『チャンス』太宰治

『人生はチャンスだ。結婚もチャンスだ。恋愛もチャンスだ。と、したり顔して教える苦労人が多いけれども、私は、そうでないと思う。私は別段、れいの唯物論的弁証法に媚びるわけではないが、少くとも恋愛は、チャンスでないと思う。私はそれを、意志だと思う。』


太宰は遊び人のようなイメージを持たれると思うが、この『チャンス』を読む限り、どんなことがあっても理性を失わず、自分の意志を最優先にして生きる人間のような印象を受けた。


太宰によれば、チャンスをつかんだ人だけが幸せを手にするというのではなく、「幸せになりたい」と思った人だけが、幸せになるために行動を起こす、それだけの話なのだという。

恋愛とは、色欲に等しいと太宰は言った。恋愛とは恥ずかしいもので、色欲をベースに形作られたものを、「恋愛」などといったライトな言葉に置き換えて、堂々と発言するような人々のことを卑しく思っている。

酒を飲んでやってしまった、というのも、双方の合意がなければ起こりえないことであり、それを恋愛だとかチャンスだとかで綺麗に語っていることに不愉快さを感じていると。

そして、太宰は10年間恋をし続けたようだが、恋の最高の姿を「片恋」と記している。片想いが一番楽しいというのは太宰も同じだったのだろうか。


『庭訓。恋愛に限らず、人生すべてチャンスに乗ずるのは、げびた事である。』


自分が関わることのできない領域において自分に良い役回りがあるのであれば、それはチャンスと呼んでいいと私は思う。その一方で、上記に記したようなこの短編小説の最後の一文は納得のいくものである。

高校の部活だったり、就活での友人、企業との出会いや内定。私の通ってきた道は対外的に目立つもの・行動だったため、そんなことがあったよと話をすれば「チャンスをつかめる人なんだね!」と言われることもあったが、「この役職で全体をまとめてみたいという思いがあって、ふさわしい存在になるために努力した結果、その役職に任命された」「友達になりたい人に自分から話しかけた結果、友達になれた」「自分が選ばれるために必要なことを考え、実行した結果、選ばれた」というそれだけであって、「いいなあ」と羨む人にチャンスとやらがやってきたとて、あなたは私と同じ結果を出せますか?と言いたくなったり。ここまでの結果は、太宰が言うように意志に基づくものであるから。


でもたまに、本当の本当にどうしようもないときには「チャンスだ」なんて思ってもいいかもしれない。


私の高校時代の友人に、太宰治をこよなく愛して「世界一かっこいい」と崇めていた子がいた。たしかに、太宰の本を読んでいると惚れそうにもなる。


今日は弟が近くで大音量でドラマを見ていたので全く集中できず、ひどく乱れた文で申し訳ない。他責は良くないが、私が先に作業していたのに割り込んできた弟が悪い。今回ばかりは。

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