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CIVILSESSION 29: "(4)山森文生/物質的に作品が存在しない発表"

今回のCIVILSESSION 29 "REVIEW"では、過去28回行われた中から各CIVILTOKYOメンバーがお気に入りの作品の一部をご紹介します。

第29回の他の記事はこちら
(1)目的と概要
(2)根子敬生
(3)伊藤佑一郎
(5)杉浦草介


※CIVILSESSION 29は、限られた観客の方々にご意見など頂きつつ、渋谷のCIVILTOKYOオフィスにてひっそりと開催されました。以下記事はその発表内容のまとめです。


山森文生

 今回とりあげるのは作品が物質的に存在しない発表でした。全28回とCIVILSESSIONを続ける中で、見えてくる傾向というものが見えてきます。例えばそのひとつが、モノがあると投票を集めやすい、ということです。このことは、普段のCIVILSESSIONに限らず、日常生活上でも実感することで、世の中の当たり前のひとつと言えるかもしれません。特に私の場合、利用者が触れない見えない仕組みを作ることが多く、それを実感しやすいのかもしれません。目に見て触ることのできる部分をつくるデザイナーと仕事をしていると、顧客に価値が伝わりやすいのはやはりデザイナーの仕事だったりします。当たり前のことですね。そんなこんなで、CIVILSESSIONではモノがあると強い、という経験則があるわけです。しかし、ここで取り上げるのは、あえての物質的に作品が存在しない発表です。モノがあると受け手に誤解なく伝わりやすい一方で、モノがないことは受け手の無限の想像力に訴える可能性があります。そういった、物理的にはまだ存在しないモノについて価値を伝えることには、未だ見ぬ未知が具現化する余地のようなものを感じましたので、こちらをテーマに取り上げました。

 これまでのCIVILSESSIONにおいてテーマに該当する発表は数多くありましたが、いくつかを個人的な印象でピックアップしていきます。私はCIVILSESSIONの全ての回には出ていないので、自分が参加・観覧した中から選ばれた発表になるので、そこは少し念押ししておきたいかもしれません。

コバエアポート

 さて、まずひとつめ。物質的に作品が存在しない発表において、ひとつのジャンルとして確立しつつあるかもしれない架空の商品企画系プレゼンから挙げていきます。CIVILSESSION 18: AIRPORTで町田かおるさんが発表した「コバエアポート」です。こちらの個人的に興味を惹かれたポイントとしては、身近な問題に対する解決と詩的なイメージを結びつけて、既製品にある不快感を想像上で克服している点になります。物理的な実現性を私は判断できませんが、実現した場合の気持ちの良い体験について想像させるアイデアが非常に良いと思いました。

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the paradox of a mystery account

 つぎにふたつめ。ひとつめが実在する課題を非実在方向に拡張していった発表だとすれば、こちらは非実在に現実感を演出することで実在方向に収束させる発表と言えるかもしれません。CIVILSESSION 13: MYSTERYで洞内広樹さんが発表した「the paradox of a mystery account」です。こちらの個人的に興味を惹かれたポイントとしては、とにかく現実感の演出という一点にあります。物質的な手触りは無いままに、断片的な情報から匂い立つ気配のようなものを積み上げて、存在感を実在へと近づけていく。そのアプローチが琴線に強く触れたので、取り上げました。このような手法は、情報量が少なすぎると受け手の実感に届かず、逆に情報量が多すぎても無粋でつまらなくなってしまうので、CIVILSESSIONのような短時間の発表の中で完結させることは容易じゃなかったのではないか、と思いました。

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Street Scanning

 最後にとりあげるのは、こちらになります。CIVILSESSION 08: GAPでCIVILTOKYOの伊藤佑一郎が発表した「Street Scanning」です。全28回を通して見ても、伊藤が写真分野で作品を物質にしなかった発表というのは、これだけだったのではないでしょうか。エンジニアではない伊藤が突然プログラムを書いて持ってきた、ということもひとつの驚きではありましたが、個人的に何よりも興味を惹かれたのは伊藤自身の表現の幅を広げようとする試みが発表された点でした。思い返せば、最初に私をCIVILSESSIONに誘ったのは伊藤であり、その際に「新しいことに挑戦する場として、頭の体操みたいな感じで」というようなことを言っていたのですが、まさにそれを体現するような発表であると言えます。静止画に時間軸を持たせた映像写真とも呼べる1枚の画像、というコンセプトのおもしろさと私自身が持つエンジニアとしての背景が一致したこともあり、より強く印象に残りました。あえて、今回のテーマの中で伊藤の「Street Scanning」をとりあげるたのは、まさにこの点に理由がありました。

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Street Scanningの後日談

 先に「コンセプトのおもしろさと私自身が持つエンジニアとしての背景の一致」を理由に挙げましたが、これについては後日談があります。伊藤の「Street Scanning」の発表を見て、私は伊藤のアイデアは機材として実現できることに気がついて、後日デジタル一眼レフカメラを組み込んだ撮影システムの提案をしていました。そうして、CIVILSESSIONで発表された「Street Scanning」という試みから連なる、「one pic, three second」という伊藤の新たな作品制作に発展しました。当時、私はCIVILTOKYOに所属していませんでしたが、CIVILSESSIONという場がもっている発表者と鑑賞者の距離の近さがあって、このコラボレーションは生まれたのだ、と思います。CIVILSESSIONは、提示されたキーワードから限られた時間で作品をつくりあげ発表する場ですが、同時に挑戦の場でもあります。伊藤の「Street Scanning」は、その挑戦がCIVILSESSIONの枠を超えて活かされた事例でもあったのです。

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まとめ

 ということで、今回は物質的に作品が存在しない発表をテーマとして、いくつか作品をとりあげてみました。目に見えたり手に触れたりできるということは、CIVILSESSIONに限らず何かを伝えようとするときに、とても重要な要素になります。それをあえて逆張りするようなテーマを選んでみたのは、これまでに書いたような「想像された非日常が共有されて実感に至る体験」や「新しい挑戦によって照らし出された現実化の余白」がCIVILSESSIONの価値のひとつである、と感じていたからでした。もちろん、限られた時間で作品を完成させることへの尊敬がCIVILSESSIONのひとつの評価軸であることは間違いのない事実です。しかし、同時に新しい挑戦の場でもあるからこそ、未知に触れる可能性を感じる場にもなっています。CIVILSESSIONにおける物質的に作品が存在しない発表は、それが意図的なものであるか結果的なものであるかによらず、他の発表と同様に場の価値を高めてくれるものであるように思いました。

 もしかしたら、「CIVILSESSIONに参加するなら、ちゃんとモノやカタチに出来ないと駄目なんじゃないか」というように感じる人もいるかもしれません。でも、決してそんなことはなくて、アーティストでもデザイナーでもエンジニアでもなんでもない人が「とにかく何か新しいことに挑戦した」ということをその人ならではの視点で発表したら十分に成立する、そんな寛容な場であるということを声高に主張しておきます。それが伝わりさえすれば、CIVILSESSIONは色んな人が色んなことを発表して、時々CIVILSESSIONの枠を超えた何かが産まれたりもする場にもなり、ワクワクする催しで有り続けられるのではないか、と思っています。そんな感じ。

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