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盗人のようにやって来るキリストの携挙

■ キリストの携挙―1■
盗人のようにやって来るキリストの携挙

キリストは、人々が寝静まった真夜中に盗人が来るような「タイミング」で、携挙に来ます。人々が寝静まった真夜中の誰も分からない「タイミング」で、携挙に来ます。

YouTube で携挙を語っている教会の牧師先生方はキリストの携挙は映画・レフト・ビハインドのように

携挙は人々が寝静まった夜に盗人が来るように人々が平和で安全なうちになんの前兆も前ぶれもなくある日突然誰にも分からないように携挙に来て忽然と世界のクリスチャンを消し去っていきます。

と教えていますがそれは誤りです。間違いです。

「盗人のようにやって来る」というのは携挙の「時間的な時期、タイミング」を言っています。
盗人は世間に分からないように寝静まった夜に来るという盗人に倣った「時期、タイミング」で、キリストは携挙に来る、という意味です。キリストがある日突然やって来てクリスチャンを「消し去っていく」という「携挙の方法、手段」を言っているのではありません。

盗人は「盗人」という意味です。「消し去る」という意味ではありません。

「主の日は盗人のようにやって来ます。」

「・・・盗人のようにやって来ます。」というのは「盗人に倣って世間が分からないようなタイミングでキリストの携挙は来ます」という意味です。キリストの携挙は盗人が盗みに来る「時期、タイミング」に倣って世間が分からないように来ます。

盗人は「お金を盗む人」です。「お金を消す人」ではありません。盗人の目的はお金を「盗むこと」です。お金を「消し去ること」ではありません。
盗人は「盗人」という意味です。レフト・ビハインドのように「消し去る」という意味ではありません。
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以下に携挙に関連する聖書の箇所を挙げます。

Ⅱペテロの手紙3章
3:9 主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
3:10 しかし、主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は大きな響きを立てて消え去り、天の万象は焼けて崩れ去り、地と地にある働きはなくなってしまいます。

3:10の「盗人のように」とは「盗人に倣った時期、タイミングで来る」という意味です。盗人のように「消し去る」ではありません。

Ⅰテサロニケ人への手紙
5:1 兄弟たち。その時と時期については、あなたがたに書き送る必要はありません。
5:2 主の日は、盗人が夜やって来るように来ることを、あなたがた自身よく知っているからです。
5:3 人々が「平和だ、安全だ」と言っているとき、妊婦に産みの苦しみが臨むように、突然の破滅が彼らを襲います。それを逃れることは決してできません。
5:4 しかし、兄弟たち。あなたがたは暗闇の中にいないので、その日が盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。

5:2の「盗人が夜やって来るように」とは「夜に来る盗人に倣った時期、タイミングで来る」という意味です。夜に来る盗人のように「消し去る」ではありません。

5:4 しかし、兄弟たち。あなたがたは暗闇の中にいないので、その日が盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。

5:4の「その日が盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。」とは前文の5:1~2に書いてあるようにクリスチャンは事前に携挙が来ることを知っているので突然盗人が来ても(携挙が来ても)世の人々は恐怖のあまり絶望しますがクリスチャンは絶望ではなく喜びですと教えています。「その日(携挙の日)」は盗人に倣った「タイミング」で来ます。

5:2 主の日は、盗人が夜やって来るように来ることを、あなたがた自身よく知っているからです。

5:2でパウロは

主の日(携挙)が盗人が夜やって来るように来ることをあなたがた自身は(クリスチャンは)よく知っているからです。

と書いています。当時のテサロニケのクリスチャンたちはすでに使徒たちから「携挙神学」を教わって信じていました。だから

5:1 兄弟たち。その時と時期については、あなたがたに書き送る必要はありません。
5:2 主の日は、盗人が夜やって来るように来ることを、あなたがた自身よく知っているからです。

と書きました。5:2の「主の日は、盗人が夜やって来るように」というワードは地上でキリストが主の日(携挙の日)について弟子たちに語ってきたワードです。

マタイの福音書24章
24:42 ですから、目を覚ましていなさい。あなたがたの主が来られるのがいつの日なのか、あなたがたは知らないのですから。
24:43 次のことは知っておきなさい。泥棒が夜の何時に来るかを知っていたら、家の主人は目を覚ましているでしょうし、自分の家に穴を開けられることはないでしょう。
24:44 ですから、あなたがたも用心していなさい。人の子は思いがけない時に来るのです。

24:43 に「泥棒が夜の何時に来るかを知っていたら、」と書かれていて主が来られ日は「泥棒が来る時間に倣って思いがけない時に来ます」と教えています。

ヨハネの黙示録3章
3:1 また、サルディスにある教会の御使いに書き送れ。『神の七つの御霊と七つの星を持つ方が、こう言われる──。わたしはあなたの行いを知っている。あなたは、生きているとは名ばかりで、実は死んでいる。
3:2 目を覚まし、死にかけている残りの者たちを力づけなさい。わたしは、あなたの行いがわたしの神の御前に完了したとは見ていない。
3:3 だから、どのように受け、聞いたのか思い起こし、それを守り、悔い改めなさい。目を覚まさないなら、わたしは盗人のように来る。わたしがいつあなたのところに来るか、あなたには決して分からない。

3:3 だから、どのように受け、聞いたのか思い起こし、それを守り、悔い改めなさい。目を覚まさないなら、わたしは盗人のように来る。わたしがいつあなたのところに来るか、あなたには決して分からない。

ここでも3:3で「目を覚まさないなら、わたしは盗人のように来る。」と書かれています。これも、

3:3の「盗人のように」とは携挙は「盗人に倣った時期、タイミングで来る」という意味です。盗人のように「消し去る」ではありません。文法的に普通に素直に読めばそうなります。
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まとめとして、使徒たちが教えている「盗人のように」とは、先ほど引用したマタイの福音書24章のキリストの言葉によって理解出来ます。

マタイの福音書24章
24:42 ですから、目を覚ましていなさい。あなたがたの主が来られるのがいつの日なのか、あなたがたは知らないのですから。
24:43 次のことは知っておきなさい。泥棒が夜の何時に来るかを知っていたら、家の主人は目を覚ましているでしょうし、自分の家に穴を開けられることはないでしょう。
24:44 ですから、あなたがたも用心していなさい。人の子は思いがけない時に来るのです。

24:43 でキリストは「・・・泥棒が夜の何時に来るかを知っていたら、」と言って「夜の何時」という時間、タイミングを見計らって人の子(キリスト)は泥棒のように思いがけない時に来ます。と明言しています。キリストが明言した泥棒が来る「夜の何時」が、使徒たちが教える「主の日」の携挙の時期、タイミングです。
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そして携挙が成就して人類が大艱難時代に入ったヨハネの黙示録16章15節でまた「見よ、わたしは盗人のように来る。」と書かれています。

ヨハネの黙示録16章
16:12 第六の御使いが鉢の中身を大河ユーフラテスに注いだ。すると、その水は涸れてしまい、日の昇る方から来る王たちの道を備えることになった。
16:13 また、私は竜の口と獣の口、また偽預言者の口から、蛙のような三つの汚れた霊が出て来るのを見た。
16:14 これらは、しるしを行う悪霊どもの霊であり、全世界の王たちのところに出て行く。全能者なる神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを召集するためである。
16:15 ──見よ、わたしは盗人のように来る。裸で歩き回って、恥ずかしい姿を人々に見られることのないように、目を覚まして衣を着ている者は幸いである──
16:16 こうして汚れた霊どもは、ヘブル語でハルマゲドンと呼ばれる場所に王たちを集めた。

16:15 ──見よ、わたしは盗人のように来る。裸で歩き回って、恥ずかしい姿を人々に見られることのないように、目を覚まして衣を着ている者は幸いである──

「わたしは盗人のように来る。」というワードはキリストの携挙を預言したワードです。ですからキリストの携挙が終われば「わたしは盗人のように来る。」というワードは出て来ないはずです。しかし、キリストの携挙が終わって「炎のように赤い大きな竜(サタンの権現)」を裁く大艱難時代に入ったさなかに突然「わたしは盗人のように来る。」というワードが出て来ました。しかも、前後の文脈とまったく関係なく「わたしは盗人のように来る。」と間に割り込んで書かれています。これはいったい何を意味するのでしょうか?

これは、携挙が終わった後に、実際にリアルに起こっている「炎のように赤い大きな竜(サタンの権現)」を裁く大艱難時代の最中に、地上に居る、キリストを信じてクリスチャンとなったイスラエルの民と世界の異邦の民に向かって、キリストが天から「見よ、わたしは盗人のように来る。」と叫んでいる、光景です。つまり、キリストが、この先の黙示録19章で出て来る「キリストの地上再臨まで忍耐をもって信仰を保ち続けなさい」とエールを送っている、応援している、励ましている、叱咤激励している、光景です。大艱難時代に救われた地上のクリスチャン(大艱難時代に救われたイスラエルの民と世界の異邦の民)たちは、黙示録19:11で天が開かれてキリストが地上再臨するときに天で祝宴される「子羊の婚礼」の宴に与ることが出来ます。だから黙示録19:9に「子羊の婚宴に招かれている者たちは幸いだ、」と書かれています。

ヨハネの黙示録19章
19:9 御使いは私に、「子羊の婚宴に招かれている者たちは幸いだ、と書き記しなさい」と言い、また「これらは神の真実なことばである」と言った。

「子羊の婚宴に招かれている者」とは「地上のクリスチャン(大艱難時代に救われたイスラエルの民と世界の異邦の民)」のことです。すでに携挙されて花嫁となったクリスチャンと婿なるキリストの子羊の婚宴に招かれて共に祝うことが出来る大艱難時代に救われたイスラエルの民と世界の異邦の民は幸いだ!!!と御使いは言っています。

携挙で地上に残された人類にも大艱難時代を通して最後の救いの希望があります。その救いの希望のためにキリストは黙示録16章15節で

──見よ、わたしは盗人のように来る。裸で歩き回って、恥ずかしい姿を人々に見られることのないように、目を覚まして衣を着ている者は幸いである──

とエールを送っています。応援しています。励ましています。叱咤激励しています。
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キリストは御自身の携挙の時期について「見よ、わたしは盗人のように来る。」と預言しました。
携挙が終わった後の再臨の時期についても「見よ、わたしは盗人のように来る。」と預言しました。

ですから、聖書に書かれている「見よ、わたしは盗人のように来る。」というワードはキリストの携挙と再臨の「時期、タイミング」に特化したワードです。「消し去る」という携挙の「手段、方法」の意味ではありません。そもそもなんで「盗人」が「消し去る」になるのでしょうか?

盗人は「盗人」という意味です。「消し去る」という意味ではありません。

キリストの携挙は映画・レフト・ビハインドのようにある日、突然、クリスチャンを消し去るように、来るのではありません。

ヨハネの黙示録1章
1:7 見よ、その方は雲とともに来られる。すべての目が彼を見る。彼を突き刺した者たちさえも。地のすべての部族は彼のゆえに胸をたたいて悲しむ。しかり、アーメン。

黙示録1章7節に書いてあるように

すべての目が(全人類の目が)彼を見る(キリストの携挙を見る)。彼を突き刺した者たちさえも(二千年前に十字架でキリストに槍を突き刺したユダヤの子孫の現代のイスラエルの民も)。
地のすべての部族は(世界のすべての異邦の国々は)彼のゆえに(キリストの携挙のゆえに)胸をたたいて悲しむ。

ように、携挙に来ます。
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次回の キリストの携挙―2 に続きます。
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引用・聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会
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