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七五三の思い出~家族みんなで楽しみながら~

こんにちは、長老大学オンライン支店スタッフのあいかわです!

今回は、S様から七五三についてのお話を伺いました。そのなかでも、特に熊本県での七五三のことや、そこから派生して当時の日常生活についての貴重なお話も伺ったので、皆様に紹介したいと思います。

S様(熊本70代):わたしの七五三は、お洋服で八代宮に行っていました。洋服の子が多かったと思います。わたしたちは、七五三と言うよりも、「ひもとき(紐解き)」と言っていましたね。幼いころは、着物を着るのには、腰のあたりに巻く着付けのひもが必要だけど、7歳ごろになると、大人と同じように着付けができるようになるから。

わたしは紐解きという言葉を聞いたことがなく、調べてみたところ、こちらのサイト様に、まさにその七五三のいわれと紐解きについてのお話がありました。
「武藏屋」様(2022/12/15)『七五三のいわれ』
(https://www.musashiya.co.jp/column/mamechishiki/753-iware/)

子どもさんがだんだんと成長し、大人に近づいていくというのに合わせ、着るものも変化していくというのは、とても素敵なことですよね。また、S様は、そういったお祝いごとの際に食べたものについても教えて下さいました。

S様:そういうお祝いのときにはお赤飯を炊いて、南天の葉を載せて、近所や親類に配ったりもしていました。南天を乗せるのは、難を転じるという意味だと聞いたことがあります。

確かに、お赤飯に葉っぱが乗っているのを見たことはありました。でもそれが南天の葉だとは知らず、調べたところ、こちらのサイト様に本当にその通りのことが記載されていました。わたしは彩りのよさで南天の葉を乗せているのかと思っていましたが、そのような厄除けのような意味があるとは知りませんでした。意味まで知ってみえたS様は本当にすごいなと思います。

「株式会社いろどり」様(2022/12/15)『縁起の良い南天葉』
(https://irodori.co.jp/)


また、S様はこの七五三の話をきっかけとし、当時の日常生活の記憶を思い出され、お話して下さいました。

S様:でもわたしの家では、一番下の8歳ちがいの妹のひもときのときには、当時ドーナツづくりが自分たちのなかでブームだったので、お赤飯ではなく、家族総出でドーナツをつくって、近所に配ったんですよ、ふふ。ドーナツには小麦粉や膨らし粉、バターなどを使ったと思います。型なんてものはなかったので、湯飲みで外側の円を抜いて、盃で中の小さな穴を抜いて型をとりました。
小麦粉のことはメリケン粉と言っていました。アメリカ人のことを当時はメリケンさんと言っていて、小麦粉は、アメリカから入ってきた粉だったからだと聞いています。
また当時、お砂糖は高級品で、代用品としてサッカリンという人工甘味料を使っていたんです。でもサッカリンは、やっぱりお砂糖とはすこし味がちがうんですよね。

ドーナツをみんなでつくって食べるというのは、とても素敵な家族団らんですよね。なにより、懐かしそうにそのころのことを思い出されているS様のご様子を見て、わたしは、聞き書きというのはやはりとてもいいものだなと感じました。誰かに話をすることによって、次々と別の記憶まで呼び起こされていくというのは本当によくあります。その方の人生の記憶は、例え何気ない日常のお話だとしても、その方にしか語ることのできない貴重な記憶です。それらを記録として文章に残していくことで、これから先もずっと記憶がかたちとして残っていくということに、いつもやりがいをひしひしと感じています。

S様、貴重なお話を聴かせていただき、本当にありがとうございました!

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