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エディスリマンについて語る パリで観た名コレクション【最終章】

ラグジュアリーやデザイナーズのメンズバイヤーを長年経験し、数多くのブランドをこれまで見てきましたが、その中心にいつも君臨していたデザイナーがいた。
そう、エディスリマン。

伝説のディオールオム、シーンに復活したサンローランパリ、そして彼が「不在」だった時期さえも僕は彼の影をずっと追っていた。
何故そこまで入れ込んだのかというと、2003年〜2007年頃に巻き起こったディオールオムによるあのムーブメントが本当に痛烈だったから。「メンズファッションにおける現代の最重要人物」というイメージをこの時期に痛いほど植えつけられたのだ。

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シリーズでご紹介してきた「パリで観た名コレクション」。堂々の第一位はそのエディスリマンがディオールオムを退任後、約5年間の沈黙を経て復活したサンローランパリのメンズファーストコレクション。
僕はエディスリマンの復活をずっと心待ちにしていたので、このコレクションにはとにかく強い思い入れがありました。そして多くの論争を生んだイノベーションの始まりでもあります。色々な意味でインパクトがあった、洋服屋人生でナンバーワンの出来事です。

メンズファッションに大革命をもたらしたカリスマ、エディスリマン。今回は自分の記憶を辿りながら、その歴史を名コレクションを交え紐解いて行きたいと思います。
そして彼の生き様から学んだ人生の教訓を含めて。

第1位 SAINT LAURENT PARIS
(サンローラン・パリ) 2013-14AW

1.熱狂が生まれた瞬間(とき)

時を遡る事、およそ20年。

僕が勤めていたセレクトショップでは、2002年秋冬(デビューは2001年秋冬)からディオールオムのお取り扱いを開始します。エディスリマンのイヴ・サンローラン・リヴ・ゴーシュ・オムの仕事に魅せられ、ただならぬ才能とセンスを感じアプローチしたのです。作り上げる個々の洋服はもちろん、その完成されたイメージや世界観も見事で圧倒されました。

伝説のイヴ・サンローラン・リヴ・ゴーシュ・オム
2000年秋冬

当時衝撃だったのが中性的な魅力をまとった超細身なブラック・エレガンス。これはラフシモンズが少し前に構築した世界と常に比較されるのですが、決定的な違いはエディスリマンの方がラグジュアリーでありセクシーな感覚を持ち合わせていたところ。そして極端に細い。
これらのムードがエディスリマンのもうひとつの側面である「ロック」と融合し、とてつもない化学反応をディオールオムで引き起こす事になります。
ディオールオムは衝撃のデビューから勢いを落とす事なく、神がかったコレクションを毎シーズン連発。その熱狂はグラムロックをテーマにした2005年秋冬に頂点を迎え、シーンの注目度も最高潮に達するのでした。

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最高傑作と評されるグラムロックをテーマにした
ディオールオム2005年秋冬

アイコニックなスキニージーンズやテーラードジャケットなど、ディオールオムの商品自体がめちゃくちゃ売れていた(それなりの額を仕入れしていましたが、セールなしでほぼ100%消化)というのも凄いのですが、当時ディオールオムを模したブランドが多数存在していたこと、そしてディオールオムを意識した着こなしをするメンズが街に溢れたこと(必ずしもディオールオムは着ていない)は本当に強烈なインパクトでした。競い合うように皆細くなりました。
そしてそのモノクロームの世界観は、当時のヴィジュアルワークやショップデザインにも多大な影響を与えました。
たったひとつのブランドがメンズのファッションシーンをあっという間に塗り替えてしまったのだ。
こんなに影響力があったブランドを僕はそれまで見た事がなかったですし、このあとお話ししますがその後も登場しなかったのです。

ディオールオムは40〜50代の大人のお客様からティーンエイジャーまで、様々な世代の洋服好きを虜にしていました。
お客様にお店で会うといつもディオールオムの話が中心。新しいコレクションが発表されると、販売している側もお客様もその内容に一喜一憂し、「コレクションの○番目のジャケットは入荷するのか、価格はいくらなのか、実物はどうだった」そのような会話を毎日のように繰り返していたのでした。
当時若い子たちが頑張って背伸びして、ディオールオムのジーンズを買ってくれていたのがとても印象に残っています。

僕はエディスリマンの大きな才能のひとつとしてスタイリングの巧みさをいつもあげるのですが、当時からエレガンスとカジュアルのバランスがホント絶妙だったんですよね。天才的というか、全てを緻密に計算しているように見えました。
その凄さを集約していたのが、あのスキニージーンズにテーラードジャケットを合わせたスタイル。今となってはとても当たり前な着こなしですが、あの超細身なドレスダウンは、モードとストリートの境界線をことごとく破壊し、メンズファッションに革命を起こしました。
ジャンルを超え、誰もが真似したいと思う象徴的な着こなしを創り上げたのです。
商品の格好良さに加え、リアリティある優れたスタイリング。非の打ち所がないクリエイションでした。

個人的にも大好きなモッズ/スカをテーマにした
ディオールオム2006年春夏

スタイルが定着していく傍ら、エディスリマンは2006年春夏から新たなステージへの挑戦を続けていきます。着こなしが難しいなど賛否両論ありながらも、自らのスタイルを更新していくエディスリマンに僕はさらに感銘を受けていくのでした。
2006年秋冬これまでのストリートのエッセンスを脱ぎ去り、フォーマルへ回帰したのも素晴らしかった。個人的にはこの頃のクリエイションが最も刺激的に感じました。

そんな矢先、そのキャリアの幕切れは突然やってきます。2007年、約7年間務めたディオールオムのクリエイティブディレクターを退任することが発表されると、ファッション業界に大きな激震が走りました。
「いやいや、まだまだ凄いコレクションを発表し続けるでしょう、あり得ない。」
当時僕もそんな心境でした。全然消化不良な感じ。
そしてビジネス的にも、お店の大きな柱がなくなるという現実は痛い損失でもあり、数日間は僕を含め会社の皆が落胆していました。

2.空白の時代、新たなカリスマを求めて

絶対的なトレンドセッターを失った喪失感=エディスリマンロスはとても大きく、そのぽっかりと空いた穴を埋めるため、次々と新しい才能にフォーカスし、お店としてスタイルや方向性を模索する時代が到来します。
エディスリマンがいたこの数年は、ある意味エディスリマンに頼っていた部分がありました。当時はまだまだメンズファッションは細分化されておらず、少し大袈裟に言うと、ディオールオムのコレクションを見れば、大方メンズファッションの空気感を捉えることができたからだ。

しかしその指針がなくなり、さあ今後どうするか。ひとつの時代の終わり。
エディスリマンに変わるスターデザイナーの発掘や、新しいムーブメントが誕生する瞬間を見逃さないよう、僕たちは常に意識を張り巡らせる事になります。
モードを発信していくお店の使命として。
偉大なるエディスリマンの影を埋めるべく、ここからおよそ5年間、僕たちの長い長い「戦い」が始まったのだ。

エディスリマンと比較され続け、叩かれる事も多かった
クリスヴァンアッシュ。しかし11年間もディオールオムを守り抜いた功績はやはり大きかったと思う。

エディスリマンの後任という大役を任されたクリスヴァンアッシュによるDior homme。
スキニーシルエットに対抗するように現れたリラックスムードのLANVIN。
アメリカントラッドを現代に蘇らせ、スーツを着る事の格好良さを再定義したTHOM BROWNE。
「エディスリマン難民」になってしまった顧客様を一気に虜にしたクリストフデカルナンによるBALMAIN HOMME。
ストリートの空気感を今までにないような大胆な作風でモードに落とし込んだ天才リカルドティッシによるGIVENCHY。
ウィメンズの要素を取り入れた、可愛らしさのあるインテリジェンスなフレンチスタイルのCARVEN。

エディスリマンに並ぶほどのカリスマ性を持っていたクリストフデカルナン。残念ながら2011年秋冬を最後にバルマンのデザイナーを退任してしまった。

この時期、数多くのデザイナーをフューチャーしました。そして皆素晴らしい仕事をし、新しいトレンドもたくさん生まれました。
しかし正直な事を言うと、あらゆるデザイナーが束になってもあのディオールオムの熱狂を超えるような凄いものはモード界から生まれなかったのです。ファッション全体の流れを変えるような強烈なエネルギーは。
エディスリマンがいない間、僕は彼の凄さを、そしてあのムーブメントの凄さを、改めてここで思い知らされる事になります。

3.奇跡の知らせ

フォトグラファーとして活躍するエディスリマンの動きは僕も常に追っていました。
しかし長い間、ファッション関連の音沙汰なし。もう復活はないのかな、ファッションはやらないのかな。
あきらめかけ期待も薄れていた2012年、思いもよらぬ奇跡的な知らせが入ります。
エディスリマンがサンローランのクリエイティブディレクターとして戻ってくるらしい!!
かつてディオールオムのジャパンセールスをしていた方が、エディスリマンが就任するタイミングでサンローランに移籍、そのビッグニュースを公表される前にいち早く僕たちの元へ届けてくれました。

それからとんとん拍子で話が進み、なんとコレクションデビューする2013年秋冬から取り扱う事が決まりました。このタイミングでのスタートは直営店以外では新宿伊勢丹やユナイテッドアローズ、トゥモローランドなど主要都市の有力店(5店舗くらい)と地方2〜3件程度しかありませんでした。とても名誉あることです。
人の繋がりというご縁があり、そして取り扱い店の最終ジャッジは、エディスリマン本人がしたという噂も聞いて興奮しました。
そう言えばディオールオムを始めた頃も、国内の卸先ごく少数の中に選ばれましたし、話は少しそれますが、90年代の終わり(僕が入社する前)ラフシモンズ本人がうちのお店に突然やってきて「いいお店だね」と言ってくれたそうです。僕が言うのなんですが、地方のセレクトショップの中でもけっこうなポテンシャルを持っていたと思います。

コレクションに先駆けて発表された
サンローランパリ2013年春夏

4.パリで観た待望の復活コレクション

2013年1月20日、パリ・グランパレ。僕はその場所にありがたい事に行く事ができました。エディスリマンによるサンローランパリのメンズファーストコレクション。
開始時間は押すであろう事はわかっていましたが、待ちきれず早めに到着。
薄暗い会場内には長めに取られたランウェイと、謎の巨大なセットがある事が確認できました。

しばらくするとギターのフィードバックノイズが辺りに鳴り響き、あの巨大なセットがグルグルと回り出します。どうやらあのセットはスピーカーだったようです。
そして気怠いガレージロック(タイセガールの曲)と共にショーがスタート。歴史的瞬間の幕開けです。

SAINT LAURENT PARIS 2013-14AW
 “SAINT LAURENT IS THE NEW GRUNGE”

ファーストルックは黒一色のシャープなスタイリング。続いてバルキーなノルディック柄のロングニットが登場しますが、ボトムはディオールオムと変わらず極細。ロングマフラーを多用し、赤黒のボーダーニットやレオパードのカーディガンが登場する頃には「グランジ」がひとつ大きなテーマだと言うことがわかりました。
言うなればディオールオムの絶頂期だったあの2005年秋冬に、カートコバーンの影を重ね合わせ、エディスリマンが当時住んでいたロサンゼルスの開放的な空気感をミックスしたような内容。

エディスリマンのおいしいところ全てを凝縮したような内容でしたが、5年間待って、待って、待ちわびたコレクションとしては少し物足りなく感じてしまいました。ディオールオム時代は毎シーズン他を寄せ付けない強烈な個性と、トレンドを牽引するような驚くべき進化が常にあったのですが、このコレクションを観てかつてのスタイルとあまり変わっていないなと思ったからです。
加えてあのサンローランですし、リヴ・ゴーシュのときのようなエレガンスやドラマティックなものも想像していましたが、内容はとことん「ロック」でした。こんな直球でいいの?エディ。正直そう思ってしまいました。

このショーを含め、全方位に渡るブランド改革を行うと宣言したエディスリマンに対し、前代未聞の賛否両論が巻き起こったのはご存知の通り。

フィナーレに登場したエディスリマン。
初めて見ましたが思っていたよりデカくて驚いた。

5,信念を貫いた歴史的イノベーション

半信半疑な気持ちを持ちながら、数日後に展示会へ行きました。しかし実物のアイテムを見てちょっと安心しました。ショーでも目立っていたニット、モーターサイクルジャケット、テディジャケット、ヒールブーツ、ジーンズなど「うわー、これ人気出そうだな」というアイテムが満載で、さすがエディスリマン抜かりがないなという印象でした。思い返せばディオールオムの時からそうですが、ファンが欲しいと思うものを先回りして確実に作ってきます。
モードやデザイナーズの世界ではクリエイションを優先するあまり、意外とこれができていない(お客様のニーズが分かっていない)ブランドが多かったりします。そのため人気が長続きしないブランドもたくさん見てきました。
エディスリマンはマーケティングやブランディングという概念も持ち合わせた、とても頭のいい人だとその時直感しました。

サンローランパリを着たダフトパンク。この頃発売された「ランダム・アクセス・メモリーズ」を僕も良く聴いていた。

このファーストコレクションは、ディオールオムのようにトレンドど真ん中を突き抜ける事にはなりませんでしたが、お客様の反応は凄まじく、エディスリマンのつくる服、創造する世界観はやっぱりこれでよかったのだと改めて思いなおす事になります。
そして何より面白いなと思ったのが、ディオールオムの熱狂を直接体験していない新しい世代にもこのコレクションが響いたということ。めっちゃカッコいいとはしゃいでいた若いお客様が大勢いました。
僕らがディオールオム時代に感じたような鮮烈な印象を彼らはその時抱いたんでしょうね。

そして2016年にサンローランを退任するまで、このスタイルをエディスリマンは貫きました。正直、この後もクリエイションに大きな変化がなかったので、少し食傷気味に僕も感じていましたが、大々的なリブランディングを行った結果、ビジネス的には大成功(店舗での売り上げも順調)。サンローランパリというブランドの世界観を、より強固なものに創り上げました。
あのファーストコレクションで具現化した「ディオールオム以上にエッジを効かせた、開放感のあるグラマラスなロックスタイル」というのが、エディスリマンが一貫して思い描いていた新生サンローランのヴィジョンだったのかもしれませんね。世論やトレンドがどうあろうとも、自分を信じてブレずに改革を突き進めたのです。

もっと幅の効いたクリエイションが見たかったというのが正直なところですが、サンローランでの偉大な功績とその信念の強さに魅せられて、僕はエディスリマンに「完敗」しました。あのショーを見て最初ピンと来なかった自分を少し反省しました。笑
そして退任すると決まった時には、心の底から「これまで本当にありがとう」という気持ちが沸き上がってきたのです。

2014年には7億700万ユーロだったサンローランの売り上げは、1年で9億7,400万ユーロにまで上昇し、これもまた特別なことだった。彼がケリングに出した要求は、バイカージャケット、ミニドレス、タキシードと黒のアンクルブーツなどを取り入れるということ。その簡単な要求がケリングに多大な利益をもたらした。

そしてサンローランは、ケリンググループの中でも1、2を争うブランドへと転身した。サンローランの2015年第4半期の既存店の売り上げは、前年比27.4%増。売り上げが伸び悩むラグジュアリーブランド市場で記録に残る数字を叩き出した。

6.ティーン・ナイト・ポエムの衝撃

そして次のカムバックは思ったより早かった。2018年エディスリマンは約2年の空白を経て、今度はなんとセリーヌのクリエイティブディレクターに就任したのだ。
そしてそのファーストコレクションは、サンローランパリのデビュー時と同じように、いやそれ以上の逆風に立たされる事になります。
前任者フィービーファイロが築いたセリーヌのイメージを解体し、エディスリマンの世界観をまたもや全面に押し出したからだ。

賛否両論の中、再び大胆なブランド改革を行うエディスリマン。しかしその内容はサンローランの時と大きな変化がないように見えましたが、先日凄いコレクションを発表、一気に目が覚めるような衝撃を受けました。

CELINE HOMME 2021-22AW
 “TEEN KNIGHT POEM”

シャンポール城を舞台に壮大な演出で魅せた
セリーヌオム2021年秋冬

90年代的リバイバルによるグランジやスケーターなど、ユースカルチャーを背景にした現代のストリートスタイルと、中世のニュアンスを含んだダークなエレガンスのコントラスト。これが僕たちを魅了したエディスリマンの美学の正体だ。

サンローランの時から思っていたのですが、時代性を反映したスタイルをずっと見たかったんですよね。エディスリマンにはやはりトレンドの最前線を突っ走ってもらいたい。ディオールオムの時のように。
エディスリマンの持ち味でもある、儚く崩れそうな繊細なエレガンスとロックミュージックの緊張感。そして360°どこから見ても隙がないパーフェクトなフォルム。
そこに現代的ストリートのダイナミズムを巧くミックスしただけで、言い方は悪いかもしれないが、全く新しいものに蘇った印象だ。特別新しいアイテムが出たわけでもないのに。うん、素晴らしい。

サンローランのファーストコレクションでも、正直このぐらい衝撃的なものを僕は期待していたんです。エディスリマンの本気が伝わるすごい内容でした(色々叩かれ言われて、少しは時代性を意識したのかな)。

結論、エディスリマンが時流に流されず貫いてきた世界観はやはり素晴らしかった。加えて現代の空気感やムードを上手く吸い上げ、シルエットなど変えるところは変えてきた。そして全く新しいヴィジョンを創造し、それを証明してみせた。
ヒットアイテムを量産したデザイナーとしてはもちろん、見せ方やイメージ作りにおいても天才的能力を発揮してきたエディスリマン。アーティスティック・クリエイティブ&イメージディレクターとして再び本領発揮と言ったところか。スタイリングの妙も圧倒的だ。
長年僕が待ち望んでいたものがようやく登場した。

7.終わりに

幼少期から病的に痩せていて、自身の体型に大きなコンプレックスを持っていたエディスリマン。そんな少年時代にデヴィッド・ボウイやミック・ジャガー、ポール・ウェラーと言ったロックのカリスマたちと出会い、その煌びやかな世界に魅せられる。
そして彼らのファッションに着想を得た、痩せている体型を美しく見せる、自分が着たい洋服を作るという目標に出会う。
その夢をリヴゴーシュを経てディオールオムで具体化。自己の内面をさらけ出したセンシティブなクリエイションは、従来のメンズファッションの空白地帯を開拓し、瞬く間に多くのファンを獲得した。
11歳の時に写真と出会ったというのも、天才的なイメージングを生み出す原動力になったのだろう。

周囲の意見や時流に惑わされる事なく、絶対的なヴィジョンと美学を持ったエディスリマンが僕はとても羨ましく感じる。
ディオールオムでの伝説はもちろん、たくさんの反対意見をものともせず、その逆境を乗り越えた先に辿り着いたサンローランでの成功は、多くのファッション関係者に希望と勇気を与える歴史的なイノベーションとなった。新生セリーヌもきっと彼は成功に導くことでしょう。ファッションと音楽への愛を貫いて。

ファッションハウスに入って、前任者のデザインをマネするようなことはしない。ハウスが持っていたものとは別の新たなストーリー、カルチャーをもってきて、独自のランゲージを作り出す。どんなに困難だろうとも、自分らしさを失ってはいけない。

ーエディスリマン セリーヌ就任のインタビューより

僕もファッションに携わる仕事をこれまで続けてきましたが、紆余曲折あった末、改めて自分らしくいること、自分自身の人生を生きる覚悟をここ一年ほどで悟りました。
このnoteは自分の過去の記憶や行動を整理し、未来に繋げるため書いてきた部分もあります。

「自分らしさを失ってはいけない」

どんなに困難だろうとも、人にどう思われようとも、自分のスタイルを持ち、自分の選んだ道を信じてただ進むしかない。というより何かを表現したい人にとって、それが1番幸せな生き方なんだと思う。
エディスリマンの歩み、そして人生で最も印象に残るファッションショーを振り返る事によって、僕はそのめちゃくちゃシンプルな答えに今ようやく辿り着いた。
僕はここ数年、「自分らしさ」を忘れかけていた気がするので、ちょうど良い機会になった。

自分のこれからの人生において、過去たくさんの素晴らしいクリエイションを販売する側の人間として間近で見てきた経験がきっと生きてくる。
そう確信しながら「パリで観た名コレクション」を今回で締め括りたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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