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映画『ジーザス・クライスト=スーパースター』を見た話

 『JCS』の映像版があるのは知っていたが、近所のリサイクルショップで見つけたので悩み抜いた末に購入した。

 なんというか、面白かった。

 オーバチュアは治安の悪そうな落書きをされた壁と気だるそうな使徒たちのシーンから始まる。これは危ない、よくあるアメリカの導入感がプンプンする。ありきたりの予感…と初めこそ嫌な予感がしたが、その予感は杞憂に終わった。全体的にアッパーで、パワフルで、なんというか、面白かった。

 全体的に舞台と映像の美味しいとこ取り、という感じの見せ方になっている。セットは上手と下手に柱が建っており、登って上に走る通路に行けるので舞台の上下も使えていい。
 そこの地下が司祭たちの集まる部屋の設定らしく、壁につけられたモニターでジーザスに熱狂する群衆を見ているところに地上で撒かれたジーザスを讃えるビラが排水溝をすり抜けてその部屋に振り込んでくる。演出的に綺麗だとは思うが雨が降ったらびしょびしょになるんと違う?という心配が払拭できない。モニターがあるので電気系統も気がかりだ。
 ジーザスが捕まって檻に入れられているシーンはぐるりと鉄格子に囲まれており、使徒や民衆がそこから覗いている。劇団四季のエルサレムバージョンで見たような構図だと思った。
 
 そして何はさておき各キャラの顔がいい。ジーザスは甘ったれ感のある人たらしっぽいハンサム。ユダは切れ者顔で頭が薄いので気苦労の多さが伺える。シモンは短髪ムキムキやんちゃボーイで、マリアには強ギャル感がある。

 衣装のセンスがいい。まずジーザスが全身一貫して白い服を着ているのは作品の象徴として分かりやすくていい。ジーザスはじめ使徒側のキャラは現代でも馴染みのあるスタイルの普段着だったので「ああこういうノリね」と油断していたら突然ダースベイダーのようなSFっぽい者たちがたくさん出てきてたまげた。ローマ兵である。嘘やん、こんなん絶対勝てんやん。カヤパ様は「この様子じゃ暴動が起こる気をつけろ」って言うけど起きたとて間違いなく一網打尽できる。
 じゃあ司祭たちはどんな格好なんだ、と期待していたら魔法でも使いそうな黒装束で出てくる。カッコいい。アンナスなんて坊主である。黒装束に坊主は絶対強いのだ。冷酷無比で手段を選ばないタイプの強キャラ感がある。カヤパ様は顔の圧が強く声も朗々とハリがありガタイがいい。登場人物全員の名前を伏せて「カヤパ様はどーれだ?」と聞かれても分かるくらいビジュアルがぴったりだ。
 ピラトは半裸でベッドの上に起き上がり「ピラトの夢」を歌う。夢の内容を伝えるのだから寝起きなのが妥当、というのはそれはそうなのだが日本人である私は半裸で寝る習慣がないのでお色気シーンを担わされているのかと思った。声がいいのでなおさら色っぽい。
 使徒以外の民衆はそのシーンに合った見た目で出てくるので役割が分かりやすい。市場のシーンではカジノや娼館の客、物乞いシーンでは憐れさや貧しさを掻き立たせる包帯姿、逮捕後にジーザスを責めるシーンではマスコミのようにマイクを向ける。分かりやすい。

 演出でいくとヘロデ王のナンバーが面白い。無彩色に近い場面からいきなりド派手で豪華なステージの前に放り出されるジーザス。そこにヘロデがバチバチにキメた白スーツ姿でコーラスガールを従えて陽気にジーザスに絡む。エンタメ界の名物MC、という感じなので「パンのかけらで私の家族を養え」というのが「テレビで取り上げるからお前のパフォーマンスで視聴率取ってくれ」という意味に解釈できて新しかった。

 ヘロデのナンバーもそうだが、他のナンバーでもジーザスにカメラを向けたり、マイクが出てきたりとTVショー的パフォーマンスがたびたび出てくる。見ながら「ラストの『スーパースター』の歌詞、「昔のイスラエルじゃテレビもないしさ」の部分に矛盾が出るのでは?」と思ったのだが、全体を通してみるとユダがいわゆる「俯瞰の目」扱いになっているのでそこまで違和感はなかった。未来から来たユダが「昔のイスラエルにテレビがあってもこんなもんだったよな」と嘲笑しているようにも見える。

 あと市場のシーンが賭博場とか娼館のような、そういう娯楽の地になっていたところも面白いし分かりやすい見せ方で良かった。なるほどこれだとジーザスが「まるで盗人の巣じゃないか!」と怒り心頭なのもよく分かる。ジーザスはブチ切れのあまり大きなモニターを持ち上げてぶん投げていた。お強い。

 驚いたのはユダがちゃんと首を吊って死ぬ。忠実だ。それから最後に磔されたジーザスを使徒が十字架から下ろしている。劇団四季版では磔のまま幕が降りるので意外だったが、復活するわけだからそりゃ下すよな、と納得した。十字架から下ろされ、使徒たちに囲まれるジーザス。取り急ぎ被せられてる荊の冠を取ってあげてほしい。

 どうしてもところどころ面白いのが映像がスローになるところだ。そりゃスローにして見せたいわよね、というところもあれば、なんでここ?と思うところがスローで見せられたりする。これはもう生きてきた文化と感性の違いなのだろうが、過剰なスローは安っぽく見えて面白くなってしまう。
 あとマリアがとにかくジーザスの甘やかし方が上手い。顔が近いし包み込むように抱きしめるし膝枕するしベタベタ触る。娼婦であった女の部分と清廉で素直な少女の部分が絶妙だ。娘と母が同居している。こりゃ甘えるわ、と思わずにはいられない。案の定ジーザスは己の疲れた部分を全てマリアに委ねるように甘える。無遠慮な子供のようにも見えるし奇跡なんか起こせない一人の男という言葉がしっくりくる。そのくせ周りに求められればどうしてもその手を取ってしまう優しさと弱さも見えていい。ユダは終始斜に構えたようなキャラだったのだがところどころ神出鬼没だったりと怖さもあって良かった。ジーザスについての気持ちは、太宰治の小説『駆け込み訴え』のユダとも四季版のユダともまた少し違うような気がする。ビジュアルも言動も所作もジーザスよりずっと大人なので同年代設定ではないのかな?という印象もある。この作品唯一のリアリスト、というのがよく分かる見せ方だった。そしてマリアのことは心底嫌いそうだった。

 四季版では『ホサナ』で「皆のために戦いを」を訳されていたところが「私たちのために死んでください」という歌詞になっており、それを聞いたジーザスが顔を歪める、というシーンがあったのだが、ここだけじゃなく四季版だとふわっと表現されていたものをストレートに見せられるところが多かったように思う。
 これを見て思い出したのだが最近の四季の演技や演出に「昔よりはっきり感情表現をしているな」と感じることが多い。劇団員が多国籍になってきたおかげで表現が国際的にオーソドックスな方に振れてきたのかな?と思っている。日本特有の綺羅星のような機微を客席に降らすような演技も好きだがストレートに感情をお届けする国際的な表現も好きだ。表現方法が増えるのはいいことだと思う。場面やストーリーの流れ、芝居のやり取りの中で見せ方の手段が多いというのはリズムがついて見やすくなるのでありがたい。

 曲については終始シリアスな四季版に比べて童話っぽいというか、なんとなくコミカルな味付けになっているなぁと思った。大人向け作品に子供っぽい味付けがされているというか。これは前作である『ヨセフと天然色のドリームコート』の影響もあるのかな?と思った。このタイトル長くない?

 実はこのDVDを買った時に隣に『ヨセフ〜』も並んでいたのでまたこっちも見てみたいと思う。誰にも買われず売れ残っていてほしい(店側に不利益な願望)。

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