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ソーシャルワークのある生き方

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記事一覧

【第七話】過去から襲ってくる恐さに打ち克つ

【第七話】過去から襲ってくる恐さに打ち克つ

「ひとりで不動産屋さんに入れるくらいなら、とっくにそうしています。でも、どうしてもダメなんです」

彼は言いづらそうに、でもいつもより大きな声で告白しました。

人々が行き交う商業施設の休憩スペースに、私たちは二人で座っていました。いくつかの不動産屋をまわって候補になる物件はあったものの、彼は私にその後も付き添ってもらいたいと思っていたようです。50代にもなって家を借りる話すら満足にできないと、彼

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【第六話】社会に戻ってやり直す本人の声を裁判で聞きたい

【第六話】社会に戻ってやり直す本人の声を裁判で聞きたい

「こんな思いをするくらいだったら、もう戻りたい。あそこにいたほうが、ずっとよかった」

私の目の前には、まるで幼い子どものように泣きじゃくる50代の男性がいました。彼はつい先ほど拘置所から出てきたばかりで、自分の置かれた状況をまだ受け入れられないようでした。

その日の食べものを買うお金も節約しながら、生活を立て直さないといけない時期がある。拘置所で私とそんな話をしていたとはいえ、公的な支援につな

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【第四話】人生に添っていなければ何の手伝いにもならない

【第四話】人生に添っていなければ何の手伝いにもならない

「つまらない……」とその人はよく言っていました。

はじめて福祉施設で会ったとき、彼は部屋の片隅で計算ドリルをやっていました。感情をほとんど表に出さず、何かを我慢するように黙々と解答の数字を書き込んでいました。それが当時の日課になっていたようです。

彼のうんざりした様子は、福祉施設で働きはじめたばかりの私の心に深く刻まれました。まだ30代前半の彼が、生気を失ってまるで枯れ果てたかのような姿に見え

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【第五話】気づかないうちに人権を侵害する側にいた

【第五話】気づかないうちに人権を侵害する側にいた

「お父さん、お母さんとまた選挙に行きたいです」

裁判の終わりを迎え、裁判官から発言を求められた名児耶匠(なごやたくみ)さんは、はっきりとそう言いました。

堂々としたその姿を、私は傍聴席から見ていました。匠さんの作り出す凜とした雰囲気は法廷を包み込み、自分の気持ちはこうなのだと、その場にいるすべての人に強く語りかけるようでした。

裁判を傍聴しながら、私はこんなことを考えていました。

「選挙権

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【第三話】いまの社会があるのは開拓した人がいたから

【第三話】いまの社会があるのは開拓した人がいたから

私は車椅子を使う人と街に出かけたことで、初めて「社会」という存在を意識しました。1990年代のことです。

当時、大学生の私は、障害のある人が暮らすグループホームというところで泊まりのアルバイトをしていました。そこは福祉施設といった外見ではなく、住宅街にあるふつうの一戸建てでした。

グループホームに住む男性の外出に、付き添ったときのことです。その道のりで、私一人ではけっして経験しないことに遭遇し

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【第二話】相手が感じていることを想像する

【第二話】相手が感じていることを想像する

「急停車します。ご注意ください」と車内アナウンスが流れました。

電車は速度を落として、止まります。車内では安全確認をしていると車掌が説明しているところでした。
私はつり革につかまって、ドアのそばに立つ青年を見つめていました。彼が耳をふさいで小さく飛び跳ねていたからです。

「急停車、急停車」と彼は繰り返しています。一人のようでしたが、まるで誰かと言い合いをしているように声量が大きくなっていきまし

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【第一話】依頼者の人生は依頼者が決める

福祉施設で働いていたときのことです。車椅子に座る彼女は、

「切らないで。そのまま食べたい」

と言いました。私はこの日、彼女のとなりで昼食の手伝いをしていました。噛んで飲み込むときに窒息しないように、おかずを小さく切り分けていたのです。

透明なアクリル板に書かれた五十音のひらがなを目で追って「き・ら・な・い・で……」と言ったあと、私をじっと見つめました。

彼女がそれを嫌がっているのは、私にも

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【はじめに】ソーシャルワークは「その人らしい生活」を守るための活動

「こちらのタブレットにお客様の情報をご入力いただき、しばらくお待ちください」

ある依頼者の銀行口座の開設に同行したときのことです。受付の人からこう言われると、彼はタブレットPCをじっと見つめ、何も言わないまま私のほうに振り向きました。この人はいままで機器の操作をしたことがありませんでした。

私は福祉分野の対人援助職で、いわゆるソーシャルワーカーをしています。となりの席で彼を手伝いながら、銀行口

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