造は、その危険で稚拙な冗談により再生回数を伸ばし、一部からは称賛されたろうが、そんなものの通じる我々ではない!皆も気を付けるようにっ。流行を作るのは奴らユーチューバーではなく泰子様だと、肝に命じよー!』

「……話も上手くて、理解力もあるじゃないっ。牧内さんだってそうっ。あの人だって実は優しくて知識も豊富だし、仕事みたいに何でも一生懸命で、協力的でしょう?井川さんの事も見直して、彼女がただ可哀相な人じゃないって分かってるはずっ。いつも自分の事を考えている様でも内では皆の心配をして、良い着想をくれるし、役に立つ場面を探してるじゃない!それが分からない君じゃないはずっ。もっと仲間を信用して…!」

「分かった。僕だって、もう捕まった誰かに頼るしかないんだろって、そう思っただけだから。あの人達が本当にやる気なら、何とかなるんじゃない?…飯田さん達と話してくるよ」

一度顎をあげ、しばらくして走る巧介。迎えた飯田と牧内それに井川も頬をぬぐったり、ヘルメットを脱いで髪をかきあげたり、目に入ったごみを取るついでに光る何かを押さえたりしたが、心は決まっていた。それでも声にした巧介と、それに応える飯田、牧内、井川。

「さっきは失礼でしたが、こんな僕で良かったらまた一緒に、戦って下さい。お願いします…!」

「何を言うんだっ。どんな人だって必ず誰かに迷惑をかけてるんだ!支え合って勝とうじゃないか!」

「くそっ、ハハッ…!暗くて好都合なんてなぁ…!そういえばS賞以外が何なのか、よく見てなかったな。早速ガチャへ行くぞ。善は急げだ…!」

「この出会いも再出発も、神アタタカのお陰です。みんなで元気に、ガチャをやりましょうっ。その後は救出なので…忙しいですね」

やや湿っぽくなったが、微笑する巧介。彼が井川と話しながら中央へ入ると加菜達も安心してその後につづき、だがその足は突然にも一斉に止まる。そう奥を見ているはずの機体が左を向いているので、巧介もすぐ井川に確かめざるを得ない。

「お、おかしい!間違いなく僕達は、南から入ったはずだよね?いいや、西から入ったのか。じゃあ何故こっちを南だと思ったんだろう」

「私も西から入った…と思ったけど、その間違いの原因が分からない。もう何で、怖いっ。方向感覚ってこんな簡単に狂うものなの?!」

「捨てたカプセルの状態、そして自動販売機も変わらないのに何で?中央の部屋が二つあるの?いいや一つのはずだし、確かにさっきも、ここに入ったはず…だよね」

「も…もしかして教団の罰に抗うのを、アタタカ様が怒ってるんじゃ…!ああ、きっとそうに違いないっ。おお、お許し下さいアタタカ様!どうか、どうかお許しを~~!」

「いいえどうか、どうか落ち着いて下さい…!」

だが戸惑う巧介の前で井川は、泰子の缶バッチとフィギアを掲げてマラカスのように振り、その口が唱えたのは福変人の第一聖歌、人の和の教団だ。

「アーターターカー、アピヨー、アピヨー!泰子の御魂に幸あれっ。幸あれっ!アーターターカー、アピヨー、アピヨー!人類、救済、独断、献金!」

「騒ぐならそれ没収しますよ」

主に不安から唱えていた井川はより強いまとめ役の注意によって収まったが、気のせいではなく現実の異常と知った加菜や牧内、それに飯田はそうもいかない。

「ふぅー!足腰は余裕でも、頭が疲れる。全員が間違うのは変だけど…迷ったの?」

「ああ、駄目だっ。どう考えても南から入ると、機体は背をむけた状態になる!なんでだ!」

「どっかで違う方向のドアを開けてないか?その一回でこういう事は起きるじゃないか…!」

大体にして暗い中敵に追われ、同じ部屋を移動しつづけ呼吸も乱れているのだから仕方ないが、他より若く体力に自信のある加菜は巧介を落ちつかせる。

「大丈夫だよ。自信ないけど私も南から入ったと思ってるし、それよりこれから、どうするかでしょう?」

「うん…そうだね。ここ中央はどうしても目立つから避けて通ったけど、一度来た方が良かったのかな?それだと道筋を憶えやすかったかも。ずっとここを意識しながら逃げていたはずなのに、もう混乱してるなんて…!ああ、不味い」

「うんうん、変だよね。じゃあ良い物が出そうになかったら、下りよう。また来る事もできるんだし」

カチャ…!だがそこへドアを開ける音が響き、北へと走る巧介と加菜。ド、ドンッ!二人はドアにぶつかったが、向こうからも威勢のいい声がする。

「押せ押せぇ!このような城、一揉みに揉み潰してしまうのじゃー!!おお~~!!」

「全部自分で言ってるじゃないか!」

そう声をあげた巧介がノブ側にいるので必死だが、加菜もいままで受けた心的疲労を発散。会長にも自分達の苦しみを味わわせたいらしい。

「さあ、どうするのかな?!こうやって押さえられたら入れないな~!!ああ、悔しい悔しいっ。時間が来ちゃうよー!」

だがそこで外は急に静まり、一同がひそひそと会長の行動を予測していると、今度は西から音がしたのでそこへ走る飯田、牧内、加菜。またそこへの圧が無くなると暫くして今度は東から音がしたので巧介、加菜、牧内が走り、だがそれと殆ど同時にまた北のドアからも音がしたので牧内、加菜、飯田が走りと、振り回される一同。また数秒後にはどのドアからも気配は消えていたが、顎に手をやる巧介にとって不思議なのは会長の移動が急に速くなった事であり、あるいは井川が手伝わないことだ。

「ほんとーに没収しますよ…!」

「邪魔になると思って」

「機体の向きもそうだが、一体どうなってる?!」

そう言った飯田に返す巧介。

「流石に疲れてきましたが、錯覚ではないと思います。会長は僕達同様、ドアを開けながら移動しているはずなので、もしもドアストッパーを使っているとしても、早過ぎますっ」

「オレもそう思うっ。この階のせいで感覚がおかしくなったのか?前は呑気に全員で中身を確かめていたが、これは警戒する班と賞品をもらう班に、分かれるべきだなっ」

という事で多数決の結果、ドアを警戒するのが巧介、加菜、飯田、牧内となり、賞品をもらうのが井川と決定。品名は読み上げるので全員聴いていたが、出てきたのはサングラスと、白い高級バスローブと、襟巻トカゲのキーホルダーだ。早速だが井川からその襟巻トカゲを受けとる飯田。彼はその襟巻と前回の襟巻とを見比べその違いに気づいたので、牧内と井川に話す。

「よく見るとこっちはメロン持ってる。さっきのが不良品だったか、どこかにメロンが落ちたんじゃないか?」

「ええ、確かに…!それでメロンは、一体どこへ?見つけられればこのライターで炙って付けられるかも知れませんが、かなり小さな部品ですねー」

「メロン持った方が可愛いー」

「うん、そうだなぁ。表情も愛嬌があるし、意外と売れるかもなっ」

「今はなにが流行るか分かりませんから既に売れて、余ったから入っている可能性も」

「ピンクとかオレンジも欲しいー」

「そうだ、どうせならこれが着る服とか、乗る車とか、抱っこする赤ちゃんも売ろうっ。くふぅ~~稼げる気がしてきたぞ~!小学生でもお年寄りでもどこかで火がつけば」

「いいから次いけ」

そう巧介が言ったので再び1000円札をだす井川。一応はその襟巻トカゲもまた幸福シールのような優れ物の可能性はあるが、巧介は三人の会話に脱出の糸口を期待したものの、それは大外れ。次に出たのは大きな肩掛け鞄だったので持ち運びが楽になると少し喜んだが、そこへ来たのがまた会長だ。

「罪人安らかならず!我が神の刃、受けてみよっ」

南から来た会長はそう言いながら槍を振ったが、巧介が躱したので自動販売機に当たり、少々焦る。

「ああ、この販売機も高いのに~!」

その隙に東へ出ていく挑戦者達だが、予想外の遭遇に叫ぶ巧介。

「うわ、危ない!」

そう彼の視界にはモップや箒を持った四、五人の信者がうつり、会長の速さを錯覚させた音の正体が判明。その拍子ぬけする仕掛けに飯田と牧内はこけそうになったが何とか二つ東へ移動し、それでも鞄もあるのでまたガチャをやる為、一つ南へ行ってから折り返すように西へ。だがそこで仁王立ちする会長に遭遇したから大変。巧介は北に四つ行った先でその部屋にある北のドアを何度も捻って、やっと偽入口だと悟りまた西へ。だが二つ先でも会長の横顔を見た彼は混乱して南へと走り、なんと五つ分も部屋を移動したので呼びとめたのは、加菜と飯田だ。

「ねぇ、走り過ぎ!それにまた会長は速過ぎだし、きっとどれかが人形だよっ」

「ああ、間違いない!ちょっと落ち着いてくれ。おじさんには辛いっ」

聞いて謝りながら北へ戻る巧介。二つ行ったところで加菜に止められ東のドアを開けると中央だったので、その灯りに一瞬ほっとした彼だが、そこでまた頭を抱える。そう今度は正面を見せているはずの機体が、背を向けているのだ。

「何で何で?どういう事?ああ、混乱に混乱。これじゃあ力尽きてしまう…!まさか、アレじゃあないだろうし…」

それに言うのは呼吸に余裕のある加菜と井川。

「つまり、前の逆向きって事でしょう。いくら混乱してても変だよ。北へ行ってからは…西へ来たよね?もしも東から入ったなら、背を向けてて当然だけど」

「でも現実には…!中央を囲むこの前の部屋に、何か仕掛けがあるとか?あっ…これは!これはもう、分かったかも!そうだ私……閃いた!前の部屋が、入れ替わるんだっ。ほら、四方の部屋がぐわって離れて、北なら南、西なら東の部屋と入れ替わるの!観覧車みたいに回ってっ。だから思ったように進めなくて、中央に入る時の方向も可笑しくなったんだっ。もう、これじゃない?!」

飛んだ。そう巧介の予想から遠くへ飛び過ぎたがそうは言わず、疲れもあって井川を見つめるだけの一同。その脱力した瞬間機体の後ろからは会長が現れ、巧介に攻撃する。

「とぅりゃあ~~!」

「みんなも気を付けてっ」

そう叫んだ巧介にかばわれ退く加菜達。どうやら会長は巧介との勝負を望んでいるが、もういい加減に彼の方も、逃げてばかりは嫌になったようだ。

「いいだろう。来いっ」

「だ…大丈夫なの?」

加菜に言われたので肩越しに、裏拳…とだけ伝える巧介。その腹には丁度会長の突きが迫り、右に回転しながら躱した巧介に会長は、悔しがって叫ぶ。

「おのれ狸めっ!」

「見破ったり!」

つづけて脳内でも叫ぶ巧介。いいやお前こそ、怪しげな札によって天下を乱す賊!正義は我にあり!目には目を、歯には歯を、武には武をっ。よってこれは暴力ではない!男女平等、悪への鉄槌!喰らえ、聖なる裏け…。

「んごぉ~~~~!」

だが裏拳を放ったまま爆睡する巧介。そう会長は裏拳をかわしながら、槍先を少しひねり、それを巧介の肩に当てていたのだ。

「ハァーハッハ!あら素敵っ。マイクが遠くて、声量に自信のある歌手みたい!」

言うと加菜達を指差しながら出ていく会長。残り四人となった彼彼女らは大いに焦り、場には数秒の沈黙が流れたが、そこで飯田が言う。

「一分だ!」

直後会長のいない時間を利用して素早くガチャに挑戦する彼。加菜達が賞品を確認するとそれは…ピコピコハンマー、小学生用アラームそして、教団男男うきうきダンスストラップ、更には液体歯磨き2リットルであり、慌ただしくそれを井川と牧内が持った鞄に入れた一同は、すぐ西の梯子へ。そう巧介の救出だけでなく預り所も利用したい彼彼女らは、加菜がピコピコハンマーを受けとり、飯田が軽いアラームをポケットに入れ、彼からストラップを貰った牧内は、だんだんだんうきうきダンってと言いながら走って一階に着き、そこでやっと一息。ただ二階に比べ走りやすいが隠れ難いので、加菜は小声で話す。

「…ふぅ!この疲れは、体育祭以来だ。さあどう行くか。巧介達の居場所も分からないし、もう四人しかいないし…!」

牧内は応接室の角から玄関側を見ているので、加菜に言うのは飯田と井川だ。

「…西側はかなり見たんだろ?だったら装置があるのは、東側じゃあないか…」

「…洋平さんと奈津美さんに会っても驚かず、落ち着いて説明しないと…」

「…ああ、それもそうだが、ちょっとこっちへ来てくれ…!」

牧内に言われたので、角まで歩く加菜達。見れば事務所前に立つ男は、白いシャツに茶色のベストを合わせ、黒革のカウボーイハットを被り、それと同色で拍車付きのブーツにはジーンズを押しこみ、時々左手の館内地図を見ながら右手の松明で周囲を照らしているので、まるでそこのみ映画の中。当然急に始まったアドベンチャーに目を点にする三人だが、中でも新たなまとめ役となった加菜には、既知の井川が言う。

「…私達以外の挑戦者は残り、男女一人ずつ。そして私と居たのはあの人だから、多分洋平さんで間違いない…」

「…うん確かに、敵の新手でも、不意の訪問者でもなさそう。まあ、どんな人だろうと挑戦者なら味方。そう覚悟しておかないとね…」

「怖そうだけど、いい人だからねっ」

「怖そうではない。怖いのは松明」

だがそこへ流れた放送に見上げる加菜達。

『挑戦者、小賢しい巧介!そうこの者は問題発言のあった加菜の弟だが、高校時代は真面目だったものを通信販売のコストカットが大変だった壺を、あろう事かダサいと評し、その時の売り文句である夜の神秘というものにも暗いなどと書き、ゲームへの参加が決まった!皆も気を付けるようにっ。可愛い顔と美意識は、必ずしも伴わない、好例である!小賢しいっ』

色々疑問だが思わず言う加菜。

「問題発言ってなに?!私何も言ってないけど?それに巧介だってね、よく知らない物や人に、ダサいとか暗いとか、言わないからっ」

その声に反応して後も一度東へとふり向き、松明を掲げてやっとこちらへ来た冒険野郎。彼はまず井川を見て大丈夫かと声をかけたので、飯田と牧内も少し安心したようだ。

「じゃあ君が、冒険家のっ。館内地図は分かるけど、松明?これどうしたの?」

「追われた後なのか?かなり警戒していた様だが」

その声を聞いて更に近づいてくる洋平。彼は松明を向けて二人を確かめると、静かに言う。

「教団の人間?…ではないようですが、どこかで見た気もしますね…。ああ、この松明なら二階で当てた物で、今は丁度出口らしい物を見つけたので手を借りようと、仲間を探していたところです」

顔や声から洋平はまだ若く三十代だが、聞いて破顔する飯田と加菜。

「おお出口!それさえ見つけられれば、巧介君達も助けられるっ。一体どこにっ?」

「手を借りたいって、何か重い物が邪魔してるとか?」

すると洋平曰く、出口は調理室の奥にある非常口のそばで、重い物というより硬い物が邪魔。聞いた加菜はすぐ見に行こうと言ったが、井川と牧内も黙ってはいない。

「その出口ってどんな物です?」

「その給湯室の水で松明を消してくれ。私が言うのもなんだが…煙い」

「出口は何故か、そこだけ石膏で固められたような壁。それに…松明は消してもいいですが、会長にも、蛭(ひる)にも効きますよ。それでも」

「それでもだ。お馬鹿宗教だから蛭がでても責任は持てないが、危険で煙くて、そして熱い」

そう牧内に言われて渋々松明を消し、ただの棒として持つ洋平。彼はそのまま氷を砕く為に使うだろう二本のつるはしを見つけ、既に現場の壁に立てかけてあると言って加菜達を喜ばせ、一同は静かに北へ。会長の邪魔もなく、調理室の西側にある期待の出口候補にはほんの二、三分の間に辿りつく事ができた。目にした石膏部分はまるで高速の岩が突き抜けたような形だが、その明らかな白を見て言うのは、飯田と牧内。

「うーんでも、こう白いと、逆に疑いたくもなるな」

「期待する気持ちは分かるが、狭くないか?」

頷きながら答える洋平。

「罠の可能性はあっても、試すしかありません。それにこの中の一人でも出られれば、勝ちなんでしょう?井川ちゃんは特に細いから、試すべきです…!」

仮にルールにある、出口を探してただの一人でもその先にある地面に足をつけたなら…という条件を満たすなら、ここを抜けた誰かが建物を一周し、出口も限定的な意味での地面も見つけてしまえば良いだけなので、納得するしかない飯田達。屋内の仲間と確認し合いながらとなって少し時間がかかるかも知れないが、日の出まで逃げまわったり、三十日眠ったりするよりはましに思え、加菜は自分が洋平と共につるはしを振ると言ったが、話し合いの結果まだ余裕のある飯田と牧内が、交代で彼女の代わりをすると決まり、調理室の角から東を覗くのを、加菜と井川が引き受けた。

「じゃあ行きますよ…!」

その洋平の声で始まった工事。ガンッ、ゴン!ガンッ、ゴン!ガラン!それは大きな音を立て、少しずつ見えてくる青黒い森に固唾をのむ五人。だが約十分後にあいた穴は直径ニ十五センチ程とやはり狭く、井川も肩を入れるくらいしか出来なかったので、悔しがるのは飯田と牧内だ。

「ああ、やっぱり罠だ!もう手が痛いっ。くそぉ」

「穴になった部分以外の壁、厚過ぎません?何ですこれ?がちがちっ」

見ると牧内の言う壁の厚みは三十センチ以上あるので加菜は公園の遊具を思いだすと言い、教えた洋平も辛いがもっと不味いのは、丁度井川が穴に入っている今来た、会長の存在だ。すぐピコピコハンマーを構える加菜と、会長に棒を向ける洋平。

「ハッハッハッ、ご苦労!やはりお前達には、そういう力仕事が似合うなぁ」

その職業差別に言うのは牧内と加菜だ。

「こんな手の込んだ罠、要らないでしょう!もういい加減に帰して下さいっ。十分楽しんだでしょうー」

「出たな、嘘をつく変人達の会長つまり、吹く変人の会長!」

「ふむ、そうして私の注意を自分に引きつけ、上手く逃がすつもりだろうが…そうはいかん」

「私の問題発言も、巧介の話も、全部嘘でしょう?馬鹿馬鹿しいっ」

「いいや加菜、お前にも確かに問題発言はあったし、巧介はコストカットが大変だった壺に、もっとこうすると格好いい、その売り文句にも、もっとこうすると明るいと書いたのだ。それは裏を返せば超ダサい、超暗いと言っているのと」

「それは全然違うねっ。ただの助言じゃない!馬鹿じゃないこの吹く変人の会長!」

「挑発には乗らん」

そう言った会長は洋平の棒を見てほくそ笑んだので、それに言うのは加菜。

「なんで笑うんです?」

「くそっ、こいつは火が苦手なんだ…!」

「火も苦手。じゃあ松明は、惜しい事したかも知れませんね」

だが時間稼ぎの意味もあり、それに言う牧内。

「いいや加菜ちゃん煙は有害だし、目立って仕方ない。消して正解だっ。それより二人で上手く槍を受けて、この状況を脱するんだ!」

「ええ、上手く逃げて下さいね!」

そう食堂の北から入ってその東から出るのも、元来た廊下を戻るのも可能だが、その前に立つ会長。しかも彼女は加菜の運動能力や洋平の手強さを知っているので少し面倒になり、左肩に右手を当てながら、何故か突然に詫びる。

「悪いな。ハハハ!だがこれを使わせてもらおうっ。SPミサイル!」

声と共に肩をたたくとそこからは長さ五センチ、太さ直径三センチほどのミサイルが現れ、それは発射。ボボッ、ゴー!ゴォーーー!遅いが確かで激しい力によって進むミサイルは、驚く加菜と洋平それに押しあう飯田と牧内も過ぎ自分の方へ来たので、井川は叫ぶ。

「SPはスーピーですよね?!」

「いいやスペシャルだ」

「なんでやね、んごぉ~~~~!」

そうミサイルは、関西弁を使う女子高生のような井川に命中。哀れその手には、福変人のあらゆることを書く、メモ帳が握られていた。

「いや~便利便利…!次から面倒になれば、これを使おう」

不敵にもそう言った会長の横を走りぬける加菜達。つるはしは重く危険なので放置し、ミサイルがルール違反かどうか、火は怖いのに発射は良いのかなど様々に疑問もあったが、余計な物も沢山あるので四人は一路預り所へ。話し合いの結果、煙玉、黄色いヘルメット、サングラス、白い高級バスローブ、泰子の缶バッチとフィギアの入った肩がけ鞄、ピコピコハンマー、小学生用アラーム、棒などは今迄どおり持ち、トリケラトプス型ロボット掃除機、教団男女うきうきダンスストラップ、教団男男うきうきダンスストラップ、赤と黄色のミニカー、手作りヨーヨー、グットボタンアナログ時計、任店堂55エブリディ、フェイスケア一撃デラックス、襟巻トカゲのキーホルダー、襟巻トカゲのキーホルダーメロン、液体歯磨き2リットルなどは預け、ゲーム再開となった。そこで響いたのが井川入眠の放送。

『挑戦者、残念な井川!そうこの女は広報部で熱心に仕事していたが、ある時ある催しに使う文章を担当する事となりそれが、十分教団のよさをアピール出来ていないとして、ゲームへの参加が決まった!皆も必死で仕事するようにっ。ただ会長や神を敬愛するのが信徒の務めではない!』

実のところ泰子の缶バッチとフィギアは井川を救ってから落ち着かせる為に持つのだが、それを決定した加菜と憤りを隠さない洋平は、額に汗しながらも言う。

「吹く変人めっ。カルトで虐め体質じゃない!」

「どんな組織も虐めなんて許せば、一部しか幸せに出来ないんだよ!どんどん仲間が減っていくぞ!」

どんどん仲間が減っていく。そう聞いて、そろそろ巧介達を助けたい加菜。情報を期待して洋平に訊けば、捕えられた場所は少し離れているが何とその様子ならプレイルームから見られるというので加菜、飯田、牧内は拳をつくって言う。

「えっ、すぐそこの?じゃあ行きましょう。記憶が確かなら私達以外はもう奈津美さんだけで、最悪全滅もあり得ますっ」

「なんか体中に色々付けられてそうで怖い気もするな~」

「プレイルームからはモニターで見るのか?」

ゲームは毎回の様に変化するので訊いた牧内。首をふる洋平が言うにはプレイルームの北はガラス張りになっており、そこから今は本棚などを除いた学習室の全てが見渡せるようで、早速足を向ける一同。大きな戸を開けると中はよくある様に端まで青い絨毯が敷かれ、北は洋平が言うとおりガラス張りで加菜の目には敬子、登鹿、巧介、井川と順にならんで眠る姿も見えたが、安心できるはずもない。

「巧介っ。今助けるからね…!」

そう四人の目に映るのは紙テープや電飾によって飾られた部屋であり、そこに整然と置かれているのは、白く大きな瓜型の装置。それは西の壁に四、北の壁に八で計十二基あり、その西の壁にある一つを震える手で指さす牧内。見ればおそらく高坂だろうその人は、羊の仮面を付けられ、その毛も着せられ、装置には張り紙までされていたので、飯田は恐る恐るそれを読む。

「ラム肉を食べた末路、羊人間!…めいめい、気を付けるように。くっそあれは一体、何なんだ?!」

俯きながら答えるのは牧内。

「ええおそらく、ラム肉を食べると羊人間になるぞという、信者達への戒めでしょう!私達も捕まると多分、あんな事にっ…!」

「それは嫌だっ」

その二人を見て少し怖くなり、飯田のつづきを読む洋平。

「だがラム肉を食べたのを赦してくれるのもまた、唯一神アタタカだ…!あれを世界唯一の神だと思っているのかっ。教団め…!宗教戦争になるぞっ」

その洋平を落ち着かせ早速救出へと向かう加菜達。だが西の奥つまり待合室の向こうには会長がいて南に槍を構えていたので、電話コーナーの壁から言うのは飯田と洋平だ。

「また人形か?」

「どうでしょう。でもこれ以上近づくと不味いですね」

その四人の前で槍を払う会長。視線はずっと南にあるので待っているのが奈津美だろうと用を頼んだ信者だろうと、東側を通れば安全に学習室へ行けるので、加菜はそっとそちらへ。飯田達もつづいて四人は難なく中央の廊下が見えるところまで移動し、ただそこで加菜が突然声をあげる。

「ああ、やられた…!私達はまだ西の梯子を降りたばかりですし、奈津美さんへの不意打ちなら梯子のすぐ下で、降りている時を狙うはずです。つまりこれは私達に、東を回らせる為の罠。失敗しました~」

会長にその知能があるかは別に彼女や皆を励まし、今大切な思考をうながす洋平。彼によると奥にある北側に広がった自動販売機コーナーの角や、その手前にある施設長室、あるいは学習室で会長が耳をそばだてているかも知れないという事で一同は忍び足となり、まず今挙げられた全ての場所を確認。だが最後に調べた学習室のドアには何故か、鍵がかけられていたので、今度は飯田が声をあげる。

「くっそ、何だよー!せっかくここまで来たのに、これじゃあ反則じゃないかっ」

それに言うのは牧内と洋平。

「…お静かに。気持ちは分かりますが、それじゃあ遠くに居ても聞こえますよ…!」

「…まだ東側のドアを見ていません。あっちに行きましょう。まあ一応相手が福変人なので、ドアは何とかして開けろという意味でも、おかしくはありませんが…」

弟が心配で気が気でないが、それに頷く加菜。ただ予想に反して東側のドアは開いたので飯田を先頭に一同は次々と入室。中はついさっき見た光景と変わらなかったので、それには少し安心したようだ。

「よし、じゃあ皆で連打しよう!」

飯田が言ってそれぞれが入口から近い順に装置へと並び、長方形の台にある赤いボタンに連打開始。ダダダダッ!一番奥から高坂、豊次、そして白鳥と並ぶが、四人しか居ないのでそのすぐ隣の登鹿の前に飯田、敬子の前に洋平、井川の前に牧内、巧介の前に加菜が立ち、ときどき入口を見ながら皆必死になり、その装置にあるカウンターの数はどんどん上がっていくがその音は中々大きく、しばらくして外は慌ただしくなる。

「ハハハッ、励んでおるのー!」

「不味いっ」

思わずそう言って手を止めた加菜。装置から出た敬子、井川、巧介の三人は急に寝かされまた急に起こされた異常な寝起きだからか、ふらふらとして牧内や洋平に支えられ、槍を担いだ会長が入って来たところでカウンターも、ぴたりと停止。

「ああ、もう少しだったのにー!」

そう飯田は嘆き、入口では加菜がピコピコハンマーで会長の槍を受け、何度か叩いても怯まないので、苦戦している。

「痛いっ!痛いが、何ほどの事やあらん!私を誰だと思って」

「知ってるから試すの!~うわっ!」

だが反撃にのけ反る加菜を見た井川は早く助けるように言い、牧内は飛び出そうとした洋平も押さえて煙玉を投げ、それに退く会長。

「キャ~~怖い!火傷したらどうすんの?!ええっ?!冗談じゃすまないよ!」

会長はそう言って火種を踏んだので、その槍をつかみ見得をきる加菜。

「さあ、どうします?!このまま私がつかんでいる間に、巧介達が出口を見つけるかも知れませんよ!」

「ハハハッ!スポーツウーマンとはいえ現代っ子のお前に、そんな体力は無い!」

「分かりませんよ!私と巧介は、幼い頃から助け合ってここまで、んごぉ~~~~!」

だが会長は槍を少しひねってその先を肩に当て、加菜は雄々しく戦いの中で入眠となった。

「あっ、姉ちゃん!何だ、僕と同じ方法で負けてるじゃないか。ハハハッ、駄目だなもう~~」

寝ぼけた巧介はそのまま加菜を助けようと会長へ体当たり寸前だったが、考えてみると今は泰子ゲームの最中であり、眠った人一人を背負って逃げても今度は自分も捕まってしまうので、先頭を行く飯田と共に素早く退室。だが逃げようとした東の廊下にも、大きな影が立ちはだかっていた。

「ごめん姉ちゃん、でもすぐ助けるからね!大丈夫大丈夫、煙玉が怖いとか本当の女子だしっ」

背中に言う巧介に目前の敵を教える飯田。何とその先には、黒いスーツに身をつつんだオールバックの巨漢が拳をにぎって直立し、黒い肌に光る眼はその場にいる誰をも行動不能にするほど鋭く、体中から闘気を漲らせているではないか。その太い顎、首、四肢。厚い胸板と、どこをどう見ても猛者としか言いようのない男は実のところ、会長の護衛隊長・宍戸清(ししど せい)。井川の言う噂によると、競馬場に乱入してゴール間際の馬を全て追いぬき、飛びかかった野生の虎を膝蹴りで返り討ちにし、象の突進をかわしてその腹に正拳突きして倒したなどなど武勇伝は絶えず、少なくともその一つは実話だと言う。

「じゃあ十分強い!退散っ!」

その飯田につづけて言うのは牧内と巧介。

「賛成!あれは危険だ!でも急いでるから武勇伝は一つでいいっ」

「これ以上近づいたら死んじゃうっ。指紋も残らないし、完全犯罪だ!」

要するにもの凄く強そうであり、西へと疾走する一同。六人になったが加菜は捕まり、脅威の新手もあり、恐怖に駆られた彼彼女らは体育館へと入ってそこで息を整えながら互いが互いを落ち着かせ、まず頭上で手をたたいて注目を集めたのは若く、危険になれた洋平だ。

「まあまあっ、それより…会長が来るの、早過ぎません?きっとあの辺りで待ち伏せたんです」

聞いて言うのは飯田。

「加菜ちゃんも罠かも知れないって言ったしな」

そう実のところ会長は、発見して驚いた挑戦者を見るためその時に突こうと販売機の裏に隠れ、加菜達がその南側しか確認しなかったのは幸運。プレイルーム前で西への移動を妨げたのもその為であり、それに気付き怖がる飯田。

「ううっ、もしかするとその犠牲は、オレだったかも知れない。言わば眠人鬼だ…!」

「そういえば、何でカウンターは止まったんです?!飯田さん、惜しかったのにっ」

その洋平に教えるのは牧内。

「会長が部屋に入ると、止まる仕組みだ」

「そうか…じゃあ奴も、あの部屋を忘れられない。だって捕まえた挑戦者を一々逃がされたら大変ですし、一人でも自由だったら脱出されるかも知れませんからね。一人ずつでもこっちの数を減らしたいはずですっ。これは、使えますよっ」

反応したのはすっかり目覚めた巧介と井川、それに敬子。

「その通りですが、それは同時に隙が生まれ難い理由にもなります。勿論これからも上策があれば、積極的に救出したいとは思いますが」

「才色兼備の会長を倒すのは大変…!しかも鎧にはミサイルまであるんだから、その対策もしないと」

「でも今だって体力のある加菜ちゃんが捕まったし、救出も三十日がけだねぇ。その時私は、見張りでもやるかな。このまま一進一退がつづくと、降参しかないんじゃない?」

それに言うのは飯田と牧内。

「もう巧介君だろうとオレだろうと時間まで逃げ切って、その面子だけで街へ帰ればいいじゃないか。それから警察行って…取材受けて、三十日の誘拐をたった三日にする事もできるんだしー。これ、いい案じゃないか?」

「ええ、現実的です。ただ三日は難しいかも知れません。警察や報道にも教団の味方はいて、それは政界も一緒ですし捕まった人達を、移動させるかも知れませんから」

二人の現実案に賛成の敬子。だが国家権力や報道にまで味方をつくる教団のやり方は三人に対策というより恐怖を生み、それを察して言うのは巧介と、一人戦いつづけた洋平だ。

「それでも…戦います。一人二人だけを残す考えでいれば、その分槍を喰らい易くなりますし、当然警察へ行くのは良いとして、今勝たないと…!」

「そうだ…!警察へ行くとした数人が逃げきっても、それぞれの生活に戻るじゃないか。その時から個々に教団の恫喝や懐柔に堪えなければならない。その恐怖と誘惑。冒険に慣れたオレなら違うが、一般人が耐えるのは不可能だろう」

「あっそういえば、冒険とは具体的にどういうものです?沈没船から金塊や当時の通貨を引き上げるのも、そうだ例えば考古学も、冒険と言えば冒険ですが…」

「まあ簡単に言えば秘宝の為…密林、遺跡、独裁国家などへ行き、豹や亡霊あるいは兵士と戦うことだな。勿論石のボタンを踏んだりもする」

「え?」

「ヒロインとのロマンスもある」

それから沈黙が流れること二分。洋平はその間ほかが驚き、自分の素晴らしい冒険を羨んだろうとほくそ笑んでいたが、そこへ流れたのが放送だ。

『挑戦者、筋肉正義の加菜っ。そうこの者は生意気にも我々のホームページに興味を持ち、その感想に羊崇拝とか可愛い…等とぶりっこした表現を使ったので、ゲームへの参加が決まった!愚弄しおってっ。心血を注いだ信者達、この筋肉の代わりに言うが、申し訳ないっ。だが気を付けるように!こんな者になった時点で完全に終わり!そう我々は、常に正しいのだ!』

聞いて言うのは敬子と井川。

「悪徳はどこも一緒だけどよくそんな自信持てるよねー」

「やっぱり別な宗教に行きます」

「アピヨーもぶりっこだと思う」

そう言って立ちあがる巧介。彼も再び目覚めたからには、皆を奮い立たせなければならない。

「ええー洋平さんは、ありがとうございます。………心強いです。話を戻しますが、やはり一番は出口を探すこと、そして駄目でも装備などを整え、一人でも多くここから出ることです…!そうなると必死に戦った記憶から、誰が教団に屈しても、また何人かは警察に行って懸命に戦う訳ですから、みんなの為になりますっ」

「まあ、そうかなっ」

と言って頷くしかない飯田。実のところまだ教団に未練のある井川もどちらかと言えば巧介と洋平側の考えで、会長にただ負けたのでは面白くないあるいは弱い奴と思われるので、それを嫌がっている。手にはいつの間にか缶バッチとフィギアが返されそれを見詰める彼女だが、大人しくしているなら問題はなく、それどころか今はいい策を思いつく。

「粘って粘って日の出近くに全員救出して、そのまま時間まで逃げきっても、みんなで帰れるっ。これでも良いよね?」

それに言うのは巧介、敬子、洋平。

「勿論そうだよ。出口を探すのは出来ればだからね」

「冴えてるねぇ。少し眠って調子良いんじゃない」

「実はその出口だが、気になるのが二ヶ所ある。聞くか?」

どうしてもさっきの冒険家の定義、あるいは事実が気になりまた沈黙してしまう巧介だが出口の情報はありがたく、飯田、井川は素直に喜ぶ。

「良し、じゃあそこも見るかっ。ちょっとやる気になってきたぁ」

「ただ負けても良い事なんて無いっ。意地を見せましょう…!」

ということで場所を訊かれた洋平が南の用具室を指差すと、驚く牧内と敬子。

「すぐそこの?!そういえば一度も入ってないし、気にもしなかったな」

「用具室と言えば告白だね、告白。思いだすねー」

聞いて微笑ましくつい和んでしまう巧介達。だが洋平は顔を強張らせて言う。

「ええ実は、告白があります。そこは特に怪しくて、出口かあるいは隠し倉庫だと思いますが、開け方が分からないんです。ちょっと来て下さい」

言われて用具室へと入る一同。室内は沢山の跳び箱やボールそれにマット等で埋まっていたが、右奥にある床の一部が人のくぐれる程の大きさに四角く区切られ、洋平はその木造りの扉にあるエリンギの様な形のノブを引いたり押したり、あるいは掴んだまま戸のように開けようとして動かないのを再確認し、早速代わったのは飯田だ。

「壊れてるんじゃないか?」

そう彼もノブや入口そのものを回そうとしたり、また戸のように手前側へ引いたりしたが扉は動かず、疲労に肩を押さえたところで言うのは、巧介と牧内。

「鍵穴も無いし、やっぱり仕掛けでしょうね」

「穴?ちょっと待って下さい。ノブの下ちょうどその形に、穴があいてませんか」

よって洋平は試したはずだがノブを押す飯田。何ともなかったので思いきり踏みつけると、ノブは穴にすっぽりとはまり、入口そのものが動くように見えたので、また洋平が代わる。

「もう少しだっ。こっちかな?」

言いながら扉に両手をつけて左、奥と押し、手前へと引き、深呼吸する彼。更にノブのある右側に押した時その入口は滑るように開き、すぐ下には灰色の階段が現れた。

「はぁ~開いた開いた…!苦労したがまあ、みんなで知恵を絞ればこんなもんさっ」

それには三十日を忘れ、パズルを解いたような気分で歓声を上げる一同。まず洋平が入ってその後ろに他がつづき、薄暗い階段を十メートルほど降りると水色のドアを見つけたのでそれを開けるまでは良かったが、その先で一同は唖然。

「嘘、何これ…!」

言うなり入口から覗きこむ井川。そうまず目にしたのは五メートル四方はある床だが、先には幅五十センチ程のベルトコンベアがこちらへと流れ、その両側が奈落になっているのを見ても、ゆっくりと歩きだす洋平。恐れず進む彼を頼もしいと感じた飯田と巧介だが、眉をひそめて言う。

「おいおい殺す気か?!死ねって事~?」

「確かに異常です!でも見て下さいっ」

その声に全員が向こうの階段を見ると、今度は上りとなったその先には開け放たれたドアがあり、その奥には月とポプラの木まで見えていたので、拳をつくったのは牧内と井川だ。

「良し、やっと出口!やっと見つけたっ。ああ、本当に帰れないと思ったぁ…!」

「ええ、それは嬉しいのですが、この道を行かないと…!」

「じゃあまずはオレが行こう」

そう言ったのは冒険家洋平。他四人は少し遠慮してじゃんけんでもしようかと言ったが、彼は首を振りながら言う。

「確かにこんな物を造る教団には驚き、呆れましたが、この程度の困難は幾つも越えてきたので…!」

言うなり彼は心配する巧介達をよそに、一気に疾走。向こうまで半分、あと三割、あと二割という所までは全力だったが、何かに気づいてまた急に棒立ちになり、すぐ巧介達の元へ帰ってきた。

「どうしたんですっ?」

訊ねる巧介に天井を見ながら言う洋平。

「丁度ベルトが終わる所の床に、ドクロマークがある。あれが気になってなぁ」

「それは怖い」

言いながら巧介も確認すると、薄っすらだが確かにドクロマークのような物が見えたので、
前にでて確認するのは飯田と牧内だ。

「じゃあ今度はオレが…!こう見えても大学時代はラグビーをやってたんだ」

「一応ジムで鍛えているので私が…と思いましたが、お任せしましょう」

「でも気を付けて、無理しないで下さいね」

その巧介にふり向くと一度頷き、それから走りだす飯田。目はこれまでの彼とは思えぬほど輝き、難関を見据え低くかまえたその姿には覚悟さえあったが、その飯田も半分まで行ったところで体力がつづかず途中で膝に手を当て、そのまま目の前まで来ると、ベルトの終わりでひっくり返る。

「痛っ!ああ、くそ~。これじゃあ誰かが成功しても、オレは玄関から出なきゃならない!せめて最後くらい格好よくしたいっ」

「まあ、それは我慢しましょう」

それに続けて巧介は、次は自分がと言って前へ。だが構えた直後、何故かベルトは向こうへと動きだし、そこで棒立ちになる彼。

「逆に怖くないですか?もう無理です」

少し諦めるのが早い気もするが急かされるのもやり難く、やはりここは冒険家の出番。失敗した飯田や巧介だけでなく牧内や井川も身を縮め、だが祈るように洋平を見る。

「任せろ」

言うなり、またすぐ走りだす洋平。今度のベルトはまたいつの間にかこちらへと流れ、それでも彼はあと三割、二割のところまで行ったが、一度失速して目の前まで戻り、だが再び全力で走り出した直後、逆向きに動き出すベルト。ただでさえ一番速い彼はあれよあれよという間にドクロマークへと辿り着き、そこで拳を上げて叫ぶ。

「どうだ?!これが冒険家だぁー!!」

だがその瞬間、後方の天井からは振り子のようにハンマーが落下。背中を打たれ体を吹き飛ばされた洋平は、月とポプラの絵に激突してその発泡スチロールに大穴を開け、そこから出ようと藻掻き何度も滑る彼を目の当たりにした巧介達は、笑いを堪えるのに必死だった。



「笑っただろう?」

用具室を出た直後、飯田と光介の背中に言ったのは洋平。話しかけられた二人はしばらく洋平を直視できず固まったが、意を決してふり向き、言うだけ言ってまた前を向く。

「そんな事ない。君の勇姿、誰が笑う」

「笑うなら人として……落ち着くべきです」

「失格じゃあないのか?」

まあ奈落も絵だったので仕方ないが、気になるのはやはりいつの間にか敬子がいない事であり、牧内の話によると二度目の入眠時には放送も無いらしく、その話題に変える飯田と巧介。

「勿論、年をとれば誰もがこうなる。だから別に良いんだが仲間として、放ってはおけないな」

「ええ、ここは体育館で、さっきはこの用具室の中。迷う要素なんて無いはずなので、きっと自分の意志で居なくなったんです。ねぇ洋平さん」

「ああ、確かにそれは変だな…。まあ昔から認知症は避けがたいお年寄りの愛嬌で、誰も馬鹿にはしなかったが、対して意気込んだ冒険家が突っ込んで大穴を開けると、どうしても笑うよな?」

その洋平を見たまま、口を半開きにする飯田と巧介。だがそこへ来たのがそれぞれ北と南のドアから外を見た、牧内と井川。二人は会長も敬子も居ないので販売機コーナーで食事しようと言い、それに巧介達も賛成。移動した一同は蕎麦やうどんそしてお茶などを飲み食いして平静をとり戻したが、東に会長の気配を感じたので体育館から南へ。意図せず警備室前に敬子を見つけた巧介はすぐかけ寄る。

「ああ、良かった。どこにいたんです?」

「え?ああ、そこのトイレね。ずっと我慢して話を聞いていたから、教える間もなくて」

安心して言うのは飯田と井川。

「何だー。それでもトイレくらいは言えるじゃないー。心配したよぉ」

「うん、警備室前に居たから、ついに何かあったのかと思った」

それに首を振って微笑し、何故か手招きして警備室へと入る敬子。実は少し疑っている牧内は最後に敬子の指差すモニターを見たが、それは二階中央にいる会長が腰を捻って柔軟体操している姿を映していたので、驚きながら言う。

「これはチャンスだ。よく見つけましたねっ」

「うん、私達は大体どこかの部屋から、見られてるでしょう。それはここかなと思って。でも会長の方が映っちゃったよ。ハハハッ…!」

では救出にと巧介に言われ、すぐ部屋をでる敬子。だがそこに居たのは槍を担いだ会長だ。

「ええっ何で?な、んごぉ~~~~!」

槍を掲げて大喜びする会長と、それに叫ぶ巧介。

「敬子さん!」

「いいや、どうにもならんっ。逃げるぞ!」

叫ぶ飯田。冷や汗をかいた一同は北へ東へと走り、そのまま南の喫煙所へ。着いた順に飯田と牧内は食後の一服をはじめ、それに体当たりしたのは巧介と洋平だ。

「もう真面目にやってよお父さん!」

「もう冒険に連れて行かないよっ」

「誘っても行かないよっ。それに危ないからっ。もう火点いてんだし…!」

「ごめんね…!でも大丈夫、すぐ終わるから」

「じゃあ二分で吸って下さいっ」

「幸い次の出口候補は、礼拝堂辺りだっ。…だから少し休んでもいいが」

よって仕方なく状況を整理する巧介。彼の前には井川と洋平が顔を揃える。

「多分あれは録画。だから僕達は…罠にはまったんだ」

「人形や偽出口もあるのに~、まだ日の出までは長いっ。これは結構な絶望だよっ」

「一応整理すると装備拡充、出口発見、救出と行動は大きく三つに分かれるが、これをどこで、どうやるかが鍵だ。それを上手くやれば会長も焦る」

「ええ、今は洋平さんの情報があるのでまず出口発見。ですがその後は、救出に行こうと思います」

「また半分くらい捕まったもんねっ。ちょっと当てるだけで眠らせるのが、こんなに脅威だなんて…!」

「普通棒なら思いきり当ててはじめて打撃だし、刃物でもしっかり突いたり斬ったりする必要があるけど、会長はスポーツチャンバラ並に有利だ」

そんな真面目で若い三人を尻目に、世間話をする飯田、牧内。

「ええっ?あのハンバーガーそんなに美味いの?何かオレからすると、ちょっと油っこいというか」

「そんな事ありませんよっ。こんがり焼いたバンズにチーズを合わせて、今度はそれをフライパンで一体化するんです…!それにトマトを挟んでっ。うう~~」

「でも駅前で、お洒落だから混むだけじゃないの?まあ、美味いと言うなら行くけどさぁ、何か…ただ濃いっていうか、その辺の家庭料理っぽいっていうか」

「いいえ、高級店のまかない料理みたいな感じですから、今度一杯やった後に行きましょう。もう最高ですって!私が保証しますっ。なんなら不味かった場合には全部私の奢りで」

「もういいですか?」

そう冷たい目の巧介に言われ火を消す二人。井川と洋平も一切笑っていなかったので無言となり、五人は礼拝堂から二つ前の部屋まで。そこのみオレンジのドアだったので気にはなっていたが、入室するとすぐ正面の壁には、小さく白いシャッターがある。よってその前で言うのは洋平。彼は壁にある赤いボタンに指を当てているが、仲間の意向も確かめておきたい。

「じゃあ押しますよ?何か、悪いことが起こる可能性も…ありますが」

言われたので一応シャッター前からは退き、頷く一同。ボタンを押すと先に現れたのはずっと続く筒形の滑り台で、それに言うのは巧介と井川だ。

「ごみを…捨てる所じゃないですか?まあ、映画などではよくこれを使って脱出しますが」

「何か要らない物を入れてみたら?」

言われたので缶バッチとフィギアを見そうになる巧介達。だがその不穏な空気を救ったのは牧内の煙玉であり、堂々掲げられたそれはすぐ滑り台へ。コロロン、コロン、コロンッ…!だが微かな音を残しただけの煙玉。皆目を見合わせたがこれは相当深いらしく、強く反発するのは井川と飯田だ。

「ちょ、ちょっとじゃなく怖い!どこへ行くか分かりませんよっ。だってこれ絵じゃありませんよねー?!」

「他を探そうっ。だって下に行ってるし、オレ達は地下じゃあなく、外へ行きたい訳だから!」

だがそこへ会長襲来。

「ここかー?!」

「させません!」

その襲来に牧内はドアを押さえて防ぎ、それに飯田も力を貸して一安心の巧介達だが逃げ場はもう滑り台しかなく、意を決したのは洋平だ。

「じゃあお先にっ」

だが心配になって止める巧介と井川。

「本当に、本当に行くんですか?何とか会長の槍をかわして、逃げる道もありますよ」

「そうですよー。会長に突かれた方がましかも知れませんよっ」

「いいや、冒険が待ってる。じゃあな…!」

言うなり縁にぶら下がって、勢いよく入る洋平。

「どぅわぁー!!ああーーーー…!!」

その声は少しずつ小さくなり、後には会長と牧内、それに飯田の声だけが響く。

「馬鹿めそこはお仕置き部屋じゃあ!早々に降れー!!」

「現代人が三十日も失う訳にはいかないっ。貴方こそ目を覚まして、こんなふざけた真似はやめるんだ!!」

「前門の虎、後門の狼じゃないか!洋平君は棒もって行ったし、どうすれば良いんだよ?!」

聞いて意を決したのは巧介。彼は井川に小さく敬礼すると、すぐ滑り台へと入る。

「ああーーーー!!嘘だっ!これ……」

それを見た井川も諦めたのか悲鳴をあげながら滑り台へと消え、牧内も程なくしてつづき、すると年長者の飯田もさすがに情けないと思ったのか、すぐ走りだす。

「恨んでやるっ。こんな事をさせる教団を、生涯許さない!」

「言ってる場合か!喰らえー!!」

その槍をぎりぎり躱すように滑り台へと入る飯田。

「だわぁーーーー!!」

会長はそれを見て腕組みをしながら冷笑。同時に言う。

「お仕置き部屋と聞いたろうに、馬鹿な奴らよ…!我に一人でも差し出せば、こんな事にはならなかったものを。ハハハッ!その先はなぁ…その先は、何だっけ?」

だが顎に手を当てて考え、思いだす会長。

「ああ、そうだ!忘れたから、放っておいたんだ。確かそうだ…!」

という事で滑ってゆく飯田を見てみよう。そう彼は泣いていた。

「うわぁーー!!ああーーーー!!」

しかもかなり滑って滑って下まできたと思えば、今度はまた異常に強い力によって上へ先へと吸い上げられ、そこでまた絶叫。

「ぐわぁーー!!泰子の缶バッチとフィギア、どうしたの?!握りしめて行ったの?!棒なんて本当は危ないでしょう!注意書きも無かった!どこへ行くんだーー?!」

だがバンッと、そこで薄い金属板にぶつかり、宙に投げ出される彼。飯田は巧介達が囲むトランポリンに投げ出されそれでも数秒後、襟を正して言う。

「ふぅ!ふぅーー、危うく会長に突かれるところだったっ。けどやっぱり、その方がましかな~!情けないけど、連打で助けてもらえるし。そ、それで…ここはっ?」

答えたのは洋平と牧内。

「どうやら運動室です。また教団は愚かな無駄遣いをしたらしく、凄い力でしたが…!」

「それより巧介君が、いい策を思いつきました…!私達はもう賛成ですっ」

言われたので飯田が見ると、巧介はもう喜色満面。やる気になっていたので、迷いなく言う。

「会長はまだ遠く、ここは運動室っ。つまり目標は隣にありです!今こそ姉ちゃんを救う時!急ぎましょうーー!」

「おお~~!」

呼応して部屋を出るとすぐ隣の学習室へとなだれ込む一同。井川は入口で見張り役となり、急に決まったので誰が誰を救うかは未定だったがそれより何より無視できないのは、牧内が震える手で指差すもの。それは元々羊の仮面を付けられた高坂だったが今は…羊そのものになっている。

「ああ、そんな高坂さんっ!」

叫び走りだす巧介を止めるのは牧内と洋平。

「落ち着くんだ!あれは他の信者を騙すための戒めで、高坂さんならきっと無事だっ」

「それより加菜ちゃん達を助けよう!勿論その高坂さん、じゃなくて羊でもいいっ」

という事で長い非現実に少し涙目になった巧介は高坂とされるその羊の前でボタンを叩き、飯田はその間に加菜を救出。彼はすぐ登鹿のボタンを叩きだし、しばらくして洋平はまだ半分眠りの中にいる、白鳥を救出。彼女から見ても洋平は頼もしい存在であり、彼から見れば白鳥は十分なヒロインなので余計なロマンスを感じた巧介だが、そこで井川が声をあげる。

「ああ、もう来ちゃった!早いよー!」

見ると入口には会長だけでなく宍戸まで現れ一人の犠牲は確実かと思われたが、そこで助けた羊を撫でながらその後ろに隠れるよう指示する巧介。会長は少し狼狽えたが、それでも強気に言う。

「お前汚いぞっ。まずモコモコ羊から手を放せ!」

「汚いのはどっちだ!自分達が遅かっただけじゃないかっ。この救出だってルール通りだ!」

「滑り台の出口を忘れただけで、別に救出への抗議ではないっ。モコモコ羊を利用するのが汚い、動物虐待だと言ってるんだ!失礼だと思わないのか?!」

「何っ?!あんな物に閉じ込めて、それをしたのはお前達じゃないか!おーい信者達、会長が羊を閉じ込めたぞ!虐待してるぞ!良いのかなー?!」

そう叫ばれたので会長は宍戸に指示。程なくして信者達は手錠をした高坂を連れてきたが巧介の要求はつづき、そのとおりに出て東の突きあたりまで退く会長達。よって上手く加菜達を救った一同は少しずつ距離をとり、体育館前で羊を解放して一斉に南へ。玄関では東西の廊下から見えない奥まったプレイルーム前に集まると、まず口を開いたのは加菜。彼女は光介の頑張りを想像したのか、改まって礼を言う。

「巧介ありがとう。他の人達も、本当にありがとうございます。まだ少し眠いのですがすぐ前と同じように、いいえ前以上に戦いますっ」

微笑して頷く巧介。その再出発に高坂と白鳥も顔をほころばせ、話題はそのまま装備拡充と出口発見のどちらへ向かうかに移ったが、一人井川が見つめる売店前の飯田が話すのは、何やら手紙のような物を手に困惑する牧内。彼は恐ろしい物でも手にしたかの様に、怯えながら言う。

「ええっ!三十日の免除と、幸福シールを千枚ですか?…上手く時間稼ぎをよろしくって…どこでこの手紙をっ」

「…ああ、高坂君の後ろポケットにあった。会長め本当にずる賢いっ。だ…が、だがしかしだ、もしもこれからオレや牧内さんが捕まったり、教団がルールを破って帰れなかったりしたら、どうする…?」

「…いいえ、やっぱりこれは捨てましょう。裏切りを誘う手紙です…!」

「…何で?巧介君達だって当然、幸福になりたい。だから貰ったシールを数百枚譲って、示談すればいい。そう彼彼女らは装置に入った後も、口止め料のぺしぺしでこれをかなり貰うだろうし、納得できるんじゃないか…?」

「…それでも、裏切るのと同じです…!」

「…勿論、絶対やるとは言わないが、本当に不味い状況になったら…もしかすると。粛清後はオレの主催する豪華パーティーに来てもらうし、そこには旬の芸能人も呼ぶし、あの姉弟なら雇用してもいい。それでオレ達の三十日間は、守られるんだよっ。まあ、覚悟を決めてくれたまえ…!」

「私達の…三十日。では……考えておきます」

「ああ、前向きに頼むよ」

にやりと笑い、その手紙を片手でふる飯田。だが彼から手紙を取った井川は、すぐ巧介の元へ。

「えっ…あれ?」

「ちょっと飯田さん!」

二人は慌てたが、既に巧介は加菜達と共にそれを読みはじめ、しばらくすると色々聞きたくなったようだ。

「で…どうするんです?」

その呆れ顔の巧介が訊いたのは飯田。

「何が?」

「裏切るんですか?やっぱり、裏切らないんですか?」

「それだとちょっと…考えたみたいじゃない?」

「結論から聞きたいんですっ。売店前で密談があった様ですし…!」

「ああ…実はね、牧内さんなの。その手紙を見た牧内さんが、あれだ…あのほら、義侠心に燃えちゃって」

「……それで?」

「会長は、そんな汚い奴だったのかって激怒してもう、ぶっ殺すって言うから、止めてたの」

「殺す?」

「うん、でもそれ気持ちは分かるけど、犯罪じゃない。だから隅でこっそり止めてた訳」

「うーん、なにか物証はないかなー?」

勿論会長の好きな戦国時代であれば手紙で十分だが、そこで井川に耳打ちされ、質問をつづける巧介。

「オレ達の三十日は守られるって、どういう意味です?」

「そうそう、この施設で今からすぐ殺すって言うから、そうなると帰れるでしょう?あの槍持ってきた時?つかんで後ろに回って、ボキッみたいな。だからすぐ!止める必要があったのっ」

「何でそんな急に映画に出てくる元CIAみたいに」

「だよねー。しかも殺したら刑務所に行かなきゃならないし、やっぱり賢くはないよね。気持ちは分かるけど…!」

「…それに口裏を合わせろと…?」

そう小声で言ったのは牧内で、彼に振り向きざま言う飯田。

「もう駄目だよ、怖いなー。確かに正義だけど、人々が望んで初めて本当の正義なんだからー」

「…ああやっぱり、それでいくんだ…」

その後巧介に問われた牧内は、ああそうそうっでも妻子いるから止める…と言ったので元から嘘つきの二人はそのまま放置され、まずこれは憶えておけば良いとしてこんな状態の巧介に変わったことを言い出したのが洋平。彼は会長を疲れさせ、あるいはその思考を複雑にする為に、白鳥と二人で行動したいらしいが…。聞いて額を掻きながら言う光介。

「…ああ、次から次と。少々失礼とは思いますが、ロマンスですか?」

「そう思うなら言わない事だ」

「ロマンスですかー?!」

「違うっ。よく考えてくれ…!」

言われてとり乱した事を詫びながらも巧介は少し考え、奈津美も発見となれば挑戦者は一つにまとまって会長はやり易いだろうと、その別行動に賛成。ただ加菜や井川に警戒を頼みながらも彼は、まだ話をつづける。

「高坂さんは譲れませんが、大丈夫ですか?」

そう真剣な目で訊かれ、微かな疑念に似たものを感じる洋平。勿論彼もあえて高坂を寄こす優しさは分かるが、受け入れた場合自らの策に亀裂が生じ、反対に断った場合には嬉しいけれどちょっぴり恥ずかしいロマンスは確定するので即答できず、小声で言うのは巧介だ。

「…色々考えて譲るとすれば高坂さんですが、居なくても大丈夫ですか…?」

「…居ない方がいいから。いいや、君こそ私の実力を疑い過ぎだ。それは…失敗もあるが、むしろ教団の事なら私と白鳥さんが詳しいし、その部分が無くて困るなら遠慮なく、行くなと言ってくれ…!」

「行かないで下さい。正直困りますっ」

「…小声を続けなさい!姉さんに引き止められると困る。いいか別に意地悪ではないが、初めに言った二つをよく理解しただろう。会長は一人なのに中々侮りがたいし、疲れも見えない。間抜けだがあの恐ろしい槍を持って、不思議な技も使うじゃないか。それを複数の隊で引っかき回す、いい策なんだっ。知性派の君が熟考して反対なんて疲労も限界なのか?猜疑心に囚われてこの正義に靄がかかって見えるのか?要するにどうして不満なのか、よく分からないんだよっ。なあ、オレを信じてくれ。そして勝とう。奴ら悪党にはせめて勝って、晴れやかに帰ろうじゃないか…!なっ?」

「う~~ん、ちょっと気になりますが、分かりました」

「うん、優秀な隊長だ」

よってすぐ加菜に報告する巧介。

「…ごめん、負けちゃった…」

「何のこと?」

「…策としては良いはずだけど、もう少し向こうにも居た方が、こっちも安心できるし…」

「ああ、別行動の件ね。ただ一部でも貴方は納得したんだから、賭けてみるしかないっ」

「ああ~それにしても、情けないっ。洋平さん達が二人でこっちが六人なんて、非力を認めている様なものだっ」

「それも小声にしなさい。ドラマじゃないんだから」

「じゃあな若人よ…!」

洋平はそう言うと白鳥の手をにぎって西へ。その思いきった行動に抗議するのは飯田くらいだったが、何とそのとき反対にある東の廊下先には見知らぬ人物が現れたので、目を見張る巧介。横顔を見せた彼女は、紫のローブに赤いベールを合わせて波がかった髪を後ろへと流し、思ったより占い師然としており、巧介は逃げられれば困ることもあって今迄より、慎重に声をかけた。

「今晩はっ。占い師の奈津美さんですよね?まあ落ち着いて下さい。見て分かるとおり私達は、挑戦者です…!」

「ええ、落ち着いていますっ。でもお腹が空いたので余った、うな重を下さいっ」

「あれば残しません。…けどまあ、お腹は空くでしょうから、何か販売機まで食べに行きます?僕達はもう食べましたが、意外といい味でしたよっ。でもうな重は、あったかな?牛丼だったらあったかも」

「そうですか…。実はこれからこの部屋を調べるので、まず食事したかったのですが…。じゃあ、酢だこはありますか?」

「お菓子のでしょうか?ガチャなら出るかも知れませんが、多分ごめんなさい。今は無いです」

「一人前でいいので」

「結構きびしいと思いますよ。それも」

「そうですか…。酢だこがあるなら、昆布巻きもあると思ったのですが」

「まさか今食べたい物を言ってませんよね?食べられそうな物に、してくれませんか?」

だが話が進まないと思った巧介は加菜達に食べ物を要求。それに応じた高坂は巧介に、自分が食べようと持っていたクッキーそして牧内から貰ったお茶を渡し、それを受けとった奈津美は素早く礼を言い、もくもくと食べる。

「…ああ、でもこれ水分取られる。ただお茶が美味いから、まあいけるかな。うん、悪くない。お腹空いてる分を差し引いても普通だけど、うまいかな。くれたのも良い人そうだし、新鮮な体験としておこう…」

感謝ある?思った高坂と巧介だが、高坂は口に合わない事もあると諦め、巧介は早めに仲良くなりたいので愛想笑いし、今迄の動向を探る。

「ずっと一人で?」

「ええ、ずっと寝てました」

「寝てた?」

そう実のところ奈津美は、朝出勤するとき部屋を出たところで教団信者に囲まれ、睡眠薬より強力なスーピーガムを渡されてその二、三枚を口に放りこみ誘拐され、それでもゲームを楽しむ為起こそうとした会長のくすぐり攻撃をバシッと叩いて今に至るが、疑問に思う巧介。

「じゃあ誘拐そのものだ。でも…食べたんですか?」

「だって、サクランボみたいな色の包装で、美味しそうだったんです…!ごめんなさいっ」

「いいやっ、別に悪いのは教団で、貴方のは犯罪でも何でもありませんが、ただちょっと、ちょっと不思議に思って…!」

「三枚でも、四枚でもいいって言うし、托鉢とかビラ配りの一種かなと思って」

ポケットからそのガムを四枚も出す奈津美。にもかかわらず大体の事情を察しているのは放送を聞いてしかも、おにぎりを貰うついでに信者から情報を得たからであり、巧介から見ても食べ過ぎ正直過ぎなところ以外に問題はなくそれより宿泊室を見たかった彼だが、ずっと眠っていたのも恥ずかしいのかまた奈津美は、深々と頭を下げる。

「ごめんなさいごめんなさいっ」

「いいえ、本当に気にしないで下さいっ」

「ずっと眠っていたばかりか、食い意地が張ってほんと、ごめんなさいっ」

「何を言うんです。眠っていたのも食料を求めたのも七、八割くらい教団が悪いんですっ。同じ挑戦者として、まあまあ理解できますよ…!」

だが疲れた巧介は素早く加菜の背中にまわって交代を依頼。彼女にとっても奈津美は少し可哀想なので、宥めるには適任だ。

「じゃあ他に、体調が悪いとか何か落としたとか、そういう事情はありますか?」

「大丈夫です。ただ自己紹介みたいなのは、あった方がいいですよね」

「いいえ~、貴方のことを忘れるなんて…!もうどうやったら出来るか、教えて欲しいくらいですっ」

悲劇的に偶発した、お人好し加菜による嫌味弾投下。かといって実は大らかな奈津美は安心したように笑いながら、南の部屋にあるドアの左上を指差し、そこに引かれた緑の線こそ出口の印ではないかと言うので、うなづく加菜達と共に中へ。一番後ろにいた牧内は北に振り向いて、その宿泊者用休憩所の左手にある赤いソファと右手にある大型テレビに帰宅願望を覚えたのでせめてネクタイを緩め、対して目覚めたばかりの奈津美はもう出口を探す気満々。押入れの左上にも線を見つけ、それに頷きながら言う。

「絶対に出口ですっ。中身がどうなっているかは分かりませんが」

「確かに同じ印ですね」

その巧介にとっても印以外に違いが無いのが妙だったので押入れを開くとそこからは、電気スタンドや殺虫剤などが転げ落ち、それを回避して言うのは飯田。

「おいおいちょっとー!もう適当に、詰めこんでるじゃないの!」

「という事は罠でしょうか」

言いながら巧介は落ちてきた枕や手袋を拾い、大きくため息。何故なら半分見えた押入れの中は布団がどこにあるかも分からず、代わりにパジャマ、置き時計、電気コード、カーテン等々使わなくなった物で溢れ、岩がむきだしの崖の様になっているからである。それに言うのは高坂と牧内。

「こんな事は犯罪の次に許せないっ。もうちょっと何とかなるだろ!やっぱり、わざとでしょうか?」

「きっとそうだ。だが罠だろうとここで出口を探さなければ、あった場合に思う壺。結局時間があるなら、探すしかないっ。……だからあの人はもう、死ななければならないんだっ」

「信者の方が来られました」

そう見張りの井川が言ったので、眉を寄せる巧介達。全員で部屋を出るとそこには聞いたとおり会長ではなくたった一人の信者が立ち、顎を上げながら言う。

「二階にポイ捨て禁止と書かれていたのは、知っているな?」

答えるのは一番前にいる巧介と飯田。

「ああ…あのゴミ箱のやつね。それが?」

「別に何も捨ててないよっ。それより…何の用だっ」

「つまり、散らかすなと伝えに来たが、信用できないので見張らせてもらう」

聞いて信者の胸ぐらをつかむ飯田。

「てめぇこの野郎ー!!」

「待って下さい!」

そう言った巧介も飛び出した牧内も共に飯田を止めたが彼はなかなか手を放さず、今まで溜めに溜めた怒りを吐きだすように言う。

「もう頭にきたっ。まずお前から血祭りにあげてやるっ!」

「私は言われて来ただけだ!会長は休んでいるが、もしもこの身に何かあればご出陣なさるぞ!」

「何が出陣だー!散らかるのが嫌ならお前らが片付ければいいだろ!!おお、そうだ!ちょっと井川ちゃん電気コード持ってこいよ!もう、思い知らせてやるっ」

「宍戸っ、宍戸さーん!」

信者の叫びにやっと手をはなす飯田。彼は肩で息をしながら加菜と高坂に両側からつかまれ、代わりに信者と共に入室したのは巧介と井川。巧介は加菜にも断ったが何とか交渉によって物を出しっぱなしにしたい考えで、その相棒は今も落ちついて話す井川になった。

「ほら、もう徹底的に無茶苦茶…!会長はそんなに意地悪じゃありませんっ」

「会長の好きな鬼ごっこには無関係じゃないかな~?」

「いいや、ある。だからお前らは、出口があると思えば探す、無いと思えば止める。それだけだ」

「途中で嫌になるとか、会長が来て逃げるとかすれば、片付けるのは信者ですよね」

「そう僕達がやるとしても元通りには出来ないので、どこに何があるか分かり難くなりますけど」

「でも私の物は無いからなぁ。…う~ん、どうでもいい!」

「どうしようかなー。ねぇ巧介君、止めましょうか?時間が勿体ないもんっ」

「ここは出口ですか?」

「はっ?何だ、反応を見ているのか。警察みたいな真似するんじゃない。会長が退屈しのぎに集めた、鼠共めっ」

聞いてまた飛びかかる飯田。

「ああーー!!どうしてお前らはそうなんだー!考えてくれても良いだろーがーー!!うぉー!!かぁーー!!」

「で、出口かも知れないと思えば無駄じゃあないし、大体その押入れに収まれば良いと、聞いている!」

「じゃあ何で工事で出た欠片は良くて、これが駄目なんだー!!うぉーー!!もやっとするー!!」

「耳が痛いっ!!少し大目に見てやるっ。これで勘弁しろ!」

「どう大目に見るんです?」

訊いたのは巧介。胸を押さえる信者が言うには、どうしても入らなかった物は隣の部屋に置けばよく、それは私達だけの秘密だという事で、早速作業を始める牧内。

「それでも凄く面倒だけどねぇ。痛っ」

「気を付けて下さいね」

そう言った井川と共にまず二人が急いで物をだし、狭い部屋での効率を上げるつもりだが、次に控えた加菜と高坂もやる気を上げるのに苦労する。

「今やビデオゲームもスポーツ!ゴミ拾いもスポーツ!便利屋になるかも知れないし、気合い入れていきますよっ。気合いだー!」

「ふぅーさすがに若いな。脱出したら二人で店に来てくれ。後ろに飯田さん達がいても入店は可能だ」

それから十八分後…さっぱりと何もない押入れを確認して頷く巧介。

「まあ、そうだよね…!じゃあ仕舞いましょう。気合いですっ」

更にまた二十五分後には、入りきらなかった物を隣に置いて作業は終了。ほぼ喪失感のなか部屋をでた一同は走って逃げる信者を見送ったが、その西に現れたのは会長。たっぷり休んだ彼女は今こそ巧介達を追いつめようと風に舞う…たんぽぽの種のように迫り、それに怯える飯田。

「怖い怖いっ。何あれ?」

「あれだけは本当に知りません」

牧内さえ知らない未知の歩法に飯田は更に怯えたが、それでもすぐ北へ行く挑戦者達。廊下を走る彼彼女らは巳の字廊下の長方形部分にある右側から会長へとふり向き、部屋に隠れようともしたがその姿が現れると更に奥へ。そこから巧介は相手を探るため大声で言う。

「休むようになったねー!前より遅いみたいだし、疲れてるんじゃないっ?」

「ふんっ…!白鳥が捕まったのも知らず、いい気なものだ。お前達もこれから同じ目にあう!ぽぽ~ん、ぽぽ~ん」

言うなり再びたんぽぽの種のように迫る会長。やはり気味が悪いと思った巧介達は西の廊下へと走り、勿論それを察した会長もそちらへと回りこみ、その姿を見てまた東の廊下へと戻る挑戦者達。飯田は戻ったことを責めたが、巧介は洋平達の為にも少し引きつけておくつもりで三度それを繰り返し、再び西の廊下へ行ったとき会長は堪えきれず設計に携わった信者達に愚痴を連発し、それを指差して笑う加菜と、切なくなる井川。怒りを帯びた会長はやや早足となり、また素早く東西を往復した挑戦者の中でも高坂は両手を広げ、片足の先を上げながら言う。

「ハッハッハッ!大体にして遅いが、オレには奴がまとうケーキの香りが、はっきりと分かるっ。これじゃあ捕まりたくても、無理というものさ…!」

聞いて言うのは巧介。

「でも流石に目は開けましょう」

「大丈夫だって。ケーキの香りが揺らいでそれは奴が移動したことを意味し、漂う強弱が位置を知らせて繰り返されるだけその感知も、正確になって行くんだっ。これでどうやって捕まるのか、教えて欲しいくらいだよ」

「目は開けましょう」

だが二人の前にある壁が開いてそこから出た会長は例のミサイルを発射。まともに受けた高坂は、そのアニメのような構えで入眠となった。

「ああ、だから言ったのにっ!でも、店には行きます」

「高坂さんっ」

「そんな彼が?!」

叫んだのは加菜と牧内。回転扉を閉めた会長は静かに言う。

「そうここは…我が城も同然。こんな所で戦っておるっ。本当に三十日を守れるかな?」

言い返すのは飯田と、まだ少し眠そうな奈津美。

「守るしかないだろー!仕事や家庭があるんだからっ。三年寝太郎じゃあないんだからさぁ!」

「ええ、そうです。脱出に成功した場合の賞金はいくらです?誰に訊いても笑ってばかりで、まったく答えてくれないっ。それが無かったらもう逃げてますから」

微笑した巧介と加菜はその奈津美に、脱出賞金がない事実を教えると共に本当の出口を訊いたがやはり彼女は知らず、代わりに質問されたので襟を正す。

「じゃあ三十日って何です?負けても、寝るだけですよね」

状況を教えられた奈津美は少しずつ心配になったのか搬送にきた信者を見て逃げるように言い、一同はそれに従って西へ。日の字廊下のうち一番北の通路をすすみ、途中職員待機室に寄った奈津美は、テーブルにある餅や饅頭をポケットに入れ気に入った物はすぐ食べて走ったので、顔を歪める上司の様になった飯田と牧内の胸中やいかに。実のところ二人は笑ってはいけないと気遣っただけであり、新たな巧介隊は結束して逃走をつづけた。さあ白鳥は本当に捕まったのか。これから誰がどんなものの犠牲になるのか。優勢も劣勢もそれは、会長の楽しみであった。



会長が中央の廊下を使ったので回りこまれた挑戦者達は、追い立てられて結局東の押入れを調べた部屋まで走り、そこで救出を勧める井川。彼女が言うには少々強引にでも助けた方が仲間も多くなり、相手に動揺を与えるばかりか出口も探しやすくなるという事だが、ずっとルールを考えていた巧介がそれを止めた。

「どうして?」

「勿論時としては正しいし、一理あるよ。ただもしも学習室に着いてすぐ会長が来て彼女がその気なら、搬送先はその部屋だから短時間で済んで、大勢が犠牲になる。まだ仕掛けの種類や場所も一部しか分からないし、何度か救出に成功して警戒もあがって、猛者の宍戸もいるから…」

「でもそれじゃあ、少しずつ捕まるだけだよね?高坂さんもやられて、もしかすれば白鳥さんも。確かに、警備室前からさっきまで会長を見ていないのは…気になるけど」

「そうでしょう。二度目の放送は無いって言うし、まだ時間はあるからもう少し耐えて、ねばり強く戦おう」

危機感を覚える挑戦者達。しかもそこに流れたのが、洋平入眠の放送だ。

『挑戦者、冒険野郎の洋平っ。そうお前達は何も知らず、この男を救世主とでも思っているのかも知れないが、正体を聞いて驚け!』

……ゴッ、ボボッ。だがマイクの調子が悪いのか雑音が入ったので、言うのは巧介と加菜。

「これは…不味いっ。経歴は怪しいけど洋平さんの意欲と知勇は、頼りになったのに…!でも正体って?」

「井川さんの心配が的中した?やっぱり会長は慣れていて、今までは遊びだったって事?」

『ああー挑戦者、冒険バカアホ野郎の洋平!そうこの者は、教団の依頼した不死の羊を見つけられず、ゲームへの参加が決まった!しかもそればかりか失敗報告の際、空き地で四人の信者に囲まれそのまま腕を押さえられ跪いた奴は、羽の生えた羊や涙がダイアになる羊の発見を困難としながらも、岩に擬態する羊の情報ならある…などと食いさがり、その場を仕切るあきれ顔の幹部に、馬鹿めそんな羊がいる訳が…いいや、じゃあそれはゲームが終わってから探してもらおうと言われ、その口にスーピーガムを入れられたのだ!つまりこの洋平は間違いなく、もう一度はゲームに参加しなければならないっ。これがどんなにバカでアホか分かるなら、早々に泰子会長に降れ!それが身の為というものだー!バカー』

全員驚くか俯くかしていたが、言うのは巧介と加菜それに飯田。

「これでも笑ったら怒られるの?勿論、助けるけど…!」

「教団だって不死の羊を待ったんでしょう!正体って別に、大体想像どおりじゃないっ」

「そうだっ。情報があると言っただけだし、教団は暴力をふるった!洋平君だって何とか逃れようと適当なことを言っただけ、~かも知れないじゃないかっ。悪くないっ」

そうして正体まで受け入れられた洋平だが、やはり心配するのは井川と奈津美、それに牧内。

「白鳥さんに、洋平さんが…!別行動が良くなかったの?あんなに懸命に戦い、そして恋をしたのにっ」

「誰か分かりませんが皆さんの失望が分かりますっ。私達も注意しましょう」

「私も教団の誘拐や恫喝、それに洋平君の犠牲が許せないっ。個人的にもこれで教団幹部だった過去を、より一層消せなくなったんだ。まあそれでも強く賢く、格好よく、長所だらけの巧介君達が忘れてくれるなら、それに甘えるがっ…!」

そう言って彼が素早く姉弟を見ると、巧介は西の廊下を、加菜は北の廊下を見ていたので、声をかける飯田。

「一服しようか?」

「忘れるので、我慢しましょう」

そう言いながら巧介が笑ったので一同は慎重に北へ。井川達の心配もあって救出が可能かどうか見にゆき、途中巧介は喫煙所に鼻を向ける飯田の肩をつまんで、そのまま学習室が見える角まで。だがそんな時西から走ってきたのは会長でなく、登鹿と白鳥だ。

「えっ?」

驚く巧介。つまり会長の言葉は嘘で洋平も登鹿を助けた事により捕まったようで、仲間は悲観的想定より二人多く、事態は思ったほど悪くない。ただ慌てた様子の登鹿と白鳥は忙しく西へと振りむき、早口に言う。

「再会を喜びたいところだが、オレ達は洋平さんの策を引き継ぐっ。君達も本当に気を付けろよっ。白鳥さんからガチャの賞品を受けとってくれっ」

「はいこれっ。役に立たないと思った物はどこかの部屋にでも、押し込めておけば良いから!宍戸が追いかけて来るけど、とにかく逃げて!後で会おうねっ」

二人はそう言って巧介の手に富士山柄の団扇、血のりカプセル、ライト付きヘルメット、画用紙と黒のマジックペンそして襟巻トカゲのキーホルダーを渡し、足早に南へと走り去った。急展開に立ちつくす巧介。彼に片手拝みした牧内は早速ライト付きヘルメットを受けとり、口を開いたのは飯田と加菜だ。

「それでも二人に会えてよかったっ。ほっとしたよぉ!じゃあこの襟巻はオレが貰う」

「ええ、かなり心強いですっ。でもまだ何か…落ちてるけど」

「どこ?」

そう言ってきょろきょろする巧介は、足元にある教団女女うきうきダンスストラップを拾い一瞥して鞄へと歩き、だがそこへ来たのが宍戸。彼はどうやらドアストッパーを使いもどって来たようで、大きな黒い旅行鞄を携えて北の廊下から現れ、そのまま野太い声で言う。

「二人を逃がしたのは、まずお前達から始末せよという、アタタカ様の思し召しだろう。実は会長が休むあいだ私が戦う事になったが、異存あるまいっ。さあ、会議室へ入るんだ…!」

突然そう言いながら顎で部屋を示す宍戸。巧介達から見て左の会議室は南北にドアもあって十分広く思えたが、たとえスーピーシリーズを使ってだろうと、宍戸と戦うのは無理。しかも異存なら、まずそれぞれの心に黒くこぶし大で石のように固く飛来し、すぐ風船のように膨らんで顔や手に緊張として表れ、それを互いに感じとった一同は目の合図でわっと南へと走りだしていたが、その背にも声がかかる。

「止まれーー!!」

その瞬間、凍りつく六人と、燃えるような剣幕の宍戸。

「同じことを言わせるなっ。会議室へ入れ。どうなっても知らんぞ…!」

さっとふり向きそれに答えるのは巧介、飯田、牧内だ。

「鞄の中を見せて下さい!お…お願いしますっ。安心して戦えません!」

「急にハードボイルドアクションは止めてっ」

「会長がお休みなら、いつまででも待ちますよ」

牧内さんは三十日を諦めるつもりか。そう思って額を押さえる加菜。落ち着いた彼女以外の女性達つまり井川と奈津美も恐怖しているが、一人で逃げるのも恐ろしく先に中へと入り、仕方なく一同は揃って会議室へ。そこはテーブルと椅子もなく監視カメラ以外はすっかり片付けられ、南に集まり緊張する巧介達に対して北のホワイトボードを背に赤いネクタイを締めながら、目を瞑る宍戸。だが彼は実のところ教団に対して…懐疑的な思考をしていた。あの優しい泰子様はどこへ。数年前は本気で世界平和をお考えだったものを…。このままゲームの被害者が増えれば教団も危うく、国やその果てに世界まで巻き込んで、大変な事になってしまうだろう。ではこの宍戸、少しでも勇者達が走り回らなくて良いよう、可能なら余計な緊張を受けなくて良いよう、取り計らわなければならない。その結果この勇者達が勝てば、泰子様も目を覚まされるというもの。そこで…薄っすらと目をあけ、旅行鞄から赤いマントと、青い宝石の付いた銀のサークレット、それにゴムで作られた黄金の剣を取りだす彼…。赤いマントは何故か加菜のみに与えられ、サークレットと剣はその彼女も含めた巧介、飯田、牧内に配られ、察した井川と奈津美は廊下側の壁へと歩き、そこで宍戸は刃が紫に光る黒い斧を手に、左を前にして低く低くかまえ、目をかっと見開き、口を大きく開けて叫ぶ。

「我こそは福変人獣進隊の長、アリゲーター宍戸ぉ!!お前達が真の勇者と言うならこの胸にあるネクタイを突き、見事私を討ち果たしてみるがいい!!さあ、死に急ぐ者からかかって来い!!お前達を残らず眠らせ、神アタタカへの供物にしてくれる~!!」

それに言うのは巧介と加菜、それに飯田。

「怖い!色々怖いからこの状況は許容するとして、全員眠らせるなんてずるいよ!逃げろっていうの?!」

「面白いじゃない…!逃げてばかりは詰まらないと、思っていたところだ!」

「巧介君だけじゃなく、オレも守ってよ加菜ちゃん!」

どうやら戦いは四対一。整理すると勇者は巧介、加菜、飯田、牧内であり、その目前に迫った宍戸は大きく斧をふりかぶり、また目をかっと見開くと、口を大きく開けて叫ぶ。

「てぇあーー!!」

その攻撃は速いようで時々遅く牧内のヘルメットを掠り、四人の構えを一瞬で見た宍戸はそのまま右に回りこんだ加菜の突きを素早くはじき、その鼻先に斧を突きつけて言う。

「何だ勇者とはその程度かー!!加菜よ、勇者加菜よっ、私はお前と戦うのを長いあいだ許されず、その憤怒を抑えるのに幾つ村を焼き払ったか分からないというのに、まだ巧介達をかばい真の力を出し惜しみするのか!?それならば私にも考えがあーる!!これでもお前は本気を出さないのか?!うなれ私の戦斧、山削りっ!!ハァーー!!」

言いながら横を向いて蟹歩きしながら、斧を扇風機のように回転させる宍戸。その異様を見た巧介、飯田、牧内は加菜の危機を救うべく、次々と叫ぶ。

「危ない姉ちゃんっ。それは言うなれば、戦いの舞だ!」

「でも本当に躱してよ!君が眠ったらオレ達は…本当に大変じゃあないか!」

「ネクタイを守りながら攻撃する技だ!」

斧を躱しながら東の壁に追いつめられる加菜。後ろには今回のアリゲーター討伐戦を依頼したかの様な井川と奈津美がいるので額から落ちる汗までも冷たく、彼女は進退きわまって剣で斧を受けとめ、その顔を睨みつけて言う宍戸。

「ハーハッハー!!私の斧を受けとめるとは、見上げたものよっ。だがこのままでは私のネクタイを狙えまい!あの巧介達は私に怯え、巨大鷲から救ってやったことも、山から薬草を取って来てやったことも、一万体のスケルトンを蹴散らしてやったことも全て、すっかり忘れているではないか!!本来なら感謝すべきであるが、これで一体どうやって私を倒す?!共に戦った記憶は?!誠の絆は?!誓い合った日々は、どこへいったのか?!いっそあんな者達には見切りをつけ、私と一対一の勝負をしろっ!!」

聞いて言うのは飯田、巧介、牧内。

「じゃあなんで、サークレットとか…剣とかを」

「ですよねー。台詞は適当ですよきっと…!」

「ああ、でも一人で話してるから、少し楽になった」

その三人に大きく手をふる井川と奈津美。どうやら二人はこの隙にネクタイを狙えと言っているようで、気付いた順に三人は移動。飯田は左から牧内は右から、そして巧介は後ろから大きな背中へと迫り、それを肩越しに睨んだ宍戸はまず、加菜に大喝。

「見ろ!!お前が甘やかしたせいで、奴らはこんな卑怯な戦いしかできん!!そんな虫けらはもはや、私の斧を受ける価値もないわー!!」

加菜は斧を突きつけられて退き、警戒しながら北に戻った宍戸はそこで両腕を胸の前で交え、目を瞑って呪文を詠唱。その異様に巧介も他も微動だにしない。

「エイーーヴィーシィーディーイーエフゼェー、エイーーチアイ…」

だが思いなおして集まる一同。そう巧介は、宍戸が加減していると誰より早く気付いていたので、笑みを含みながら言う。

「…もしも手抜きでなければ、彼は味方です。そうこのお芝居に参加していれば走らず、見つかる恐怖に怯えずに済む訳ですからここは、血のりカプセルを使いましょう…!」

若干やり過ぎな気もするが頷く一同。飯田と牧内それに加菜は、井川から血のりカプセルを受けとると身構えて呪文を待ち、それに片目を開けて確認した宍戸は素早く天を仰ぎ、体を大の字にして叫ぶ。

「嘆きのデスローール!!」

その大音量に対して吐血する巧介、飯田、牧内、加菜。

「ぐわぁぁぁ!!」

「かはっ…!」

「うぐぉ!ああっ…!」

「嫌ぁー!自転車で転んだ時みたい!!」

「フフフッ、愚かな挑戦者達よ…!正々堂々の勝負のみがこの私を、戦いの極地へと導くのだ!!お前達にこの失望が分かるか?!加菜よ、勇者加菜よっ、武人でありながらどうして真剣に敵を屠ろうとしない?!真の戦いとはすなわち命がけ!!いずれ止まらぬ生の中、その一瞬に少しでも楽しめる者が本当の強者なのだ!!鹿の骨のようにかみ砕いて言うなら、本当に好きなことをして生き、そしてその中で死ぬるのだから本望なのだ!!何故変化を嫌う!!何故殺せない技を磨く!!何故互いに戦いの道を行くのに、あるいは平素でも起こりうる死というものを過剰に恐れるのか!!心血を注いでも一かけらの喜びさえ手に入らないかも知れん!!だが、戦って死ねないよりはましではないか!!何故そう思えない?!加菜よ、聡明なる勇者加菜よっ、私達が行くのは…窮まれば死という至上の安らぎが迎える、ありがたい道ではなかったかぁ!!忘れるならいっそ捨ててしまえ!!違うなら常に備えよ!!お前だけに見える一条の光を目にする事こそ、真の喜びと、心得よー!!」

加菜を買いかぶり過ぎてはいるが、流石はアリゲーター宍戸。膝を突いて彼をにらむ勇者達さえ圧倒的な獣進隊の長になす術もなく、中でも飯田と牧内は一応理解しながら聞いていたので、早くも少し疲れている。

「…そろそろ良いだろ?まあ、教団に知られると互いに不味いけど。だってほら、ずっと捕まえられない振りをする事も、できるんだし…」

「…ここまで熱弁されると、本当に叱られてる様に思えてきました…」

だがそこで先程までは体育座りしていた井川と、まだ新参でそんな彼女に嫌われたくない奈津美は、すっくと立って言う。

「ちょっとアリゲーター!だったら貴方も、十あるなら十、百あるなら百ある技を惜しみなく見せて、本気で戦えばいいじゃない!!私達だって正義の為に死ぬ覚悟くらいあるんだからー!!」

「う、うんっ。そんな気がする!」

「何だとー?!」

じろりと睨みつける宍戸、そして飯田と牧内。宍戸は新たな必殺技・大氾濫デスロールを見せようと思ったが、考えてみるとこの名称では対象でなく川に力が逃げているので止め、小刻みに震えながら立ったのは勇者加菜。彼女は切っ先を宍戸へむけ気合十分とはいうものの心配するのは巧介、飯田、牧内だ。

「…戦うの?何か言うの?どっちにしてもお互いの休憩が、続くようにしてね…」

「…いいやー、オレはもう止めた方がいいと思うなぁ。宍戸さんに相談して、別な方法で休もうよ…。喉が痛い」

「…戦闘激化の恐れあり。何とかうまく宥めて、もっと楽に休ませてほしい…!」

続けてその牧内は、少々腰が痛くなったので飯田に加菜への助言を依頼。受けた彼も短くだが真剣に言う。

「頼むよ本当に…!おじさん達はもう散々な目にあって、この一戦を理解して合わせるのも、大変なんだからね~」

「ええ、任せて下さいっ。獣進隊の長宍戸よ!何故お前こそ、教団なんかに身を置くっ!奴らは世界平和なんてどうでもよく、ただ自分の想いを叶えているだけじゃないか!本当の戦士でありながら、そんな事も分からないのか?!」

「おのれぇ、ほざいたな勇者加菜ー!!お前達がかばう凡人共にとって教団は、煩わしくとも聖なる集い!!その数ある思考で私達の崇高な望みが理解できるはずもない!!目を覚まさんかぁ!!一体いつまで私を逆なでするつもりだ?!この怒りの炎に包まれし心は灰になることなくお前達を飲み込み、果ては一帯におよぶ巨大な龍になろうとしている!!その業火を受ける覚悟が、あるや否やぁ!!」

「やっぱり激化、しそうじゃないこれ?もう少し優しく…!」

「それは、お前も苦しかったのかも知れない。でも…教団が本当に聖なるものか見極めもせず、拡大を許しているのは何故だっ?それこそお前達が邪悪な物の手足となっている、何よりの証し!真の聖者にすがらず、真の神に従わずに毒のような言葉で世を覆い、恥ずかしいと思わないのかー?!分からないならお前を倒すしか、道はない!!」

「何と愚かなぁ!!勇者とはいえ所詮単なる若輩であったか!!見せかけの正義に惑わされ、人以上の人がする事も見えず、邪推して私達を嘲笑うその心が、一体どれ程のものだと言うのだー!!小さき者よ、私の目を見るがいい!!この目は今もその手が震え、足が必死になって地を踏み、心がすぐにもその身を離れようとしているのを、しっかりと見ているのだぞ!!もういい!!真の呪文という物を見せてやろう!!」

「もう勘弁してくれ~!二人ともため込み過ぎだろ~。ネットニュースのコメント欄で言ってよー。誇り高き獣進隊の長よ、どうか気を静めてくれっ」

「後悔しても遅いわー!!」

感情労働に辟易する飯田を一喝する宍戸。彼はまた両腕を胸の前で交え、目を瞑って呪文を詠唱。その異様に慣れたしかもまだ若い巧介は、血のりカプセルを配って歩く。

「エイーヴィー、エーンド、シィーディー、エーンド…!さあ、喰らえー!!古来より、放てば必ず敵が吹き飛ばされてしまうと言われた、恐怖の呪文!!ペーガサスデスローール!!」

誘拐と狂ったゲームの影響だろうかその時の挑戦者に見えたのは、鼻先を軸にしたペガサスが回転しながらこちらへと飛んでくる姿。しかも大音量に対してはやはり巧介、飯田、牧内、加菜が吐血し、そのまま壁に吹き飛ばされる。

「うわぁーー!!」

「ば、馬鹿なー!!もう限界だぁ!から、やめてくれー!」

「いいいっ!ああ、本当に辛い!痛いんだー!!」

「ううっ!でも、負けない!豊次さんの分まで、高坂さんや敬子さんの分まで戦うと、誓ったんだ!大会長泰子を討ち果たすその日まで、決して挫けないっ!!」

「ペーガサスデスローール!!ペーガサスデスローール!!」

「うわぁーー!!」

遊びのようで十分休憩と思える姉弟は西へ東へと吹き飛び、飯田と牧内は一度首を傾げながらも真似して壁に衝突。宍戸は六人全員に重水弾っと叫んでアミノ酸飲料を放り投げ、すばやく詠唱してすばやく天を仰ぎ、また体を大の字にして叫ぶ。

「さあ、喰らえー!!古来より大勢の戦士から一分間だけ視界を奪ってきた、恐怖の呪文!!胃の中のダーーク!!」

それを受けると目を閉じて部屋のあちこちに顔を向ける巧介達。だが顎を上げた宍戸もゆっくりと部屋のあちこちに視線を走らせ、また声を大にして言う。

「お前達には分らんか?!凄まじい風が巻き起こっている!!これは私が変身する前触れ!!大地が、この星が私に、戦えと言っているのだ!!ハーーハッハッ!!ピューンピューン、ゴゴォー!ピューン、ゴゴゴーン!」

流石にその宍戸がいかれた殺人鬼のように思えてきた巧介は、怖くなって加菜達が居るのを会話で確認。しばらくして巧介達が同時に目を開けるとそこには、正しく悪鬼羅刹となった宍戸が立っていた。

「ああっ!」

「こ、これはっ!」

驚き後退りする巧介と飯田。そう宍戸は、パーティーグッツのクラッカーを三つ黒く塗りつぶした物を、左右のゴムで額へと付け、同じ色にしたサンダルを三つずつ、前腕に装着。まるで妖気のような働きをする牧内の煙玉とそれを団扇であおぐ井川達の前で、仁王立ちのまま下から睨みつけているではないか。そして再び左を前にして低く低くかまえると、目をかっと見開き、口を大きく開けて叫ぶ宍戸。

「さあ、本当の戦いはこれから!!不本意ながらこの姿を望んだのはお前達だが、こうなったからには存分に戦おうではないかー!!」

だが肩を押さえ、小刻みに震えながら言うのは加菜。

「誰も…戦いなんて望んでない!お前に正義とは何かを、人を導くとはどんな事かを、分かってほしいだけだ!」

「この期に及んで見苦しいぞ勇者加菜!!私の敬愛する泰子様を愚弄し、罪を認めず教団の聖なる儀に抗い、しかも戦いから逃げるつもりか!!果てはもう死ぬのを待つだけとなった辺境の老人にでも匿われ、虚しく荒野を眺めるつもりではなかろうな!!それならいっそ変身を遂げたこの私の手にかかり、せめて武人として最後を迎えるのがお前の務めであろう!!この角が怖いかー?!これはお前達のような落伍者を見下ろす天の怒り!!この篭手が怖いか?!これはお前達のような弱き者を地に還す摂理!!星が私に与えたもうた、お前達を滅ぼす権利なのだー!!」

「そんな物をあると思うのが既に傲慢じゃないか!教団に入る前、ただ一つの命だった頃はどうだった?そんな…そんな怒り狂う鬼のようになったお前を見て、一体誰が喜ぶ!!今ならぎりぎり間に合うっ。世を人を救うのに傷つける矛盾に気づき、福変人なんかに味方するのはやめろ!」

だが慌てて言うのは飯田。

「ぎりぎりだと、追いつめ過ぎじゃない?倒しても復活したらどうするの?また疲れる呪文攻撃くるよ。そうなると耳が痛いじゃあ済まなくて、そろそろ本当に筋肉痛が」

「馬鹿め!!お前の言葉は婦人の仁だー!!ただ世を楽しみながら神アタタカや泰子様に手を合わせるだけで良いものを、あろう事か餓鬼や悪霊のように邪魔して醜態をさらし、民草の冷ややかな目にも気付かずこの私に講釈を垂れるとは!!お前達の虚像である神はさぞ優しいだろうが、その先に真の平和というものは無い!!力ある正義こそがー偽善や怠慢を遠ざけ、悪を根ごと成敗し、それでこそ戦は終わり槍は仕舞われるのだ!!大事の前の小事も分からんのなら、もはや何の用もない!!死してこの新たな力の、礎になるがいい!!」

「いいや、勝つのは私達だっ!お前の言う真の平和を知るのは日々を懸命に生きる人々で、それが極一部の望みであっていい訳がない!大会長泰子の戯言を妄信する日々がつづいて、左派なのに婦人の仁が女性蔑視的な諺だという事さえ忘れたのか!諺は諺でも、お前のような悪がそういう風に口にするのは許せない!今すぐにでも心を改め、儚い生から三十日を奪うのをやめてもらう!!自慢のその篭手さえ、まるでサンダルみたいだっ!!」

「急かして悪いけど、ネクタイはいつ突くの?こっちは正義だから多分勝たないと終わらないよ。勇者の方から…大会長って言うの変だし」

「ええい黙れ、この暴力社長!!勇者加菜よ、その潔さだけは褒めてやる!!だが飽くまで反意ある者をかばうその姿は虚栄心に苛まれた証し!!腐って塵になったものには消えてもらうのが道理だ!!さあ、どうしてやろう!!歴戦の獣達から勝ちとったこの角で稲妻を落としてやろうか!!極限まで硬化したこの皮膚の篭手で全ての攻撃を防ぎ、絶望させてやろうか!!いずれにせよ私を本気にさせたからには楽に死ねんぞ!!稲妻は、巧介から受けてもらう!!それでもお前は神アタタカや、泰子様に逆らうのか?!」

「なんて残酷なっ。やっぱりお前達は非道だ!!何を語っても結局は力による支配!それこそが偽善じゃないか!!集めた財や力を万人の望みでなく極少数の為の法や自分達の豪邸に使うのは悪だと匂わせ、目障りな善を遠ざけたいからだ!!つまりその行いは私欲でどんな事でもしてしまう悪人達と同じ!!それがお前達福変人の正体だ!!何が神だ!!何が泰子様だ!!何でペガサスデスロールだ!!やっている事に矛盾が多過ぎる!!」

「正しいけど、一回落ち着こうっ!むしろ今は君が心配になってきたっ」

「黙れと言ったのが分からんのか、この拝金主義者め!!かくなる上はお前だけにペガサスデスロール!! 」

「うわーー!!ああーー!!」

という様に仕方なく東西そして南の壁に衝突する飯田。彼はそのまま巧介と牧内の前に倒れてその二人と、相談を始めた。

「ごめんっ。見た通り二人を止めようとしたけど、無理だった。どうしようっ?」

「確かに逃げ回るよりは楽ですが、勇者加菜の役は疲れますからね。でも僕に考えがありますっ。誰か宍戸さんと組み合ってその隙に、そろそろ負けてもらうよう提案するんです。そう体の大きな人は膝に負担がかかるので…その辺りを軽く蹴らせてもらうと、自然に見えます」

「おお、それで良いじゃないかっ。でも…誰がやる?」

そう牧内に言われて押し黙る巧介と飯田。三人はしばらく合理的かつ利己的に考えて下を向いていたが、まず口を開いたのはやはり飯田だった。

「自分で言うからには、出来るでしょ?だってオレ達も助かるけど、一番辛いのはたぶんお姉さんだもんね。分かんないよ。ああして奮然としてるから、本当に辛いかどうかは分からないけど、でもここはお願いします。君達姉弟は強くてもオレは…さっき見た通りだからさ」

「姉への助言には感謝します。でもさっきの失敗を拭い去る為にも、飯田さんがやるべきじゃないですか?だって僕なんて本当に机上の理論、頭でっかち、口だけは達者で、考えるのが専門みたいなものですから。…あっ!そういえば牧内さんは元教団幹部で、こちらの意思を伝えるくらい簡単ですよねっ。まったく僕が言った事を、そのまま使ってくれれば良いので」

「いいや、期待されてもそれは無理だっ。あの人は学習室前で初めて会ったし、会長の護衛というものはその仕事の重要性から、こちらの言う事になんか耳を貸さない。やっぱりここはガーデンオフィス、じゃなかった申し訳ない。横文字の方が覚えやすくて…つい。ここは…話上手の飯田さんに、お願いしたいと思います」

「オレだって別に、命を惜しんでる訳じゃない。どう考えたってこの状況ではあの潤沢な財産も、このオレも、傷一つ付かないよ。でもオレはほら…暴力社長とか言われて、嫌われてる訳だし、頼みを聞いてくれるかどうか…。宍戸さん、高確率で味方なんでしょ?だったら一応しっかりと低姿勢でお願いして、後は本当に軽く蹴らせてもらうだけじゃない。言い方は悪いけどそれなら、若い人でもできるな」

「暴力社長なんてお芝居の台詞です…!本当にそう思っていたら姉ちゃんじゃなく、飯田さんを勇者の中の勇者に選んで、今頃は虐めてますから。大体、若い人にもできるなら、余裕のある大人に任せるのが、一番安全じゃないですか?何でそんな挑戦みたいな真似をするんです?僕なんて、ハハッ。つまり僕も駄目、飯田さんも駄目。じゃあ後は、そんな飯田さんの代わりに立ちあがる、固い!友情で結ばれたあの人しか、いない気がしますけどねー」

「……」

「友情なんてこんなもんだよ巧介君。いい年した大人が雁首揃えて情けないけど…。くそぉ…!どうしてオレには、後ほんの少しの勇気が出ないんだっ。なんか心から自分が情けなくなってきた!そういえば会社を作ったのも半分以上は親の金だしなー。親父が風邪をこじらせて、もう駄目かもってなった時に言われたあの何気ない、根性なしめって言葉、今でも胸に響いてるっ。いいやオレだって精一杯って、言えなかったもんなぁ。うううっ…!」

「その勇気を今こそ…見せる時じゃあないですか?無理ですか?じゃあやっぱり内部事情にも詳しい牧内さんがなんとか上手く説得して、この場を収めてくれませんか?その後は喫煙所での一服に七分間用意します。もしも宍戸さんの気が変わったり会長が来たりしたら、残り時間も後で一服に使えるようにしますから。そうだ、ガチャで気に入った物を優先して所有する権利も付けますっ。これでやる気が出ましたよね?」

「もっとも策を成功させるのは、それを立案した者であり、その次は情熱のある人物だ。確かそんな名言があったような気がする。あれは何の番組だったかなー。そういえば映画とかもさ、自分で脚本書いて主役やるでしょう。あれ凄くやり易いと思うんだ。だから脚本を書いた人がまだ若いなら、その次は何とかしたい情熱のある人?そうそう私は個人的にね、言い出した人とかが、やるべきだと思う。煙玉は私がやるから。盗まれたのは悪いと思うけど」

「ああ、父さん臆病なオレを許してくれ!こうしてちょっと年下の、取引先の人にも言われっぱなしだっ。非常に情けない!だがこんな男がどうやって今日会ったばかりの強面を説得するっ。勿論成功すれば仲間は助かるが、失敗の先にある悲しみが…怖いっ。そんな責任を負う器量が無いからジュース一筋に生きて来れたんだよ!だからオレにあるのは、ジュースだけだっ。どうかジュースだけに生きたオレを笑ってくれ…!」

「いいえ、貴方は余計な誇りを捨ててそのジュースを選ぶ勇気さえある、賢い人です!それなのに自分を見誤って説得一つ出来ないのは変じゃないですかっ。大勢の部下がいてそれぞれ性格も違うのに、話せない事もないでしょう。どうかその水を拭いて下さいっ。貴方の目から流れるそれが涙であるはずがない!そう牧内さんも思われたでしょうが、どうかここは堪えて、貴方が説得をお願いします。埒が開かないので」

「玉遊びのように回ってくるが私は諦めない。成功を願うからこそ、みんなの為になるからこそ諦めないっ。ここは絶対立案者か、情熱と話術を持つ飯田さんが請負うべきで、その先にこそ脱出が、自由がありますから。今はちょっと自信が無くて嫌なのかも知れませんが、もしも失敗しても私は絶対、絶対責めませんっ。ここにそう誓います!ジュースも個人で十箱買いますっ。人気のない商品も二箱買いますから、いつもの男気を見せて下さい。謹んでお願い申し上げます」

「いいや、この施設に来てからというもの、情けない姿ばかり見せて申し訳ないっ。とり乱すし、叫ぶし、怒鳴ってしまうし本当に本当に陰では鏡を見て、泣いて来たんだよっ。それを強がって頑張って営業しまくってきたから、その糸が切れてしまったんだ…!この手に残されているのは、ジュースか?いいや違うっ、それならまだ救いはあるが、この手にはもう気鋭の若者にすがる心しか残っていない!自分一人を救えないこの身は憎いが悩ましい悪夢のような時は、早く過ぎ去った方がいいじゃないか。頼む巧介君っ!これ以上世間に疲れきったオレを虐めないでくれ。そして脱出したらオレの奢りで焼き肉でも食べに行こうじゃないかっ。勿論食べれるだけ、食べてもらうっ。じゃあ……決まったね。ごめんね本当に」

「ですが…あの手紙を受けとるだけ信用された貴方達です。会長からあんな風に誘われるなら、その護衛の宍戸さんを説得するくらい、簡単ですよねっ?当然三十日も失踪すれば、社会的信用は地に落ちるでしょうから、裏切りについては忘れます。ええ、もしも説得してくれるならその成功失敗にかかわらず、井川さんとの再調査もしませんし、忘れましょう。ですからもうお願いします。牧内さんが行って下さい。姉の加菜こそ、もう休みたいでしょうし」

ここで無言は不味い。そう思った牧内は教団の反逆者こそ身が危ういのではと言いかけたが、だよね?っと彼に同意を求められた井川と奈津美も、うんざりした顔で言う。

「ルーレットは止まりました!もう仕方ありませんよー。牧内さんがお願いしますっ」

「これ老舗のかりんとう饅頭です」

言いながら激励の饅頭をわたす奈津美と受けとる牧内。加菜は宍戸の鞄をお洒落だと褒め、それを見ている隙にネクタイを狙ったが失敗したので、もう後には引けない。

「ああ、もう仕方ない…!じゃあ加菜ちゃん、危ないからどいてくれっ」

「何っ?!」

そう言ってふり向く宍戸へと走り、がっちりと組み合う牧内。彼はすぐ真剣な眼差しで説得を始めたが、カメラを意識した宍戸も表情には敵意を保ったまま、小声で応える。

「だがもう少し、体を温めた方が良くないか?」

「いいや!」

「神経だって少し追い詰められた方が感覚も」

「もうそこ超えてるから!」

牧内は加減しても分かる強い力を感じながらも蹴りを膝に受けてからは立たず、その後に自分達を見つけても逃げられた振りをしてほしいと伝え、小さな返事でその策を受けいれた宍戸は、素早く後退。また天を仰いで体を大の字にし、その絶好の機会に牧内は深呼吸して右足を引く。そう部屋に漂うのは実力の拮抗した武人同士にも起こりうるあの静寂。だが宍戸は、それを裂くように言う。

「この私のペーガサスデスロールに耐えたのは、褒めてやろう!!だがこれはどうかな?!私の教団への忠誠が生みだした真の秘技、尻尾十文字ブレーード!!」

「黙れ!縦の動きが想像できん!!てあーー!!」

響き渡るぺしっという音。蹴りを受けてしゃがみ膝を押さえる宍戸に、間髪入れずその前で拳をつくった加菜は何か言いだす前に巧介が連れだし、最後に部屋をでた牧内も仲間を追って北へ。最初にでた奈津美はまた職員待機室へ寄ったのでそのやや西で彼女を待った一同だが、中でも上機嫌なのはさっき押しつけ合ったはずの飯田、巧介、牧内だ。

「ああ、危なかった…!でも全員無事でなにより。これで休憩作戦は、半分くらい成功だっ。今思えばいい汗かいて、逆に良かったかもね」

「後は奈津美さんの食欲が落ちていれば、まずまずの再出発になります」

「今こういった事を訊くのはなんですが、お父様はご健勝でしょうか?」

「うん。ガーデンオフィスで…木の図鑑読んでるよ」

「まあ、御存命だとは思いましたが、飯田さんはまるで詐欺師ですね」

「ちょっと巧介君、若い時には…色々あるもんだよ」

「当然そんな事してないよ。ただ風邪で危なかったのも、その時あんな事を言われた気がするのも、本当だからねっ」

苦笑いして奈津美を呼びに行く巧介。彼が待機室のドアを開けると奈津美は、冷蔵庫から出したコーヒーゼリーにミルクを入れていたので、その肩を押す。

「完食まで五秒!ちょっと待って下さい!」

「ポケットに入れれば良いでしょうっ」

「逃げられた振り、してくれるって言うから」

「凝ったもの食べないで下さいっ」

言われても奈津美は冷蔵庫上のジャムマーガリンパンを狙い、その手を横から遮る巧介。だがその腕も左手で押さえた奈津美は山をかけて右手をくり出し、瞬間パンを獲得。その腕さえも掴んだ巧介はにやりとしたが、奈津美は手首を返してパンを投げると、そのまま咥え込んで部屋をでて行った。

「ここにも獣がいたなんて!」

その巧介に急かされた形の奈津美は飯田や加菜までも追いこして西へと走り、ドアを開けて南へ。だがその前には会長がいて、槍で廊下を塞ぐ。

「調子の悪い宍戸に代わり、私自らが出ることになった。悪く思うな…!」

「わ、わうい!」

不味い。両手でポケットを押さえたまま奈津美はそう言って引き返したが、丁度東のドアから出てきたばかりの挑戦者達は異変に気づかず、後ろを警戒した牧内は鞄の中を確認しながら少しずつ歩き、それでも声をかけてくれたのは井川と加菜だ。

「どうしたの?!あまり先に行かれても困るから、良かったけど」

「でもこのまま進みましょう。宍戸さんだって…あっ!」

「わが、かげけがいごぎっ。んごぉ~~~~!!」

その言葉を槍で奈津美を示しながら、まだ食べてないのに、んごぉ~~~~と言い当てた会長は元気十分、大きな声で言う。

「油断大敵!ハッハッ!この女が貧しく大食家なのを知っていた私は、必ず待機室によると思い、ここで待っていたのだ!怪我をしたと聞いたが、それでもあの会議室から宍戸に追われて東へ戻るのは、難しいからなぁ…!」

宍戸さんの裏切りに気付いてないけど、ちょっと格好いい。井川はパンを咥え両手をあげて眠る奈津美と比べてなのかそう思い、その彼女をよそに会長に拳をつくるのは、巧介と加菜だ。

「ハッハッ!別にいいっ。どうせすぐに助ける!」

「今更本気をだしても遅いよ!もう謝って、私達を解放すれば?!」

会長が待っていただけあり、そこへ早速のように聞こえたのが放送。

『挑戦者、大貧民の奈津美!そうこの女は占いの客だった信者達に、幸福シールを富者のみに売る幹部がいると聞いた時、いちいち公的機関に相談するよう勧めたので、ゲームへの参加が決まった!言うなればこれは、お金持ちになれるだけ頑張った人に対する妬み!その人達を労わる為にある幸福シールの障害!普段からそれらと戦ってきた泰子会長への、この上ない侮辱である!!だがこんな者さえゲームに呼び、泰子会長の凄味を教えるのが、我々福変人!そうどんな時も、泰子会長と共にあるのが福変人!もう泰子会長がー、我々福変人なのである!皆もこれをよく憶えておくように!我々は泰子会長だ!忘恩の徒に、なるべからず!』

聞いて言うのは元信者の牧内と井川。

「怖いなー、ついに同化したか。ただこの話は実のところ本当に不愉快で、偶然にも富裕層だけがお客様だった訳じゃあなく、お金は持ってるのに頭から足の先まで見られて、貧しそうだったから買えない、そんな人もいたからね。あれは腹立たしかったっ」

「国民への侮辱じゃないですか。私がいた広報部ではちゃんと心から愛想笑いして、無職者の人にも売ってました!」

確かに神アタタカは愛想笑いを司るがそれを推奨と拡大解釈する井川。また広報部には少々貧困層への差別も見え隠れするが井川いわく、どう笑っても心からに見えなければ無意味。その説明に頷いた飯田や巧介だが、しっかりと状況を見据えた挑戦者もいて、それがドアを押さえた加菜だ。

「じゃあ東に行きましょう。出口でもガチャでも救出でも、移動しながらの相談になりますがっ」

「救出っ…!」

そう言いかけた巧介だが、後ろを見ると既に会長の姿はなく、彼女がもしも学習室へ行ったのであれば藪蛇。出口の情報も無くガチャの販売機に向かっているとそこへ現れたのが登鹿と白鳥であり、二人と合流した巧介達は会長を警戒して巳の字廊下の長方形部分を北側から回り、長い廊下の半ばあたりで相談を始めた。加菜は北を、井川と牧内は南を警戒しているので、登鹿達と話すのは飯田と巧介。

「それでどうだった?出口あったっ?」

「あったら出てますよ。きっと引っかき回すのに疲れて、交代したいんでしょう」

それに返す登鹿と白鳥。

「オレも早く帰りたいので、飯田さんの気持ちは分かります。でも巧介君が言うのもその通りです」

「二人で逃げるのは意外と疲れるからね。それに負けない為にも希望が必要なんですっ。些細でもいいので誰か、出口の情報を知りません?その人と登鹿さんが交代して、私と出口を探しますから」

白鳥が言うと走ってきたのは井川。忘れていたが彼女には、数年前ここへ研修に訪れた際ハッチのような物を見た記憶があるらしく、耳を疑った白鳥が牧内にも聞けば知らないと言われ、そうなると出迎える幹部などがあまり来ないこの宿泊部屋の集まる東が怪しいが、そこで言うのは巧介と登鹿。その言葉を待つのは井川だ。

「ハッチ…というと潜水艦とか、飛行機とかにある物だよね。もう驚かないけど、宿泊室は沢山ある。中を見たのは喫煙所近くの二つと、滑り台があった部屋それに~」

「それでも急げば短時間で済むが会長もいるし、慎重な探索が必要だな」

「当時をはっきり思い出せないのは研修内容と、新たな人脈づくりに熱中していたせいだと思いますが、例えば柱の陰とか、何気ない場所にあったと思います」

「じゃあみんなで探す?」

白鳥は言ったが首をふる井川。彼女は少しでも巧介達を邪魔したくないようで、白鳥と二人南へと歩きだし、途中から分かれた巧介達は足早に階段室へ。だがオレンジのドアを見た飯田はぴたりと止まり、すぐそこにある文章を読む。

「福島支部所属、喫煙を吉煙とする杉山、その罪……ある日の夜、最後の煙草にもかかわらず咥えたばこで吸ったばかりか、たとえ小声だろうとコストカットが大変だった壺を100均で300円みたいだと揶揄し」

それを次回のおしおき用と察して、止める巧介。

「もういいですよ」

はじめて張り紙を見た飯田は急に止められたので驚き加菜から説明を受け、巧介の言葉を聞いた牧内は、顎に手をやりながら言う。

「鳥取支部所属、休憩時間外にも吸う角田、その罪……日に十二本しか吸わない健康体にもかかわらず、突然禁煙をはじめて他の愛煙家達を不安に陥れ」

それに牧内の気持ちを考えた巧介は、次を読んでもいいと聞こえたようだと判断し、深呼吸してから言う。

「ふぅーーもう要らないから止めて下さい、という意味でした…!すみません分かり難くて」

「あっ、そうか。私も喫煙者だからつい…身を守るために。教団は出るけど後で狙われる可能性もあるから」

「行きましょう。これも罠みたいなものです」

「休憩時間外は駄目だよね。我慢するからこそ美味いと思わないと」

「それは良い心がけだっ」

声に南を見れば立っていたのは会長。少々驚いた巧介達は我先にと階段室へと走って結局誰も中へは入れず、焦った登鹿は小学生用アラームを鳴らし、それを見た牧内もライトを明滅させて威嚇。だが手の平を見せた会長は意外なことを言う。

「ああ、騒がしい!眠らせる気はないから安心しろっ」

それに言い返す巧介、加菜、飯田。

「その手にはのらない!お前は不意を衝くのが上手いからなっ」

「だったら休憩でもすればっ。その間に脱出しちゃうから!」

「眠らせないなら一体、何しに来た?!」

「これだ…!」

笑うと濃淡の交じりあった灰色で拳大のボールを掲げた会長いわく、これは不幸ボール。そうあの装置で幸福感が丁寧にシール化されるのに対し、その不純物である不幸感は元々捨てられていた事もあって雑に凝縮され、教団にとっても禁忌の兵器となり、これに当たった者はどこの誰の物とも分からないその負によって、約一分の間怒り、狂い、または嘆きおかしなことを言うらしく、そこまで聞いた巧介と加菜それに登鹿は逃げようとしたが、振りかぶるとすぐボールを飯田へと投げる会長。

「うわっ!」

胸でパンッと弾けたボールに飯田は一瞬驚いたが、それから真っすぐ前を見て、叫ぶように言う。

「ぶつかりそうになった時、自分だけが頭を下げてしまうーー!」

「えっ?」

声を漏らす巧介。見捨てる訳にもいかず挑戦者達は飯田を囲んだが、その怒りと悲しみは収まりそうにない。

「オレが…細かいのか?疲れる奴なのか?!相手の方に常識があるのか?!じゃあやっぱりオレが悪いのか?!ただ会釈をするだけじゃないかー!どうしてそんなに冷めてるんだ!それにオレが合わせると、今度はオレも冷めた奴だ!会釈を返してくれー!!頼むよ~!その挨拶の和が街をより良くする!あんたはぶつかりそうになって、オレもぶつかりそうになった!でもオレだけが頭を下げたんじゃあ格好悪いじゃないか!!互いに救い合うべきなんだよ!感謝と謝罪は基本だ!互いによけるのが、本当のルールであるべきなんだー!ああーー!!笑顔だけだと、馬鹿にされたようにしか思えないっ。あああ…!」

細かく頷いて言うのは巧介と牧内。

「勿論理解はできますが、落ち着いて下さい。まあまあ…!」

「きっと表面化しているのはあの部分のみだが、今胸で爆発している塊には色々な不幸感が詰まっている!恐ろしい兵器だっ」

「ああーー!!それになぁ、もしも会釈無し程度で怒って殴ればその人が悪いけど、あんたも少しは悪いからなー!いえいえと言って、にっこり笑ってくれぇ!恋人にふられた人も、面接に落ちたばかりの人もいるんだー。頼む…!」

「分かりました。見たら言っておきます」

巧介が嘘も方便と思いそう言ってから睨むと、ほくそ笑む会長。

「面白い…!早速これは白鳥達にも試そうっ」

性悪な会長は言い残すとまず疲れさせる戦略なのか南へと消え、巧介達は新たな脅威に怯えつつも急いで二階へ。中央では販売機が北向きなのも気付かない飯田が少々不幸感を引きずって登鹿と共に会長を罵り、気分を変える為そんな二人も呼んだ巧介は床を指差し、謎が解けたと言い放つ。

「あれから色々な仕掛けを見て分かったんですが、この丸い部分が回ります。ですから販売機の向きが、不自然だったんです」

聞いて弾かれたような顔で言うのは加菜と登鹿。

「えっ?ここも、そんなにお金かかってるの?!」

「でも馬鹿馬鹿しくないか?」

「いいえ、見て下さい」

全員一斉に伏せて絨毯に目を細めると、他との間に二ミリ程あり、あの時は恐怖と暗闇に見逃したとしっかり納得。そこで周囲を見回した巧介は小声となり、今後救出に行くなら二階へ来てすぐ反対から降りれば一度は簡単に成功するだろうと、仲間達に希望を灯す。

「…初めにやってしまえば、怖くて帰る、二階の使い方を知らないまま帰るなどの可能性があって、それは会長の頭にもある事です。でも今からやればまず会長は、ガチャをやりに来たと思うでしょうし、そうなると一度はこの中央へ来てしかも、上手くいけば他の部屋に隠れたとも考えるでしょう。そういう策もあるので、頑張りましょうね…!」

その巧介を見て言うのは加菜と牧内。

「さすが私の弟っ」

「後光がさして見える。次回のゲームでも一緒になったら、よろしくね…!」

だが油断はできず、東西南北のドアへ行く巧介、加菜、登鹿、牧内。残った飯田は顔を叩いてやや正気をとり戻し、ガチャを始めてまず当てたのが教団男Qうきうきダ…。

「もういいわーー!」

残存不幸感のせいで叫ぶ飯田。すぐ巧介は止めに行ったが、飯田はまるで駄々っ子のようにストラップを左右に逃がし、いつも以上に落ち着かない。

「Qとは分からないという意味だ!この人達と同じようにオレも、今どうしていいか分からない!」

「まずストラップを放して下さい。それに貴方は脱出の為に、ガチャをやるべきなんですっ。牧内さーん!」

「Qとはつまり、性自認や性指向が決まっていない、あるいはLGBT以外の人達などで、この元になった言葉の一つクィアは近ごろ、性的少数派そのものの事でもあります」

「~という事ですから落ち着いてっ。いつもの牧内さんですから、貴方もっ」

「おじさんには難しい!Tは何だ?!ターニングポイント?!もう少しで自分の好みが分かりそうなの?!良かったけどオレは何だか落ちつかない!そわそわしてきたー!」

「落ち着かないならそれを僕に下さい!何でポケットに仕舞うんですっ?Tはトランスジェンダー!例えば男の体で生まれつつも疑問をいだき、女性になった人等です!」

「じゃあ異性愛者で良いじゃないか!」

「でも術後の同性を好きな人もいますし、生まれ変わったのを秘密にしていると、不誠実になる事もあるでしょ…!友達の好みだろうと紹介しても、断られる事もあるでしょうっ。その為のTですからっ」

「そうか、分かった気がする…!じゃあこれは記念の襟巻と一緒に…もらう。落ち着いたけど、少し休んでいいかな?」

「じゃあ代わりますっ」

そう言って飯田に南の守りを任せた登鹿は、販売機の前へ。実はくじ運に自信がある彼はカプセルが三つになってから読みあげ、足裏マッサージ器と大型ピコピコハンマー、それにライト付きヘルメット・アイガードを当てて皆の反応を待ち、それに走る加菜と牧内。

「今度こそ勝てる!長いもんっ」

「目まで守ってどんどん装備は強化され、本当にゲーム感覚っ」

だがそこへ来た会長は、加菜が居た西のドアを開けて不幸ボールを投げて逃走。それに当たったのは登鹿だ。

「ああくそっ、不味い!…ううう!」

「そんなっ!」

「登鹿さん!」

叫んで助けようと身構える巧介と加菜。だが胸を押さえた登鹿は、必死に止める。

「来るなっ!ああ…ああー!!吠える犬を撫でて宥めようとしたけど、窓から飼い主に睨まれたーー!!」

確かにそれも不幸には違いなく、急いで止めに入ったのは先程仲間に助けられた飯田。

「へぇ、そうなんだっ。でもその飼い主と話せば?」

「すぐカーテンをジャッと閉められたんだ!どう考えてもオレは悪くないのにー」

「よしよしその通りっ。大体睨むくらいなら、話くらい聞いてもいいよね」

「絶対慣れれば吠えられないっ。飼い主の躾不足でそうなってるのに、何故オレが耐えつづける!別に躾けなくてもいいが、だったらオレにも優しくしてくれー!」

「そうだそうだっ。よしよし」

言いながら登鹿を抱きかかえる飯田。その間に防犯グッツの透明なシールドを当てた加菜はそれを登鹿へ。飯田ほど過敏でない彼は安心のアイテムも手にしたので程なくガチャを再開し、そこで当てたのがルービックキューブと、お徳な詰替え用シャンプー&リンス、更にはみんなで遊ぼうスライム1リットルであり、それに走る巧介と加菜。

「重いでしょうし、スライムは僕が貰いますっ」

「シャンプーも高いからっ」

「別にいいけど、まだ会長がいるかも知れないぞ…!」

その登鹿の予想どおり襲来した会長は、巧介の居ない東のドアを開けて不幸ボールを投げて逃げ、それに当たったのも登鹿。盾は中央から真っ二つに割れ、その手元から禍々しい気が噴出する。

「ああ、何でまたオレが!…ううう!」

「そんなっ!」

「登鹿さん!」

また叫ぶ巧介と加菜。前回と同じ台詞に義理と分かった登鹿だが、まだ若干前の影響が残っているにもかかわらず新たな不幸を受け、ほどなくして真っすぐ前を見て叫ぶ。

「一人暮らしは、消費期限が長めの物を選ぶのが当然なのに、遠慮してしまう自分がいるー!」

もはや相手さえ無い不幸。だがその気持ちが分かる巧介と牧内はとり乱す登鹿を懸命に止め、それでも気を遣わなければならないのは、苦しいところだ。

「でも分かりますっ。奥から出して片付けない悪い人もいるから、視線も気になるし…!」

「そうだ顔を上げて、気を確かに!何にも負けずその存在を貫く、飯田さんを見習うんだ!」

「ああ、どう見えようと私は、一人暮らしなの!初老に近いなら、いい年こいてじゃなくて、逆に労わって!友達や恋人のいない貧乏な一人暮らしは沢山いるじゃない!消費する機会なんて、既に胃の小さくなった私の食事だけなの!それは、分かってほしいー!」

「分かります分かります。そういう事情なら明日、明後日のを買うのも躊躇いますよね!盲点だったなー」

「うんうん、離婚した主婦かな?貴方はちゃんと片付けてる!嫌な夫婦が散らかして帰る事もあるだろうに、貴方は偉いっ」

「ええっ?!小まめに……買いに行けって?」

「言ってませんっ。誰も言ってません」

「悪い思い出まであるのか。不味いな…!」

「私の時間はどうでも良いのかーー!!この野郎っ、なめんじゃねぇ!!この時間だってなぁ、誰のものとも変わらない大切な、人生の一頁なんだよ!!それをこの野郎、友達や恋人のいない貧乏な一人暮らしは早く死ねって事か?!それが自然の摂理とでもぬかしやがるのか?!ああ~~ん?!」

直後その登鹿に平身低頭する巧介と牧内。睨まれた加菜や飯田も目を逸らし、鞄からピコピコハンマーを取った登鹿は牧内の言った嫌な夫婦に出てこいと叫びながら両替機や壁を叩いて暴れ、また彼を虐めてやろうと襲来した会長もその怒りの凄まじさに巧介達と一緒に逃げ、だが悔しさにやはり不幸ボールを投げる。

「ほら、また泣き叫べー!ヒーーヒッ!」

「悪妻は百年の害!言いなりの夫はどうしたっ」

避けてすぐピコピコハンマーをふり回す登鹿。勿論会長も槍で受けたが別人になって怒る登鹿は強く逃げながらときどき反撃し、再び不幸ボールを投げたがそれも外れ、右往左往する巧介達の見る中そこからの攻防はなんと三分間も続いたので、両者共に息も絶え絶え。今までにない危機に会長は覚悟を決めたように、最後の不幸ボールを手にして言う。

「私にこれを覚悟させるとは、面白いっ。登鹿よ、後悔するがいいっ。やぁーー!」

叫びながら登鹿に突進して不幸ボールを胸に叩きつける会長。その想像での不幸感は前に飛び散って素早く登鹿を覆うはずだったが、相討ちとなった彼女と登鹿は程なくして、まっすぐ前を見て言う。

「ただ自分の与えられた事をすれば良かった日が、ほとんどなーーい!」

「楽しそうな娯楽施設に休暇をとって行くと、大体が寂れているーー!」

「私にばっかり仕事をまわすな!ちょっと悪いけどさ、急な話だから可哀相とは思うけど、オレも言われて断れないんだけどって言えば~、それからどんな仕事を任せても良いと思うなー!!場合によっては退職するまで続くんだよー!!」

「静かなのはいいが子連れだったのに、店員も含めて誰も笑っていない…!少し奥はどこも暗いし、設備のあれもこれも修理中っ。色々布を被ってるし、どうして同情を誘うんだ…!ドラマみたいに事情を訊けって言うのか?子供は正直なんだよっ。浴場のお湯で涙を隠したけど、昔は賑やかでしたねとも、暗いけど何かあったのとも、どうにも言えないじゃないかっ」

「可哀想なら別な方法を考えろ!!月十数万の給料が変わらないのに、どんどん仕事を増やすんじゃない!!働かせてもらい、働いてもらう!こんな事は人の世の基本だぁ!!例えばエアギターの選手を補佐する仕事があるとして、それを受けたら真剣にエアギターを愛さなきゃあならないの?…本当にそう思う?できる訳ねぇだろ馬鹿めー!!これはどんな仕事でも一緒なんだよ!!おめえは最高の仕事をして更にそれを愛して、大勢から称賛されて色々な物を得るけど、オレには十数万が残るだけだろうがーー!!税金とか喰い物とかの生活に使えば、残りはほんの一、二万なんだよ!!だったら国が動いて初めから求人欄に、厳しい条件を書けるようにしろやーー!!」

「ああ、胸は痛みますが何でも利用できた頃のホームページ、作り直してくれませんか?または、写真はイメージですと書くとか、旅館の空きを確認する表みたいに稼働中か修理中か分かるように○×で印をつけるとか、出来ませんか?施設も休暇をとったオレも可哀相だし、子供も別にいいよしか言わないし、とにかく悲しい!なるべく想像通りにして欲しいっ」

二人は身ぶり手ぶりも交じえて一生懸命に訴え、対してあまりの激情に止めるのを諦めた巧介達。会長がいつ正気に戻るかも分からず近寄れない巧介は、悲しい雰囲気を払拭するためバスローブを着てサングラスをかけ、スライムで遊ぶ加菜に似合うかどうか訊き、時々鼻をすすったり咳払いしたりする飯田と牧内は交互にルービックキューブを手にして小声で教え合い、それからまた暫く。はっと我に返った会長は逆恨みに反撃しようかとも思ったが、こっそり北のドアから出てゆく。

「うう、酷い目にあった…!」

それから数秒して落ち着いた登鹿。

「ああ、逃がした!あの…にせ尼!」

そこへ駆けつけた巧介と加菜は、何もできなかった事を謝りながらも彼を気遣い、その肩に手をそえながら言う。

「大丈夫です。どうせあの生臭尼がいても暴力を嫌う僕達には、悪い事しかありませんっ」

「破壊尼の攻撃によく堪えましたねっ。後は…巧介に任せて下さい。彼がガチャをやりますから」

よって北のドアへ歩く登鹿と、機体に歩く巧介。心配する飯田と牧内は度重なる新兵器による襲撃を不安視して救出をすすめたが、彼は意外に気丈だ。

「いいえ任せて下さい。こうなれば何としても会長発見器を当てて、絶対の有利を獲得しましょう…!」

その頼もしさに安心したのか拳で応える二人。その後巧介が読み上げた賞品は小型圧力鍋と金竜のTシャツであり、そこへ片手拝みのまま戻ってきたのは飯田。図太い彼はさっきまでの危機を忘れ、いつもの調子に戻ったようだ。

「ご免っ。ちょっと悪いけどそういうの好きな友達がいるから、Tシャツだけオレに譲ってくれ」

「でも…僕だってちょっと男らしい、お洒落なシャツなら貰うつもりです。似合わないのは分かってますけど、上手く着こなして」

「そこを頼むっ。あいつには一万円借りてるんだ…!それがその、シャツ一枚で済むじゃない。高い物もあるけど、それなら後で換金すればいいし、なるべく欲しい一品なんだよ」

「一万円?それって、貴方の庭にある枯れ葉みたいなあれですか?じゃあはーい当てましたー!小型圧力鍋と、金竜のTシャツー!すぐ落として下さーい。僕の物ですからー」

期待通り落ちてきた圧力鍋とシャツに飛びつく巧介と飯田。二人は圧力鍋が美しく丈夫そうだったので安心したが、黄色地に黒で金竜と書かれただけのシャツには失望。裏返した飯田が見るかぎり模様は文字以外に何もないので、ある意味分かりやすい、親しみやすい品であり、早速ながら急に沸き起こった親切心で、巧介に譲る彼。

「どう?面白い人って、もてるよ」

「すみません。次やるんで、離れてもらえます?危ないので」

「いいや、欲しいって言ってた…から譲ろうかなと思って」

「危ないので」

「じゃあこれ置くよ」

「ポイ捨て禁止なんでっ。絶対持ってて下さい」

「そんなに怒らなくても良いじゃない」

言いながら巧介の背中にシャツを合わせる飯田。巧介はすぐ加菜を呼んで二人がかりでシャツを飯田に着せ、そのままガチャを再開。南の守りにもどった飯田だが、吐き捨てるように言う。

「親父狩りだ…これはっ。逆に貰ったけど、親父狩り…!」

ジュ、ボボゥ!

「おお、プラチナのライター!やった!ちょっと男らしくて、格好いいじゃねぇか!おーし!」

「やったじゃない巧介っ。ついてる事もあるよねぇ!次いいの出たら私によろしくっ」

「少し怖いですね」

牧内は苦笑いの飯田にそう言い、元教団幹部でやや後ろめたい部分のある自分も気を付けようと襟を正し、その後は虫眼鏡、クリップボード、携帯型扇風機と当たり、登鹿がそろそろ斬新を期待したところに出てきたのが熊手であり、彼はそれを素早くとると軽く振ったので、会長と戦うつもりだろうか。そう思えて仕方なく言うのは加菜だ。

「それは鞄に入れた方が」

「うん?ああ…何となく不安だから持ってるだけで、別にふり回しはしない」

「もう友達ですからね。それでも、持ってます?あの人が怪我をするのは自業自得ですが、貴方も余計に誰かを傷つける事になるので…できれば」

「じゃあ、こうしよう。これこそ本来の形だ」

登鹿は先を下に向けたので巧介達も安心。それから当たったのがシークレットスニーカー・ダークホースであり、登鹿の顎は熊手の頭にのり、牧内の胸はドアと逆に向き、飯田の指は座布団を示しと、興味津々の一同。そう巧介が説明を読むとこれは、背を十二センチも高く見せ、そのうえ全力疾走できるよう悪戦苦闘して設計されたらしく、呆れたように声を漏らす。

「ふぅー本当に書いてある。頑張って作りました。細心の注意を保ちつつ走って下さい」

バンッ!

巧介はスニーカーを叩きつけ、耐久性を確認。その間に加菜達もこの製品について考えてみた。さあ、見栄えをとるか、速度をとるか。形状質感重量は普通のスニーカーなので両方をとるなら怪我は確実と思われ、かといって悪戦苦闘を無にするのも忍びなく、せっかく手に入れたのだからと物欲はなるべく良い物であって欲しいと訴え、そんな事を考えていると大宇宙にある一個の人でしかない各々はついに恥じ入り、まだ売った相手が悪人の前の前くらいで済んだとただその事ばかりを覚えるに至ったのであるが、よく見ると底の外側には三つずつ四角い突起があり、その光る部分が備えるのはなんと女子に運動好きをアピールする効果。つまり一同にとってはどうでも良く、ガチャを再開する巧介なのであった。また次に当てたのはバスのプラモデルと赤いダイナマイトの様にしか見えない物で、も実は煙玉だったので牧内は一切油断なくそれを獲得し、彼のみ装備が充実するので少々羨ましい飯田はガチャをやる役を譲りうけ、しっかり合掌した彼が当てたのはあの本体のゲームソフトだったので巧介は滑りこんだ後震える手でそれを掲げ、見るなり微笑する加菜と牧内。そしてやっぱり子供だと断言する登鹿。彼に侮辱する気は無かろうとも少々焦った巧介は結果を出すため他を待たせて約一分間考え、カメラの位置は大体想像がつくのでそこから見えないように紙を読みあげ、まんまと会長発見器を得ようと、不正を計画。次の賞品はまさかの襟巻トカゲのあれだったが会心のつくり笑いを披露し、声をあげて飛び跳ね、その喜びを少々大げさに伝える。

「おおーー!!ついに、ついにやった!か、会長発見器っ。よしよし早く頂戴っ!はい発見器っ、発見器っ!」

だがそこへ落ちて来たのが、金だらいである。ガンッ!

「痛ぁ~!」

思わず見上げた赤面の巧介は落とした信者と目が合ったので抗議するように指をさし、そこへ必死の形相で駆けつける加菜。更に登鹿だけでなく飯田や牧内も憤慨し、加菜は弟がただ我慢して宥めるのだと思い余計に健気を感じ、髪をふり乱して言う。

「ふざけるなー福変人!お前達こそ、罰を受けなさい!大人気なくただ急かしただけの若者に怒り、当たったはずの賞品を寄こさずに金だらいをおとすとは、言語道断っ!」

「ごめん姉ちゃん、違うんだっ」

その一言に中央で巧介の話をきく加菜達。ただ彼女達の考えでも、誘拐の被害者が脱出の為に嘘を言うのは許容範囲であり、むしろ少し考えた登鹿は再挑戦する価値はあるとまで言いだしたので、それに返すのは巧介だ。

「…でも、僕は嫌ですよ。次やられたら本当に、たん瘤ができるかも知れないし…」

「…分かった。オレにいい考えがあるっ…」

その飯田が言うには、カメラが何所にあろうと真下から見上げるように読めば賞品名を隠せるという事で、その策に必要な主役をじゃんけんで決める一同。結果初回から負けた飯田は再び不幸感が襲ってきたと主張したが、姉弟はバスのプラモデルをとり合ってその話を無視し、はっきり否定してくれるのは登鹿と牧内のみ。

「急にそれは変ですっ。あり得ませんっ。まあ、運命なので諦めて下さい」

「ええ、絶対信じません!でもこれで脱出に大きく近づきますから、前向きにっ」

「…やれと言われれば出来るけど、生まれつき罪の意識に弱くて…」

はっきりした嘘だが、自分で提案しながら心配な飯田。だがこっそり彼を勇気づけた巧介は謝る役、加菜は叱る役となり不正に対する反省を装ったので策の準備は整い、また合掌した飯田も早速演技に入っていた。

「ああ神よっ、今度こそ発見器を下さい!もう戦い疲れて、そろそろ出てもらわないと困るんですっ。お願いしますっ!」

不正する気満々ではあるが皆心からS賞を望んで部屋は沈黙し、カプセルから紙を取った飯田は襟巻トカゲのキーホルダーを落として、それを踏んで回るように背中から転倒。悲鳴を上げて顔をしかめたものの勿論これは演技であり、そのまま自棄になった様に紙を見るとすぐ満面の笑みを浮かべ、震えながら発見器を連呼する飯田。彼は拳をつくる挑戦者だけでなく上にいる信者にさえ両手をあげて喜んで見せたが、その顔面に来たのも金だらいであり、そのガンッ!という音や痛みにも、怯まずに言う。

「いいや、本当だ!」

ガンッ!

「本当に発見器だ!!」

ガンッ!

「何で疑うんだよ~!大体、どうやって疑うんだ?!もしも仮に嘘だとしても、どうやってそれが分かる!!お前ら、蜘蛛の糸って話知ってる?!どうしようもない悪党がいてさ、地獄に落とされるんだけど、もうお前ら福変人並の酷い奴で」

ガンッ!

「こらー!!暴力の前にちゃんと説明しろ!!逆恨みで、しかも暴力なんて」

「カプセルを見なさーい」

その声に中央へ集まると、飯田の持つカプセルを観察する一同。そこには小さな金属チップがあり、どうやらカメラは動向全般を見る為で販売機から出るとき既に何が当たったかは、信者達に分かる仕組み。生まれも育ちも関係なく五人は一度ずつ舌打ちし、それぞれはしばらく教団の悪を非難。実のところ当てた賞品が泰子のサイン色紙で若干罪の意識もあってそうしないと恥ずかしいのだろうが、そんな皆を抑えたのは巧介だ。

「もういいっ。会長の休憩だってそう長くは続かないでしょうし、もしかすれば白鳥さん達が危ないかも知れませんっ。後何回かやって、一階へ行きましょう」

団結する一同をよそにサイン色紙を贈呈にくる信者。それから当たったのは花の種セットと、本革ティッシュカバーと、少女漫画・愛は幻か許し、それに外と話す権利五分間であり、登鹿と飯田はそれぞれ気になる賞品を手に取って見たが、巧介と加菜それに牧内は誰が外と話すかを決めようと相談を始めた。

「姉ちゃんでも良いけど、どうしようかな。今頃は心配してるよね」

「うん、ただそれは誰の家族も同じ。だからまた、じゃんけんしようか」

「何か忘れてないかな、巧介君?」

そう牧内には、ガチャで気にいった物を優先して所有する権利を与えたので、彼に譲る巧介。他も納得したので牧内が座布団の前に立つと、そこには残り電力五パーセントの携帯電話が落ち、早速ダイヤルすると通信は自宅へと繋がった。

「見張ってるからなっ」

どういう仕掛けか電話はスピーカーに固定され、上には金だらいを構えた信者がいるので警察にかけるのは難しく、その脅しに手を上げる牧内。彼は時間を惜しんで妻が出るように願ったが、娘が出たので少し戸惑う。

「パパ元気?」

「ああ、元気だよ。サキは…ごめん、起こしちゃったかな?もう寝てる時間だもんね。それはそうと、ママどうしてるー?」

「ママは今ね、台所で走ってる」

「それは駄目だなぁ。忙しくても危険だから、止めるように言って」

「…他に行っちゃった」

「そうか、じゃあ代わりにサキと話そう。実は今ねとても大変な状況で、帰るのは…いいや今日はもう、帰れないかも知れないんだ。とても大変でねぇ。でもね、もしも何かまた更に大変になって、ずっとずっと遅くなってもパパ、必ず帰るからね…!それは忘れないでね。ママにもそう言っておいて。それに愛してるって伝えてね。できれば」

「うん、分かった。でもできれば早く帰ってね」

「うん、なるべくね。…サキちゃん、勉強はしてるかな?」

「大丈夫だよー」

「ハハハッ、そうかな?じゃあ、ケイパビリティは?」

「うん、ケイパ、ビリティはね、組織力でしょう」

「おおっ、そうだ!偉いぞーー。もうサキは才女、才女だなー。私は才女の父親かぁ。困った困った。じゃあ、パーパスは?」

「パーパスはね、起業の存在意義っ」

「そうそう、企業のね。企業っ。意味が違ってそこ難しいから、発音を変えて間違えないように、頑張るんだぞ」

「うん、分かった。頑張るっ」

少し堪えたが、そこへ来たのは巧介だ。

「何を教えたんです?」

「えっ?……後で説明するが、内の教育方針に口を出さないでくれっ。本当にねサキ、お父さん今感動した。うんっ、ここ数年で一番嬉しい事かも知れない。じゃあ、イニシアチブはっ?」

「イニシア…はねぇ、主導権~?」

「挫折した方がいいよ。余計に期待するから」

「うるさいよ。そうだ、良いぞサキ~~。パパ今ちょっと大変だから、そういうのもあって涙出てきた。凄く嬉しい!じゃあこれは…これはね最後の質問、いつもの様に格好よく、びしっと決めるんだぞ!じゃあディールは?」

「えっ?ディールはねぇ、確か取引とか、取りひめという意味ですっ。やった~!」

「可愛いですね。じゃあ、正解という事で…!」

「ああーでも惜しいな…!ディールは取引とか、取決めの意味だけど?それは~~?」

「ああ、そうか。ディールは取引とか、取決めの意味でー、積極的に使っていきたいビジネス用語です!」

「何でこれ継ぐんだろうな」

「サキ良いぞー!ますます良い!もうサービスだっ。それで今回は百点をあげようっ。遊園地に行ったらね、その時は好きな物を三つまで、買ってあげるからっ。楽しみにしてるんだぞ~」

「うん、分かった!早く帰ってきてねっ。今度はあの格好いい、ブーカ教えてねっ」

「ああ、任せなさい…!ちょっと難しいことを頼むけど、ママにはちゃんと伝言するんだぞ。ごめんね。コンプレクシティ~!」

そう二度目になるがこれは複雑性。それとは逆に五分が過ぎたという単純な理由で、ぷつりと切れる電話……。その切なさに巧介は、幾つか言いたいことを飲み込み、苦笑いの牧内が持つ電話を信者達へと投げてすぐ、指をさして言う。

「ほらこれもお前達、福変人がしている事だっ。分かってるんだろうな…!一時だろうと既に家族の仲を裂いてるんだよっ」

その巧介につづいて怒るのは加菜、飯田、登鹿。

「聞いて何とも思わないのっ?だから貴方達はね、人でなしって言われるんだよ!」

「そうだっ、今すぐオレ達を家に帰せ!牧内さんは元仲間じゃないか!」

「誰にだって心配する人はいるんだ!お前達は孤独だから教団に入ったのかも知れないが、だったら尚この大切が分かるだろう!解放しろっ」

「ありがとうみんな!」

牧内は礼を言ったが天井から応答はなく、代わりに東のドアから気配がしたので見れば白鳥と井川がいて、二人は早口に言う。

「聞いてっ。ハッチを見つけて開けたら、中は岩がむき出しの地下道になってた…!だから万一出口がなくても、重要な部屋だと思う」

「暗いから入口辺りしか見てないけど、みんなで行こうっ」

言いながら鞄からライト付きヘルメットを取り装着する井川。牧内の電話で帰宅願望が高まったガチャ組もそろそろ帰りたく加菜が圧力鍋の蓋を盾とし、何でもよく調べるため巧介が虫眼鏡を手にし、中央の部屋を後にした。だがすぐ東の部屋で待ち構えていたのは会長。彼女は不幸ボールを投げ、それに当たった白鳥は一度転倒したが、すっくと立って言う。

「自分の買うマスクがよく近所に落ちているーー!」

「ハッハッハ、それは悔しかろう!今楽にしてやるっ」

そう言って白鳥を突く会長と、驚きで声もない一同。だが楽になるどころか白鳥は夢の中でも不幸感を味わい、その苦しみをうわ言のように叫ぶ。

「ああーー!これじゃあまるで、私が捨てたみたいじゃない…!それが嫌だから灰色の物を買ったけど、それはすぐに売り切れるし、引っ越して半年だからどうしても疑われそうで怖い!元々ご近所トラブルのある家は喧嘩の原因にだってなるじゃない!!何考えてんのー?!それを拾うって事は感染リスクだってあるのに、この人殺しめ!!袋でも鞄でもいいから入れて帰れよ!そのまま付けて帰っても良いだろ!良心は無いのかー!!だぁーー!!」

聞いて咽ぶ巧介。

「ああ、でも神はいるのかも知れないっ。白鳥さんらしい、正義の叫びだ!」

彼はなんとか声にすると涙涙に背をむけてその肩をだく加菜と走り、他もそれを追ったが一人特殊な例つまり寝ながら不幸感を味わう白鳥を観察する会長は微笑したり、真顔になって眺めたりと忙しくその奇異な行動は、挑戦者達を少し有利にするだろう。勿論巧介もそう思ったが、登鹿は熊手を安全に持とうとして苦労し、Tシャツが脱げなくなった飯田は携帯扇風機を強にして走り、彼彼女らの疲れも限界に近づきつつあった。ただし加菜のみは、誰がどこで出口を見つけるかと楽観しているので、この精神と積極だけは悪徳宗教も、どうにもなるまい。



ハッチは宿泊者用休憩所のテレビ裏にあり、そのまん丸いスプーンのような蓋を開け梯子を降りた巧介達は白鳥の言葉どおり、岩がむき出しの地下道に立っていた。威圧的なのは黒い岩肌。南への一本道を恐る恐るすすむと先は角から西へと通じ、また恐る恐る覗くとずっと奥には黄金に輝く両開きの扉があったので、言うのは飯田と加菜だ。

「お宝じゃないの。出口じゃなくて、お宝があるんだと思う」

「でもハッチには鍵がかかってませんから、出口の演出という可能性も…。勿論あの扉に鍵があればお宝も置けますけどね」

「あっ、鍵…!」

そう言った巧介はすでに歩き、心配する飯田達を離すほど急いで松明でまぶしい扉の前まで。そこで例の鍵を試してみれば扉はガチャンと大きな音をたてて開き、中に白木で作られた台とその上のアタタカ像を見つけた彼は、ふり向いて声をあげる。

「ねぇみんな、これはお宝っ?それとも、出口の手がかり?」

走ってくる加菜達。答えたのは牧内と井川だ。

「凄い!お宝…のような気もするし、手がかりのような気もするっ。中に何か入ってるかもね」

「ああ、初めて見ましたっ。これこそ教団に伝わる秘宝、自然体のアタタカです!」

そう確かに木彫りの像となったアタタカは胸を張るでなく、どこかを指差すでなく、まったくの自然体。加菜と飯田は貸してとせがむ井川を止めてくれたが、何か不自然を感じて首をひねる巧介に言うのは登鹿だ。

「どうした?」

「あの礼拝堂にあった物と、違う気がする」

「ああ、じゃあ首輪だろう。首輪が無いんだ」

「そういえばっ。流石は登鹿さん…!」

早速部屋を調べる巧介達だが、壁も白木という事の他は気になるところもなく、天井も床も岩がむき出しでその隙間などに、首輪部分が落ちている訳でもない。よって像に目をもどす巧介達。羽根の冠も腕輪も腰巻もあるのに、なぜ首輪だけが…。考えた巧介は像を横にして裏を見るとそこには福変仁と掘られ、その横に長文が掘られている気もするが、じんの字が違うだけでなくそこからは細か過ぎて読めず、虫眼鏡を手にして他を落ちつかせ再びじっくりと観察。するとそこには、こう書いてあった。赦しも役目。罪人は、私が島を見てその豊かさに安堵し、海を見てその美しさに魅入られている間に逃げよ。その言葉を口にしてから続ける巧介。

「確か礼拝堂での登鹿さんは、像の足を掴んでましたよね」

「ああ、そうだなぁ。三重になってたから、その線で動きそうに見えたんだ。でも全く動かなかった。腕力はない方だけど、あれは無理だぞ」

その言葉に巧介は飯田の持つ鞄からルービックキューブを取りだし、それを他から見えるようにして話す。

「こうやって、首輪部分を動かすんですっ。島と海の絵があったので、順番通りに…!きっとこれで出られますよっ」

思わず歓声をあげる一同。すぐに礼拝堂へと向かい、まだ油断できないので歩きながらになるが、その間巧介と話すのは加菜だ。

「もう間違いないっ。教団が首輪を付けたのは、線になって可動部が分かり難くなるし、アタタカの装いも豪華になるからだ…!本当に帰れるじゃない~。やったー!」

「文字は近代に後付けされたもので、福変人もこれが掘られた当時は福変仁、だったのかも知れない。幸福によって貴方も優しくなれますっ、みたいな。本当にいた神とはまだ信じられないけど、もしも存在したならきっと愛想笑い以外にも、司った物があったんだ」

つまり福変人は新興というより復活した宗教かも知れず、それも相まって興味を隠しきれない井川はずっと巧介の横から像を見ているが、ハッチまで辿りついた一同は外が騒がしいのでまた相談。余ったピコピコハンマーを手にした飯田は不安そうに、井川は眉を開いて言う。

「おいおい今度は何だっ?結局ルールを無視して数任せに、オレ達を捕まえるつもりか?」

「楽観すれば、ついにこれを見つけたので、歓迎ですけど」

何故楽観する。思いながらもその井川に愛想笑いする光介。同時に考えた彼は、しばらくすると鞄を漁って加菜と登鹿を先に行かせすぐその後から梯子をのぼり、数えれば切りがない程の信者には驚いたが、それでも叫ぶように言う。

「うるさい、静かにしろっ。いいか、体育館へ行け!言うことを聞かないならこのマジックで、像にマフラーを描くぞ?!それでも良いのかーー?!」

聞いて動揺する信者達。

「何と恐ろしいことを!罰当たりめがっ」

「まだ暑い時期にマフラーだと?!」

「無神論者め!だがあの像に落書きされてはっ」

「いいか、口だけじゃあないぞ!レッグウォーマーだって描いちゃうぞ!」

という事でその巧介に威圧されながら少しずつ南へと退き、そのまま西への廊下を走る信者達。それを確認した巧介は仲間と共に礼拝堂へと走り、だが角をまがった直後に加菜の眼前に飛びこんできたのは、SPミサイル。ドーーン!

「うわっ!」

それでも彼女は圧力鍋の蓋で防ぎ、眠気は半分以下となったので猛然と会長へ襲いかかり、ここぞとばかりに続くのは登鹿、飯田、牧内。迎えた会長は素早く突きをくり出し、一撃入眠を警戒する登鹿や飯田、あるいは煙玉を準備する牧内を圧倒。だが加菜のみはやはり、機をみて盾で防いでからすぐ長柄のピコピコハンマーで反撃してくるのでやり辛い相手であり、今も槍を弾くと会長の胴に一撃。返ってきた槍も身を低くして躱し、会長は悔しそうに言う。

「おのれっ。お前さえ、お前さえいなければ!せめて何人かでも眠らせて私の強さを、記憶に刻みつけてやるっ」

「私がいなくても巧介達にやられてるよっ」

「何?!」

会長が次々と突いてくるので防戦一方の加菜。考えてみれば足は遅いが、手が遅い訳ではなく、斬りや払いに比べて防ぎにくい突きが連続しているので、当然と言えば当然。時々飯田達が攻撃したり野次ったりするので会長も加菜のみに集中できず、牧内の煙玉には慣れたのか悲鳴はあげず火種を踏んでいるが、そこで更に巧介が叫ぶ。

「これを見ろ会長ー!この像の背中にファイヤーパターンを描いてもいいのか?!」

「ハハハッ、そんな物はベンジンで消す。雑魚らしい働きっ。まずは加菜、覚悟しろ!」

「姉ちゃん一人を眠らせても、負けは負けだ!それからの五分で僕達は礼拝堂から脱出する!もう諦めろー!」

「ええい、小賢しい奴め!黙ってこの戦いを見ておれ!」

大きく槍を振りまわして飯田達を退かせてから加菜へと向かう会長。ルールを守る気はあるが、これは少々挑戦者達にとって不味い。何故なら加菜が眠ってしまえば一度は奥に運ばれてその安否が気がかりとなり、もしかすれば会長に従わない信者が出てくる可能性もあってたとえ逃げられても遅れてしまうからだが、焦る巧介を見た牧内は黙っていられず玉形の方が尽きた事もあって、ダイナマイトの様な煙玉に着火。会長はそれを見るなり必死に叫ぶ。

「ひ、卑怯だぞお前らっ。そんな物騒な物まで使うなんて!私はルールを守ってるのにー!消せぇ!早く消しなさいってーー!!」

その隙に素早く踏みこんだ加菜は連続で小手打ちを決め、会長の手から落ちる槍。またそれは登鹿の熊手によって南へと運ばれ彼女の武器はミサイルのみとなったが、装填していないと気付いた会長は腰にある六文銭を同時に押して鎧を脱ぐと、意外にも冷静に言う。

「ハハッ…!ハハハハ、やるではないかっ。窮鼠猫を噛むとはよく言ったもの…!」

姉弟が初めて会った時のスーツのみとなった会長。流石に降参するかと思ったが何故か目を瞑ったまま静かにつづける。

「だが侮ったな。後悔しろ…!」

「もう勝負はついた。一体なんの真似だっ」

そうして巧介が訊けば、どうやら今から会長がくり出すのは…眠拳という技。自己の眠気(みんき、または、ねむけ)を指先に集中させ、そこで突いた相手を眠らせるという拳法であり、遥か昔の中国西端で誕生し、内陸部から海さらには朝鮮半島でも無視され、日本に伝来。今では福変人の一部のみが使う秘技の中の秘技らしいが、その為に必要な眠気を練るのに体を揺らしながら、左右に千鳥足で歩く会長。それは隙だらけに見えても、ときどき目を閉じたまま加菜や巧介の方を向くので油断できず、重心を低くして揃えた指先を下へ向けた会長は、眠気に負けたように左の壁に寄りかかり、あるいは右にふらふらと歩いてぴたりと足を止め、寝転がった…と思えばすぐに起きる等し、口ではいびきを真似てぐうぐうと言いだす。

「ぐう~ぐうぐうっ、ぐう~~~~。ああ~~丁度、気持ちいいぐらいに眠い。でも攻撃をぱしぱしっと格好よく受け流して、全員に勝ちたい」

「くそぉ…!なんて異様で、迫力のある姿なんだ!」

混乱しながらも考える飯田。これは酔拳の真似か、元は蟷螂拳の奥義か。そんな事を考える間も惜しい巧介達は、会長がまた左の壁によりかかった隙に飯田にも合図して右側へ行き、こっそりと移動。首をひねって先頭をゆく加菜の胸の前を、会長の紫に光る指先が過ぎる。ピィーーン!

「う…嘘、眠いっ」

触れてもいない加菜はそう言って倒れそうになり瞬間、心の中で声にするのは巧介、飯田、井川、牧内、登鹿。あ…あり得ない!じゃあやっぱり、本物だ!さすが会長!ファンタスティック!一回だけチャンネル登録しよう。それぞれは思ったが、この脅威を何とかせねば先へは進めず一度退いて様子をうかがい、眠そうな加菜を支えたのは巧介だ。

「大丈夫っ?本当に、眠いんだよね?」

「う、うん。あと少しで脱出なのに、冗談言っても仕方ない」

「不味いよね…!奴がルールを守るのも、正気であればこそだっ」

天井を見ながら、あるいは床を見ながら言うのは会長。

「アハ、ハハッ!ぐぅ~、ぐうぐうっ。この秘技、困るのは後で眠れなくなる事くらいだっ。アハハッ。さあ、どうする?誰がこの技の犠牲になる?フフフフッ、終わったらサプリメント飲んで寝よう」

だが牧内がダイナマイト形の煙玉を投げると、それが後ろに落ちるのを目で追う会長。またふり向いて挑戦者側に走りだした時には、飯田と井川が持ったスーピースピアが、その胴を突いていた。

「だからこれは反則、んごぉ~~~~!」

その劇的な勝利に大喜びする巧介と加菜。

「やったぁ!僕達が話している時に考えたんですね!良い策だ!予想以上の働きですよっ」

「お陰で少し、眠気が覚めました。じゃあ…脱出を!」

その加菜は一応会長を見張るらしくそれ以外が礼拝堂へと行き、巧介と飯田とでアタタカ像の首を島の絵で止め、海の絵でも止めと順に動かせば、岩が擦れるような音と共に北にある壁が開いたので、そこから見えた夏の夜に飛びこむ一同。その声はまるでクイズ番組で優勝したかのようで聞きつけ合流した加菜と、それを笑顔で迎えた巧介が声をあげる。

「よーし出たーー!さあ約束どおり、みんなを解放しなさい!!」

「もう、おふざけは終わりだ!解放しないなら、何もかも言いふらしてやるからな!」

それを見聞きして屋上から消える信者達。三分も経たない内に敬子や高坂それに洋平などが現れ再会を喜んでいると、白鳥も奈津美と共に豊次と思しき人を気遣いながら来たので、一同は正面の駐車場へと向かった。初めてしっかりと見た豊次は丸顔に短髪で、白いシャツに緑のベストを合わせた好々爺であり、その体を気遣う姉弟。豊次はにっこりと笑ったが、どうしても足が重いようなので、巧介と加菜の心配はつづく。

「本当に一人で歩けます?誘拐されて、ずっとあの意味の分からない装置に居たんですから」

「遠慮は要りませんよ。私達も同じ被害者です」

「ああうん、ありがとう。でもね、本当に大丈夫だから。ちょっと持病の痛風が出ただけで、本当に、絶対大丈夫っ。一人で歩けるから、触らないで。それよりお前さん方、大したもんだなぁ。今度親戚から良いもの貰ったら、すぐ呼ぶからな。ハハハハッ。教団ざまあみろ…!ハハハッ!」

ボーンッ、バンッ、バンバンバンッ、パラララ~~。

「おお、花火ですか~?!何でこんな時間にっ」

洋平はそう言いながらも白鳥を呼んで走りだし、それに高坂と奈津美もつづき、豊次のことは元看護士の敬子に頼んで、兄妹も駐車場へ。南の空に赤の丸が咲き、少し間をおいてからやや西側の高いところへ黄の丸が咲き、その真中のより高いところに青や緑の丸が咲いて、それを見上げる一同。東から順にいくつもの柳が垂れ、内が黄や緑になった赤や紫のものなど一面咲き乱れる頃には皆黙り、聞こえるのは虫の音だけになっていた。そう実のところこれを上げたのは教団が勝つと断言し、あの失敗をうち消す為に是非ともやらせて欲しいと願いでた宍戸。勿論彼は挑戦者達が勝ったと知りながらこれを行い、ただそれに文句を言うでなく黙って玄関から巧介に歩く会長。顔には悲しみも怒りもないがその無が、敗北を映す。

「像だけは返してくれ…。私達の救いであり、誇りなんだっ。様々な困難の末に手にしただろう…賞品はあげるから」

「当たり前でしょう!」

「ありがとう。奈津美が盗んだ饅頭なんかはくれてやっても」

「いいや、像も返すとは言ってないよっ。賞品のことは当たり前だって」

「返してよっ。それだけは…!奈津美が盗んだ饅頭も、ジャムマーガリンパンもあげるからっ」

「じゃあ改心します?」

「する。…本当は涙出そうだけど、堪えてるの」

当然だがそれを聞いても許す気になれない飯田。だが彼は疲れたのか、赤い軽自動車へと走る白鳥と共に、自分の黒い大型乗用車へ。高坂や豊次それに登鹿などは信じるなと言いつづけ、井川さえ黙って会長をかばう者はないので、巧介はつづける。

「改心しないなら洋平さんと一緒に、この像をとり返しに来ますからねっ」

「ああ、それでいい。どうせ改心はしていく。ただその過程で、今まで以上に人材も必要になるから、どうだろう。姉と二人で教団に来ないか。もしもお前達が味方になればこれ以上心強いことは」

「いいえ、お断りします。誘うなら福変人が、本当に人を救う宗教になった時にして下さい」

また幸福シールも好きなだけ用意すると言われたが、首をふって像を置き、門へと歩く巧介。その姿は華やかな空から彩り豊かな光を浴び、まるで人を赦せずに飛びたつ天使のようであり、断腸の思いで去る恋人のようでもあり、たった今とは言え過ぎ去った時は戻らずたとえふり向いてもそれは、警戒以外のなに物でもないだろう。誰も傷つかず、仲間を失わずに勝ったが、教団の改心は怪しく、その根城が燃えるのを眺める訳でもなく、この微かな恐怖と疲労そしておふざけに満ちた日は返らず青春の一頁には、薄っすらと灰が積もってしまった。それらの負を払うのは、幸福シールの誘惑にさえ靡かなかった、その心のみ。そう知性派の現代っ子である彼にとって、何時でも手軽に味わえる幸福というものは、騙されている様で本当にそう記憶していいか分からず、危険な薬物よりは良いが、心からは喜べないもの。何だか幸せではその理由が欠落した、不完全なものなのだ。車に乗った彼はそう自分を納得させて、見つめる会長に一礼。巧介の乗った車はどんどん暗い森へと入ったが、後ろには白鳥の車もつづき、今は花火に遠慮しておりた星空のように煌く街へ。先をゆく飯田の車にある椅子は前から二、三、三と分かれ、右の運転席に彼が乗り、助手席には万一の交代として牧内が、後部座席にも右から順に巧介、洋平、奈津美、井川、敬子、加菜と座ってしばらくは無言のまま、坂道を下った。一分、二分、まだすれ違う車はないが、安心に酔う巧介。彼から見た後ろの奥にいる加菜は、SPミサイルと眠拳の効果ですでに寝息をたて、その手前にいる敬子が書類のような物を凝視しているので、それを気にして声をかける。

「何ですそれ」

「ああ、施設から持ってきた、スーピーガムに関する書類ね。多分これがあれば…不眠症でも眠れるそのガムを、教団以外も造れるようになるよ。独り占めするからもうー」

「それで何度か居なくなったんですね…!」

「そうそう、敵を騙すなら、まず味方から。悪徳宗教だから、このくらいしても罰は当たらない」

「見直しましたっ。そんな事のできる人とは」

「ハハッ、いくら訴えてもガムや技術を売る訳でもないし、愛想尽かしたからねぇ。ああ、ちょっと眠くなってきた。じゃあ…おやすみ。ホホホッ」

言うとすぐ俯くように眠る敬子。巧介はゆっくりと微笑してその寝顔を見たが、ある問題に気付き、そっと彼女に習う。そう後ろは井川、横は洋平、前は飯田、それ以外にも牧内と奈津美がいて目をぎらぎらさせ、教団の悪事や帰って何をするかの話で盛りあがり、彼彼女らは中々休ませてくれそうになかったのだが、寝てしまえばそれまで。だがそんな彼に話しかける飯田。そして牧内、井川、洋平、奈津美。

「巧介君っ。巧介君!ご両親には電話した?まずは安心させた方がいいなぁ。だって君らみたいな可愛い子が深夜まで帰らないんでしょう?オレなら、気が気じゃないね」

「そうだよ巧介君っ。ご両親への電話は加菜ちゃんが済ませたけど、もう深夜なんだし、何と言って安心させるか、私達と相談しようっ」

「突然ですが…巧介教、作りませんか?そこでも広報の仕事ができれば、もう悪徳宗教に入らなくて済むと思います。その為にもできれば月末か、来月までに創設してもらえれば」

「それも良いけど巧介君、次の冒険はいつ何所でする?何を求めて戦う?」

「貴方達の家で、降りても良いですか?お腹空いちゃって」

でもみんなだって帰れるから、嬉しくて仕方ないんだ。そう考えて返事をする巧介。

「おじさん二人、両親への説明が終わったなら、起こさないで下さい…!運転には感謝しますが、お先に失礼します。それと井川さん、君がうつ病になろうと、絶対創らないっ!以上です。そして洋平さんと奈津美さんには、思い切ってこう言いましょう。えっ…?」

「そんなこと言うなよ巧介君ー。同じ街に住んでるし、これからずっとずっとずーと友達じゃないか。仲良くやろうっ。次の土曜日に開催する、パーティーにも呼ぶからね」

「ああ、良いですねー。毎年恒例、株式会社・愛の飯田園による、ジュース祭り!私も今年は、ただの牧内として参加します。じゃあ巧介君達その時はまず、壇上で自己紹介だね。ああ、自分のことの様に緊張してきたっ。ああ~~」

「そしてパーティーではここに居る全員と、巧介教の興りを宣言するの…!あの花火はおそらく神アタタカの祝福っ。下からというより上から、天から降って来たように感じたもん。絶対そうだよっ。だって凄く盛大で、神秘的だったし」

「神秘的と言えばベトナムとかラオス、他はカナダ北部とかもお薦めだ。適度な困難と苦痛そして浪漫とお宝があるからね。詳しく聞きたいか?」

「一晩泊めて下さい。そして可能なら、梅肉入りのカップ焼きそばを頂きたいと思います」

「ハハハッ、面倒臭い…!もう寝ますっ。んごぉ~~~~!」

宣言して目をぎゅっと閉じる巧介。煩くて賑やかだ。彼はそのまま少しずつ深い眠りに落ちていったが、その間ずっと楽しそうな話声が聞こえていた。一夜にして結ばれた沢山の奇縁。これからそれが生むおふざけの時は姉弟に何を見せ、何をさせるのか、今から楽しみで仕方ない飯田達であった。


紹介にあるとおりただ娯楽だった時代の小説を目指しますので、今のところ読者を楽しませる作品のみを書くつもりです。それでよければ応援よろしくお願い致します。