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人間の尊厳と、人間の能力の高さを書き、人間はみな神仏と同じことができると説いています。

斉藤 一治

法隆寺は当時の最高の学問所であり、推古天皇の摂政であった聖徳太子(574-622)が607(推古15)年に建立した西院伽藍と、739(天平11)年に聖徳太子自身の住居跡に作られた東院伽藍からなります。

観音菩薩立像は、東院伽藍の中心に立つ夢殿に安置されています。
法隆寺夢殿の本尊観音菩薩立像は長い間、秘仏とされ公開されることはなかったという。

聖徳太子は「先代旧事本紀大成経」を編纂しましたが「近い将来に失ってしまう」と言い、経の複製を3セット作り、3箇所に埋めという。

この経には、人間の尊厳と、人間の能力の高さを書き、人間はみな神仏と同じことができると説いています。

聖徳太子のこの考えは当時の権力者には、邪魔物であり、公開することができないのは自明でした。

この経の基本にあるのが慈悲です。

『衆生 苦悩 我苦悩 衆生 安楽 我安楽』
「 人々の苦しみが、私の苦しみであり
 人々の幸せが、 私の幸せです 」

以下 『中村元著『慈悲』(1956・平楽寺書店・サーラ叢書)』から引用させていただます。

慈悲 仏教で重視する用語。

「慈」はサンスクリット語のマイトリーmaitr(友情)にあたり、深い慈しみの心をさし、「悲」はカルナーkarun(同情)にあたり、深い憐(あわれ)みの心をさす。

仏典では、生きとし生ける者に幸福を与える(与楽(よらく))のが慈であり、不幸を抜き去る(抜苦(ばっく))のが悲であるというが、慈と悲はほとんど同じ心情を表し、マイトリーまたはカルナーという原語だけで「慈悲」と訳されることも多い。

大慈、大悲、大慈悲というときは、仏や菩薩(ぼさつ)の慈悲を表す。
仏の慈悲は、生ける者の苦しみを自己の苦しみとするので「同体(どうたい)の大悲」といい、上を覆いかぶせるものがない広大なものであるので「無蓋(むがい)の大悲」ともいう。

諸経論には、
慈悲に(1) 生きとし生ける者に対して起こすもの(衆生縁(しゅじょうえん))、
(2) すべての存在は実体がないと悟り執着を離れて起こすもの(法縁(ほうえん))、
(3) なんらの対象なくして起こすもの(無縁(むえん))の3種があり(三縁の慈悲)、

このうち無縁の慈悲が無条件の絶対平等の慈悲であり、空(くう)の悟りに裏づけられた最上のもので、ただ仏にのみあるという。[藤田宏達]

写真 : 法隆寺夢殿の本尊観音菩薩立像

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