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ジャンボンメゾン物語~第1章~#2

東日本大震災の後
全てのライフラインを失い
実家との連絡も取れずにいたが
姉が実家と繋がり
その後私と姉が繋がり
両親と従業員さんが
全員無事であることが解った。

実家は宮城県大崎市岩出山。
小さな「手作りハム屋」を営んでいる。

父が47歳の時に起業した。

それまでは、米農家だった。

父が「ハム屋」をやりたい、と
言い出してからというもの
家族間の雲行きは怪しく
父と母の言い争いは絶え間なく
母が号泣するあたりから
私達三姉妹は
子供部屋で覚悟を決めていた。
子供ならではの覚悟を。

「どっちに着く?」

あの様子では
離婚するに違いない。
あの、お母さんが号泣してるのだから。

あの、お母さんが。

気が強くて
負けず嫌いで

でもほんとうは
心配性で繊細で慈愛に満ちた彼女が…

号泣。

「はーい!私はお母さん❗」
三女が真っ先に決めた。

私と長女の姉は首を傾げる。

色々な想いが、私と姉の脳裏に甦える。
私と姉は「としご」で
双子のように育ってきた。

でも、姉に与えられた試練、
というか長女ならではの
運命的なその後の人生を決める道筋は
全て「親」のエゴにより進められていて
姉は自分の人生を
半分諦めているように見えていた。

跡継ぎ…

最初に生まれてしまっただけなのに、
1番という「重み」を背負わされていた。

この「夫婦喧嘩」の重みを
1番受け止めていたのは姉だったと思う。

なぜなら、この時
私は壮大な夢を描き
やりたいことをやるための
美術大学に入る直前だったから。

はっきり言うと
「私は次女」という立場を主張し
やりたいことだけやる、
それでいいと思っていた。

そう、この「御家騒動」は
姉に任せれば良いと
思っていたから。

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#東日本大震災

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jambonmaison代表取締役 女性だけでシャルキュトリーを作っています。 宮城県大崎市岩出山出身 1971年生まれ
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