いい癖がありますね

美容院が苦手だ。清潔でお洒落な空間に緊張するし、美容師と交わす気軽な雑談にすら気疲れする。要望を伝えるのには骨が折れるし、鏡の中で髪を切る最中の美容師と目が合った時には、妙な気まずさを覚える。だからここ数ヶ月は、1300円のカット専門店で済ましていた。近所のスーパーに併設している、ファミリー層をターゲットにした店だ。かなりの低価格なので当然と言えば当然なのだけど、仕事は非常に事務的で、面倒な雑談も求められない。僕がその店に通うようになったのは、まず価格が非常に安いこと、そして、その程よい適当さが気に入ったからだった。


しかしどういう風の吹き回しか、先週の日曜に美容院へ行った。ある日鏡をボーッと眺めていると、散髪代をケチるのは、精神的に酷く寂しい行いのように感じたからだと思う。


そこは最寄駅から徒歩5分の、小洒落た美容院だった。客の多くは若い女性で、男はほとんどいない。案内された席に座り、差し出された2冊の雑誌を適当にパラパラとめくっていると、女性の美容師がやってきて軽く挨拶をした。

「どんな感じにされますか?」

「イメージとしてはこんな感じで。前髪は眉毛にかからないくらいで、、もみあげは軽く刈り上げて、あと、襟足は短めにしてください」スマホの画面を見せながら、僕は言った。

「もみあげは少し上の髪を被せる感じにしますか、それともすっきりと刈りあげますか?」

一瞬、彼女の言葉の意味が理解できなかった。


被せるとは?


あ、そうか。控えめなツーブロックにするか、大胆にするのか、という意味か。


「じゃあ、被せる感じでお願いします」

「分かりました」

「あと、全体的に量が多いので、軽くしてもらえると助かります」

「分かりました。では始めますね」彼女は小気味よい音を立てながら、髪を切り始めた。


シャンプーやセットなどの諸々の工程が終わり、鏡に写った自分を眺める。さすがは美容院クオリティーと言うべきか、いつもの自分よりも少し男前に見えて、目を合わせるのが気恥ずかしかった。爽やかで誠実そうに見える。髪型一つでずいぶんと印象が変わるものだなあ、と思った。


「でも、いい癖がありますね」セットの終わった僕の髪を眺めながら、彼女は言った。

「これなら少ないワックスでも、簡単に動きがつきますよ」

「あ、そうですね。でも、実は一回ストレートパーマをかけたことがあるんですよ」

「え〜、今の方がいいと思いますよ。程よい癖があって」と彼女はマスク越しに笑った。


○ 

最寄駅の目の前にある喫茶店に入り、ケーキセットを注文した。黒蜜が添えられたホットケーキとアメリカンコーヒーが運ばれてきて、僕はウェイターに礼を言った。心なしか、彼女の接客が特別優しい気がする。新しい髪型のおかげかなと思ったけれど、きっと気のせいだろう。


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