最近の記事

    • 誰かがやらなきゃいけないことの話

      賃金にならない、頑張っても人目につかない気づいてもらえない。かと言って分担できる訳でもない。でもマイナスをゼロにまで持ち上げる大事なこと。 みたいな雑用って世の中にいっぱいあると思いますが、ここ2、3年は特に、よくそういうことをこなしてきたと思っています。正直ずっとしんどかった。えらいよ自分。 でも疲れちゃって、どうにか「なんで私ばっかり!」と駄々をこねる以外の方法で解決したくて、そのことについて昨日ずっと考えてた。 自分は声が大きいのと、比較的その手の雑務に慣れてる分

      • 誕生日

        大好きな綾野剛さんの誕生日の際に綴ったものです 綾野剛さん、お誕生日おめでとうございます 以下、キモいので気をつけてね 私、俳優もドラマも映画もたいして興味なくて、綾野剛という人がこんなに素敵な人だなんてずっとこれっぽっちも知らなくて はじめて綾野剛の人間性に目が向いたのは、夜会の櫻井妻夫木佐藤ドライブ企画で、妻夫木くんが綾野剛さんに電話をかけてた時でした なんだめちゃくちゃ最近じゃねえか。あたしゃもうずっとずっと前から好きだ

        • 愛とは

          例に漏れず重タイトルですね 多かれ少なかれ、人間はいつも愛に飢えていると思う。もちろん、単に恋愛という訳ではなく、いろいろな形で。 最近色々なドラマ、映画、小説を通して思った。 私はろくに恋愛できずに生きてきたので、純愛に飢えています。Nのために、中学聖日記、そういうもの見てとても恋しく苦しいような気持ちになっている。 というか、自分が胸を締め付けられる作品の宣伝文句に、いつも"純愛"の2文字があるな、って気づかされただけなんだけどね。 私の人生なんてどうでもいいか

        23/01/16

          踏み切り台

          「コロナ時代が今来て良かった、学生の時も年取った後も嫌だし、子育てで忙しい今でほんとよかったなって思ってる」 みたいなツイートをされてる方がいてとても不愉快になったのを覚えている。 せっかく大学生になったのに可哀想、サークルとかできなくて可哀想、友達できなくて可哀想、とかよく言われるけど可哀想って何。 私は可哀想ってこの世で1番残酷な言葉であり、他人にかける言葉というよりは軽蔑のための言葉だと思ってるから、 いかにも貴方のことを想って、みたいな顔して平然と可哀想だなん

          踏み切り台

          ザ・コシ

          好きなものを目の前にして、あまりに感情が高まると、このどうにかなってしまいそうなくらい好きな感情をどうすればいいか分からなくなって、 とりあえず、布団の中でジタバタして、うーーってうめいて SNSでその思いを爆発させて、どうにかこうにか人間の形を保っています で、そのSNSで爆発させる時に、私の場合は誇張表現のみなさまが一堂に介されて、花咲いていかれるんですね そのなかでのあるある表現が「泣いた」といいながら真顔でスマホに向かってるってお約束のアレがあると思うんだけど

          ザ・コシ

          目覚めてから

          また10時間くらい眠ってしまった 大学生になってからというもの、こういう眠り方ばかりしてしまう。人生の夏休みなんていうけど、そんな美しいもんじゃないね ただの無職って感じ 一度、7時半くらいにあー朝だなって思って 次は8時59分位 そのあとはっきりと9時55分くらいに目が覚めたんだけど、身体がだる重くて、そこからは平泳ぎするみたいに夢と現実の狭間でぷかぷかしていた 1度目、2度目は起きようと思うまでもなくまたすぐに眠りに落ちてしまうのだけど、 三度寝くらいからは、起きれ

          目覚めてから

          本のはなし

          私、TwitterやInstagramに何を求めているんだろう 寂しさや渦巻く嫌な感情をごまかしたいのか いつもそうやって惰性でスマホのロックを解除し わざわざSafariから飛んでTwitterや Instagramにログイン Twitterはなんか違う、なんか違う、って思いながらずうっと眺めて Instagramは皆の幸せそうなところをみて自尊心をめちゃくちゃにされて消えたくなり もちろん、SNSやってて救われた体験だってあるけれど、実際考えてみれば得るものがあるとき

          本のはなし

          コロッケバーガー

          外に出たら、空高くどこまでも晴天で明るかった。それはもう、視細胞だけじゃなく全身の細胞が光を感じ取るくらいの明るさで、ぼやけていた体のピントが合っていくみたい。 なんだか、むかーし小さかったころこんな晴天だった日を思い出して、1月というのは古臭いなと感じた。それは悪い意味じゃなくて、こう、平成初期を思い起こさせるような陽気だなという意味。 例えるなら何だろう とバスを待ちながら考えた。まずいコンビニおにぎり。パサパサのかんじ。チャットモンチー。都会になりきれない空気。う

          コロッケバーガー

          背中の羽根

          ケーキを買った日の帰り道、私たちの背中には羽根が生えている、 みたいなニュアンスの文章をどこかで目にしたことがあるのをふと思い出した。 すごくワクワクして嬉しい気持ちとはうらはらに、抜き足差し足忍び足、だいじなケーキを出来るだけ綺麗なまま持ち帰るために、街ゆく誰よりも慎重にそうっと歩いている自分がすごく滑稽に思えて、笑っちゃいそうになった。 楽しかった。今日は幸せな日!

          背中の羽根

          春は出会いと別れの季節 春になると死というものを意識させられることが多いなと感じる。何となく、自分が春に出会う作品が死に触れたものが多いだけなのかもしれないけど 頭の中でBohemian rhapsodyがずっと流れて、 暖かいところでゆらゆらと揺れて、 ずっとずっと何かが続いていくような そんな気持ちになる。安らかな気持ち このふわふわした感じは嫌いじゃない、でも まだ私はこの世に全く爪痕を残していない やりたいことが沢山ある。死にたくない。 でも、人間いつ

          忘れられない日が増えてしまった。 恋愛とか結婚とか勉強とか就職とか自分の力とか夢とか全部もう全部全部どうでも良くていまこの瞬間この感情がずっと続けば人生なんだっていいなって思った まあ続かないから今こうやってセンチメンタルな文章を綴っているんですが。だれかにみられたら恥ずかしいな。私っていつもこうで親しい人には見せられない部分を勝手に自分で作って自分を苦しめてんだな。なんでもっと素直に生きられないんでしょうか 人生、思ったより悲しい瞬間も多いんだな、と気づいたのはほんの

          夢の話

          今日は絶対に早起きしないといけないから、自己暗示しながら寝た。 そしたらそわそわそわそわして夜中に2〜3回目が覚めた。こんなに朝が来るのが遅かったのは久々だった。 へんな夢を見た、 中学の時の先生に似た先生の話を、大勢のもとで聴いていた 私たち生徒が先生をいじったりしていたのかな、詳しいことは忘れたけど、先生が大きな声をあげて怒りを表した。 彼はいつも正義のため、生徒のために大声をあげる人だったけど、夢の中の先生は自分の感情に溺れて、感傷的な怒りかたをしていた。自分を

          夢の話