部屋と蜘蛛と私たち

「部屋が綺麗になっても人生が整う訳じゃないね」

ユキは笑ってそう言いながら、内側に少し茶渋のついたカップでジャスミンティーを出してくれた。


確かにここはとても綺麗になった。

前に来た時は歩くたびなんかの切れ端のビニールが張り付くし、それを剥がそうと足の裏に目をやると子供の手くらいはある蜘蛛がいて、野菜ジュースのゴミと空き缶の間に巣を張っていた。

私はもはや感心するしかなかった。

「ほんと、よくここで暮らせるね」
「あ、それ矢口。ハエとか食べてくれるらしいから住まわせてやることにしたんだ」
「なんで蜘蛛の名前がお母さんの旧姓なの」
「ちょうどいいかなって」

ユキは私より2つ若いけど私より一年早く家を出た。
お母さんは同じだけどお父さんは違う。
美容師になるって言って、美容学校に通ったらしいけど、今は中華料理屋で胡麻団子職人やってるとか言ってた。
私はユキのことが凄く好きだった。

二週に一度こうして様子を見に来るのは母からの御用命で、まぁ私にとってはちょうど良い機会だった。
来るたびにできる限り片付けるけどユキ曰く"3日もすればアラ不思議!"だそうで、次の時には無惨な姿のワンルームが出来上がっていた。
たまに頼まれて髪を切ってあげるとお代として3000円くれるから、それで一緒にピザをとった。

友達の多いユキはそれでも何故か私と映画を観たがった。

「今日月初めだから1200円だよ」
「なんか見たいのあるの?」
「いや、何やってるかも知らない」

そうやって近くの映画館に行って、チュロスとバターしょうゆのポップコーンをかって、気休めのコーラZEROで音のならない乾杯をする。
二人横並びでシリーズものの見たことないアクション映画を観る、この時間がずっと続けばいいのにと思った。

「あらやっと出た、元気してる?
ユキに連絡したんだけど繋がらなくって。
あぁ、そう。元気にしてるならいいんだけど。
カナちゃんには迷惑かけるけど、ユキのことよろしくね。」

「って、お母さんが」
「えー迷惑?」
「強気だね」
「うん、でももう大丈夫かも。
彼女できたから」

二週に一度の予定が無くなって、わたしの部屋はどんどん綺麗になっていった。
ユキは前よりたくさん胡麻団子を揚げて、たくさんSuicaにチャージをしてた。
彼女さんのことは電話越しの声でしか知らないけど、少し方言の残る淑やかな声だった。
珍しくちゃんとお母さんにも報告したらしく、その報告が更に私のところに回ってきて、そろそろカナちゃんも良い人居ないかしらなんていうものだから、危うく口論になるところだった。お母さんだって一回失敗してるくせして、よく言う。
月初めの映画館は一人でも行くけど、海外のアクションものではなくSNSで人気の邦画ばかりになった。


ユキが夜中に突然呼び出してきたのはそれから半年ほど経った頃だった。
タクシーで5000円、独特な匂いのするシートで25分揺られて久しぶりに来たユキの部屋に矢口の姿はなく、代わりに葉っぱがぷくぷくとした観葉植物が飾られていた。

「振られたの?」
「僕が悪いんだけどね」

前よりも健康的に肉付いた身体と不釣り合いな顔色の悪さでユキは笑う

「部屋が綺麗になっても人生が整う訳じゃないね」
「随分詩的、結構やられてるね」
「そうかも、だけどこんな綺麗な部屋にいると勘違いしちゃう気がする。自分が真っ当で清潔で綺麗な人間だって、誤認しちゃう。」

ジャスミンティーの香りがよく似合う部屋でユキは居場所なさげに正座をしていた。
振られた原因はユキが将来のことを考えてなさすぎる、とかだった。愛してくれるのは嬉しいけど私に全てを懸けられてる気がして、不安、って。
わたしはそっかと相槌をうちながらこないだ見た恋愛映画と勝手に重ねたりしてた。

「あ」

小さく声を上げたユキの目線の先をみる

「矢口!!」

私たちはカーテンの裏からのそのそと少し鈍い動きをして出てきた蜘蛛に母親の旧姓を呼ぶ。
矢口は気まずそうにまたカーテン裏に走り去った。

「この部屋、ごはんがないのかも」

そう言って網戸を薄く開ける、暗い外に漏れ出す部屋の灯りは一瞬で小さな虫達を虜にした。
蜘蛛にほらお食べと話しかけるユキは私からするとこの部屋よりずっと綺麗。

「ユキのこと凄く好きだよ」

残りのジャスミンティーとそこにダイブした一匹の小さな虫を私は一気に飲み干した。

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