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先輩って呼ぶのに後輩って呼ばない謎

なんでどうして。

このままだと気になって眠れず、翌朝タイトル画像の勢いで出社してしまいそうなので考察することにしました。大学の論文だったら提出と同時に破り捨てられそうなクオリティでお送りします。

部活や会社で「先輩!」って声を掛けている光景、ありますよね。とか言いつつ、これまでぼくが所属していた学生時代の部活も会社の部署もすべて「さん」づけ文化だったことに気付きました。だから実は「かおる先輩」って呼ばれたことがありません。「かおる先輩!」って呼んでくれる後輩ってもしかして都市伝説なんでしょうか。今知ったんですけど「!」つけると俄然かわいい女の子の後輩に慕われてる感が出て最高ですね。

余談ながら、妻は大学のサークルの後輩で10年前も今も「かおるさん」って呼んできます。別に深い理由はないです。タイミングを逸したとかそういう感じだと思います。妻に理由を尋ねてみたら「親密な感じがしてなかったのかな」とか鋭利な刃物で正面から刺されましたがぼくは無事です。

閑話休題。そう、「先輩」って慕ってる感があるんです。青春ラブストーリー的なマンガやドラマによる刷り込みのせいかもしれません。

「せ~んぱい!」は、かわいい(ショートカットの)女の子の後輩が(夏の青空をバックに)後ろから(首をちょっと傾けながら)呼んでくれてる様子がその字面で想像できます。そういう甘酸っぱい青春とは無縁のサッカー部で泥まみれデオドラントライフを送っていたため、純度の高い妄想である点はお許しください。

対する「後輩」の one of them 感ときたら尋常じゃありません。「先輩!」は固有名詞だけど「後輩!」は普通名詞です。なんなら代名詞です。え、先輩おれの名前まだ覚えてくれてなかったんや…ってなります。部活後に家でへこむやつです。

では「こ~うはい!」はどうか。想像を絶する勢いでいじめられてそうな後輩感が出てきてました。いつも自分をこき使ってくる不良の上級生から缶ジュース買ってこいと命じられるまであと5秒です。ショートカットのかわいい後輩の姿はどこにも見えません。泥まみれデオドラントライフしか過ごしてないとかようにも想像力が乏しいのだということが今日自分でよくわかりました。

「後輩!」もなんか怖いです。校庭に1年生が全員整列させられてる感が半端ないです。連帯責任という希薄な根拠をもとに下される校庭100周の罰まであと5秒です。さっきから5秒ってなんですか。マジで後輩5秒前(MK5)に決まってるじゃないですか。へえ。つまんね。

これに似た呼び方の違いの謎として、「お母さん」とは呼ぶのに「息子」とは呼ばない問題があります。いや当たり前じゃないですか。身内から普通名詞で呼ばれるとかどんな家族関係ですか。

以前友人と「家族からなんて呼ばれるのが一番つらいか」を議論したことがあります。ぶっちぎりで「名字」が優勝でした。思春期に母親から「田中、ご飯よ」とか呼ばれたらアイデンティティを喪失します。ちなみに田中はお腹がすごく弱くて足が毛深いぼくの高校時代の友人です。

この話(注:田中の毛の話ではない)をTwitterでつぶやいたら、「お姉ちゃん」とは呼ぶのに「弟くん」とは呼ばない問題もあることがわかりました。なるほど。兄弟でも同様の構図で、どうやら敬称として呼ぶかどうかが一つのポイントになりそうです。

となると先ほどのケースでも敬称をちゃんと対照的に考えないといけないですね。「お母さん」なら「息子さん」が正しいセットでしょうか。距離感が増してもはや赤の他人でしかなくなってしまいました。名字よりエグい扱いかもしれません。

この話を妻にしたら、弟に弟と呼び掛けている人がいるよと言われました。誰だろう。ぼくらの共通の友人にそんな人いたかな。

そんなことを思っていたら妻が横で口ずさみ始めました。

ああ弟よ。きみ死にたまうことなかれ。

ちょっと想像していない角度から正解が飛んできて椅子から落ちかけました。与謝野晶子が詠んだ有名な詩です。確かに弟と呼んでいる。

待てよ。これもしかして「よ」を付けたら何でもいけるのでは。「息子よ」はいけそう。「兄よ」もいけそう。どちらも遠く離れたところにいる家族に想いを馳せる様子が浮かび合ってきます。

近代文学に死ぬほどありそう。間投助詞「よ」のなせる業です。呼びかけてんだから固有名詞になるのは当たり前といえばそうなんですけど。これなら現代の他のケースでもいけそうですね。


ああ後輩よ。

微妙。



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