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がんばろ、ニッポン。


五輪が始まってしまった。

過去最悪だと言われている感染病棟の病床率や、悲惨な現状を訴えかける医療従事者や専門家の声、そして若いアスリートの輝かしい活躍やメダルラッシュの明るいニュースが同時に流れてくる。もしかして、地球の中に東京は2つあるんやったか? と思わされるような日々である。

そんな中浮かび上がってくる様々な問題、その多くは「世代での価値観の違い」として語られる。



世代論を語るほどにマジョリティな感覚を持っている自覚はないが、1988年生まれの30代である私にとって、正直五輪は、なんだかその価値がいまいちわからない存在だ。そもそもスポーツに関心の低い私にとって、五輪もW杯も日本人選手の大リーグでの活躍も、子どもの頃から「はぁ、みんな、好きなんやなぁ。好きにやったらよろしいわ…」くらいの他人事だった(すみません)。

別に、国籍以外縁もゆかりもない選手の活躍に熱狂せずとも、こっちはこっちで目の前の好きなものを摂取して生きられる。若干の疎外感は抱きながらも、32年間それで楽しく生きてこられたので、五輪に関心を抱く必然性もなかった。それはべつに、愛国心の欠如でもない。故郷を愛おしく思える要素はほかにもなんぼでもありますので。

しかし今回に限って言えば、医療従事者の方たちの声を聞くと、守れるかもしれない命を危険に晒していることを思うと、そして我慢ばかりを強いられている都民や国民の苦しい立場を考えると、「はぁ、みんな、好きなんやなぁ」と呑気に他人事にもしちゃいられない。


さらに、もしこれが疫病ゆえの問題により発生して現場が混乱していたのであれば「東京は不運だった」と共に嘆くことが出来たかもしれないけれど、露呈した諸問題の多くは疫病下だけに特化したものでも、一過性のものでもない。私たちの社会根幹に巣食っている、再現性のある問題ばかりだ。


けれどもFacebookを開けば、

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新刊『小さな声の向こうに』を文藝春秋から4月9日に上梓します。noteには載せていない書き下ろしも沢山ありますので、ご興味があれば読んでいただけると、とても嬉しいです。