銘柄③私とキャメルシガー

地下の熱気を背に階段を上がると冷たい空気が頬を掠め、一気に汗が引いた。狭い通路を抜けてアーケードに入ると、ベンチに煙を吐く猫背が見え、横には灰皿替わりのチューハイの空き缶があった。私はどう声を掛けるか迷った挙句、コーヒーを買って「お疲れ様です。」と言って差し入れをした。「悠、まだ居たのか。ありがとう。」火を消して、コーヒーを飲む。「一口飲むか?」「じゃあ、一口だけ。いただきます。」緊張で苦いコーヒーの味はほとんど感じないまま飲み込んだ。「今日は出待ちの子達帰ったんですか?」「うん。疲れてたから、五分位で帰らせたよ(笑)」「お疲れ様です(笑)」「悠、この後飲みにでも行くか?せっかく待っててくれたんだし、俺が飲みたいし。」あ、この流れ、知ってる。私は幸せを押し殺しながら「私、安いところ見つけたんですよ」と言った。ハイボールと唐揚げが売りの駅前の居酒屋に入る。399円で飲み放題という破格の安さに驚かれ、気分が良くなった。

2時間もするとテーブルには唐揚げの数よりも空のジョッキの方が多くなっていた。普段から食べるより酒を飲む量の方が多いのだが、今日は一段と酒が進み、程よく酔いも回っている。要さんは意味もなく「悠、悠」と繰り返している。私は嬉しくて「要さん、要さん」と返していた。時々私が吸っている煙草を欲しがり、「赤マルかあ。俺も前吸ってたなぁ」と言いながら吸いきってはまた酒を飲む。私の煙草は残り3本になっていた。「そろそろ家に帰って飲もうかな。歩けなくなる前に帰りたい」と要さんが言うのでそれに従って店を出る。2人でコンビニに寄り、飲み足りなかった分の酒とコンドームを買った。要さんのジャージの裾を掴む。ポケットに手を突っ込んだまま気にせず歩き続ける横で、背徳の混ざった幸福を咀嚼し、頬が緩んだ。

扉を開けると吸殻で溢れ返った灰皿が目に留まり、要さんの部屋であることが実感できた。「3日ぶりに帰ってきたから埃っぽいなぁ」脱ぎ散らかされた服や転がった空き缶の間を今日に歩き、ベットに座って「こっちおいで」と横を指さしている。私は素直に横に座り、1本目のプルタブに手を掛けた。

夜も更けて酒の勢いは増し、顔はすっかり火照っていて暑かった。気付けば私は要さんの足の間にすっぽり入って酒を飲んでいて、要さんの腕は私を抱きかかえるようにして時々私の上でいやらしく動く。そのうちすっぽり覆い被さられて、要さんは口で封を切る。キャメルシガーの匂いが私の嗅覚を刺激して行為への意識を高揚させる。「あ、締まった」部屋は煌々と明かりがついたままで、顔がよく見えた。私は腰の動きに合わせて鳴いていた。要さんの首の後ろに手を伸ばす。服の袖が重力に従って腕を滑り落ち、規則的に並んだ古傷が露になる。要さんはその古傷をみつめ、ゆっくりとキスをした。

3回果てた後、二人ともぐったりして夕方になるまで眠っていた。18時頃、電話の音で目を覚まし、見ると5件のLINEと3件の不在着信があり、どれも心配した遥からだった。寝起きで頭が働かないまま電話を掛け直すと1コールもしないうちに『ユウさん?!』と言う声が聞こえた。
『ユウさんどこ行ってたんですか…心配しました。合鍵あったから機材取りに行ったらエアコンつけっぱだったし、あーもう、でも良かった。』「はは、ごめんねーライブ帰りに飲みすぎちゃって(笑)」『ライブ行ってたんですか。今日は帰ってきますよね?ユウさん』横ではあと1時間は起きなそうな寝息が聞こえる。私は「んー」とだけ答えて一方的に電話切った。

結局すっかり日が落ちた頃に二度寝から目覚め、ジャージ姿のまま公園に行った。二日酔いに迎え酒をして気持ち悪さは増したが、要さんが歌っていたから気分は良かった。23時過ぎには他のバンドマンが数名集まってきて、色々なことを語り合い、(正直よく覚えていないが、)気がつくと全員で泣きながら歌っていた。そんな日が1週間続いた。ほとんど携帯は見ていなかったし、ロクに返信もしていなかったから、画面は諸々の通知でいっぱいだった。手を繋いで家まで帰る。ここ3日間で吐き気はピークに達し、あ、やばい。と思った時には道で盛大に吐いていた。アパートまではあと30メートルくらいだったのに、耐えられなかった。要さんはゲラゲラ笑いながらも背中をさすってくれた。私は手を引かれ、泣きながらアパートの階段へ向かった。

終わりは唐突に訪れ、昨日の酒を胃に残したまま、夕方に目を覚ますと隣は空っぽになっていた。日付を見ると今日は要さんのバンドのライブだった。私は要さんが貸してくれた大きいジャージを羽織り、松木さんのライブハウスに向かう。ポケットに手を突っ込み、髪は下ろして猫背のままだらしなく足を引きずる。開演の5分前にたどり着いたが、すぐ松木さんに捕まり、カウンターの隅まで連れていかれてしまった。「まーた要くんのところ行ってたでしょ」「はは、お陰様で(笑)」「マルちゃんも一途だね…。俺にはどこがいいんだが未だにわかんないよ(笑)ライブの時は格好良いけど、終わるとすっかり抜け殻じゃん」「生きることに執着が少いところがあるけど、一緒にお酒飲めるだけで幸せなんですよ」「それだけで?」「単純なもので(笑)」ベースの重低音が響き、曲が始まるのが分かった。「遥くん、心配してたよ。いいの?」「遥が?」「マルちゃん…。要くんとマルちゃんはこういうところが似てるのかもね」何だかよくわからなかったが、似ていると言われて頬が緩んだ。ドアの向こうでは要さんが歌っている。

「入らないの?」

「あの中に入っちゃえば、またしばらくはただの客とバンドマンに戻っちゃうから」

ジャージからはキャメルシガーの匂いがして、松木さんは何かを察したように目を見開いた。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

好きな銘柄になれるように。ありがとう。
3
僕が腐っていく過程です。 "煙草の煙ほど信用出来ないものはない"がモットーのバンドと作詞と文章書く人間です。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。