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私たちが日頃から口にする二文字熟語の多くは明治以降の表現であることはあまり認識がないかもしれません。
英語訳をニュアンスとして受け止めて、それらしき造語とするのです。
その一つに‘頑張る’があります。
‘頑張る’は‘がんばる’や‘ガンバる’と平仮名やカタカナを駆使して、もはや日常的に馴染んだ言語アイテムと言えます。

映画フリークには一級の映画評論家としてはもとより、教養と文化評論において第一人者である蓮實重彦氏(現東京大学第26代総長。同大学名誉教授)によるWEBサイトの寄稿を目にして、いろいろと感じる点に端を発します。

このコラムの内容は、英語教養にも造詣の深い蓮見氏が‘頑張る’の原点になった文章「I will do my best」を挙げて、自己都合感情と解釈できる原文の意味がいつしか‘頑張る’と訳され、現在までの使われ方への違和感を解説しています。

直訳は未来予測のwillが入っているので、これからの決意表明で「私は最大限努めるでしょう」さらにくだいてか分かりませんが、学校で習うのは「最高の自分を差し出します」ということになるのだと思います。

「頑張りなさい」「頑張って」はその意味合いで考えると限りなく酷な表現でもあるのですが、誰に言われるかによって説得力の有無が生じるのも事実ではないでしょうか。

では‘頑張る’の日本語解析はどうなのか、これは‘頑’とは‘頑な’の意味です。意志の固さを表します。まさに言っても聞かない頑固の‘頑’です。‘張る’は‘見張り’の張りから来ています。つまり警察用語引用です。ある一点を凝視、対象者を逃さない精神力が試される行為です。明治の折、ある日本語訳者は「I will do my best」を「頑なに見張ること」と訳した結果‘頑張る’という造語を作り出したという事になります。

こうして考えると、日本らしさ日本人の‘頑張る’に込めた思いとは「忍耐」だという事に気付くのです。忍耐を覚悟する時に頑張るという表現に直結すると解釈できます。
概ねの理解は多分にあるにせよ、どこか「I will do my best」を忍耐を基にする価値観について、成熟した個人主義には程遠い日本人の性格は逆境的な側面になればなるほど、この‘頑張る’を使いたがる習性から抜け出せないジレンマの応酬に見てとれます。

この忍耐を基礎に置かれた‘頑張る’を日常に思う時、少なくとも自分がある状況下において「頑張らないといけない」と責務を果たす為の様子を表す意味合いにしか、実は必要の無い言葉である事に気付く必要があります。

物事には必ず目標や達成、生き甲斐を見つけてこその努力の時間を要します。
これは忍耐ではなくプロセスです。
過程を経て結果が生じる事です。
そして伴うものが自分で判断する意志に他なりません。誰かの影響は受けても判断するのは自分自身なのです。
ここに原因と結果の法則が存在します。

頑張るという言葉や団体組織が掲げるスローガンが日本から無くなる時、今よりまともな社会になっている筈だと思えてなりません。

移動中のパーキングエリアで一服する珈琲にふと頑張ることから解放される時があります。

こちら今回該当の蓮實重彦氏のちくまWEBのコラムです。ぜひご参照ください。http://www.webchikuma.jp/articles/-/2540

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