初心と共に、上場のご報告と御礼のご挨拶
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初心と共に、上場のご報告と御礼のご挨拶

株式会社サーキュレーション

(文・サーキュレーション代表取締役社長 久保田 雅俊)

本日2021年7月27日、私たち株式会社サーキュレーションは、東京証券取引所マザーズ市場へ新規上場いたしました。

これもひとえに、プロシェアリングサービスを活用いただいている法人企業の皆様、当社にご登録いただいているプロ人材の皆様、共にプロシェアリングを広めてくださっているアライアンス提携機関の皆様、そして創業からこれまで当社に関わってくれたメンバー、株主の皆様、全てのステークホルダーの皆様に、私たちを信じていただき、懸けていただいたおかげです。

ここには書ききれないほどの感謝がありますが、改めて、
創業から、7年6ヶ月21日、支えていただき本当にありがとうございます。志だけ持って創業を誓った瞬間から、全てを懸けてやってきましたが、数え切れないほどの壁にぶつかり、私一人の力では社会を変革できないことを痛感しました。その度に周りの皆様に支えられ、私も、そしてサーキュレーションも一歩ずつ成長させていただき、一つの節目である上場というステージに立つことができました。
今からも、変わらず志をもち、ビジョンである「世界中の経験・知見が循環する社会の創造」を目指してまいりたいと思いますので、引き続きよろしくお願いいたします。

今回は上場日ということもあり、サーキュレーション創業に至った私自身の原点である”父の会社の清算と介護の経験"をお話させていただきます。
原点であるこの経験の詳細を今までお話することがありませんでした。もっと簡単に言うと、うまく言葉にできなかった。
しかし、本日をきっかけにサーキュレーションを知っていただく方も多くいらっしゃると思いますので、この機会にお伝えしたいと思い、筆を取るに至ります。

拙い文章ですが、お付き合いください。

父と介護の11年間

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富士山の麓にある進学塾で生まれました。塾の窓からの富士山です。

私と私の家族は、11年間に及ぶ父の介護と父の会社の清算を経験しました。
一家の大黒柱が病に倒れ、家族と会社が崩壊していきました。私たちの人生にとって、あまりに大きな出来事でした。長い闘いの中で残された家族が支え合い、私は志を抱きました。当時は辛い経験でしたが、多くを学ばされました。学ばざるを得ませんでした。

■地元で1番のスパルタ塾長だった父
静岡県の富士山の麓。富士山から流れる富士川と駿河湾、連なる山々。そこで父は25年間学習塾を営んでいました。それを手伝う母がいて、私は5人兄弟の長男でした。

地元の学力を上げる使命を持って学習塾を起業した父は、小・中・高・大学受験までサポートする街一番のスパルタ塾の塾長でした。塾長としても父としても厳格で、自分にも周りにも厳しさを持った人でした。困っている人は見捨てない優しいところもありました。地域の学力を上げて幸せになる人を増やしたいと情熱を燃やす父でした。

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古めかしい塾の看板です。家に帰ると沢山の学生さんが通っていました。

■壊れていく父と家族
ところが私が中学生くらいから、家庭が崩壊し始めました。
きっかけは、父のアルコール中毒。それ以外にも悪いところが見つかりました。若年性アルツハイマー、緑内障……学生時代に学習塾を創ってから、朝から晩まで、週末も、仕事をし続けた父の身体は限界にきていました。地元の教育者としても尊敬されていた父の崩壊と共に、事業も少しずつ回らなくなりました。

大学生になった私に、ある日突然病院から連絡がありました。依存症治療用の薬を大量に飲んだ父が階段から落ちて、救急病院に運ばれたという連絡でした。一晩持たないだろうから、すぐに来てくれと言われました。

緊急手術の後、脳挫傷による脳出血で目を覚まさない状況でした。心臓が動いているだけの、チューブに繋がれた植物のような父と対面しました。奇跡的に父は1ヶ月後に目を覚まし、家族に一瞬の安寧が訪れたのですが、本当に大変だったのはそこからでした。11年間の介護の始まりです。

■脳に障害を負った父を支えた家族
父の脳は、家族を認識することが出来ないくらい壊れていました。一方で、身体が動き、人に厳しく強い性格は残っているため、人に迷惑をかける暴れる精神病患者となりました。
家族の名前は覚えてないが、お酒は覚えていて酒を求め、お酒の話も次の瞬間は忘れてしまい、忘れてしまった自分の脳はどうなってるんだと恐怖で涙し、涙の理由を忘れてお腹が空いたと人を殴る。

この時、家族で一致団結することを誓いました。私は家族を支える事が使命だと感じました。
社会のためになる人間になる。その前に、家族を支える人でいなければならない。

父を脳のリハビリセンターに入院させて、家族で順番に、病院に寝泊まりする生活。その頃の父は暴れる精神病患者でした。他の患者さんを殴ってしまって大問題になったり、看護師さんに暴言をいい続けたり、混乱して泣き続けたり……

10年かけて病院を4回変えました。母中心に家族でしっかりと支えました。支える事で、家族は強くなりました。病院の先生や看護師さん、リハビリ師、介護士の方への感謝の気持ちは一生持ち続けます。

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後列左から弟、私、妹、前列に父と母。落ち着いている時には少しでも外で楽しく過ごしてもらいたくて、家族で外で食事をしました。

父と会社の清算

介護は、大変です。ですが、もっと大変だったのは、家業の継続でした。
学習塾を基礎にした一代の中小企業です。経営情報を知っているのは父だけでした。金庫の場所も、借金の量も、給与の管理も、塾のカリキュラムも、すべて父しか知りませんでした。先生達も、父と一緒に働きたいから雇われている状況でした。設立25年、その歴史のすべてを知るのも父だけです。

■初めて見る、理解できない経営資料の数々
母と、父の書斎をひっくり返すところからスタートしましたが、経営のずさんさにびっくりしました。当然、資料はすべて紙で整理もされていない。大学生の私には理解出来ない資料ばかりでした。経理も、財務も当然分からない。土地の権利書や、借用書が出てくるたびに、恐怖しかありませんでした。

家族の知らない経営者だけの秘密もたくさん出てきました。製紙工場を経営していたり、スナックにお金を貸していたり、自分の土地に困っている人を住まわせていたり。
ですが、父の尊厳を失うようなものは1つも出てきませんでした。

書斎にあったのは、父が信念を持って事業をしていた事がわかるものばかりでした。不良の生徒が公正して感謝しているというやり取りがしっかりとスクラップされていたり。勉強が好きな父でしたので、哲学を自学習したノートが出てきたり。

初めて、心の奥底から父を尊敬する事が出来ました。本当に、子供達のことを考えて、地元のために経営をしていたのだと。父は信頼のおける誠実な人物であったのだと、家族ながらに誇りに思うことが出来ました。毎日、大変で訳がわかなくなっていましたが、救われたし、力をもらいました。

その後も、経営が分からない母子で事業の承継をすることを決めて、整理をし続けました。
ですが経営というものは、そう簡単に引き継げるものではありません。いくら努力しようとも、大黒柱が倒れた中小企業です。先生が離れていき、それが親御さんに伝わり、生徒は去っていきました。

父が想いを持って創った塾を存続することは出来ませんでした。なんとかしようともがいた結果でしたので受け入れるしかなかったのですが、辛く悲しいことでした。

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人生のテーマを決めた

父が倒れて、中小企業の清算を経験して、私の人生の目標にテーマ(方向性)が生まれました。
経営者として「初心」というものに近いと思います。

■中小企業を人のサービスで救う
■事業承継の問題を解決する
■経営と人事のプロフェッショナルになる

この3つです。

■テーマ1:中小企業を人のサービスで救う
事業承継をする中で、経営に最も重要な要素は人なのではないか?と感じていました。

経営資源の要素である、ヒト・モノ・カネ・情報。

モノは溢れていて、すぐ手に入る。
カネのサービスは、銀行から証券から保険からあらゆるところでお世話になりました。情報は、インターネットで無料で手に入るし、素晴らしい書籍もたくさんあります。

ですが、人のサービスは足りませんでした。父の代わりになってくれる経営者もいませんでした。そもそも、経営の幹部がいませんでした。人事戦略なんて一切ありませんでした。地方で経営人材と出会えるのは奇跡的で、一度東京に動いた人材が地方の中小企業に戻るという事もほぼありませんでした。

そんな中小企業が日本の9割だと知り、ヒトのサービスに強い興味を持ち、テーマになりました。


■テーマ2:事業承継の問題を解決する
準備されていない事業承継で会社継続をすることは本当に難しいと痛感しました。なぜ自分ばかりこんな苦労をするんだと思い、将来に希望を持てず、不運な人生を呪ったりしました。

それでも人生は進みます。周りのサポートや家族の結束力でなんとか前に進むことが出来ました。冷静になったとき、事業承継が社会問題であることを知りました。自分ごとから社会ごとになりました。

自分が体験した苦しい事で苦しむ人がいるのであれば、少しでも解決出来るような人になりたい。事業承継の問題が、テーマになりました。

■テーマ3:経営と人事のプロフェッショナルになる
父の蔵書で読んだ多くの偉人に子供の頃から憧れていました。経済大国で核を持たない平和な国日本で生まれて、世の中のためになる生き方の選択肢の1つが、社会のためにある事業を起こしている経営者になることだと思いました。

まずはなんでもいいからやってみようと思い、大学1年生の時に奮起して広告とハンドキャリーの事業を始めたり、稼いだお金で1ヶ月カンボジアに行ってボランティアをしたのですが、自分の手で課題解決を進められている実感が湧かず、もどかしい日々。

今の自分では新しいことは起こせない。
社会にためになる仕組みも生み出せない。
人の役に立ちたい、そのために経営と人事のプロフェッショナルになりたい。

■そして、就職を決意した
家族は未だ不安定で、介護をし続けなればならない状況でしたが、静岡で介護をしながら事業の清算をし続けてもなにも生み出せないと感じていました。自分を奮起させ、目標を再認識させて、テーマを持って、就職する決断をしました。母や兄弟に負担をかける事は分かっていましたが、応援してくれました。

就職と社内起業

■今でも糧になっている会社員としての人生
目標とテーマがはっきりしていたので、あまり迷わずに人材総合サービスを提供しているインテリジェンスという会社に就職しました。決め手は「人」で、経営者も社員も若くパワフルでした。3年間人材紹介のコンサルタントを担当し、3年間マネジメントを経験し、3年間社内起業をしました。私にとって会社員でいることは、幸せな時間でした。良いお客様や仲間との仕事に熱狂していました。

継続している介護のプレッシャーはありました。心労もあったし、時間負担も大きかった。しかし、会社に行って自分のチームと同じ目標を追いかけて、共に成長出来ることが救いになっていました。社会人として自己研鑽できた修行の時期。それで得たのは、経験と仲間でした。

インテリジェンスの事業は創業役員たちが立ち上げたものでした。私自身の挑戦、そして機会を与えてくれた会社への恩も感じて、新規事業を自らが生み出し、人材サービスのイノベーションになる事業をやることを使命として持ちました。3年間挑戦して、会社が良い状態の時に卒業しようと決めました。

■人材サービスのイノベーションを社内起業で
決断したら行動が早いタイプです。週末、父親の病院の休憩室で、事業企画書を書きました。30ページの企画書を創って、社長の部屋に飛び込みました。

今でも表題を覚えています。
「培われた経験を次世代経営に繋ぐ」。大手人材業初のシニアのサービスです。

シニア領域は業界のタブーでもありました。その時は35歳で転職ができなくなる人材マーケットでした。その領域は可能性がない、利益を生まないと笑っていた社長も、真剣さに次のMTGのチャンスをくれました。次は投資する金がないと言われ、社内ファンドを提案しました。
粘りに粘り、何回も電話して提案し続けた結果、事業創りとファンド創りを任せていただけたので、仲間集めを同時進行で始めました。

1年後には、社内最速で成長するチームになっていました。
2年後には、数々のメディアに掲載されるサービスになっていました。
3年後には、社内で一番異動人気があるカンパニーになっていました。

イントレプレナーを経験出来た事は、私の人生の可能性を一気に広げてくれました。

大企業のジレンマとサーキュレーションの創業

■社内起業の限界とマーケットの可能性
顧問業という新しいシニアサービスを進める中で、もっと大きなマーケットに気づいていました。
それは、シニアエグゼクティブだけではなく、すべての働く人にも可能な働き方だという事でした。
副業や兼業という言葉はありましたが、マーケットはない時代。大手の人材業では、シニアのリソース以外は本業に抵触してしまうため、社内起業での実施は難しく、大企業のジレンマを感じました。

新しいマーケットや業界を創るには、変革に特化した戦略が必要であり、当該領域に専門的な知見が必要であり、それを成し遂げようとする同志と創らなければならない事が分かりました。
そして、とてつもないやりがいと、早く行動しないと社会の課題が先に進んでしまう、私がやらなくてはという危機感も感じていました。

テーマにしていた
⑴中小企業を人のサービスで救う
⑵事業承継の問題を解決する
⑶経営と人事のプロフェッショナルになる
が頭にいつも浮かんでいました。

■サーキュレーションの創業
・自分の人生で一番ショックだった出来事が「背景」に
・若い頃から変えなかった「目標と方向性」が「志」に
・社会の課題に対してのメッセージが固まり「ビジョン」になりました。

ビジョンと志と背景が重なったタイミングでした。

起業することを決断したので、まず家族に話をしました。父は末期の状況で借金も残っていましたが、家族は全力で挑戦を応援すると言ってくれました。次に一緒に働きたい仲間に、今の創業メンバーにこの話をしました。声をかけた全員が、一緒に志したいと言ってくれました。

世界中の経験や知見がもっと循環するような社会を創ると決めました。
ホワイトボードに大きく、円を書きました。

「世界中の経験知見が循環する社会を創りたい。」

真ん中にサーキュレーションと書きました。

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おわりに

随分長くなってしまいました。お付き合いいただき、ありがとうございます。こうした経緯でできたのがサーキュレーションという会社であり、プロシェアリングという事業です。

私自身の父の介護そして会社の清算というターニングポイントがきっかけでしたが、今はメンバー200人、1万7000名のプロと共に地域や企業の規模を問わず幅広く価値を届けたいと日々邁進しています。

私たちは「世界中の経験・知見が循環する社会の創造」をビジョンに掲げ、「知のめぐりをよくする。」を実現することによって、機会格差をなくし、人の可能性を最大化していく。そのような社会へ向けて、新しいマーケット創造による社会課題の解決を目指す一社として価値創出し続けることを使命とし、持続可能な社会の実現に挑戦し続けていきます。

今後ともより一層のご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。


久保田雅俊

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株式会社サーキュレーション
「世界中の経験・知見が循環する社会の創造」をビジョンに掲げる株式会社サーキュレーション(https://circu.co.jp/)のnoteです。プロ人材の「知」を複数の企業でシェアするプロシェアリング事業を運営しています。