衝動的でないために

戦いたい衝動みたいなものをどこにぶつければいいのだろう。その衝動が奥の方で湧き続けてしばらく消えないときがある。

戦いたいなら格闘家にでもなればいいのだろうがそういうことでもない。衝動を吐き出すために身体を使って発散しようとすると怒られる結果になる可能性が大いにある。物に当たるなんていうのが代表的だ。

ではそういう僕が次に思いつくのが言葉での発散だ。言葉を使って当たる。他人に当たり散らかすこともあれば、自分に当たることもある。他人に当たっても冷静になれば恥ずかしくなるし、自分に当たれば自己嫌悪でネガティブな深みに嵌る。おおよその衝動はここの自分に当たり散らかすことで自己嫌悪になり消化され、ネガティブになって終わる。

この衝動をどう扱えばいいのだろうか。どう扱えば正解なのか、僕はそれが分からない。

そんなことを少年漫画を読んでいたら思ってしまった。努力してそれが力になって敵を倒す。そんな単純明快なルールで、善悪もはっきりしている世界で生きたくなってしまった。

だから戦いで解決できれば楽なのに。世の中努力して力をつけて力比べ。全部そうなればいい。やっぱ格闘技向いているんじゃないのか。でも僕が生きる日常では力比べでの解決が許されない。

本当に面倒なことばかりで、単純明快じゃなくて、いいことも悪いこともはっきりしない。自分が善なのか悪なのかすら分からない。

そんな日常に生きている。面倒なことばかりだけれど生きている。

だから学生じゃなくなっても週刊少年ジャンプを買い続けることくらいはいいよね、そんなことを続けるくらいしか面倒じゃないことはないし。

面倒じゃないことを積み重ねることで衝動から目をそらしていくしか今の僕にはできないみたいです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?