「共感」の輪を超えて、人として認識されなくなる人たちのこと
昨今、共感性、共感性と言われる割には、すこしスケールが変わるとその共感性はすぐに忘れ去られてしまう。「思いやり」と言っても良いだろうか。
細分化されすぎた世の中で、自分が使っているものを生み出している人や動物に共感の心を傾けるのは難しいし、メディアの中に商品として出てくる人に対して、友人のように心を寄り添わせることも難しい。
職業柄というか立場柄というか、世の中で炎上している人はだいたい知人……というパターンがあまりにも多い。悪そうなやつはだいたい友達、みたいなノリで書いてしまったが、別に彼ら彼女らは悪人ではないのだ。
「塩谷さんはどうやってメンタルケアしてる?」
……と、とある男性が聞いてきてくれたのだけれども、私は水の音を聴いたりゆっくりお茶を淹れて飲んだりしています、と答えた。前提として、世の中に裸の言葉を発する立場だと、そのリアクションによって必ず精神が壊れてしまうから、何かしらの「護身術」のようなものは必要だよね、という話だった。
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新刊『小さな声の向こうに』を文藝春秋から4月9日に上梓します。noteには載せていない書き下ろしも沢山ありますので、ご興味があれば読んでいただけると、とても嬉しいです。