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アンタッチャブルの脱力タイムズ復活劇はなぜ感動し“面白い”のか。なぜならそこに面白さの数式「意外性 × 文脈 × 演者力」がすべて詰まっていたからだ

お疲れ様です、pontaです。

昨日、アンタッチャブルのザキヤマ、柴田のコンビが約10年ぶりで復活しました。

SNSでバズり、ニュースでも大きく取り上げられているので知っている人も多いかと思います。

テレビでよくありがちな『●●登場まであと何秒』というような無粋な告知なしでのぞんだこのビッグサプライズに、そして二人の全盛期と変わらぬ面白さに私は衝撃を受けました。

テレビの持つ底力というか、気概を感じた視聴者も多かったのではないでしょうか。

最近私も、クラクラというゲームの新番組を企画しては社長のドズルにダメだしされ、会社のバイトの子にダメだしされ、面白い企画を作る難しさを感じていたので、同じ目線で尊敬してしまいました。すげーな。

ただそのおかげで最近、YouTubeやテレビの面白さについて、自分なりに数式が言語化できてきたので、これを機会に共有しています。

ちなみにこれは「参加して面白い企画」ではなく、「見て面白い企画」の方なのでよろしくお願いします。

面白さ = 意外性 × 文脈 × 演者力

意外性というのは、“予想のできなさ”です。

これは言うまでもないでしょう。

見る前からどうなるかわかっているコンテンツを見る人はいません。

どんなに新しい番組でも、見る前から中身が想像できる企画は、それはすでに視聴者は「飽きている」のです。はじまってもないうちから飽きている。これはつらいですよ。

『どうせふつうにはじまって、いつものパターンで進行して、司会も同じリアクションなんでしょ』だとこれはつらい。

予定をほどほどに調和して平たんにこなすだけのものって、見る理由がないんですよね。

野球でいえば“この人が出たら、ミスるかホームランか、同じミスるにしてもド派手なミスだ”とか“この人は100%絶対ミスらない(コケたら事件だ)”みたいな選手は、予定調和にならず見る動機が生まれます。

新庄とか長嶋みたいな、いわゆる華のある人ですね。

今回のアンタッチャブルについては本当にサプライズで、意外性しかなく、ゆえに面白かったのです。


コンテンツの力を視聴者の想像力で何倍にも増幅させるのが文脈という物語性

人間とは、まったく別のものどうしをつなげて余白を想像し、筋が通ると快楽を感じ、感情をふくらませる生き物です。

本来、今回のアンタッチャブルの漫才の面白さと、10年間のブランクとはまったく別物で、関係ないはずです。

しかし視聴者側は、10年前の騒動と今回の事件、それにともなうふたりの関係性の変化、そしてそれをみじんも感じさせないコンビネーションに物語性を感じ、思い入れ、より感動するのです。

もっというと番組内でザキヤマそっくりさんの小出氏がニセコンビを組むという前振りもあり、これもまた小さな物語性を作っていました。

ゲームコンテンツで言えば『煽り』とか『戦う理由』がこれにあたりますかね。

同じコンテンツでも文脈にそってタイミングよく行うことで、そのコンテンツの面白さじたいは10倍にも20倍にも膨らむのです。

(ちなみに私はこの読みと作成が得意です。)


残酷なほどに力量の差が出る、演者力

演者力とは、その企画に出演する人の面白さです。脚本もここに含まれるのかな。

いくら意外性があり、文脈に沿ったコンテンツでも、素人では面白くできません。

ここはやはり、アンタッチャブルというコンビがそもそも持っている演者力というか、並外れた漫才の腕前があってこそのバズなんだと思います。

基本的に、アンタッチャブルはずば抜けて面白い。面白いコンテンツが、文脈の力と意外性の力をまとって大きなインパクトを世間に与えた。これが今回の件の正体なんだと思います。

企画者はこれを再現させることが命題ですが、なかなかむつかしいですね。でも近づけるように頑張りましょう。

以上、よろしくお願いします。




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