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チョートクのカメラノート📷🎥📹

カメラで本気出す。カメラに本気出す。ついでに写真芸術にも本気出す。2001年5月からスタートしたチョートクカメラ日記です。webマガジンは毎月定額1000円。単品で買うよりもかな… もっと読む
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2020年2月の記事一覧

鍋焼きうどんときつねうどん🐭2/29🐭

凸版印刷板橋工場で印刷立ち会いに二日間行ったわけである。冬青社の高橋さんはいつも印刷立ち会いだと夏でも冬でも鍋焼きうどんを召し上がるのだそうである。勝負飯というか勝負鍋焼きうどんだな。私は家ではたまに自分で鍋焼きうどんを作る。自分のレシピに慣れているので店屋物を食べる事は無い。それで不幸なことなのだが板橋工場の近くにあるお店の鍋焼きうどんはまずかった。

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ピースの缶詰爆弾🦜🥑😎🐭2/28🐭

若い頃オーストリアウィーンにいた時は暇だったからシガレットで遊んだりしていた。その前の3年間の日本デザインセンターのアシスタントの頃はトヨタの自動車工場に缶詰になっていた。その当時は手持ち無沙汰でショートホープしたりしていたのである。ところが自動車工場の中は広いからタバコを買いに行くには自転車で10分ぐらいかかるのである。それでめんどくさいからタバコを吸うのをやめたと言うレベルの私はスモーカーであった。稲垣の場合だったら中野の打越のにかいの3畳部屋のアパートを出て線路沿いに歩

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「写真は何かを記録したいというところから始まっている」という意見もありますが長徳先生はどう思われますか?🐭2/27🐭

上のような質問が読者の方から来ましたのでいろいろ考えてみました。これは非常に重要な問題なので軽々しく子供電話相談室みたいな感じでお答えするのは最初から不可能なのです。長い写真の歴史を考えてみると19世紀終わりから20世紀初めにかけてのストレートフォトグラフィーに関する非常に大きな発見がありました。 Camera Noesと言うタイトルはアルフレッドスティグリッツが制作した当時の前衛的なカメラ雑誌のタイトルでした。それが私のカメラノートと言うタイトルでも受け継いでいるのですが、

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バロック時代の一眼レフがこれです🐭2/26🐭

26歳から33歳の頃までオーストリアウィーンに暮らしていた。使っていたのはレンジファインダーライカで一眼レフはニコンであった。しかし撮影しているうちにどうもこのカメラが興味を持つようになったのであった。ドレスデンで作られた戦前からある高級一眼レフである。とにかく高級な値段のカメラで当時の日本のカメラ雑誌には値段は聞かぬが花、と書かれていたのを今でも思い出す。要するに万能のカメラと言うのは一眼レフであると言うそういうターニングポイントを作ったカメラであった。

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貧乏神はマスク配給担当大臣。私はレンズクリーニングペーパー担当大臣🐭2/25🐭

記者会見で官房長官が偉そうに品不足のマスクについて演説されるのはマイナス効果になっているのは確かである。九州のメトロの車内でマスクをしている人としていない人が口論になり非常停止ボタンを押したと言うのは1938年のナチス第3帝国と変わるところはない。コロナウィルスは黄色い星なのである。そういうところが狂っているのである。

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ガンドルフィ&サンズロンドンEstb1885🐭2/24🐭

オーストリアウィーンに7年と6ヶ月住んでいたわけだが4インチ× 5インチのカメラで撮影することも多かった。最初は金属製のバイエルンで作られたリンホフを使っていた。その後日本製の立原写真機を使うようになった。こちらの方が小型軽量で持ち歩きがしやすいから使い勝手ははるかに良い。それで日本の東京にある王子の先の立原の親父さんと知り合いになった。当時の立原さんは元気であってロンドンのガンドルフィーまで行って激励していきたいなどと行健康であった。実際にそういうことが起こり得たのである。

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Horizon 202 Perfect と言う新型パノラマカメラ🐭2/23🐭

パノラマカメラは何がいいかなどと言う問い合わせが最近多いので今度出版する写真集のパノラマカメラ関係について書いておく。これはフィルムを円形状に装填してそれをスリットでスキャンするクラシックなタイプのパノラマカメラである。その最初のモデルは19世紀半ばに作られたサットンパノラマカメラと言うもので、これはガラス甲板であるが最初から円形状の形をしていた。ただしスリットカメラではない。どのように露出をするかと言うと非常に曲率の強いレンズがあってそれがガラス瓶なのである。その中に水を満

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デジタルは画像です。写真ではありません🐭2/22🐭

デジタルは画像であって写真ではない。20年位前かなり初期のデジタル画像に関する本の中で書いたことを今でも鮮明に記憶している。1種の寓話なのであるがデジタル画像と言うのは真夜中に湖の真ん中にボートで漕ぎ出して水面に写っている月の影なのである。手に取れるようで手に取れないと言うところが微妙なスタンスであって、例えば湖の水をコップに組んで手に取ればそのコップの表面に月の影が映っているがやはり手に取ることができない。ここら辺が画像と写真の最大の違いであるわけだがだから手に取れない画像

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鉄ちゃんよけ看板🐭New2/21🦜🥑🐭

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床に投げ出された食品サンプル 2/20🦜😎🥑

日本人の想像力の貧困さと言うのはこれから来ているのではないかと思う。レストランの食品サンプルである。神田にあった交通博物館の2階か3階に確か新幹線とか言う名前のレストランがあってそこに入った事は無いけれどもそのエントランスに並べてある食品サンプル見るのが楽しみであった。その黄昏方がなんとも哀愁があって素敵なのだ。

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天国に続くはしご🐭NEW2/19🐭

2月のブラパチワークショップのトピックである。北池袋から巣鴨まで歩いた。明治通りと旧中山道の交差点のすぐそばにあるのが天国と言う名前のパチンコ屋さんであった。私はこの小さなパチンコ屋さんが開店しているのを見るのが好きだった。間口1間半のパチンコ屋と言うのは世の中に少ないかもしれない。お店の上のネオンsignにはLEDではない豆電球が輝いていた。ここは私にとっては非常に重要なランドマークであってプラハの街などを歩いているときにふっと思い出すのがあー天国のパチンコ屋のネオンが見た

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東京散歩カメラ ゆきちゃんと赤い鳥居🐭2/18🐭

東京散歩カメラと言うのはいわゆるお散歩カメラと言う言葉の元祖になったようなところがある。20年近く前に東京の周辺部をあちこち歩いて私の好きなランドマークを撮影した写真集なのである。から写真集であってシリアスなものではなくてガゼット的なムックと言う存在感であった。結構よく売れたのである。でもそれだけでは売れないから素人モデルさんをお願いしてそういうランドマークの前でポーズをとってもらった。素人モデルさんは工藤由紀と言う人である。

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😎横浜のCP +には行ったことないけど今回は賢明な中止の決定だったと思う 2/17🦜🥑

横浜のPC+には行ったことないけど今回は賢明な中止の決定だったと思う。CP+と言うのは1種の集団ヒステリー状態であるからこういうところにコロコロウィルスちゃんが潜入してきたのではイチコロである。濃厚接触感染でカメラを手に取ってファインダー除いてくしゃみしまくりであるからこれ以上危険なことはない。完全防護服を装備していない人は入場禁止と言うことにすれば良いがなかなかそれは現実的ではない。

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パノラマウィルスにやられた🐭2/16🦜😎🥑🐭

冬青社で私のパノラマ写真集の製版の最終的なプリントチェックが行われた。凸版印刷のプロフェッショナルが来てくださった。私は印刷物がたくさん出しているが製版のチェック等はほとんどスルーだったので非常に勉強になった。しかも名門凸版印刷で印刷してもらえるのだから光栄である。それというのも1970年代に凸版印刷の平2というのがあってそこは伝説的神業的なセクションであったからだ。日本カメラの前田編集長などと平2の凄さについて語り合ったこともある。

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