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人生曲線を描いてみる

おはようございます、ちゅるぱんです。

昨日、人生曲線というものを描いてみた。人生曲線は、育休中にキャリアコンサルタントのママ友主催のワークショップで「モチベーショングラフ」というものでこれまでの社会人生活の部分だけは描いたことがあった。そして、それが結構難しかった。

今回は、自分の幼少期からも振り返って人生曲線を描いてみることに。

うーん。もっとウネウネしていてもいのかも。

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<もう一度振り返ってみる>

・幼少期。平凡な田舎の子供。幼稚園の時に、公園への遠足で父親が働く中小企業で働くノルウェー人?(北欧の方)のお話を聞く機会があり、それが私への世界への憧れと扉を開いた。小学1年生の時、湾岸戦争勃発。今のコロナほどではないけど、毎日イラクを攻撃するミサイルの映像が流れ、世界大戦が始まるかも、、という恐れと平和への想いを感じた。大人、政治家の判断が罪のない人たちを沢山犠牲にすることの悲しさ。(確かこの時、中日新聞にそのことを書いて送って、新聞に掲載された気がする)

・小学生時代。年の離れた3人兄妹の末っ子だったので、非常にませていた。基本的に明るい子。好きな先生は大好きだけど、嫌いな先生はとことん嫌い。嫌な先生には嫌がらせをし(小学2年生)、ある子に対していじめ、嫌がらせをし、そして、いじめられた。いじめをしてしまった子は転校してしまったのだが、その子に対しては、今でも謝りたいと思っている。自分に対するいじめは、私がその子にしたことに比べれば全然大したことない。私に対するのは、いじめというか、嫌がらせ?トランペットを隠されたり、私の傘置き場にガムとドクダミの花をつけられたくらいだった。この時の学びは、小学生というのは、周りに流せれて嫌がらせをしてしまったり、他人との違いをうまく受け入れられずにいじめ的なものをしてしまうということ。一方で、元来全く人見知りでないことから、たまたま小学校にデートに来ていた他県の高校生の女性と仲良くなり、2年くらい文通してた。それがとても嬉しかった。絵がとても上手い、優しい女性だった。

・中学生時代。小学生時代の自分を反省し、人との関わり方を変えた。目立つわけでもなく、目立たないわけでもなく、普通だったと思う。中学時代はレオナルド・ディカプリオにハマり、そこから英語好きになる。戸田奈津子みたいになりたいと思った。そして、社会の資料集で先日亡くなられた緒方貞子さんを知り、「国連で働く日本人女性がいる、こんなかっこいい仕事がある」ということに衝撃を受ける。

・高校時代。毎日が楽しすぎて、毎日爆笑してお腹が筋肉痛になるくらいだった。なんであんなに楽しかったのか?中学よりも話や趣味の合う子が増えたのは大きい。高校1年生の時、クラスメイトにミャンマー出身の子がいて、何か私に新しい世界を見せてくれた。進路面談で「国連で働きたい」と書いたら、「現実的な夢を見なさい」と担任の先生に窘められた(母親からは県内の国立大学に入って、とりあえず英語の先生になりなさいと言われた)選択授業の美術や、音楽部でミュージカル、高校3年生で皆で舞台をやったりと自分を表現する場が沢山あり、表現することの楽しさを知った。今でも高校の友人は尊敬する。自分の道をいく友人を得られたことは財産。

・大学時代は、地方大学の国際関係学部へ。勉強はあまりできる方ではなかったし、本も読むのが苦手で、課題は大変だった。一方で、自分の想いがありそれを発信しているとどんどんカタチになり、まるで何かに引き寄せられるかのような感覚だった。バングラのグラミン銀行へも引き寄せられるかのようにインターンへ行けた。そこでの経験が一番の原体験。高校の時の自分とは考えられないほど、枠からはみ出ることができたかもしれない。一方で、人間関係においては私が突っ走ってしまったり、相手への配慮が少なかったり、ネガティブな感情を相手に伝えすぎてしまったこともあり少し悩んだ時期もあった。「根拠のない自信」と「自信のなさ」が入り混じりあまり謙虚でなかった時期。

・20代 ビジネスを通して農村や地方、開発に携わりたいと思っていたが、それに合う本当にやりたい仕事を見つけられず(あまり真剣に就活もしていなかった)、とりあえず全国各地とアジア中心に支店のある地方の食品商社に就職。本当にやりたいことを発信せず、自分にヴェールを被せていると、だんだんと「自分は何者か」というものが薄れてきて、自分がわからなくなった。自分の核、拠り所、本当の自分がなくなりかけた。それでも、英国へ留学する、英語圏で働いて住みたい。という想いがあり、ワーホリでイギリスへ。これも、引き寄せられるようだった。でも、「自分の核」が大学時代ほど強固でなくなってしまったので、英国ではヨーロッパの暮らし、旅行を旅行代理店で働きながら楽しみまくった。

・30代 やりたい仕事はあったけど、その会社に落ち、覚悟がしきれず、少し周りに流され「人材系」へ。ここでは、自分がいかに仕事の基本が20代のうちにできていなかったか、学んでいなかったかを知ることができた貴重な経験。出産を経て、「本当に自分がやりたかったことをやろう」と決意ができ、今に至る。

<気づいたこと>
・縦軸を幸福感、横軸を年齢とすれば、自分の幸福感をまずはどの辺りからスタートすべきなのか、迷う、、、もちろん主観で判断すべきなんだけど、どうやって判断する?それを考えると、山谷にはもっと強弱はありそう。

・「本当に自分がやりたいこと」「自分の価値観に合うこと」をしていないと、私の場合は自分という輪郭がなくなってしまい幸福度が下がる。お金が稼げていれば、表面的には趣味とかやりたいことはできる。しかし、私にはそれでは不十分。心に何か穴が空いた感じになる。それを隠して生きるのは難しい。

・上記のように沢山の事柄が絡み合っていて、そこから今の自分の核になる出来事を浮かび上がらせる、絞るのはまだ難しい。

コロナで時間があるうちに、もう少し自分の人生曲線について
①ポジティブ軸 ②組織面で苦しんだ経験 ③原体験
という軸で掘り下げていきたい。


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