ニコニコメドレーに出会ってからの10年間ほどを振り返る(前編)

(注意)
この記事は 自分語り100% でお送りします。また長文です。
苦手な方はブラウザバックを。

この記事は ニコメド記事投稿祭 参加作品 予定でした
長すぎて書ききれませんでした...
ということで、投稿祭関係なしで書けるところまで書いていきます。

内容について、タイトルどおりの思い出話をするだけです。
得られることは何もないと思いますが、それでも良ければ読んでいってください。
私の有益な記事が見たいという人がいるならば、昨日書いた記事がオススメです。(宣伝)

...ということで本題です。
私がニコニコメドレーという存在を知ってから10年、視聴者としても投稿者としても色々なことがあったなあと思います。
なので!色々と年別に振り返りたいなと思った次第です。
ニコニコメドレーに出会ったのが2010年、その少し前から現在までを振り返ります。

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~2009年  DTMをするきっかけとなった一つのゲーム

2010年以前の私は、いたって普通の人でした。
任天堂ゲームをよくやったり、ポップス音楽を聞いたりしていました。
そんな中で、今につながるものがありました。それは メイドイン俺 です。

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2009年当時、私はこのメイドイン俺というゲームにとてつもなくハマりました。
といっても、一番のめりこんだのはゲームの動作を作る部分(くみたて)なのですが...
そうは言っても、音楽を作る おとづくり もかなりハマった記憶があります。
このおとづくりで、当時の私はゲーム音楽やポップスを打ち込んでいました。これが初めてのDTMということになります。
流石に当時の音楽を聞き直すのは恥ずかしいのでできていませんが、この時の経験が後のニコメド作成の役に立っているのは間違いないでしょう。

DTMの片鱗があったころですが、肝心のニコニコメドレーは全く存在を知りませんでした。
当時は、七色を筆頭に歴史的なメドレーが投稿されていたのですがね...

ちなみに、ニコニコ動画の存在は知っていました。
2008年~2009年頃は2ちゃんねる(VIP)にROM専として入り浸っており、そこで流行ったコピペで存在を知りました。
「ヨロシクノキワミ」とか「※鳥肌注意※」ですね。
また、姉がボカロを中心にニコニコにハマっていたことも原因としてありそうです。
たしか、「これがすごい!」と推されて、投稿1週間後くらいのBadApple影絵を見た覚えがあります。
しかしながら、その当時はニコニコへの関心は全くありませんでした。ここで興味を持っていたらニコニコメドレーに出会う時期も早まっていたでしょう。

2010年  ニコニコメドレーとの出会い

2010年に入る頃、私はYouTubeという存在を知りました。
その当時は自由に使えるパソコンを持っておらず、WiiのインターネットチャンネルからYouTubeを見ていました。

そして、夏ごろくらいでしょうか。ついに、組曲と遭遇しました。
多分、下の動画だったと思います。
(ニコニコの転載っぽい気はしますが、元がわからないのでそのまま張っておきます)

原曲バージョンかい!!!!!
この当時、組曲が打ち込み作品であることを知りませんでした
そして、収録曲を数えるほどしか知らなかったのですが、なぜか妙に惹かれました。
おそらく、この時点でたくさんの曲が入り乱れているところに魅力を持ったのではないでしょうか。
そして、気づけば上の動画を繰り返して聞くようになりました。
流星群と七色を知るのもわりとすぐでしたね。ただ、依然として打ち込み音源は聞いたことがありませんでした。

「ニコニコ組曲いいなあ」と思いながらたどり着いたのが絵描き歌の動画。もちろんYouTubeの転載動画でしたが。

私は、この動画の本質である描いてみた要素より、ボーカルが入っていないことに驚いていました。
そして、たどり着きました。本家の組曲に。(もちろんこれもようつべry)

同じように、流星群や七色も打ち込み音源であることを知りました。
ただ、初見で抱いた感想は「意外とあっさりしてるな」というものでした。
この原因は見た動画がWMP動画そのままを転載したものであったからでしょうか。
コメ付き動画を見ていれば印象は変わっていたかもしれません。

組曲中心の2010年でしたが、もう一つ重要な出来事がありまして...
それは ポケモンBWの発売 です。

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任天堂ゲームでも特にポケモンが好きなのは今も昔も変わらず。
発売当日に買って、すごくやりこんだ覚えがあります。
そして、このゲームのなかで チュリネ というポケモンを捕まえます。

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このチュリネがすごくかわいらしく、是非とも旅パに入れたいなあと思いました。
このチュリネに付けたニックネーム、それこそが...  「ちゅるちん」です。
そうです!現在のハンドルネームの由来はここになります。

2011年  ニコニコ会員登録とニコメドタグの発見

2011年初めごろ、ついに私はニコニコ動画の会員となります。
「ニコニコメドレーを見るためかな?」と思われそうですが、実は全然関係ありません。
一番の原因は ふしぎなくすりシリーズ です。

ニコニコに明るい人なら知っていると思いますが、このシリーズはポケモンの動画が中心となっています。
YouTubeをたまに見ていた当時の私は、転載動画からこのシリーズを知ります。
ただ、転載なのでそこまで多くは上がっていないんですよね。
もっと色々な動画見たいと思った私は、ニコニコへの会員登録を決心しました。
当時はやっぱり会員登録のハードルが高かったんですよねえ。今やログインなしで見られますが。

そんな経緯でニコニコを見始めた私ですが、このころはニコニコメドレーシリーズのタグの存在を知りませんでした。
正直言うと、この時期に何の動画を見ていたか全然覚えていないんですよね...
そして少し経った頃、一つの動画を見ます。それが Nico Start! です。
どういう経緯でたどり着いたのかは不明ですけどね...当時はランキングも見てなかったし...

このメドレーですが、まずは私がこの時点までに知っている「組曲みたいなもの」をはるかに超える曲密度で驚かされます。
自作メドレーの初期はStartに影響されたといっても過言ではありません。

そして、タグに見覚えのないものがありました。そう、「ニコニコメドレーシリーズ」です。
試しにクリックしてみます。すると同じように曲がたくさん出てくる音楽作品がたくさんありました。
もちろん組曲なども発見できました。「あの時ハマった組曲はこれだったのか...」と感動した覚えがあります。

こうして、「組曲みたいなもの = ニコニコメドレーシリーズ」ということを知った私。
ここからは、過去のニコニコメドレーシリーズをめぐっていくことになります。
また、ニコニコの流行りの勉強を始めたのもこの時期ですね。
そしてだんだんとある感情が芽生えるようになります。

「ニコニコメドレーを作りたい」

2012年  ニコニコメドレー作者人生の開始

ニコニコメドレーを作りたいとは言ってもそんなに簡単なものではありませんでした。
当時は自由に使えるPC環境がなく、まさにメドレーとかどうやってつくるんじゃい状態でした。
そんな状態の私がとった行動が、脳内でメドレーを作る でした。

頭で考えた繋ぎや重ねをノートに書いていく、現代人とは思えないほどの原始的な方法です。
その書置きを見て脳内で再生する、そんなので満足していました。
このメドレーは、自分の中では「第0段」と位置付けています。が、書置きが見当たらないのでもはや思い出せないんですよね...
処女作となるGENERATIONとも異なる構成だったのは覚えているのですが...

そんな脳内メドレーを作りつつも、ニコメドタグは追っかけていました。
そんなときに投稿された一つのメドレーが事態を一転させます。
ニコニコメドレー3年目 です。

このメドレーをみて、「3年やればここまで作れるようになるのか...!」と思いました。
脳内で納めていたメドレーをちゃんと形にするように後押ししてくれた作品なのです。ほんとに感謝しています。
そして、同時期に家のPCが(家族共用ですが)使えるようになったため、メドレー制作に乗り出します。

といいつつも、パソコン使えるとはいってもどうやって音楽つくるんじゃい!からのスタートでした。
色々と調べて、MIDIというものを打ちこめばよいところまでは分かったので、「Music Studio Producer」を入れました。
今思うと、Dominoじゃなかったのが不思議でなりません。どういう経緯でMSPになったのやら...

そして動画作成は「AviUtl」です。今でも現役でお世話になっています。

作り始める決心をしたのが6月下旬。
そこからの2か月は今までにないくらい濃い日々だったと思います。
なにせ覚えることがいっぱいでいっぱいで。
耳コピや打ち込みはメイドイン俺でやったのですが、MSPだと勝手が違うので苦戦しました。
音楽理論などの基本的なものも調べた覚えがあるので、ほんとに色々やったなと。
そして8月24日、処女作を投稿します。タイトルは「NICONICO GENERATION」です。

このタイトルの意図は記憶があやふやなんですよね。
NEET GENERATIONという楽曲を採用したからだとは思うのですが、途中で変わったのかカオスゾーンに放り込まれているし...

今聞くと、音が少なすぎるわ転調がおかしいやら耳コピもミスっているやらで恥ずかしいですね...
ただ、当時の全力を尽くしたのがこれなので、非常に愛着はあります。
繋ぎや重ねも、キーずれを直せば今と大差ないのでは?とか思うほどです。

ちなみに、最初につけたハンドルネームは今とは少し違いました。
ちゅるちゅる」というハンドルネームを使っていたのですが、これを覚えている人は居ないんじゃないかなあと思います。
2013年頭くらいまでこの名前で、以降は今のちゅるちんになっています。
なんで変えたかは正直覚えていません。どういう心境があったのやら。

調子に乗った当時の私。なんと次回作の試聴版を投稿する暴挙に出ます。

えっ何これは...(困惑)
正直言うと、これの存在はマジで忘れていました。
翌年に投稿するREVORUTIONの始め部分を抜き出して投稿しているのなんでだ...?
当時の自分の行動がわからず困惑するばかりです。

さらに調子に乗った当時の私。2012年はもう一つメドレーを投稿することに。
DIGITAL MUSCLE です。第2回メドレー競作ですね。

自分でも内容をほとんど覚えていませんでした... (扱いが雑)
で、最近聞いたときに思ったのが「なんか質があがってね?」でした。
昔の自分を褒めるのもおかしい話ですが、GENERATIONから3か月でだいぶ聞きやすくなっていると思いました。
あと、「この縛りでよくやれたな!?」という驚きもあります。
デビュー3か月でやる縛りではない...破綻しなかっただけでもすごいよ当時の自分...

このように始まったメドレー作者としての歩み。
といっても、まだ穏やかでした。そもそも足りていないものが多すぎたので。

2013年  3部作の完結と王道を征く大工作時代

時は2月。メドレー2作目の NICONICO REVORUTION を投稿します。
誤字には意図があります。  ... すんません、英語力がないだけです。noteさんにまで誤字を指摘されるの生き恥でしょ。

REVORUTIONを作ったときに思っていたのが「3部作のメドレーにしよう」ということです。
「GENERATION・REVORUTION・(何かしら)」の3つで関連性を持たせるようにしました。
具体的には、採用曲を被らせない(カオス除く)、カオスゾーンの採用曲は残り2つから選ぶ、といったところです。
これは、次のCIRCULATIONを投稿することで達成できます。
要は、REVORUTIONを作る時点でCIRCULATIONの選曲が決まっていたわけですね。

3部作化するにあたって、タイトルと背景色を統一させることにしました。
この時に統一しようと思ったのが ○○TION です。「○○TION」シリーズはもともと3つで終わる予定でした
背景はRGBですね。3部作以後の○○TIONもできるだけ色が被らないようにしています

このあたりで、midi打ち込みソフトを domino に変えた覚えがあります。
dominoは未だ現役です。構成の仮打ちはこれが一番やりやすい。

CIRCULATIONを作る途中で作ったのが 蝶桜 です。第3回メドレー競作ですね。

これもあんまり記憶がないのですが、聞いてみると悪くないなあと思ったりします。
自分は昔のメドレーは黒歴史にしがちですが、構成とかは十分できてるなあと思って再評価しています。(?)
ホモが多すぎますね...たまげたなあ。当時はかなり淫夢に落ちていた記憶があります。

そして3部作に戻ります。NICONICO CIRCULATION ...の試聴版です。

これも投稿した覚えがねえ... 当時の自分はどれだけ試聴版を投げていたんだ...
そして安定の誤字。コメを見なければ気づかなかったというね。生き恥にならずに済みました。

本題の NICONICO CIRCULATION です。

上述のとおりREVORUTIONと方針的には同じなので、方針とかは特に語ることはありませんかね。
あ!そういえば、3部作をまとめて「NICONICO CIRNERUTION」というメドレーを作る予定がありました。
といっても、構成すら残っていないので、没メドレーですらありません。

もう一つ重要なことが!この時期からブログをはじめました。FC2ブログに。

メドレー投稿後にブログを書く習慣が始まったのがこの時期からですね。
当時はTwitterもやっていなかったので、日常的な雑談も書いていました。(なぜか雑談記事は消してしまった)

CIRCULATION投稿後くらいでしょうか、ようやくDAWを購入することになります。
今は亡き SONAR X1 です。ついこの間まで現役でした。
下は後継のCakewalk by BandLabです。自分も徐々にこちらへ移動させています。

このころから、音楽方面での知識を強化するようになりました。
例えば、コード進行とかですね。よく使われているものがあるようで。
そんな勉強を試してみたメドレーが ニコニコ王道メドレー です。

内容としては、王道進行っぽいニコニコ王道曲をかき集めてメドレーにしたという単純なもの。
これ確かSONARを買ってからすぐの作品ですね。まだ使い慣れていない感があります。
実はこれも3部作にする予定でした。
3大コード進行の王道進行、カノン進行、小室進行をやろうとしていましたが、完全におざなりです。
たま~に続きを作りたいと思うのですが、微妙に乗り気になれないっていう。

時は過ぎて10月。とある試聴版を投稿します。

聞き覚えがある... REFLECTIONじゃん!
ただし、この試聴版は「打ち込む暇がなかったのでとりあえず原曲で繋いでみた」という、よくわからん理由です。
実は、REFLECTIONは打ち込みメドレーとして投稿する予定でした。
この試聴版のコメントで「原曲でやったらいいのに」と書かれたことで、「原曲メドレーでやってみるかなあ」と変わりました。
つまり、このコメントがなかったら原曲メドレーは作らなかったわけなのです。
まあ、もしかしたら後に作ることになったかもしれませんが... 続きはREFLECTIONの時にでも。

同じく10月。NICONICO HALATION を投稿します。

HALATIONはかなりの難産でした。なにせ一回プロジェクトファイルがぶっ壊れてしまったのです。
没にしようと思った時期もありましたが、なんとか投稿が出来たものです。

3部作が終わったのに○○TIONをつけています。
これには深い理由が... ありわけでもなく、タイトルを考えるのが面倒になっただけです。
それに、いい位置にSnow halationを使っていますからね。仕方ないね。
ただ、この判断は英断だったと思っています。おかげさまで、タイトルで作者を特定していただけてますし。
この時に違うタイトルにしていたら、以降は普通のタイトルでしたね。

あと触れておきたいのはオチ部分。なんとGINZAと運営陣を爆破しています。
最近見つけてめちゃくちゃ笑ってました。
まさか5年後にGINZA完結を祝うメドレーを作ることになるとは当時の自分は思っていなかったでしょう。

そして年末。めちゃくちゃ投稿した年の最後にメドレーを投稿します。
初の原曲メドレーとなる NICONICO REFLECTION です。

このメドレーで切り離せない出来事は、やっぱりマイリスト工作ですかね。
深夜に工作されてたみたいで、朝に見たときに「ええ...(困惑)」ってなった覚えがあります。
まあぶっちゃけると、この工作が当時の自分を大きく苦しめることになります。
一時期はREFLECTIONの投稿をなかったことにしたかったくらいです。本気で自主削除を考えていました
絶対に正当な評価じゃないじゃんか、この後のメドレー投稿もこんな風になっちゃうの、という思考がとにかく強かったですね。
コメントがこれまで以上に増えたのも重荷となりました。ランキングに入るとキツイ言葉も来てしまいます。

最終的には、「少しでも楽しんでいる人がいるなら残しておこう」という考えに至りました。
この答えを出すのにも1か月はかかりましたね。ほんとにあの時期はつらかったと思います。
なので、「REFLECTION見てたよ!」みたいなことを言われるとすごくうれしかったりします。
誰かが好きでいてくれるなら消さなくてよかったなあ、と思えます。
今はかなり吹っ切れています。「RELATIONよりマイリストの多いメドレー(笑)」みたいな自虐もできます。

暗い話が多すぎるので他の話を。
REFLECTIONは初の原曲メドレーという点でも、非常に重要なポジションにいます。
先ほども言ったのですが、試聴版でコメントがなければ打ち込みメドレーとして舵を切っていたと思います。
出だしの重ねのなさがまさに名残です。
工作によって好評なのか不評なのかわからなくなりましたが、少なくとも「もう少しいいもの作りたいな」と思えたのはいいことですね。

投稿したメドレーの数は5つ、3部作が完結しマイリスト工作された激動の2013年が終わりました。
今思うと2013年はカオスすぎる、もうちょっと落ち着いてくれ。

2014年  打ち込み原曲の二毛作と合作参加

2月。ROTATIONの試聴版を投稿します。

これについてはあんまり語ることはありませんね。
ROTATIONのほうで話します。

ちょっとすすんでバレンタイン。メドレー競作miniとして あまあまメドレー を作りました。

リアルではバレンタインとは縁が薄いのですが、このメドレーは作ってて楽しかったですね。
過去2回の競作よりも安定はしていますし。
ただ、これ以降の競作には全然参加できませんでした。5年後のホワイトデーまで関与しません。
一応、色縛りのやつとか、3分縛りのやつとかは作っていたのですが間に合いませんでした。
このあたりから、メドレーの質を上げるために時間を要するようになっていったのかもしれません。

そして翌月、NICONICO ROTATION を投稿します。
このメドレーの思い出は2つ、完成メドレーライブ です。

まず完成なのですが、「モザイクをかけていたのにエアコーストの被害を受ける」という珍事件が起きました。
しかも5000再生ほどですよ。どうやって見つけたんだという謎だけが残ってしまいました。
まあ勝手に使っているから仕方ないところはあるのですが。

メドレーライブのほうですが、なんとメドレーライブで流していただけたというすごいことになっていました。
この報をTwitterで見かけたときはめちゃくちゃ驚きましたね。あとすごくうれしかったです。
ただ、セットリストを見るとやっぱり同時期の強いメドレーがずらりと。
なのでちょっと申し訳なさもあったんですよね。自分みたいなしょぼい音で会場が盛り上がったのかと。
ついこの間ですが、ネット超会議で過去のメドレーライブを再現する企画をやってらっしゃったので見ていました。
なんか昔のメドレーが大人数が見ている場所に流れると恥ずかしいですね。でもやっぱり嬉しさはあります。

ROTATIONは結構愛されているメドレーでもあるんですよねえ。
Twitterとかで繋がっていると、「ROTATION好き!」みたいな反応をいただけます。
こう好きと言っていただけると作った甲斐があるなあと思う次第です。

そして4月くらいでしたか、Twitterアカウントを作成しました。

Twitterを始めた理由は特になかったと思います。
なんとなく作ってみて、とりあえずメドクラっぽい人をフォローしていった覚えがあります。
ただ、Twitterを始めたことで見える範囲は広がりました。
メドレー以外でも色々な好きなことが見つけられたのかもしれません。その話は2015年以降にでも。

そして7月。REFLECTION以来の原曲メドレーとなる NICONICO VACATION を投稿します。

REFLECTIONの重みを感じながら作ったこともあって、反省点をかなり設けた覚えがあります。
長かった再生時間は半分ほどに、少しでも聞きやすいようにインスト曲を多めに、などなど。
結構気を使ったのですよ?まあ実際には見てくれる人はそこまで気にしていなかったですが。
VACATIONを通じて原曲メドレーのコツがかなりつかめたんですよね。そういう意味でも重要なメドレーです。

余談ですが、VACATIONと次作のJUNCTIONは同時投稿予定でした。
というのも、「打ち込みも原曲もどっちもできるぞ!」ということをアピールしたかったのです。
サムネが白黒で対なのが名残です。まあ結果は間に合わなかったのですが。

時は過ぎて10月。ちょっと趣向のかわったメドレーを投稿します。
「FREEDOM DiVE↓」にいくつか曲をあわせてみた です。

作った経緯として、1曲を軸に多数の曲を合わせていく方式が好きだったのがあります。
他のメドレー(特に原曲メドレー)でよく使われていましたし、自分もREFLCETIONのみくみくでやったりしていました。
もうひとつは Medley1764 の存在です。

ちょうど1764が投稿されていた時期なのですが、私はこのメドレーに感銘を受けました。
いやだってすごくないですか?無理ゲーな企画を成し遂げたの凄すぎません?

そんなこともあって、1764で効果的に使われていたFD↓を軸にしたかったんですよね。
ただ、VACATIONを投稿したばっかりなので他のネタがない状態でした。
ということもあって、単品で投稿すればいいな!という流れです。

そして11月。NICONICO JUNCTION を投稿しました。

VACATIONが過去の改善ならば、JUNCTIONは新しいことへの挑戦ですかね。
結構色々なことをした覚えがあります。
まずはタイトルのつけ方。これまでは採用曲から○○TIONを使うことが一般的でした。
JUNCTIONでは、辞書などを使って○○TIONの単語を探すことを初めてしました。
ちなみに、JUNCTIONは「合流点」という意味です。様々な楽曲が集まってくるイメージにぴったりと思っています。

そして、音源もかなり変えたなあと思います。打ち込み前作のROTATIONと比べても瞭然です。
このころはSONARの内部音源に熱中していたころですかね。
ここで引っ張て来た音は今でも現役で使っているものも多いです。今へとつながるところですね。
一方で、かなり聞きづらくなったのも事実。この辺の解消にはかなり悩むこととなります。

そして年末、メドレー合作が投稿されます。駆け抜けるメドレーコラボレーションⅢです。
これが私にとって初の合作参加となりました。

Twitterを始めたことによるおかげで、合作の募集存在を知りました。
コミュ障だから参加申請するにも勇気がいりました。懐かしい記憶です。

いざ投稿されたものを見てみたのですが、自分のパートが2番目に配置されていてひっくり返りました。
しかも前後が駆け抜けめっちゃ上手いやごいさんと本家のM.Izさんという鬼畜配置。
正直言うと、自分のパートが霞んで見えちゃいました。
提出当時はしてやったりでしたが、見た後はやっぱり強いなあという思いと悔しさがありましたね。
しかし、この悔しさが原動力となって駆け抜ける個人作が生まれることにはなるのですが...

後編に続く

は?

自分語りで後編ってなんだよという話です。
というのも、すでに時間が遅いし(執筆時1:30)、10000字も超えちゃったし...

後編の主なラインラップは以下のようになっています。

2つの没メドレーを生み出した空白の2015年
メドレー殿堂入り快挙と特定ジャンル批難に悩んだ2016年
ニコニコ動画(く)のたび重なる延期に振り回された2017,18年

...とは言ったものの、後編をすぐに書く予定はありません。
ここまで書いて飽きが来てしまいました...
わりと最近なので、思い出もなにもないといえばそうかもしれない...
まあ気が向いたら書きます。期待はしないでください。