【小説】#ドッペルゲンガー⇔ドッペルゲンガー(ショートショート)


「ドッペルゲンガーを見たんです」
男が切り出してくる。
診察室の椅子に座って、この世の終わりといった雰囲気。

青ざめた顔で取り乱している。

「ドッペルゲンガー?」
精神科医が胡散臭そうに聞く。
隙間ができないよう不織布マスクをつけ直す。この手の輩は感染症を持っている。

「大馬鹿者」という名前の感染症だ。

「ドッペルゲンガーを見たら死ぬって。エリザベス1世も、ゲーテも、リンカーン大統領も、ドッペルゲンガーを見たせいで死んだって話ですから」
男がベラベラと喋っている。

「ここは精神科だ。霊能者の館ではない。病のことでないのなら、帰ってくれ。君が来るところではない」
「ドッペルゲンガーの存在を否定するのですか」
「ああ」
「なぜ」
「ドッペルゲンガーは、自己像幻視の意味で用いられることが多い。精神分裂病や癲癇の症状として一般に現れることもある。しかし君は」
「……」
「君はどうみても健康に見える。健康すぎるほどだ。だから、ここに来る理由がない。さっさと帰ってくれ」
医師は冷淡な態度。

「ドッペルゲンガーは単なる都市伝説だよ。試しにネットで調べてみたらいい。せいぜい人面魚と同じレベルの扱いだ。オカルトだよオカルト」
精神科医は言った。
――医師はオカルトが嫌いだった。医学者としての聖域を、冒す汚らわしいものだ。
「オカルト?」
「ああ。ホラー映画と一緒だ。呪われたビデオを見たら、死ぬというホラー映画と同じ低いレベルだよ」
「ドッペルゲンガーは、リングの貞子に過ぎないのかよ」
男は呻いている。

男からは、うそ寒さがプンプン漂ってくる。

「芥川龍之介も死ぬ前に、ドッペルゲンガーを見たらしいね。自殺した時に、執筆していた作品もドッペルゲンガーをモチーフにしていた」
「へえ」
「芥川は、その原稿を、取りに来た編集者の前で破り捨てたらしい。まあ、彼の場合は統合失調症の幻覚だろうね」

「ともかく帰って。君は脳神経外科に行くべき。精神科ではない」

「この病院に、僕の知り合いがいる。名医だ。ここで検査したらいい。悪いようにはさせない」
医師は『国立がんセンター』の名刺を渡した。

「もう二度とこないでくれ」
精神科医は、吐き捨てるように言った。
医者が今まで、これほど強く患者を拒絶したことはなかった。

やがて、ドアを開けて男が出ていった。
 
(やれやれ)
精神科医はマスクを外した。
鏡。さっきの男に瓜二つ。
あの男は、医師のドッペルゲンガー以外の何ものでもなかった。
 


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