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続きのない話#198:大島弓子を読みなおそう(668/1000)

萩尾望都と竹宮惠子のことを考えていたからでしょうか。
こういう記事が目に入ってきたよ。「大島弓子がいるから、生きられる」

なんというか、シンクロニシティ?
「ダ・ヴィンチ」は毎号欠かさず読んでいるし、このところ短歌に興味を持っているので穂村弘の「短歌ください」には目を通している。
その人が川上未映子と対談していてですね、テーマはなんと、「私の大島弓子」について。
萩尾望都と竹宮惠子のことを話題にするなら、大島弓子のことも考えないと、と漫画の神様(いや、手塚治虫ではなくて)が示唆してくれたのかもしれません。(そうじゃないのかもしれません)

記事のリードが素晴らしいよ。
「大島弓子を読むことは、この世界の片隅に見えない扉があることを知ることだ。人は誰も生きていくことがつらい時があるから、それはきっとあなたを勇気づける。透明な革命は、明日、あなたに起こるかもしれない。それはひとつの奇跡、ひとつの体験なのだ」
素晴らしいけど、ちょっとなに言ってるのか分かりにくいですよね?
大丈夫、それは記事をとっくりと読めば腑に落ちます。

さっそく読んでみましょう。
冒頭から引きつけられちゃった。
川上「大島弓子って、何百万人が読むようなメガ少女マンガとは違う文脈ですよね。映画で言ったら、単館上映系みたいな」
穂村「うん。僕が思ったのは、萩尾望都には『世界の萩尾望都』みたいな偉大さがあるのね。でも大島弓子を『世界の大島弓子』って思う人はいなくて誰もが『私の大島弓子』。一番つらい時に大島弓子がいるから生きられるみたいな読み方を僕はしたし、みんなもそういう感じで読んできたんじゃないかなあ」
見事な対比。そして位置づけ。

さらにここも衝撃的だった。
穂村「生き難い思春期に自分が読んでいた時の実感は、大島弓子がいるから生きられるというものだった。マンガ家のいしかわじゅんも、ある時期、自分のやり方では生きることができなくて、大島弓子の価値観を借りて、そこに腰かけて休んでいた時期があるって言い方をしていて、なんかそれがリアルでね」
大事なことなので、もう一度引用しよう。
「大島弓子の価値観を借りて、そこに腰かけて休んでいた」。
なんというレトリックの素晴らしさ! そして語られる内容の弱さと強さ。

一瞬にして80年代初頭の吉祥寺界隈の香りを幻嗅したような気分になりました。女子大通り「MURA」の店内のような(極私的比喩)。
そうして、いしかわじゅんさんの吉祥寺を舞台にした漫画(と、その頃の漫画)も想起したのはいうまでもありません。

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感慨深い。

感慨深いといえば「スキャンダル通信」「スキャンダル倶楽部」を読んだ35年後にサインをいただいたことも深き感慨。

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いやこれは単なる自慢だった。ごめんごめん。

閑話休題。
もちろん穂村弘と川上未映子との対談では、リードにあるような「見えない扉」も「透明な革命」も十分に語られていて、読みでたっぷり。
久しぶりに感動的な対談というものを読みました。
なんだか心が浄化されたような気持ちにすらなったのココロ。

「ダ・ヴィンチ」6月号はTEAM NACS好きにもたまらない一冊だと思います。ぜひご一読を!

そうして今月21日に発売される穂村弘のデビュー詩集の新装版「シンジケート」は絶対買おうと思った。
なにしろ31年前の自費出版のときに大島弓子が書いた帯文がそのまま再掲されるというんだから。(内容は対談で明らかになっているけれど、本と帯のセットで見てみたいものね)

さあ、本棚から発掘した大島弓子を読みなおそう。
まだ、見えない扉を見つけることはできるかもしれないしね。

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