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天才は、その才能に気づけない



「そんなことじゃなくってさぁ……」


──誰かの恵まれた才能を絶賛するたび、相手はそのことを否定し、次に進もうとする。

ここで言う「恵まれた才能」というのは、ちょっと何かが上手だとか、クラスの中で上位に入るとか、それくらいのことではなく、ずば抜けたものなのだ。まさに天賦の才、天才のことを言っている。

でもそんな天才の「そんなことじゃなくって……」を意訳すると、だいたいこんな感じなのだろう。

「そんな当たり前のことじゃなくて、もっと、もっと特別なことがやりたいんだ」


──


これはあまりにも、多くの天才に共通した反応なのだ。

天才は、その才能に気づけない。あまりにも当たり前すぎて、「これが好きだなぁ」とか「ここを極めたいなぁ」だなんて思っていない。それはただ「やらないと気持ちが悪い」レベルのことなのだ。


歯を磨かないと気持ちが悪いのと同じくらい、プログラムの美しさを磨かないと気持ちが悪い。でもその人に「とても美しいプログラムですね」と言っても「え、普通ですけど?」となってしまう。

だからこそ、周囲と比べて初めて自分自身の抜きん出た能力に気が付くのだけれども、そこで抱く感情は、喜びよりも苛立ちだ。

「どうしてみんなは、私と同じように出来ないのだろう?」



──


天才は、自分がまるで息を吸って吐くように身につけた技術や能力は、他の人にとっても、同じように身につけられる類のものだろう……と想像してしまう。

しかし実際のところ、同じレベルで才能を持った人にはそうそう出会えない。だって天才だから。それゆえ、苦しみを分かち合い、努力を認め合い、悩みを共有できる「同志」がいない。その事実は、天才を孤独に追いやってしまう。


だから天才は、社会に馴染めなくなる。ともすれば、少し口が悪くなってしまう。いつも怒っているように見える人もいるかもしれないし、人に厳しくあたることもある。

それは天才の「当たり前」だと捉える基準値が、私たちと違いすぎるからなのだ。


──



天才と呼ばれる人に接するとき、残念ながら、心底幸せそうな人はほとんどいない。

他の人から見れば充分立派なことでも、本人にとっては「気持ち悪い、もっと出来たのに……」という後悔が募っている。

そして安直に褒められても「どうしてそんなことで褒めるのだろう? 本当に理解してないんじゃないのか?」と訝しがってしまう。


努力しても満たされない。
称賛を浴びても信じられない。

周囲は憧れるかもしれないけれど、晴れやかでもなく、華やかでもなく、実に地味でさみしい道なのだ。



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