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自分史 自業自得と時々外されちゃう梯子⑧

この記事は続編です。ここに至る経緯はこちら
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大学生時代編ダイジェスト


・ 東日本大震災を経験 ⑥~
・ 順調過ぎると思っていた就職活動


東日本大震災を経験編(1000字弱)



突然だが、僕は大学在学時に書籍出版を経験したことがある。

始まりは東日本大震災を経験し、ゴールデンウィークが過ぎ、大学の講義が再開された頃だった。ひと月もすれば、最低限の社会的なインフラは復旧し、各々が少しずつ日常へ戻っていた。

春休みの間はボランティアに従事していた僕であるが、このまま後片付け、後処理、敗戦処理を淡々とこなすだけで良いのだろうかという思いに駆られていた。そして、思わぬ春休みの延長戦を楽しむような余韻はなく、早速選択を迫られることになる。

僕は大学2年生になり、最終的にどの研究室に属するか、引いてはどんな分野で卒業論文を書くかの準備段階がやってきていた。実習という形で様々な教授のフィールドワークに同行したり、ディスカッションをしたり、言わばお試し期間だ。僕はそこで恩師と出会った。

僕は研究室を訪れた際に自分でも説明することが難しい取っ散らかった思いを吐露した。すると、不思議と考えが整理出来た。

ここで言いたいのは、その准教授が特別聞き上手だとか、カウンセリングが上手いとかそういう類のことではない。むしろ、教授の名に恥じない変人、偏屈さ、不器用さがしっくりくる人だった。(見てたらすみません)

今にして思えば、僕自身が思いを余すことなく吐き出したことによる効果だったということだ。どうやら頭で考えているだけでは駄目なようだ。どんな方法でも一度自分の外側に出力(アウトプット)することが大事。自分と切り離し、客観視出来る状況を作ることが大事だということを今、痛切に感じている。

少し脱線したが、そんな准教授の許で行ったのは、フラスコを振りながらデータを取るような研究とは似ても似つかない現地主義の研究。とにかく被災地に足を運び、聞き取りを行う中、いろんな人のいろんな思いを聞いた。

東日本大震災から半年が過ぎ、フィールドワークの結果が上々だったからかは分からないが准教授から提案があった。大学2年生の秋。本格的に研究室に入り、東日本大震災をテーマに卒業研究として上手くまとまる見立てが出てきた場合、商業出版をしてみようということであった。


つづく

~~~マガジンにまとめてみました~~~
自分史 自業自得と時々外されちゃう梯子





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