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私の思想の支えとなる本、6冊


先週、34歳になりました。

30代になった頃、自分なりに色んなことが "わかってきた" つもりになっていたけれど、その頃の文章を今読み返すと無茶な理想論が過ぎる……と赤面してしまうことも多々。わかったつもり、からどんどん変わってしまうのだから、本当になにもわからない。きっといつまで経ってもなにかが "わかる" 状態にはならないのだろうな……ということのみが、ややわかる。

ときには "わかる" の補助線となる本もあるけれど、自分の在り方にピタリと重なるものなんてある訳もない。いっときはそれなりに傾倒しても、しばらくすると自分の輪郭とそれは微妙にずれてきてしまうし。

もっとも、自分とまるで一卵性の双子のように重なる文章や思想が既に世の中に存在していたのなら、自分の頭を悩ませることもなくなってしまう。それはひどく退屈でつまらない世界だし、そのうえ私は文章を書く理由もなくなってしまうので、そんなもんは存在しないほうがずっと都合が良いのだろうな。読書をすることは、あくまでも視点の異なる友人を増やすこと。でも友人が増えることで、視界はうんと広くなる。

ということで今夜は、私の視点の異なる友人……もとい、視界を広げてくれた本たちを紹介していきます。異世界を楽しんだり、知識を得たりといった読書とはちょっと別で、思想そのものにダイレクトアタックしてきた本縛り。もちろんそこに書いてある全てを礼賛する訳ではないけれど、それでも色濃く影響を受けた6冊。最初は10冊を予定してたのだけれど……書き始めたらあまりにも長くなりどれだけスクロールしても画面が終わらなくなってしまったので、6冊とさせていただきますね。


陰翳礼讃 | 谷崎潤一郎

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消費社会に疲れて、美意識の背骨を見失い、家の中もひっちゃかめっちゃか……という頃に読んで、てきめんに効いてしまった一冊。いまさら紹介する必要もなさそうな名著ですけれども、だからといって避けておく訳にもいかんよなと。

しかし本書、あらためて読み返してみるとなんとも過激。たとえば羊羹を礼賛するくだりで、突然クリームに向けられた強すぎる敵意(最後の2行にご注目)。

かつて漱石先生は「草枕」の中で
羊羹の色を讃美しておられたことがあったが、
そう云えばあの色などはやはり瞑想的ではないか。
玉のように半透明に曇った肌が、
奥の方まで日の光りを吸い取って
夢みる如きほの明るさを啣んでいる感じ、
あの色あいの深さ、複雑さは、
西洋の菓子には絶対に見られない。
クリームなどはあれに比べると
何と云う浅はかさ、単純さであろう。


……クリームが一体何をしたって言うの!!!


こんな調子で、ピカピカと光るカトラリーは心が落ち着かないと拒絶され、西洋風の暖炉は不格好だと批判され、レコードや拡声器は日本人の声質には似合わぬと否定され………そんな具合に西洋から入ってきた文明全般をなぎ倒しながら、日本古来の美しい道具や陰翳が礼賛されている。

けれども美意識の背骨がなかった私には、この過激さが響いたのだろうな。その後すっかり、身の回りのものはすべて暗闇に似合うもの以外は許せなくなり、華美な光や色の場所には立ち入らなくなり、蝋燭の火で原稿を執筆するようになり……。さらに実家の部屋からも蛍光灯を勝手にとっぱらい、家族から「暗すぎる!」と苦情を受ける程の陰翳礼讃原理主義者になる始末。

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