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チョートクのカメラノート📷🎥📹

カメラで本気出す。カメラに本気出す。ついでに写真芸術にも本気出す。2001年5月からスタートしたチョートクカメラ日記です。webマガジンは毎月定額1000円。単品で買うよりもかな… もっと読む
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#日記

ライカブランドの枕8/2(火)

3年ぶりに枕を新調した。家人が枕が汗臭いと言うのでそれで新しくしたのであるが自分の体の匂いがわからないと同じでこれは問題である。アマゾンで枕の値段を調べたら高いのも安いのもある。確かこの前枕を買ったのは3年以上前のことでなぜそれを覚えているかと言うと3年前の3月に千葉県の銚子に遊びに行ったのである。その後軽い心不全になって4月の連休のスタートのギリギリの時に聖路加病院で診察を受けてそのことがあったのでよく記憶しているのだ。

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フライトレーダー24で緊急事態で引き返す飛行機を観察する6/23(木)

別に外国に飛行機で行かなくてもフライトレーダー24で世界中の区域の体験ができるのはありがたい。Squark7700と言うのは飛行中の飛行機が緊急事態になったときの非常信号の事らしいがそれをセットしておくと意外とこの事象が多くて夜中に寝ていてもしょっちゅうアラートが聞こえるのが不思議である。

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Nicca 3L Vs Yahica YF どちらが使いやすい?6/12(日)

精機光学(現キヤノン)でハンザキヤノンの製造に従事していた熊谷源二ら数人が光学精機を設立。ウィキペディアで調べたらそのように書かれている。何かめんどくさい会社の名前だな。日本光学と言う会社から独立した人が光学日本と言う会社を作ったようなものだ。

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ヤシカワイエフのこの階段状のステップが気になる6/11(土)

1940年に当時のごく初期のキャノンのレンジファインダを作っていたキャノンの前身から独立した人が作ったのがNiccaのスタートラインであったそうだ。昭和15年と言うから天才荒木とか篠山紀信が生まれた年である。そのカメラがずっと進化を遂げてきて最後のモデルがNicca 3Lと言う関西モデルになったところでヤシカカメラに買収されてダイカスト等はそのままでヤシカブランドになったのがこのカメラである。

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ニコンエスツーのオリジナルボックスの裏側を見る6/10(金)

2年位前から私はカメラ評論家と一緒に別の肩書をゲットすることになった。カメラのオリジナルボックス評論家と言う奴である。何十年もオリジナルプリントを打ってきたりしたのであるからカメラのオリジナルボックスの評論をやってももう良い出来だと思ったのだ。

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デビットダグラスダンカンはゾナー8.5センチのコピーレンズを評価したことによってニッコールが有名になったのだけど、、、6/9(木)

ニッコールレンズが有名になった神話でよく引き合いに出されるのはデビットダグラスダンカンが朝鮮戦争に行く直前に偶然の機会でニッコール8.5センチを三木淳が見せてそれで撮影したダンカンのポートレートを見て本人がびっくりしたと言う神話である。それですぐにダンカンは品川区大井森米朝の会社に行ってレンズの優秀さにびっくりしてニコンから借りた5センチと13.5センチのレンズをライカスリーエフにつけて朝鮮戦争を取材に行ったと言う話である。

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フォクトレンダーの2眼レフはなぜこんなにストラップアイレットが頑丈に作られているのか?6/8(水)

ローライフレックスに対抗するためにフォクトレンダーのスパーブはかなり個性的なカメラである。わざわざローライフレックスの反対の操作感覚と言うのを意地でも達成しようと考えているようなところがある。その原因を考えてみるに会社が同じブラウンシュバイクにあったからではなかろうか?

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エントランスのピンクのバラの季節6/6(月)

マンションのエントランスに5月の後半になると必ず咲くピンクのバラの1連の群れがある。バラと言えば40年ほど前にポーランドのクラクフでレストランで偶然向かいに座った15歳の女の子とそのおばさんのパリから帰ってきた人とちょっと話をして別れたのであるがそれはポーランドでは15歳になった女性が初めてパブリックなところで食事をすると言うしきたりがあるそうである。パリから来ている女の子のおばさんからそのしきたりを聞いたのである。つまり女の子のレストランデビューである。

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5/31誕生日 75歳後期高齢者の希望に満ちたスタートにゃーにゃー

後期高齢者になった。節目の年代で忘れられないのは35年前40歳になった時である。ミシガン州の商務省からのインビテーションでミシガン州を行ったり来たりミシガンの人よりもたくさん旅行をしたのである。それでマキナアイランドというのがあってそこは理由は不明ながら1台の自動車もないと言うところで交通機関は馬車なのであるがあそこら辺では有名なリゾート地なのであった。そこを取材して誕生日であると言うのはホテル側が知っていたから何かシャンパンだかなんだか忘れたけど素敵な贈り物があった。それで

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ライカが1番最初のモデルが1番使いやすいと言う真実はライカフレックスにも当てはまる 5/29(日)

1957年にライカの会社から1番最初の一眼レフライカフレックスが登場した時日本のカメラ雑誌等は酷評したものであった。要するに一眼レフの進歩の段階の中で次に待たれていたのはTTL方式による露出のコントロールである。それをやらなくて昔のクラシックな方法のつまりライカめーたんをカメラの上に乗せただけと言うのでやったら批判されたのだった。

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ニコマートエフエス有名な3年寝太郎カメラがついに普通のニコマートになってしまった顛末5/24(火)

カメラ人類の普通の興味と言うのはクラシックカメラとかセコハンカメラで2種類に分けられる。すなわち動いているカメラと動かないカメラである。1960年代に登場したこのニコマートはエフエスと言うモデルで露出計がついていなかった。当時の風潮としてトップクラスのカメラであったニコンエフは三角型のペンタプリズムでそこにセレン式の大きな外式のメーターを取り付けられるようになっていた。それからしばらくしてTTL方式のフォトミックファインダーが登場したが、これは何かアマチュアっぽくてかっこが悪

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10 on Tokyoと言うタイトルでアメリカを巡回した写真展のカタログ5/23(月)

柳沢さんと言うのは私の古いカメラ友達で元朝日新聞のジュネーブ支局長であった。私より10歳上のはずだがすごくお元気で毎日東京のあちこちを歩いて展覧会とか写真展をいくつ巡ったと言うのを自慢にしていらっしゃるところがあってうらやましい。

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お風呂とシャワー5/22(日)ブラぱちの日

結構長いこと東京拘置所に監禁されていた佐藤裕さんの獄中記が面白い。いつも手に届くところに置いていろいろ勉強している。東京拘置所では冬場は週に2度、夏場は1週間に3度お風呂があるそうだ。ずいぶん頻繁に入浴できるななどと私が考えているのであるが最近の若い連中は毎日お風呂に入るのが普通と言う事だから東京拘置所に入れられたらお風呂にたびたび入れないと言うのに対して1種の懲罰効果と考えているのであろう。

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カールツアイスJena のレストランでワインを頼んだら1リッターサイズが出てきた思い出5/8(日)黄金週間おはり

東西ドイツが統合した直後1990年だか90一年だか忘れたけど、ドイツのケルンのFotokinaの取材の後にJenoptikの取材に行った。ケルンの飲み屋の親父さんに明後日からJenaに行くんだけどホテルを決めてないと言ったら、友人がペンションをやっていると言うのでそこで電話をして予約を取ってくれた。

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