見出し画像

Poppy and I

一度公開したのですが、あまりの暗さに下書きに戻してました。これは何週間も前の朝、のんきに植物のお世話をしていたら流れ込んできた世にも暗〜い詩です。ひゃっとしたし、ぎょっとした。なんじゃこりゃ〜〜!と叫びながら。それでもわたしはその後あることが起きてこの詩に助けられてる人を見てしまったのです。
読まないほうがいいかもしれませんが、ここに残しておきます。BGMの讃美歌と共に。 “...reclothe us in our rightful mind and purer lives thy service find. In deeper reverence praise, in deeper reverence praise” - Hymn “Dear Lord and Father of mankind”





気晴らしするしかなかった。


戦争が始まって、命懸けで戦って、生き残って、それが全部終わって、生き続けるのに。


その記憶と付き合って自分と向き合うのは辛すぎた。身体も大きな怪我を負っていた。


音楽をたくさん聴いて踊っていると涙が出る。何かも一緒に流れていく。


恋をして、恋人と一緒にご飯を食べて、つまらないことでかわいい喧嘩したり大笑いして、何かがとても癒されていった。


綺麗なものや小さなかわいい生きものを愛でたりして、気を晴らしていった。




20年が経った。


また戦争が始まった。前の戦争の記憶と一緒に。また同じ相手と。


流されてゆく血をナースが眺めている。童話を読み聞かせてくれている。


僕の手はどこ?足は?


モルヒネが効いていて分からない。


分からなくていいんだ。多分痛過ぎておかしくなってしまう。




戦っている最中、まるで宇宙を操っているかのようにな気分になる。傲慢な僕たちはこの錯覚が欲しくて戦ってしまうのだろうか?


戦争で戦っていることを誇りにしている僕は、民達にどう思われているのだろうか。


僕たち兵士の世界は高揚感と痛みが殆どだ。戦場では瞬発的に判断し行動することが求められる。その繰り返しでどんどん気は高まる。だから自分の血が流れていることに気づくのは倒れる時、ブラックアウトの時。


そして僕はポピーの庭に運ばれて、今こうして気晴らしについて考えている。モルヒネを打ってもらって。何度も。


赤いポピーは茎を切ると赤い液を流す。ナースがポピーの母体が病気だからと種子になる前に咲き終わった花の茎を切る。そこから流れ落ちる赤い液は僕の血のよう。


ポピー、生き延びられたら何をしたい?

ナース、お願いだから種を切らないで。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?