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ブレてもいい

先日、ヒプノセラピーを学ぶために名古屋まで行ってきた。

そこでお世話になった方との会話で印象に残ったのが、

「ブレてもいい」

という言葉だった。

「どんな自分でいたいですか?」

という質問に対して自然と出てきた答えが、

「いつどこで誰といても、ブレないわたしでいたい。」だった。

相手の表情や雰囲気から気持ちが読めすぎてしまい、コミュニケーションがあんまり得意じゃない。

自分の気持ちよりも相手の期待に応えようとワタワタしてしまう昔からの癖を、

誰といても自分軸を保ったまま、ゆったり接することができるようになりたいと思った。


そんなわたしの一言に対し講師の方は、

「ブレてもいいんですよ」と、優しく返してくれる。

「どんな世界の人でも、人は感情の生き物なので、必ずブレます。

ブレていいんです。

大事なのは、ブレた後、自分軸に戻ってくることだと思います。」

風に揺れる稲穂のイメージがわいて、心がふわっと軽くなる。

そっか、ブレても良いんだ。

自分の軸を見失わなければ、ちゃんと戻ってこられるんだ。

自分を大切にする生き方をしようと思いながら、生真面目なわたしはつい頭で考えてカチカチになってしまう。

そんな時、力の入った肩にそっと手を添えてくれるのは、いつも誰かの何気ない一言だ。


安曇野でお店を出していた時、場所を借りているオーナーとの考え方の違いにとてもとても悩んでいた。

「オーナーに全然こちらの話を分かってもらえなくて、最後はあきらめちゃいました(がっかり)。」

後日相談した方にそう伝えると、

「分かってもらえなくって、全然OKなんですよ!(ハナマル!)」

「あきらめる、ということを学べましたね。」

そんな返答にビックリした。

あきらめるって、がっかりなことじゃないんだ!

本来、人と人は考え方が違って当たり前。

それなのにわたしは、「意見が違う」ということを受け入れられなくて、

話し合ったらいつか分かってもらえる、と思っていた。

それは、どこか相手をコントロールしようという気持ちでもあり、

「わたしのことを分かってほしい!」という甘えだったのだと気づく。


「考え方が違うんだ」という前提に立ち、相手の言いなりになるんじゃなくて、自分の意見もきちんと伝える。

伝えた上で分かり合えなければ、それはそれでしょうがないこと。

その上でできることを話し合えば良い。

そういう視点が、確かにわたしからは抜けていた。


人とぶつかるのが怖い、とずっと思っていた。

それは、ぶつかることを前提として自分の心をガードしていなかったからなんだって気づく。

「人と人は違う」と分かっていたら、心を自分で守ってあげられる。

そうしたら、相手に批判されてもダメージは少ないし、ちょっと勇気を出して自分の意見も主張できる。

そうしたら、意見が違うことで相手を嫌いにならないで済む。


ブレていいし、あきらめていい。

そのかわり、「自分の意思は自分で」伝える。

「自分軸を保つ」とは、そんな大人な対応ができるようになること。


父親に引き続き、先日母親にも手紙を出した。

世界中で一番怖くて、意見できなかった存在。

でも、もう怖くない。

わたしの心はわたしが守る。

たくさんの人の優しい言葉に背中を押され、わたしはまたひとつ大きくなる。

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Photo@Hakuba Nagano お休み中のリフト。空に浮かぶベンチみたい。

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