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お寿司屋さんでの空想(Sushi Fantasy)がSFになる日。

※画像は「みんなのフォトギャラリー」からお借りしました。
※本記事は、「小説家になろう」に転載しています。

 えっと、ちょっと前の話になるのですが。先々週の週末に、家の近くにあるはま寿司に行きまして。クルクルしていない、タッチパネルで注文したお寿司が高速直通コンベアで運ばれてくる形式のはま寿司に。
 あのタッチパネルで注文する形式、最近だと飲み屋さんとかでも見かけるようになりましたけど。あれ、なんででしょうね、どこも操作性がいまいちかなと。おかげで、初めのうちは結構戸惑ったりもしたのですが。でもまあ、好きなときに気兼ねなく注文できて、意外と便利だなとも思ったり。まあ、何事も慣れですね。

 回転すしに代表されるような、システム化したお手頃価格なお寿司屋さんというのは結構昔からあったのかな。自分がまだ学生だった頃、アトムボーイという回転すし屋さんで、イチゴ軍艦生クリームデコレーション寿司なんていうとんでもないものが回っているのを見て思わず手を伸ばしてしまった記憶があります。うん、あれは美味しくなかった(笑)

 まあ、この前行ったはま寿司はクルクルしてないのですが。でもまあ、明らかにその流れを汲んでますよね。

――最近のお寿司屋さんって、ちょっと面白いですよね。いろんな意味で驚きの進化をとげたと思うのですよ。

 店の入り口のロビーにロボットのペッパーくんがちょこんと置かれていて。そのペッパーくんの胸部にあるタッチパネルを操作して整理券を受け取って。そのまま椅子に座って、ペッパーくんがきょろきょろしたりするのを眺めて。うん、その姿にちょっとした愛嬌を感じたり。
 で、順番が来たら再びペッパーくんの元に行って、座席番号の書かれた紙を受け取って。座席でお茶を入れて、手を拭いて。タッチパネル式の端末を操作して、とりあえず欲しいのをピッピと注文していくと。で、思いのほか早くお皿に乗ったお寿司がコンベアに乗って運ばれてくると。

……ごく当たり前のように行動してますけどね。ここまで一度も、店員さんのお世話になっていないんですよね。人手がゼロですよ、ゼロ。

 よくよく考えると、これってすごいことだと思うのです。マクドナルドやはなまるうどんのようなセルフサービスの店だって、まったく人と会話をせずに料理が出てくるなんてことは無いわけですから。
 じゃあ、その分サービスが悪いかというとそういう訳でもない。フードコートみたいに自分の席を探したりする手間もありませんし、お茶をいれるためにティーサーバーまで足を運ばないといけないなんてこともない。
 それも全て、必要な場所に必要な設備が整えられているからですよね。お茶のおかわりだって、手を伸ばせばすぐに入れられる。店員さんにお願いするよりも快適だったりする訳です。

 その結果、店員さんを見かけることはあっても、話しかけるような用事も無いままに食事が進んでいく。だから、店に入って座席に座って食べ終わるまで、一言も店員さんと話をする必要がない。だから、最後にお会計をするまで、店員さんと言葉を交わすこともないと。

――もうこれ、下手なセルフサービスよりも遥かにお客さん任せになってますよね。なのにサービスが行き届いているという、「いたせり尽せりなセルフサービス」というようなことを実現していると、そんな風に思う訳です。

 とは言ってもまあ、タッチパネル端末の向こうには人がいて、こちらの注文に合わせてお寿司を握っているはずですからね。隠されているだけで、完全に店員さんに世話になっていない訳でも無いはずなのですが。
 でも、その寿司にしても、シャリを握るのはロボットの仕事で、中の人はそのシャリにネタを乗せるだけになってたりするそうですし。うん、軍艦巻きも自動化されてるとかいう話を聞くと、それこそ喫茶店でナポリタンを作る方が技術がいるのかな、なんて思えてきたりもします。
 と言うか、シャリの上にネタを置いて皿の上に盛り付けるところまで自動化すれば、もう完全自動化できるよねと思わなくもないのですが。
 こう、切ったネタをまとめて機械の中に入れておいて、注文に合わせてシャリの上にネタを乗せて、コンベアで運んでしまえば良いよねと。

 回転すしの頃はね、まだ職人さんが寿司を握っていて直接注文したりもしましたけど。今の「タッチパネルで注文をしたら、店の奥からコンベアで寿司が運ばれてくる」形だとね、ちょっと想像力が働いてしまいます。

――仮に全工程が機械化されて人手無しでお寿司が握られるようになったとしても、お客さんはそのことに気付かないよね、と。

 それってもう、お寿司屋さんと言って良いのかな、なんて思う訳ですよ。完全に無人化されたのなら、それはもう、店舗というよりは自販機ではないのかなと。「中に入って食事をする、座席内蔵形式の店舗型寿司自販機」と呼んだ方が正確ではないのかなと。

 と、いうかですね。今でもお客さんは、どんな風にお寿司が握られているのか見えてない訳で。実はとっくの昔に無人化されていて、だけど競争を勝ち抜くためにその情報をひた隠しにしている、そんな可能性だってある訳ですよ。

 つまり、「すしロボットにシャリを握らせている」というのは機密を隠すための嘘の情報で、実はもっと進んでいると。会計のときに店員さんが応対するのも、ここで人が働いてるんだよということを見せつけるためにやっているだけで、完全無人化されているのを隠すためのカムフラージュにすぎない訳です。

――そう。今の大手すしチェーン店は、お寿司屋さんというよりは座席内蔵型寿司自販機――Built-in sushi vending machine――を使って利益を上げる、食品自販機の管理会社になってしまっているのです。

 だって、そうでもしないと、あそこまで自由度の高い注文に対応しながら一皿100円なんていう低価格で商品を提供して利益を上げるなんて、できっこないじゃないですか。

 と、そんなSF的なことを考えてしまった訳ですが(笑)

 でも、その寿司ロボットもね、これはネットで見つけた記事に載っていたのですが。一度はシャリにわさびを付けるところまで進化したはずなのです。
 なのに今では、お客さんが自分でわさびをつけるようになってますからね。いつのまにか、セルフサービス化が自動化を追い越してしまっていると。ホントにね、驚きの進化です。

 でも、それこそ十年前にはそんなことになるなんてきっと誰にも想像ができてなかったと思う訳ですよ。小説で「2019年、さび抜きの寿司の方が一般的になっていて、客自身がわさびをつけるようになっていた」なんて書いたら、読者に「んなアホな」ってツッコまれてたんじゃないかなぁと。
 それは他のことも多分一緒で、「店の入り口にペッパーくんというロボットがいて……」なんて書こうものなら、「動けないロボットなんか置いたってしょうがない」とか言われたと思うのです。で、「人との触れ合いがー」とか「接客とは誠心誠意行わなくては」とか、そんな批判の種になってしまうと。

……というか、たぶん自分も、そんなことを書きたくなるだろうなと(笑)

 全く、十年前から考えれば今のお寿司屋さんって、本当に小説よりも奇ですよね。でもそれってお寿司屋さんに限った話でもないのかなと。作家にとっての最大の敵はいつも現実だよねと、そんなことを思う訳です。
 まあ、自分がファンタジー作家と言いつつもSF寄りな人だからこそ、こんな妄想に行きついたんだとも思いますが。これが他のタイプの作家さんだと、同じはま寿司でも違う妄想をしてたのかなと。

 例えば人情噺の好きな作家さんなら、そうですね、職を失い酒に逃げた一人のすし職人が色々あって立ち直って、近くのくら寿司で働くようになる。そんな職人のために、妻と子がくら寿司に行くと、そんな話を思いつくのかも知れないのかなと。
 すしを食べに行った家族は当然、くら寿司で出される寿司がロボットの握った寿司だと知っている。だけど家族にとっては、どんな形であれ、その職人さんが立ち直ってくれたことが嬉しくて仕方がない。だから、機械の作った寿司でも美味しいと言いながら、幸せそうに食べる訳です。
 そんな家族のためにその職人は、せめて自分の家族にはロボットに握らせた寿司じゃない、自分の握った寿司を食べさせたいと、こっそりと寿司を握り始めて。それを見た店長が、その腕を認めて……
 とまあ、そんな妄想をたぎらせたりするような人もいるんじゃないかなぁと。うん、まあきっと人それぞれですよね。SF的な発想をする人もいればヒューマンドラマな発想をする人もいる、きっとミステリ的な発想や時代劇的な発想をする人だっているのだと、そんな風に思うのです。

……と、うん、この文章をどう締めればいいかわからなくなってしまったところで(笑)

 きっと作家にとってのネタというのはその辺りに転がっていて、ものの見かた次第で話のネタなんてのはいくらでも出てくるのかなと、そんな風に思います。

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