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名無しの若者。私は未経験経営者 ①

この記事で伝えたいこと

・現時点の状態
・なぜそうなったのか? 今までの経緯
・私の失敗談
・これからの若者へ伝えたいこと


こんにちは。
私は都内で小さな企業集合体を経営する若造です。
私が企業集合体と表してるのは、株式会社、店舗、個人事務所などに出資や顧問契約にて入り、実質的に経営責任を負う者として運営しているため、企業集合体と記載いたします。

20代前半を経営に費やし、そろそろ前半が終わることもあり、今までの経緯や失敗談を自分への戒めも込めて書き記してこれからの未来ある若者へ教訓になればと思い書いています。

また、私はそろそろ20代最後の勝負になるなと肌で感じているため覚悟を決めることも含んでおります。


※ 本内容にはフィクションが含まれており、事実とは異なることが多分に含まれています。
※ これは匿名個人による内容のため、各関係、団体には関係が無いことを念頭にお読みください。

現時点の状態

我々が運営する企業集合体は4月を持って、一部の事業を米国とヨーロッパに本拠地を持つ企業傘下へ入ることとなり関連会社、実質的子会社の立ち位置としてインフラ整備事業を拡大いたします。

歴史背景としては約5年。もともと関東に研究施設を持っていたインフラ会社を譲渡されたことが一つのタイミングでした。
後に私が買収するこの企業はインフラとしては約30年以上、製造、設置を行っていた企業になります。

譲渡後は約3名のスタッフ (すべて取締役) で経営、実務を行い、本当の意味で血の滲むような毎日を過ごしました。
それもそのはず、私は経営未経験者。経営のケの字もわからない。

しかし政策の後押しもあって急拡大した弊社 (A社) は人員の採用もままならないまま、各地へ工場を設置し、いつしか自前で輸送も請け負う商社と工事屋の複合体となりました。

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事業は順調を極め、コストを度外視したオフィス、人材採用、ズタボロのバックオフィスのまま右肩上がりの事業経営をしていて各自が脇の甘い状態となっていました。

1つ目の失敗

私は研究開発、政界へのコネクションを増やすべく経営の第一線から退き、事業は別の役員にすべて任せきっていました。
後に痛感するこれが私の1つ目の失敗です
また、このタイミングで譲渡元を買収します。

政界へのコネクションを太くしている最中、競合企業が現れ、一般社団法人とは名ばかりの天下り企業を全面にして我々を押し潰す勢いで邁進する企業が現れました。

市場や案件はすべて競合に刈り取られ、他の役員に任せていた丸投げ経営は衰退の一途をたどりました
案件の受注から製造、国に提出する資料がすべてストップし、新しい人材も育成されないまま前線に行かされ仕事も少なくなり、離職率も大きくなるばかりの倒産ルート確定まで追い詰められていました。

しかし、工事人材、工場、研究所、輸送拠点を抱えていた我々は業界としては珍しく自己資本で運営していたのでそれに対して買収の声がかかりました。
私がコネクション拡大していてことが、なんとか救いとなったのです。

初めての売却

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買収されることが決まり、最初に発覚したのは不明瞭会計の山
仕入れや経費すらまともに計上されてなく、我々が何に何をつかってるのかわからなかったのです
ぶっ壊れた会計は難航を極め、最後に取った結論は事業譲渡。

現存の会社は潰し、役員のロック期間中にボーナスを引き当ててもらう方法に切り替えました。
ロック期間中は大企業に身を置き、毎日社員と同じく出社し、無事引き継ぎが終わると役員は全員自分の道へ。

学んだこと

結果的になんとか乗り越えることができましたが、我々は「ヒト・モノ・カネ」の「カネ」の一部(売上)しか考えられておらず、全てズタボロで、歩けばボロが出てくるような組織体でした。
社員は全員転職のことを考え、役員は私含めて豪遊三昧。企業として守りのチカラが極端に弱かったと痛感しました。

その後

少なくないお金を手にした私は、約一年間、香港とマカオに住んでいました。
金融工学とまではいきませんが、ここで投資について少しだけ学びました。

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