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わたしが体験した人種差別の話

生まれ育った町には米軍基地がある。今は中国を中心に海外からも観光客が多く訪れるようになったようだが、わたしがこどもの頃は外国人といえば基地関係のアメリカ人がほとんどだったように思う。外で友達と遊んでいると通りがかりに気さくに声をかけてくれる米兵もいて、たいていはあいさつプラスアルファ程度のちょっとしたやりとりにすぎないのだが、そうしたささやかな交流は日常の一部となっていた。そんな米兵のなかには白人、ヒスパニック系、アジア系、そして黒人もいたけれど、田舎町に凝縮された日本的価値観に息を詰まらせていたわたしにとっては人種にかかわらず彼らはみな自由な空気を分けてくれる存在に思えて親しみを感じていた。

その一方で周囲では黒人を“くろんぼ”のような蔑称で呼ぶ人は珍しくなかった。基地問題により米兵全体にネガティブなイメージを抱いていた人はつねに一定数いたとしても、人種差別という意味では対象になっていたのは黒人だけだったように思う。とはいえ、地元住民の大半は米兵と密に接する機会を持たないので、実際に彼らに対して何か差別的行為をするわけではなく、ただ差別意識をもって見ているというだけで実害が生じるものではなかったかもしれない。それでも、わたしはそのような物言いをする人々に苛立っていたし、親がその蔑称を口にしたとき、たまりかねて抗議したこともある。「なんでそんな言い方するの⁉︎」と語気を強めるわたしに「え? なにが?」「差別用語だよ」「べつにそういう意味で使ってない。差別する気持ちはないし、みんな使ってるふつうの言葉だから」。本当に差別意識がないならなぜ「〇〇病院で“あいの子”が生まれたらしいよ」などと噂するのか。田舎とはいえ人口は10万を超えるのだから、ふつうの出産ならいちいち話題になるはずがない。

わたしはその頃にはとっくに、ほとんどの害悪は悪意のないところからもたらされるものだと悟っていたので、人種差別も同じく、自覚がないから差別してしまうのだし、それが差別だと自覚できる人は差別などしない、つまり自分は差別しない人間だと思っていた。

大学時代は関西で過ごした。友人のなかに在日コリアンの女の子がいた。出会ったときから、住んでいる地域や顔立ち、名前に含まれていた漢字などからそうなんだろうなと思っていた。それは例えばわかりやすく沖縄っぽい特徴が揃っている人に対して沖縄出身なんだろうなと思うのと同じで、わたしにとってはプラスでもマイナスでもないただの人間観察の一部でしかなかったけれど、在日コリアンに対する差別という社会問題が存在することは知っていたので、あえて本人に訊いたり確かめたりはしなかった。

妙に気が合ったので短期間のうちに仲良くなり、親友のひとりと言ってもいいくらいになった頃、「話がある」と呼び出された。そのときの彼女の尋常じゃない緊迫感と重苦しい空気を察して、わたしは最悪の事態を想定して怯えていた。気づかないうちにとんでもなくひどいことをしてしまっていて絶縁を言い渡されるとか、彼女が不治の病で余命数ヶ月というような。

長い沈黙の後、発せられた言葉は「実は…在日やねん」。わたしは一気に緊張感から解き放たれた勢いで思ったままを口走ってしまう。「なんだ、そんなこと? 知ってたよ」。そのときの彼女のギョッとした顔を見て、すぐに自分の浅はかさを呪った。そうか、この人にとってその出自は時間をかけて信頼関係を築いた相手にのみ、それだけの緊迫感をもってでなければ告白できないような、それだけの経験と重苦しさを人生にもたらしたバックグラウンドなのだ。しかもできるだけ人に知られないようにと心を砕いてきたのだろうに「そんなこと知ってた」と言い放たれるのは恐怖でしかないはず。一瞬にしていろんな思いが頭を駆けめぐるなか、適当な言葉は見つからず、「ごめん」とつぶやくしかなかった。

自分は差別していないから問題はない、考える必要はない、ではなくて、そのような差別が組み込まれた社会構造のなかに自分も生きているということ。無関心であればそれだけで知らず知らず差別を容認し、ときには思わぬ形で差別に加担してしまうかもしれない。その後、彼女の話を聞いたり、自分で調べて在日コリアン問題の実情を知るようになった。

18歳以降は人生の4分の1から3分の1くらいは海外で過ごしている。欧米ではアジア人として差別されることもある。通りを歩いているだけで「チナ!」と揶揄されたり(“チナ”は中国人を意味するが、彼らは中国人だとか日本人だとか韓国人だとかいう区別にすら興味がないだけで実質的にアジア人全体を指している。ただし一部には差別的な含意なく“チナ”という言葉を使う国もあるのでぜんぶがぜんぶ差別とも限らない)、明らかに人種的要因によって軽くあしらわれたり。まあ気にしていたらキリがないのでできるだけ反応しないようにしているが、そこまで深刻な差別は経験していないだけとも言える。

フランスはとくにアジア人蔑視がひどいという話を聞いていたけれど、実際に3ヶ月パリの語学学校に通ったときには、差別を感じたことはほとんどなかった。アジア人がほとんどいないクラスにいたため、いつも白人と連れ立って行動していたからかもしれないし、フランス語のレベルが低すぎて微妙なニュアンスに気づけなかっただけかもしれないし、今ほど排外主義が高まっていなかった時代だからかもしれない。

パリはお気に入りの街のひとつになり、その後もヨーロッパに滞在する度に立ち寄るようになった。最後に訪れたのは3年ほど前。そのときはじめて明白なアジア人差別に遭遇した。

ある日散歩をしていたら、近くにモンブランの名店があることをふと思い出した。場所がうろ覚えだったのでグーグルマップで調べると、いちばん上に表示されたレビューが目に入った。とにかくアジア人差別がひどいということがわざわざ日本語と英語で併記してあり、よほど腹に据えかねる経験をしたことが伺える。少し迷ったが、実際にどうなのか検証したい気持ちもあり、行ってみることにした。

レビューにはアジア人が並んでいても後からきた白人が優先されるのでいつまでも入店できないと書かれていた。到着してみると白人が数組がすでに並んでいて、しばらくするとわたしの後にも白人が続いた。結果としてはきちんと並んだとおりの順番で席に通された。ちなみに案内係はアジア系の女性。

店内では3つ向こうのテーブルにおそらく中国人と思われる女性一人客がいた。彼女は何度もギャルソンに声をかけたり手を大きく振ってアピールしたりしているが、絶対に気づいているはずのギャルソン(白人)は素通り、でも白人に対しては愛想よく接客している。しばらくすると奥から黒服のアジア系男性が出てきて中国人女性の注文を訊き、そのまままっすぐわたしのところへやってきたので定番のモンブランと紅茶を頼んだ。さらにその中国人女性とわたしだけ、注文した品を運んできたのも会計をしてくれたのも同じ黒服のアジア系男性。彼はそれ以外の接客行為は一切していない。ギャルソンとは明らかに制服が違うのでギャルソンではないと思う。他にアジア系の客はいなかった。英語で注文している白人観光客もいたので言葉の問題でもないだろう。

つまりアジア系の客専門に対応するスタッフを配置しているとしか考えようがない。この店は白人ギャルソンがアジア系への接客を拒否する人種差別を容認しているということだ。さわやかな笑顔で完璧な接客を見せる彼と話しながら、同じアジア系としてこのような仕事をさせられていることをどう感じているのだろうか、客に対してここまであからさまな差別をするなら従業員の間でも不当な扱いを受けてはいないだろうか、と複雑な気持ちになった。

と、人種差別については個人的な経験や、世界のいろんな国で目の当たりにしてきた社会問題など、つねに比較的身近にあったと言っていいと思う。なかでもショックだったのは、自分自身のなかに知らず知らず刷り込まれていた黒人差別意識に気づいたときだった。

例えば、夜道をひとりで歩いているとき、人が近づいてくれば無条件に警戒モードに入る。結果的にはなんでもないことのほうが多いけれど、とくに海外では気をつけるに越したことはない。でも、近づいてくる人が黒人である場合に、より恐れを感じやすい自分にあるとき気づいたのだ。また、治安の良し悪しを判断する要因としては建物や道の手入れの状況であったり人の身なりであったりいろいろあるが、その他の条件がすべて同程度であっても、白人が多い地域よりも黒人が多い地域のほうが怖く感じる。

つまり、黒人は暴力的になりやすいとか、黒人は犯罪率が高いといった差別の根底にある間違ったステレオタイプはわたしのなかにもしっかりと刷り込まれているのだ。自分では差別に反感をもっていたつもりでも、周りにそのような意識が蔓延していれば、知らぬ間にそれが潜在意識に入り込んできてしまう。そうした社会的信念の刷り込みから完全に自由になれる人はおそらくひとりもいない。だからこそ自分が差別しなければいいというだけでなく、つねに社会全体の問題として関心を持ち、自問し、考えながら、さまざまな背景を持つ人々と話をする必要があると思う。

日本にも人種差別はある。黒人や在日コリアン、アイヌの問題だけでなく、同じアジアなのになぜか他のアジア諸国からきた外国人を見下して傲慢にふるまう人も多いし、入管施設での虐待問題も深刻だ。人種ではないけれど、女性差別の問題においてはもはや先進国とは思えないほど世界に遅れをとっている。ひとりひとりが考え、差別しないように気をつけるだけでなく、声を上げていくことが必要だと思う。アメリカからはじまり各国に広がりつつある抗議行動を機に、身の周りにある差別や偏見の問題と向き合う人が増えますように。






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