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【第二話】相手が感じていることを想像する

「急停車します。ご注意ください」と車内アナウンスが流れました。

電車は速度を落として、止まります。車内では安全確認をしていると車掌が説明しているところでした。
私はつり革につかまって、ドアのそばに立つ青年を見つめていました。彼が耳をふさいで小さく飛び跳ねていたからです。

「急停車、急停車」と彼は繰り返しています。一人のようでしたが、まるで誰かと言い合いをしているように声量が大きくなっていきました。
私は思わず声をかけました。
「大丈夫ですよ。すぐ電車は動くから安心して」
見ず知らずの人から突然話しかけられ、彼は驚いたように私を見ました。その後つぶやくような小声になり、ジャンプもやめて窓の外を眺めています。まもなく電車は動き出し、彼も落ち着いたようでした。

乗客の私には、どんなアクシデントが起こったのかはわかりません。けれども明らかに困っている様子の彼に、少しでも安心してもらいたいと思いました。自分の基準で他の人の心配や不安がこの程度だろうと見積もることはできないと教えてくれた人がいたからです。

その人はいつも熱心にテレビのニュースを見ていました。アナウンサーが、彼のいる場所から遠く離れた地域の台風情報を伝えると、部屋中に鳴り響く大声で、
「台風何号は温帯低気圧に変わりましたー!」
と教えてくれます。台風一過の青空がテレビに映ると、重大な問題が解決したとばかりに安堵の表情を見せます。
「震度二の地震を観測する揺れがありました」とニュースと同じ口調で言うときも、その表情は真剣そのものです。どんなに離れていても、彼にとって「いまここ」で起きている深刻な事態なのだと思います。

私は遠い国の地震や災害に心を痛めることはあっても、すぐ自分の身に降りかかるだろうと心配になることはめったにありません。目の前の切迫した状況には感じられずに、どこかで「我がこと」ではないと思っているのです。

車内で出会った青年にとって「電車が止まる」のがどれだけ深刻な状況に感じられるのか、私には想像すらできません。そんな彼に、確かな理由もなく心配ないと伝えてもいいのか迷いますが、大きな不安を抱えた相手に「私は大丈夫だと思う」と伝えたくなったのです。

先の台風のニュースを熱心に見る人は「自閉症」と呼ばれる障害があります。おそらく電車の青年もそうだろうと思いました。しかし、

「相手には障害がある」

単純にこう考えてしまうと、その人が見て感じていることには近づけない気がします。私はそれを頭で理解しようとして、かえって見えなくなってしまうことがあると感じます。もっと相手の思いを受けとって、できることをしたいのです。

家族の用事などで、福祉施設には一日に2~3人が泊まっていました。ある晩に一睡もしなかった小学校高学年の子どもがいました。夜遅くなっても彼はまったく眠ろうとしません。ニコニコしながら窓のそばにただ立っているのです。最初は、家に帰りたがっているのかと思いましたが、その夜はここに泊まると分かっているようでした。

深夜一時になっても二時になっても、彼は穏やかな表情のまま立ち続けています。一晩中窓の外や部屋の中を指さしながら、ときどき何かを言っていました。微笑みかけてくる彼の前で、私はもうろうとしながら彼の「言いたいこと」を聞こうとしました。しかし結局彼の気持ちがわかるようでわからないまま、朝を迎えました。

翌朝、お迎えにきたお母さんにその様子を伝えると「初めてのお泊まりなので、そうなると思いました。でも、落ち着いていてよかった」と笑顔で言いました。この日は家に帰ってからぐっすりと眠ったそうです。次の宿泊では、もう少し彼の言うことがわかるようになりたいと思いました。

別の日のことです。車椅子を使う中学生が泊まりました。夕食のとき、スプーンを口元に持っていくと、顔を左右に振って食べようとしません。私は「どうしたのだろう?」とその様子を不思議に思いました。

慣れない環境に置かれると食事をしない人もいるとはいえ、やはり理由が気になります。はじめは体調が優れないのか、あるいは緊張のせいかもしれないと予想しました。

ためしに、食事の介助をしていた支援者が、ペースト状のおかずを味見しました。すぐに「まずい」とひと言。キッチンで一工夫して作り直したところ、無事に食べてくれました。

宿泊のときは、支援者も子どもと同じものを食べますが、ペースト状にしたりトロミをつけたりすると少し味が変わります。美味しくないから食べたくなかったのです。このあたりまえのことに私は気づけませんでした。このことがあってから、支援者もかならず、子ども用に形態を変えた食事を味見するようになりました。

私は目の前で起きていることを自分の見え方だけで決めつけず、相手にどう見えているかを想像するように心がけています。そうすれば、「相手にある」と思い込んでいた「障害」はどこかにいってしまい、必要なことが見えてくるからです。

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