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ノートスペシャル11月第二弾 ミランダカメラと私

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クラシック一眼レフの複雑怪奇な迷路に最初に導いてくれたミランダカメラのその1連のシリーズの話で色々と展開していこうと思う。
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記事一覧

カメラノートスペシャル11月第二弾 1 ミランダカメラと私

1 1970年に大塚のカメラ屋さんでミランダテTを手にするまでミランダカメラなんて知らなかった。 私の一眼レフの履歴を考えてみると明らかなのだけれど、ペンタックスにスタートしてその後ニコンエフになってそのままずっとやってきたのでミランダカメラ等と言うのは最初から知らなかった。日本デザインセンターに入社した最初の年だから1970年だと思うが何かの具合で大塚駅前をうろうろしているときに小さなカメラ屋さんで発見したのがミランダの最初のモデルなのである。

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カメラノートスペシャル11月第二弾 2 ミランダカメラと私

2 ミランダカメラについた頭脳レンズで川崎臨港バスの室内で午後の日差しに照らされた赤いベルベットのシートを撮影する

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カメラノートスペシャル11月第二弾 3 ミランダカメラと私

3 ミランダエスと言うシンプルな一眼レフが好き

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カメラノートスペシャル11月第2弾 4 ミランダカメラと私

4 シュープリーム105ミリ=オリオン光学で出した1番最初の交換レンズだった。 新潟の家の隣の大学の先生がそれを持っていて見せてくれた。

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カメラノートスペシャル11月第二弾 5 ミランダカメラと私

5 ミランダカメラを使っているフォトグラファーを発見するのは非常に難しい。 唯一の例外グラーツ在住のフォトグラファー25ミリレンズの使い手

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カメラノートスペシャル11月第二弾 6 ミランダカメラと私

6 ウォーカーエバンスアットワークの最後のページに写真家が亡くなった時に残されたカメラのリストがある。その1番最後から2番目にミランダカメラとあった。1番最後はポラロイドSX 7中なのである。さてそのミランダが何のモデルであったのかいろいろ想像してみる。

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カメラノートスペシャル11月第2弾 7 ミランダカメラと私

7 ミランダ愛好会、あるいはミランダ研究会だったかもしれないが、キャッチフレーズが世界のレンズが使えると言うのである。

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カメラノートスペシャル11月第二弾 8 ミランダカメラと私

8 30年前アメリカの市場に溢れていた中古のミランダカメラをいろいろ買ったことがあった。

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カメラノートスペシャル11月第二弾 9 ミランダカメラと私

9 ミランダカメラのプロトタイプをフェニックスと言う。この試作品はレンズはテッサ50ミリef 2.8が付いていた。それでよく見てみるとカメラ本体はアサヒフレックスの借り物なのである。このフェニックスカメラはアメリカの写真家が持ち出してしばらく行方不明になっていたが最終的に開発者のところに戻された。

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カメラノートスペシャル11月第二弾 10 ミランダカメラと私

10 初期の巻き上げをやらないとミラーが復元しないミランダモデルはシャッター音が静粛である。それと素振りに最適な一眼レフである。

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カメラノートスペシャル11月第二弾 11 ミランダカメラと私

11 1980年の秋にケルンからパリを経由してポルトガルのリスボンに列車で向かった。バスク地方の海岸線を走っているときに短い時間停車した駅の名前がミランダなのであった

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