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生理が個性なら俺たちは膣に数珠を入れるしかない〜ロリエの「kosei-ful」プロジェクトに思うこと〜

2020年8月18日にリリースされたロリエの「kosei-ful」プロジェクトが炎上しつつあります。

「kosei-ful」プロジェクトとは花王のサイトを見る限り、「生理を"個性"ととらえれば、私たちはもっと生きやすくなる」をキャッチコピーに清野菜名さん出演の特別動画が作成され、花王社員72名に対して行われた30問の質問を基に消費者も生理にまつわる質問に答えると「個性的な生理」を「宝石」のビジュアルに変換してくれる、というキャンペーン広告です。


結論から言うと…なんつーデリカシーのない、ターゲットの神経を逆撫でするような広告なんだ、という印象を持ちました。わたしたちはこういう広告にいつまでがっかりさせられ続ければいいんでしょう?

たしかに「特別動画」を見れば「生理の症状は人それぞれで女性同士ですら理解にしにくい部分がある。」「生理のときは仕事を休みたいが、できない。」「生理休暇の制度があったとしても言い出しにくい。」等の生理にまつわる問題点が指摘され、お互いのつらさを分かち合おうという内容になっています。この動画のおおまかな意図にはわたしも賛同します。

しかし、それらをまとめる言葉が「生理を"個性"ととらえれば、私たちはもっと生きやすくなる」であったことは心底がっかりです。

わたしたち女性の身体症状や固有の問題はいつも「女たちの捉え方こそが問題だ」といって矮小化され、放置されてきました。結婚に伴う改姓には「結婚するならそれくらい覚悟しておかないと。」、出産・育児に伴うキャリアダウンには「でも、子どもと過ごす時間がゆっくり取れていいじゃない。」、外見でジャッジされることについては「でも、かわいいからいいじゃない。素直に褒め言葉として受け取りなよ。」そこに存在する男女の不均衡という社会全体の問題を「あなたたちの考え方が悪い」と責任転嫁されてきた、それこそが問題です。それにもかかわらず、生理用品ブランドであるロリエはその理不尽をそのままなぞるかのように「生理を"個性"ととらえれば、私たちはもっと生きやすくなる」と訴えかけてくる。

生理期間の前後には激しい出血・腹痛・貧血・気分の落ち込み等さまざまな症状に苦しむ人もいます。そのようなしんどい期間を毎月過ごしている人たちに向かって「生理って”個性”だよね✨」とは、なんて無神経な。

おおむねの意図には賛同できると述べた特別動画にも、男性は一人も登場しません。「生理休暇を取りたいけど上司に言いにくい…」とありますが、その上司って100%女性ですか?「生理休暇を取りたいけど言いにくい」「上司」とは男性である場合のほうがその上司が女性である場合より圧倒的に多いのではないでしょうか。女性の捉え方よりも生理の症状について無理解な男性、ひいては社会の生理の捉え方こそが問題にされるべきです。にもかかわらず、やはりそれらは女性側の問題として押し返される、というありきたりな構造をこの動画もまた持っているように思います。結局、「生理の話は女性同士で」という前提が強化されているのです。

「花粉症って個性だよね。」「鬱って個性だよね。」「蕁麻疹って個性だよね。」と置き換えてみればわかるはずです。なんで「生理」の症状は無視されてしまうのでしょう?不快な身体症状はその人のQOLのためになるべく軽減され対処されるべきものです。症状の個別性と個性は違います。わたしたちは生理の症状の個別性を理解してくれ、とは言っていますが、生理の個性を育みたいとは別に思っていません。生理をアイデンティティーにしたいとも思いません。

対処されるべき症状と愛されるべき身体的特徴や性質は違います。リアーナに「ちょっと、いいお尻してるじゃん!!あたしみたいなお尻してるよ!」と言われたい気持ちはありますが、「わたしの生理好きだな〜✨あなたの生理もステキね!✨お互いの生理を大事にしましょ!!✨」と言い合うのはちょっと、いや、かなりキツいです。てかもうこれはスピってる。膣に数珠でも入れかねない発言です。もしかして「生理」を「宝石」に変換って、この宝石ジェムリンガか????(怖)

女としてのつらみをつらみのまま受け入れるのではなく、無理矢理肯定しようとしたとき、待っているのは洗脳であり、不衛生な数珠を膣に入れて拝むというスピリチュアルビジネスです。わたしたちはこのような不健全な自我のあり方を社会に求められる筋合いはありません。苦しみは苦しみのまま、耳を傾けてください。つらい話を聞くのは楽ではありません。しかし、あなたが、社会が、気まずいからといってわたしの苦しみ自体を否定されるいわれはありません。ましてやその苦しみに寄り添ってくれるはずのブランドにすらそのような扱いを受けるのはしんどい。

先程述べたように、動画の趣旨には一部賛同できるところもあります。しかし、それらの主張をまとめる言葉が「個性」であったことは非常に残念です。広告はどうしても短文による不特定多数の人とのコミュニケーションが発生します。だからこそ一見単純なキャッチコピーにもその意図を的確に発信するためにコピーライターというプロの職業があり、ダイレクションがあるはずです。「個性」という言葉がもつポジティブでどこか楽天的なイメージも当然考慮にいれるべきだったでしょう。しかし、それを怠ったのか他にアイディアが出なかったのであれば、プロとして致命的なミスであり、実力不足なのでは、と感じずにはおれません。

以上のような理由で、わたしはロリエの「kosei-ful」プロジェクトに抗議します。そして、この一回のキャンペーンだけでロリエのブランドそのものすべてがダメだというつもりはありませんが、一広告事例として実際にこのようなことがあったことをなかったことにしないという気持ちでこの記事を残しておきます。

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